7.登場、電甲戦隊五人衆

 〈イレギュラーズ〉とは、英国の繁栄を支える巨大知性体シャーロック・ホームズの末端たる、共有知を持つ科学者集団を差す。ひとりの知見は全員の知見であり、ひとりの発見は全員の発見となる。ノラを〈下天会〉に送り込んだのは、彼らが密かに行っている研究の詳細を探るためだった。

「ワトソン計画は容易ならざる道だ。この世のすべての知を集結させても成るとは限らん。〈下天会〉が裏で高度な軍事研究を行っているのなら、その情報を解放したいとシャーロックは望んでいる」

「意外だな。世界平和のためではなく、エゴか」

「だが世界平和と相反しない。シャーロックは世界の覇権を望まない。あなたと彼は、遠く離れていても志を同じくしていると言える」

「ただのスパイ活動だろう。一緒にして欲しくはないね」

「知の解放とコモンセンス化がシャーロックの究極の目的だ。独占ではない」

「なぜ止める。なぜ葉隠幻之丞を招いて〈下天会〉を止めようとした。そして今、なぜ僕を案内する」

「彼らは狂気に堕ちた。よって我々とシャーロックは、監視し、吸収することによって得られる利よりも、放置し、増長することによる害の方が大きいと判断した。〈アルファ・カプセル〉は最後の一線だったのだ。案内するのは、あなたが望んだからだ」

 堪りかねたのか焔が口を挟んだ。「おい伊瀬の、そろそろ俺らにもわかる言葉で喋ってくれよ」

「まあ待ちたまえよ。彼女は敵の情報を持ってる。今、聞き出しているところだ」と日本語で新九郎は言った。

 暗闇の足元に、野草の形をした電灯が転々と配されている。下り続ける螺旋階段は、地上階をとうに通り過ぎている。新九郎の革のブーツと、焔の鉄板を仕込んだブーツと、凍のぺたんこな学生靴の足音が遠く彼方まで反響していく。

 案内に立つノラ・ボーア曰く、エレベータすら使用不能な緊急時用の通路であり、原則使用されないため信徒たちと遭遇する可能性は皆無。最も安全に侵入できる経路なのだという。その彼女は、足音がしない。

「あえて説明するなら、この世界におけるわたしの存在が薄れているのだ」堅く気取ったクイーンズイングリッシュでノラは言った。「光学手段によるQ領域活性化と拡張認知の獲得。これがわたしの研究テーマだ。理解できるか、シンクロー」

「あなたが銀河標準語C種を喋っているような心地だ」

「ではシンプルに。閃光を見ると、空想の世界に旅立つ」

「馬鹿な」

「葉隠幻之丞の手紙にそのような記述はなかったか?」

「なぜそれを……いや、共有知か。師匠も例の空飛ぶ要塞島の人間には話したのだろう。彼らの中にも〈イレギュラーズ〉はいる。そういうことだね?」

「いかにも。一応申し添えれば、同意の上だ」

「まああの怪物に尋問などできる人間はいるまいよ」新九郎は煙草に火を点ける。暗闇に温かい光が広がる。新九郎はその火を、ノラの方へ向ける。「それで、一〇〇歩、いや一〇〇〇歩譲ってそのQ領域とやらが何らかのピカピカで活性化されて、夢の世界に浸ってしまうのはいいとしよう。それでなぜ、身体が薄くなるんだ」

「わたしの研究は、突き詰めればロジャー・ペンローズの量子脳仮説の実証だ。我々の脳に生じる意識が世界を観測することで世界が実存する。この応用で、我々は観測し、実存する世界を選択することができる。脳の量子力学的働きを司る、即ち意識を宿している部位を、わたしはQ領域と名づけた。これは特定の一部ではなく、脳の中に分散している。むしろ脳全体がQ領域の働きを少しずつ肩代わりしている状態だと考えている」

 新九郎はライターを閉じる。「すまない。ついていけない。僕は少し超電装が好きなだけの法学の徒だ」

「あら、超電装スーパーロボットって仰いましたわ」と凍が茶化す。

 新九郎は嘆息し日本語で応じる。「君ら、なんで銀河標準語A種は喋れるのに英語は駄目なんだ。地球の言葉だぞ」

「向き不向きがあるんですの。ねえ、お姉さま」

「そういうこと」なぜか得意気に焔も応じる。「これだから帝大卒は困るよな。厭味ったらしいったらありゃしねえ」

「さすが帝大を首席で卒業された方は仰ることが違いますわ。あぁん素敵、抱いて」

「君たちね……」ため息をついて、新九郎はまたノラの背中を見て言った。「ペンローズというのは、ペンローズ・バリアの彼か」

「そうだ。隣接界エネルギーを取り出し蒸奇性の防壁を作る図形の発見者でもある。あれは世界と、別の世界を隔てようとする力だ。水と空気の界面に生じ、水滴を作る力のようなもの、と言えば理解できるか?」

「どうにか」

「……わたしと、他ふたりの博士を中心とした研究は、既に完成に近づいている。上の信徒たちも、このわたしの身体も、すべては実験の結果だ。最後の欠片が〈アルファ・カプセル〉だ。大英博物館からの強奪が成功したことにより、金色の悪夢が下天より目覚めんとしている」

「他ふたりの研究というのは?」

「詳細は知らない。選留主は、一角からでは全貌を把握できないよう、研究班を完全に分離していた。おそらく、わたし以外にも存在する外国勢力による成果の簒奪を阻止するためだ」

「金色の悪夢。危険だと考えているなら、研究のサボタージュという手もあったろう。アルファがあれば完成、という状態にならないよう、引き延ばせばよかった」

「加速することが、この未来に辿り着くために必要だったとシャーロックは言った」ノラは立ち止まり、背後の新九郎を振り返って見上げた。「シャーロックと繋がったわたしがここであなたと接触するためには、あなたが葉隠幻之丞の手紙を受け取っていなければならなかった。葉隠幻之丞を英国へ呼び寄せ、強奪阻止のために戦ってもらう必要があった。合法的な入手ではなく、〈下天会〉を暴力による強奪に導かなければ、あなたがここへ来た時には既に、わたしの存在はこの世界から消滅していた。あなたは何も知ることなく彼らと戦い、そして死んでいた」

「だがあなたは、進めば敗北すると言ったぞ」

 ノラは答えず、階下へと音のない歩みを進める。

 最下層が近かった。

 階段には数段ごとに不気味なペンギンの置物が置かれている。南極ではなく、豪州の街中で人間と生活空間を共有している種類が象られている。呼吸するように、その目が周期的に光っては消える。

「〈アルファ・カプセル〉の本質は増幅装置だと聞いた。つまりアルファの入手によって、君たちの研究は完成してしまったと、そういうことか」

「まだ万全ではない。調整は必要だ。だが、私の存在を半ばまで消し飛ばすには十分な性能を発揮している」

「英国では一時的な精神変調。二階の信徒たちは昏睡。そしてあなたは存在の希薄化。これでもまだ、完全体ではないというのか」

「そうだ。もしも自由自在に操れるようになれば、たとえ〈奇跡の一族〉であろうとも彼を止めることはできない」

「こんな地下深くに秘密基地を作るほどだ。余程のものだろうね」

「この空間自体は、掘削したわけではない」

「そりゃそうだろうね。何噸の土砂が出るかわからない。運び出そうとすれば足がつく。過去に何者かが作った空間の流用にしては深すぎるし、僕が噂ひとつ耳にしたことがないのがおかしい。壁や階段は異星砂礫の類のようだが」

偽星物フェイクレリクス・〈金色夜鷓ハルピュイア〉」とノラは言った。「下天の主。掠め取りし者。〈天光郷〉で組み立てられた金色の悪夢の転送により削り取られたのが、この場所だ」

「フェイクだと? 星鋳物の複製品など、どの星の科学技術をもってしても不可能だ」

「己が目で確かめるがいい」階段を下っていたノラが急に水平移動する。

 階段の最下段だった。足を踏み入れると、靴底が水溜りを叩いた。振り返れば、焔は跳ね返りも構わず、凍は足元をいちいち凍らせて進んでいる。

 泥や苔の臭気が鼻をつく。水道や、岩盤に漉された地下水ではない。まるで川の水をそのまま流したかのようだ。

 通路を抜けると、吹き抜けを囲う回廊のような場所に出る。上方から強い照明光が降り注いでいる。あまりの大きさに、新九郎は眉をひそめる。まるで四方を高層ビルに囲まれているかのようだ。あるいは、巨大な神殿の中。ここが地下数百米とはとても信じられなかった。

 靄がかかっていて、回廊の対角がまるで見通せない。だが、中庭、と呼ぶには広すぎる間には、五〇は下らない数の白装束が整列している。いずれも突撃銃で武装。さながら僧兵だった。柱と手摺の飾り板の陰に、新九郎と二ッ森姉妹は身を隠す。

 地上の建物に勝るとも劣らぬ異様な空間だった。水位は足首より低いが、靴底よりは高い。水の底には南国のような白砂。そして明らかに張りぼてだが超電装ほども巨大な大仏が砂にめり込みながら横倒しに転がされ、壊れたテレビがピラミッドのような山を築いている。四方八方を向いた電柱が無秩序に並び、浴衣を着せられた多数のマネキンが盆踊りの途中の姿勢で固定されている。その中心には石の櫓が立ち、一番上にはこれまた巨大な西洋風の金色の鐘が吊り下げられている。錆びた廃車。朽ちたバス。走る列車のない軌道に沿って、朱色の剥げた鳥居が無数に並ぶ。

 そして中心には祭壇のようなものがあり、髭面の男が両腕を大きく広げ、何事か僧兵たち相手に語りかけている。言葉の断片が新九郎の耳にも届いた。

「行きなさい。世界の嘘を暴きなさい。隠された悲劇を救いなさい。それこそが、あなたがここへ遣わされた――」

 新九郎は、左手で刀の感触を確かめる。

「わたしの案内はここまでだ」腰を落とす様子もなくノラは言った。「あなたの勝利を祈っている、シンクロー」

「まだ潜入を続けるのか? 脱出するなら、僕らが手を貸す」

「無用だ」とノラ。白衣の中から拳銃を取り出し、自らのこめかみに当てた。

「待て。早まるな」

「わたしは役目を果たした。わたしのすべては、〈イレギュラーズ〉に受け継がれた。そしてわたしは、この世界で死にたい。これ以上わたしが薄れてしまう前に、わたしが生まれ、愛した、この世界で」

 焔を振り返る。静かに燃える目が、ノラを見ている。凍を振り返る。瞬きひとつせず、ノラを見ている。

 新九郎は舌打ちし、ノラの手首を掴んで取り押さえようとする。だが、新九郎の手は、ノラの身体をすり抜けた。

「シャーロックはまだ、あなたの勝利を算出していない。だが、あなたの運命が定められているわけではない。すべての未来はあなた次第だ、スターダスター。一足先に、わたしは星屑となる。あなたという意志に触れたことは、わたしの希望だ」

「なぜ僕を蒸奇の申し子と呼んだ」

「いずれわかる」

 銃声――ノラの頭部が大きく傾き、水を跳ね上げてその場に崩折れる。広がる血溜まり。

 音に気づいた僧兵が新九郎らに銃口を向ける。

 祭壇の上から男が言った。

「お待ちしておりました。探偵さん」

「選留主、いや、小野崎徳太郎!」新九郎は遮蔽物の陰から声を張り上げる。「お前の行為は星団憲章第四条が禁じる安全保障に関わる特定該当技術の無許可私的利用にあたる! 星外技術の私的濫用を禁じた第六条にも違反だ! 直ちに部下の武装を解き、投降しろ!」

「あなたに私は止められない」

「どうかな」

 応じた新九郎の爪先に、水面を流れてきたゴミが触れる。泥に汚れた、英語が記されたビスケットの包みだった。

 選留主が指を鳴らす。僧兵が鳥居や地蔵の陰に散り、銃を向けて躊躇いなく発砲する。飛び交う弾丸。鳴り響く銃声。新九郎が身を隠す柱が削り取られる。そこで気づく。

 咄嗟に身を躱す。直後、柱が砂に還って弾丸が貫通した。

「凍!」

「心得ましたわ!」

 凍が刀を抜き、身を躍らせて白砂に突き立てた。

 肌がぴりりと震える。迸る冷気が空間を暴れ回り、氷の壁と柱が次々と立ち上がった。僧兵たちを氷の向こうに隔て、作られた一本道は新九郎と教祖・選留主を結ぶ。

 飛び出す新九郎。その真横で、天井が砂になって崩れた。そして姿を表す、鈍色の光沢を放つ全電甲フルシェルドの戦士。頭部に黄色の発光機を備え、巨大な鉞を振り被る。新九郎は刀に手をかけたまま横っ飛びに避ける。鉞は空を切り、薄氷ごと地面を砕いた。

 全電甲男の頭部でもう一本の斧が後頭部から回転し、脳天にめり込みながら刃を前にして固定される。野太い電子音声が言った。

「愛の守り人、〈黄のアックスマン〉」

 そこへ言葉もなく刃が迫った。

 左手に刀、右手に鞘を持った二ッ森凍が、羽織を翻し飛燕のように走る。対する〈黄のアックスマン〉は鉞を持ち上げようとするが、既に発生した氷の塊に固定され、動かない。

「ここはわたくしに――」

 だが直後、今度は側面の壁が崩壊する。砂になったのではなく、力で砕かれたのだ。そして現れる青い発光機を持つ全電甲。得物の槍を余談なく構え、凍へ側面から突撃する。

 だが凍もさる者。即座にたたらを踏み、構えを直し、力任せの一閃で槍の突進を切り払った。

 〈黄のアックスマン〉が鉞を氷から引き剥がす。新たな全電甲が頭上で槍をプロペラのように回し、構える。後頭部の穂先が回転し、鋒を前にして固定される。甲高い電子音声が言った。

「希望の守り人、〈青のランスマン〉」

 凍は両者を睨み、左手の親指で鍔代わりの歯車を回した。「行ってくださいまし、先生!」

「頼んだ!」

 新九郎は祭壇を睨み、氷の壁で作られた道を駆け出す。同時に焔が氷の壁の上に飛び乗り、視線を走らせ巨大な銃を構えた。そして叫ぶ。

「左だ、旦那!」

 新九郎は咄嗟に身体を低くし、壁のひとつの足元へ爪先から滑り込む。紙一重で頭上を貫き壁に突き刺さる鏃型の短刀のようなもの。焔が右手に構えた銃から火炎弾を乱射し、親指で撃鉄代わりの歯車を回す。続けて横に薙ぎ払いながら火炎放射を放ち、炎の壁を作って氷の柱の上から降りた。

「緑がいた。あんたのお師匠さんの手紙にあったやつだ」

「カッショーの改造人間。容易ではない相手だぞ」

「誰に言ってる」

 言葉を交わす新九郎と焔の頭上に鋭い風切り音が鳴る。切り裂かれた炎の壁の向こうから現れる、頭部に白い発光機を持つ全電甲。右手に蛇のようにしなる鞭。後頭部から後ろに垂れていた小型の鞭が前方へ移動し、長すぎる前髪のようになる。興奮に燃える電子音声が言った。

「正義の守り人、〈白のウィップマン〉」

 鞭の一撃――左右に避ける焔と新九郎。鞭の先端に取りつけられている小さな分銅が凍結した水面を砕いた。そして炎と氷の隙間を縫うように飛来する短刀。緑の発光機を持つ全電甲が見え隠れする。

「行け! 白と緑は俺が!」焔は二輪用のゴーグルを装着する。

「いつも悪いね!」

「いいってことよ!」

 新九郎は刀の鯉口を切り、走る。

 頭上から金色の光が降り注いでいた。見通しの悪い回廊にいた時には気づかなかったが、広大な空間に、奇怪なものがあった。

 鳥だ。あまりにも大きな、金色の、機械の鳥だ。翼を折り畳み、巣で卵を暖めるかのような姿勢をした巨大な怪鳥が、頭上で浮遊しながら蹲っている。姿勢のために形状の全貌は窺えないが、超電装を遥かに上回る巨体だ。

 恐らくはタワー・ブリッジの戦闘に現れ、選留主とその一行を回収したもの。そして葉隠幻之丞を恐怖させた存在。そういうことか、と新九郎は思い当たる。先程英語の書かれたゴミが流れてきたのは、元々テムズ川の水だからだ。転送するときに巻き込んだのだ。

 そして恍惚とした表情でその金色の怪鳥を見上げる選留主を正面に捉えた時、別の殺気が新九郎に迫った。

 手紙にあった全電甲の戦士、その最後の一体。

 赤い発光機を持ち、両手の甲に片刃の剣を固定した全電甲が、反対側から祭壇を飛び越え、剣を交差させながら新九郎の頭上に迫る。対する新九郎は足を止め、右手を刀の柄に触れる。

 交差、抜刀、鋭音、火花、衝撃、旋風。静の後の強烈な動が、機械仕掛けの魔を弾く。

 新九郎は二歩後退。刀を肩に担ぎ、息を吐いた。

「君が改造人間軍団の真打か」

 冷徹に研ぎ澄まされた電子音声が応じた。

「夢の守り人、〈赤のソードマン〉」

「不格好な髷だね」

「直さぬと決めた。蒸奇殺法の遣い手をこの手で葬るまで」

「男の勲章かね? 流行らないよ、今時」

 額の一刀がへし折られている〈赤のソードマン〉は、両手の剣を研ぐように擦り合わせる。「辞世の句は詠んだか、伊瀬新九郎」

 ふむ、と呟き数秒。新九郎は左手で〈赤のソードマン〉を指差した。

「早う去ね。前座の君に用はない。かかってきたまえ、からくり野郎」

 左手の先で手招きを二度。赤色の発光機が燃えるように輝きを増した。

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