1.妻、少女、女

 新婚旅行は、定番の熱海から少し足を伸ばして、西伊豆へ向かった。依子の親類が旅館を営んでおり、派手な熱海よりももう少し落ち着いたところがいいわ、と依子は言った。新九郎も賛成だった。

 東海道から伊豆急を乗り継ぎ、降りた駅から山道を車で少し。たどり着いた先は、聞いていた通りのこじんまりとした民宿で、聞いていたよりも賑やかで、温かかった。親類たちはみな、依子をよりちゃん、よりちゃんと言って持て囃した。彼女はここでも人気者だった。そして新九郎は、母以外の人がいる家庭というものを、初めて知った。長屋暮らしをしていた時も人の出入りはあった。だが、彼らや彼女らは、徒党を組んで大きな何かと戦うための同志のような存在だった。困ったときは助け合うし、苦しみは見逃さないし、喜びは分かち合ったが、あくまで他人として踏み込まない一線があった。たとえば新九郎は、よく遊んでくれていた近所のお姉ちゃんのお母さんが、どこの出身なのかも知らなかった。だが、西伊豆の親類の家では、誰もが幼少期からの依子を知っていた。

 依子の実家である多摩の家は、元々伊豆の本家の三男が家を飛び出し、戦後のどさくさに紛れて起こした商売が成功して今に至っている。西東京地域に茶や干物を卸しているのだという。そして伊豆の本家は、西伊豆の網元のひとつであり、一族で旅館や水産加工など手広くやっている。元々、多摩と伊豆の家は、三男の出奔という事件を経ているためあまり良好な関係ではなかった。両家を結びつけたのは、依子だった。本家の老人たちも孫娘は可愛いし、孫の顔を見せるという口実の面会が、伊豆の家の水産加工品を多摩の家の販路で東京へ売る、という実利を伴って両家の雪解けのきっかけとなった。

 そんなことを、異星言語翻訳師の特徴なのか飛躍と突然の沈黙が多い早口で言って、依子は新九郎の手を握った。ふたりの目の前には、海岸線と沈みゆく夕日があった。「この景色をあなたに見せたかったの」と彼女は言った。「天地が闢けるようだ」と新九郎は応じた。なにそれ、と彼女は笑った。

 鯛だ。金目だ。鯵だ。岩海苔だ。山葵だ。幸せを呼ぶという得体の知れない深海魚だ。これでもかとばかりに次から次へと出される山海の幸に舌鼓を打ち、一族郎党集まってのどんちゃん騒ぎで依子との出会いから初夜から何から何まで聞き出され、疲れ果てた身体を温泉で癒やした。そして畳にふたつ敷かれた布団で、依子と並んで床に就いた。

「夜、波の音が聞こえるって不思議でしょ?」と依子が言った。

 新九郎にとって初めての体験だった。現実が遠ざかっていくかのようだった。自分はこんな素敵な女性に出会ってなどいないし、見知らぬ土地で歓待などされていないし、すべては幻て、世界のすべては押せば倒れる書き割りであるように思えた。

「君に会えてよかった」と新九郎は言った。「僕は、すべての怒りや悲しみから君を遠ざけたい。君が怒らず悲しまず、望むものを全部手に入れることが、僕の幸せだ」

「法月くんを失っても?」

「そのことは」新九郎は身を起こし、依子の上に覆い被さった。「もう話さないって決めたろ」

「私は怖いの。あなたが私を選んでくれたのは、優しさや義務感のせいじゃないかって、時々すごく不安になる。私は、あなたの優しさにつけこんでるだけなんじゃないかって……」

「違う」

「私ね、子供が産めないの」依子は自分の身体を抱いて、横を向いた。「生まれつきの子宮奇形で、もし妊娠しても習慣流産の可能性が高い。だからおじいちゃんもおばあちゃんもみんな、孫はまだかって言わなかったでしょ」

 新九郎は、依子の上から降りて、背中合わせに寝転がる。

 すぐには、返す言葉が見つからなかった。

 いつかは、人の親になるのだろうと思っていた。本当に運良く依子に出会えた。結婚し、こうして新婚旅行にもやってきた。次は、子供を作るのだろうとなんとなく想像していた。彼女も同じことを考えているのだろう、とも。

 新九郎は自分の愚かしさを恥ずかしく思った。一緒に過ごした時間の中に、きっと多くの徴があっただろうにもかかわらず、彼女が抱えていた秘密を想像もしていなかった。同じことを考えているだろう、という自分の漠然とした思いが彼女の口を重くしていたことに思い至り、新九郎は「すまない」と詫びた。

「僕は君を追い詰めていた」

「そんなことないよ。私に告白する勇気がなかっただけ」

「罪みたいに言わないでほしい」と新九郎は言った。「君は、罪の意識を感じる必要はない。子を産むという役割を果たすか否かは、社会の要求や無形の規範によらず、個々人の自由選択に委ねられるべきだ」

「私も頭ではそう思う。でも、もし産めたとしても、私は異星言語翻訳師になってたのかな。働く女という自分を選択したつもりになっているだけのような気がするの。本当は、選んだんじゃなくて、この身体に選ばされただけなのに」

「人間の中には常に罪があって、救われるためにはその罪と常に戦い続けなければならない。それが、善く生きるということだ。……と、僕の師匠は言ってたよ。聖書か何かに書いてあるらしい」

「じゃあ、私は生まれながらに罪人ってこと?」

「それはどうだろうね。師匠の言葉には続きがある」

「続き?」

「人間の中には常に罪がある。……ただし、何が罪かは俺が決める」

「いつも思うんだけど、面白い人ね。あなたのお師匠さん」

「君が選んだんだ。身体に選ばされたんじゃない。もしも、君に選択を強いることができる者がいるとすれば、それは運命と呼ばれる何かだろう」

「優しいんだね、新九郎」触れ合った背中が震えた。「それに甘えて訊きたいんだけど」

「どうぞ」

「安心した?」依子が身を起こした。浴衣が開けていた。「子供ができないって聞いて。私との関係が後戻りできるってわかって、安心した?」

 新九郎は軽い目眩を覚えた。

 運良く普通に結婚して、新婚旅行へやってきた。そして、いつか普通に子供を作って、成長を見守り、そしてふたりで老いていくのだろう。そんな期待と同時に、曖昧模糊とした概念でしかない普通の人生というものに自分が沿っていくことへの、抗し難い恐怖も感じていた。

 子供ができないと聞いて、安心したのか。

 安心したのだろうか。

 寄せては返す波の音が、やけに騒がしく聞こえる。彼女の目を見られない。



 鰯雲が空を泳ぐ、寒露の頃だった。

「最近の女郎屋は駄目だね。なってない。大体洋装や簡着物で接客するのが駄目なんだ。まあ確かに、太夫だなんだという時代じゃないし、吉原の遊女を全員花魁と呼んでいた時代でもない。門もなければ堀もないんだ。現代に合わせて、何事も変わっていくべきだ。しかし、しかしね、一定のファンタジイというものを提供する場であるという、見世の矜持を失ってほしくないと僕は思うんですよ、財前さん」

「お前、成長したなあ……」熱い珈琲をふぅと冷ましつつ、財前剛太郎は応じた。「知り合いが出てきてひぃひぃ泣いてた頃が嘘のようだぜ」

「なら財前さん、あなた女郎屋で昔の知人が出てきたことがありますか」

「いや、ねえな」

「そうでしょう」と新九郎は応じる。

 秋深き、隣は何をする人ぞ。少し肌寒くなった純喫茶・熊猫の店内に客は疎らだった。財前はというと、火急の仕事がないと言って、定時までの時間を数えながら珈琲を啜る。新九郎も同じく抱えていた火急の案件を片づけ、のんびりとした午後を過ごしていたところだった。

 だが、男が卓を囲めば仕事の話になる。

 珈琲が半分くらいになった頃、財前が言った。

「吉原の女たちといやあ、最近行方知れずになるのが増えてるらしいな」

「珍しくもないでしょう。昔ほどあくどくはないですが、借金を返すために吉原の女になって、逆に増やして飛んじまう女の話なんて、両手の指でも足りないくらい聞きましたよ」

「でもそういう女は、決まって他の女と喧嘩してたり、間夫がいたり、金遣いが荒かったりだろ。だから行方知れずになっても誰も驚かない。よくある話、と流して終わりだ。だがこのところは違う」

「どう違うんです?」

「警察に捜索願が出されている」

「それは……おかしな話ですね」

 よくあることなら捜索願も出さない。去る者を追うのは見世の役目ではなく、その筋の者たちだ。彼らにしても、縁故先をひと通り当たればそれまでであり、草の根分けても探し出す、とはただの脅し文句にすぎないのだ。筋者とて、暇ではない。

 財前が言うには、いずれの女も品行方正。金を吸い上げる男はなく、あぶく銭で気が大きくなるわけでもない。女同士の人間関係も良好で、叩けばいくらでも悪口が出てくる程度。そして不可思議なことに、皆律儀に、似たような文句が書かれた手紙のようなものを残していくのだという。

「ええと……」財前は手帳を開く。「わっちは本当の居場所を見つけました。この世界は嘘だと気づきました。瞼の裏に浮かぶ景色へと私はゆきます。などなど……」

「ここではないどこかへの希望に満ちた旅立ちであると」新九郎は何本目かの煙草に火を点ける。「まるで怪しいカルトですね」

「お前のお師匠さんと大して変わらんだろう」

「それは捉え方次第です。カトリックは常に悔い改め、善く生きることを要求します。逃避は勧めません。神の子キリストだって、十字架に架けられておさらばすればいいところ、わざわざ汚れきったこの世に帰ってきたんです。もちろん、支配者が秩序を維持するための宗教へと変質した状態で体系が作られたことは考慮すべきですが……」堕落の煙を思い切り吸い込み、新九郎は続ける。「ウチとソトに区切り、ウチにだけ通用する特殊な価値観や習慣を強要する。それはある程度反秩序的である。ややこしい理屈と簡単な行為を兼ね備え、現世利益を与える。これらのことを、圧倒的な魅力を持つ人間が行えば、原始キリスト教のようなカルトになりますね」

「俺にゃあよくわからんが」

「師匠の言うことなら僕にもよくわかりませんね。どこで何をしているやら」

「話を戻していいか?」

「失礼しました」新九郎は咳払いする。

「妙なのは、こうやって行方知れずになったのは、吉原の女どもだけじゃないんだよ」

「普通の市民にも?」

「そういうこった」冷めた珈琲を一気に飲み干す財前。「そのうちお前さんのところも人探しの依頼がわんさか届いて大繁盛になるかもしれんぜ」

「御免被りたいところですね。僕はなるべく働きたくない」

「お嬢ちゃんが代わりに張り切るってか? お前さんをいい反面教師にしてるみたいじゃねえか」

「反面教師、ですか」

「見習われるよりよほどいいぜ」呵呵と笑う財前。

 だが新九郎は、煙草の灰を落として言った。「僕は彼女にいかなる影響も与えたくない」

「そうか? 年若い人間が自分を見て何かしら思ってくれたら、それは嬉しいことだろ」

「自分の子ではありませんから。繊細な年頃の子供に僕の存在が影響を与えることが、僕は嫌なんですよ。彼女が僕のところに来るというのも、最初は断ろうと思ったんです。結局、彼女の姉上に押し切られたんですが……」

「考えすぎだよ。子供ってえのは意外と頭がいい。あの子は尚の事だ。目に映るうち、自分にとってよいものとそうでないものの区別は勝手につけるさ」

「その区別をつけられるようになることを、大人になるというのではないでしょうか」

「もう少し信じてみろよ」

「信じる、ですか」煙草の火が吸われないまま上がる。「僕は、彼女の自主性を尊重しようとしてきました。でもその実、影響を与えることの容易さに由来する困難さから逃げていたのかもしれません」

「いちいち回りくどいんだよ、帝大卒。あの子が可愛いんだろ?」

「目に入れると痛いくらいには」

「ほら、やっぱり……」と財前が茶化そうとした時だった。

 通りに面した硝子を叩く者があった。

 濃い色の丸眼鏡の下から、血走った目が新九郎を睨んでいる。徳利首の毛糸のセーターの上から縞模様のダブルのスーツ。頬には傷跡があり、明らかにその筋の者と知れた。だが、まだ若い。そして新九郎は彼のパーマ頭に見覚えがあった。

 素知らぬふりで煙草を吹かし、新九郎は言った。

「お知り合いですか、財前さん」

「いや、どうみてもお前さんに用があるご様子だぜ」

「こちらはありゃしないのですが……」

 ガラス越しに男の声が轟く。「見つけたぞ、伊瀬新九郎!」

「おい新九郎、お前さん今度は何を仕出かした」

「超電装で暴れるより派手なことは何も……」

 喋る間に男は入口に回り、扉の蝶番が外れんばかりの勢いで店内へ。ぎょっとなる店主夫妻を尻目に、男は懐から匕首を抜いた。

 腰を浮かす財前。「おいおいおいおい勘弁してくれ、刺青モンは俺の担当じゃねえ」

 ぎらり閃く白刃を肩越しに見遣り、新九郎は煙草を押し消す。「忍くん。わけを聞かせろ。これはどういう狼藉だい?」

「やかましい! 覚悟!」

「お父上が黙っちゃいないだろう。紅緒さんも……」

「その紅緒さんだッ!」やくざ男、神林忍は眼鏡を捨てて踏み潰した。「てめえ、紅緒さんを袖にしやがったな!」

「袖に?」

「あんな人を、てめえの子まで孕ませてどういうつもりだ、ああ?」

「はあ?」新九郎は堪らず立ち上がった。「ちょっと待て。それは一体どういうことだ。僕が? 彼女を? 袖に?」

「そうだ」

「逆だ!」新九郎は伸び放題の頭を掻き毟った。「くそっ! やりやがった、あの女!」


 〈紅山楼〉を含む吉原の遊郭群は、地場の反社会勢力、つまりやくざである〈神林組〉と深い繋がりがある。女と金にまつわる諍いの解決や働く女の調達・吟味はもちろん、料理屋や仕立屋に無理を聞かせたり、女たちと周辺住民の折衝なども彼らが担っている。古くからの掟として、彼らは薬と吉原の女に手出ししてはならないと定められており、代わりに遊郭の売上の幾らかが固定収入として〈神林組〉に上納される。形式上はより広域を支配下に収める暴力団の下部組織ということになっているが、稼ぎ頭であること、そして楼主の私兵集団であり異星技術も用いる吉原隠密衆との親密な関係もあって、組織の中でも不思議な自主独立を保っているのだとか。要は稼ぎはいいが恐れられているのである。

 その〈神林組〉の舎弟頭にして、現組長の孫に当たる男が、神林忍である。

「あー、つまり、つまりだ。紅緒さんは僕に一緒になりんすと持ちかけたらこっぴどく断られ、赤ん坊がおりんすと言ったら知らんと突っぱねられ、わっちがありんすでどうのこうのと、つまり僕が何もかも悪いと喧伝して回っていると、そういうことか。狐め……」

「いや、済まねえ先生。水に流して下せえな。親父に知れたら小指じゃ済まねえ」

「僕も、君らのところとは近頃ご無沙汰していたからね。チャラにしておくれよ」

「ええ、そりゃもう」

 特定侵略行為等監視取締官の稼業から、帝都の陰陽に通じた情報屋である紅緒との付き合いは欠かせない。そして紅緒の背後には〈神林組〉がある。彼らとの関係は悪化させるわけにはいかない。だが、仮にも天樹の公職である以上、反社会勢力との親密な付き合いは歓迎されない。また、個人的に、新九郎はやくざがあまり好きではない。紅緒や歴代楼主が作った吉原という囲いの外へ出れば、女はやくざが稼ぐ道具にすぎない。母と暮らしていた頃に、そういう女たちを山程目にしたのだ。

 一方、神林忍は、収入源であるはずの吉原の楼主・紅緒に心底惚れてしまっている。女に手は出さないのが彼らの不文律だが、悪い虫は払おうとする。つまり紅緒にとっては伊瀬新九郎という怪しい私立探偵が、悪い虫である。いいように操られているようにも見えるが、それがどうして、忍の方も女に惚れたバカ男を演じているように見えるから油断ならない。先程の刃物騒ぎも、敵対しているはずの新九郎を訪問する口実を作ったにすぎないのかもしれない。

 しかし、妙な取り合わせである。

「やくざと、刑事と……」

「私立探偵」居心地悪そうに腕組みした財前が言った。「俺は退散した方がいいかな」

「いえいえ。たまには親交を深めるとしましょうよ」新九郎は煙草の灰を繰り返し落とす。「それにしてもあの女、全部計算ずくだ。女が泣いているとして、それは嘘だと男が騒いだら情けないとしか受け取られないし、何より僕自身がそんな自分を許せない。だから泣き寝入りするしかない。僕が泣き寝入りすると見透かした上であの女は嘘泣きをかましてやがるってわけだ。ああ忌々しい。僕だって結構一世一代の決意でだね、それを鼻で笑ったのはそっちだろうという話でね、これだから女ってのは……」

「よくわからんが、お前さんは手玉に取られたってわけか」

「遊女の誠と四角い卵はないとはよく言ったものですよ。ええ」

「紅緒姐さんは」忍はというと、布切れで目の端を拭っている。「涙を呑んでおひとりで生きることを選ばれたんですねえ。想い人と人生を共にすることよりも、女たちを守る自分の役割を全うすることを選ばれたんですよ。なんと尊い……」

「女を女郎屋に沈める側のやくざさんが、よく言うぜ」と財前。

「いやいや、最近はそうでもないんですよ」と新九郎。「田舎を回る女衒なんてのはもう流行らない。今や片田舎にも工場が次々建ってますし、ちょっと天候不順や天災で食い詰めて娘を売る農民なんてのは絶滅危惧種ですよ。女たちは、自分で女郎屋の門を叩くんです」

 忍は厳つい顔にまるで似合わないメロンソーダに舌鼓を打つ。「俺らも吉原で追い返された、容貌きりょうや頭の足りないのをよそに紹介して食いつないでる有様でさあ。いや、お恥ずかしい」

「だから彼らをあまりいじめんでやってくださいよ、財前さん。彼らが仕切っている限り、女たちは人間しか相手にしないで済む」

「憎きは〈赤星一家レッドスター・ファミリー〉」忍の目つきが急に鋭くなる。

「しかし俺らも、いや、俺の担当じゃねえが、今の上がやくざの浄化に躍起になってんだよ。レッドスターの増長もやむなしって勢いだ。おかげで俺ら異星犯罪対策課は忙しくなる一方。困っちゃうぜ」財前は席を立った。

「お帰りですか」

「定時だ」財前は腕時計を指差す。「ま、後詰めにお前さんがいると思えば俺らは気楽なもんよ」

「過度な期待は禁物ですよ」

 あいよ、と言い残し、財前はふらりと街の雑踏へと紛れていく。

 曇る窓硝子が財前の姿を見えなくする。忍が口を開く。

「実は今日は、先生にご依頼があって参上したんです」

「……刺されるよりはマシな用事だね」新九郎は姿勢を正す。「聞こうか。君の依頼か? それとも……」

「親父の。つまり、神林の依頼だと思って下さいや」

「曲がりなりにも公権力の側にいる僕に、君たちが。余程のことと察するが」

「ええ。人探しです」新九郎は思わず顔をしかめる。財前の予言が的中したのだ。果たして忍は、冷えていなければ死んでしまうかのように冷え切った声で続けた。「うちの組が世話した女が、消えてるんですよ。次々とね」

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