13.31体
表通りに騒ぎと車の警笛が木霊する。そして命知らずな野次馬が、繁茂する紅白草とそれを守るように立つ少女と男と犬のような生き物と、刀を構えた時代錯誤の男を見る。群れるナッソーが八方から威嚇の吠え声を上げる。切り捨てられたナッソーの死体から桃色の体液が流れ、石畳の継ぎ目を満たしていく。
門倉が口笛を吹いた。「見事なものだな」
「気づいたか、門倉くん」刀を霞に構え、新九郎はナッソー数体との間合いを計る。「その生首。脊椎がない。こいつら、鱗が外骨格だ。動物のように振る舞うために、鱗の継ぎ目が弱い。そして、鱗は硬い。あの草の幹と同じくらいにね」
「やっぱり! 同じ生物のオスとメスですよ!」と声を上げるあかりの傍らには〈黒星号〉が寄り添う。
刀を持って出てきた拍子に戻れなくなったあかりにナッソーを近づけさせまいと唸る忠犬に、新九郎は目配せする。
「オスとメス。半身。筋が通る。するとやつらの狙いは草の捕食じゃない。交尾だ」
「ならばあの蔦が言った産まれるというのは、文字通りだと?」門倉が眉根を寄せる。
「ああ。どうせ草や蜥蜴の化け物どころじゃない、ろくでもないものが……」
「先生! 上!」またあかりが声を上げる。
路地に並ぶビルはせいぜい五階建て。その屋上に不穏な影が次々と現れる。呼応するような鳴き声。五体や一〇体どころではない数のナッソーが一斉に出現していた。そして示し合わせたように、鼻先を群生する紅白草へ向ける。
「おい探偵、やれるのか」
「多勢に無勢の時は逃げろというのが僕の師の教えだ」
「でも逃げたら交尾しちゃうじゃないですか。なんとかしてくださいよ」
「そこなんだよねえ……」
「悪いが私は逃げるぞ」
銃を収めて退散しようとする門倉の腕をあかりが抱える。「駄目ですよ! 警察官でしょう!」
「私は命が大事だし明日はデートの約束がある!」
「それはしょうがないですね」あかりは手を離す。
「こら君たち」
門倉は聞えよがしに舌打ちする。「貴様も一緒だ。師の教えとやらはどうした」
「君にしては随分優しいな。女の影響か?」新九郎は構えを崩さない。「うまくやったら僕にも紹介したまえよ」
「こんな時に……」
「落ち着け。逃げる必要はない」新九郎は目だけで通りの左右を見た。「来た」
まずは叩きつけるような駆動音と耳を劈く制動音。続けて燃えるような橙色が銀の街を切り裂いた。六〇度V型二気筒を押し込めた単車を軽くいなす、傾いた短髪の女。涙滴型のタンクに描かれた炎がまるで本当に燃えているように揺らめく。
「ようお前ら! 手こずってるな!」
ナッソーの一体を轢き飛ばし、車体を九〇度転回させながら停止。目にも止まらぬ早業で太腿から巨大な銃を抜き、ビルの屋上から飛び降りてきたナッソーめがけて立て続けに撃った。
巨大な火の玉が見事な直撃。炎に包まれたナッソーが首から地面に落着する。
二ッ森焔――銃口に口を寄せてカウボーイのようにひと吹き。
ナッソーの群れが今度こそ一斉に動き出す。ある個体は空中から、ある個体は地面を蹴り、紅白草への道を阻む人間たちに襲いかかる。
すると、焔が現れたのと反対側から白い閃光が街を貫く。レシプロエンジンとは明らかに異なる、回転を主張するような独特の甲高い駆動音。上等な宇宙機と見紛う流麗な純白の車体が、化け物どもに取り憑かれた哀れな街を映す。そして二七〇度転回した車体が完全停止するのも待たず、扉も開かずに窓から銀髪の女が飛び出す。右手には鞘に納まった刀。車の天井を蹴って跳躍し、今まさに飛び込んできたナッソーへと突進。
居合の一刀。あらゆるものを切り裂く水単分子の刃に両断されたナッソーから体液が撒き散らされることはない。断面が凍結していた。
「お待たせいたしましたわ」
左手に持った抜身の刀を地面に突き刺せば、石畳の表面が凍りつく。帯のように走った凍結部に突っ込んできたナッソーが次々と足を取られて転倒した。
二ッ森凍――侍のように尚も残心。
「いつもいつも遅いんだよ、君たちは!」怒鳴りつつも、新九郎は転倒したナッソーの一体を刀で突き刺し止めを刺す。
「待たせてすまねえ。急に逃げ出したナッソーを追いかけてたら、ここに出た」
「歩行者天国に間違えて入ってしまいましたの」
「クソだよな、ホコテン」
「クソですわね、ホコテン」
「それで、俺らはどうすりゃいい」焔は門倉に迫ろうとしていた一体を無造作に撃つ。
「ナッソーを草に寄せつけるな。好きに暴れろ。こいつらは、いくらぶちのめしてもいい」
「うきうきするぜ」焔――爪を黒塗りした親指が撃鉄代わりの歯車を回す。
「わくわくですわ」凍――毎日艶が出るまで磨いた爪の親指が鍔代わりの歯車を回す。
水を得た魚か風を受けた船か。帝都最強の誉れ高い姉妹が、ナッソーの群れを近い順に蹴散らしていく。火球に弾かれた一体が剣風に切り裂かれ、足を凍結させられた一体がその場で顔面から倒れる。
「……命拾いした」新九郎に近づいてきた門倉が言った。「これで後は憲兵に任せれば、どうにか収まりそうだな」
「何か訊かれたら、君は巻き込まれただけだと証言するよ」
「助かる。ひとつ借りだ」
「君には随分と貸している気がするが……」新九郎は刀を納め、そして眉を寄せた。「早坂くん。これで何体だ」
「えっと……」指折り数え始めるあかり。
「三一いるはずだ。気のせいか……」
「どうした。出遅れたのでもいるのか」同じく門倉も数え始める。
「倒れてるのは……今凍さんが斬ったのを入れて一九です」
「上に六だな」と屋上の方を見た門倉。
「下で動いているのは五」と新九郎。「一体足りない」
唸る〈黒星号〉。銃を構える門倉。刀に手をかける新九郎。
爆音と風切り音、それにナッソーの叫び声が路地に木霊する。
「……数え間違いじゃないのか」と門倉。
「もう一回数えてみましょう」とあかり。
「いや」と新九郎は言った。「何か聞こえる」
何かとは、と門倉が応じた時だった。
マンホールのひとつが内側から蹴られたように宙に舞い上がった。
下か、と叫ぶ新九郎。躍り出るナッソー最後の一体。〈黒星号〉が飛びかかるが、獣の牙は紙一重で届かない。門倉が拳銃を撃つも、あまりの素早さに捉えられない。
新九郎が刀を投げる。他の一体と切り結んでいた凍が斬撃を氷の衝撃波に変えて放つ。同じく焔が目の前のナッソーを拳で殴って火炎を放つ。
顎を開く蜥蜴の怪物。三方から迫る刃、氷雪、炎熱――いずれも一手、届かない。
満開の紅白草にナッソーが食らいついた。
蜥蜴の鱗が花弁のように剥がれ落ちる。薄桃色の体組織が崩れ、鋼鉄の管のようだった草もろとも溶け落ちる。三一の草が渦を描くように急成長し、一体となった一本と一匹を包み込む。大地が震える。柳が戦慄く。
「いかん……」
新九郎はあかりの腰を小脇に抱き、斜向かいの骨董品店へと駆け寄る。「うわー!」「下ろして!」とあかりが叫ぶが無視する。一歩早く到達していた〈黒星号〉がまるでただの犬のように店内へ向け吠える。すると、恐る恐るといった様子で撫子が這い出してくる。着物が埃に汚れていた。
追いついてきた門倉を見やりつつ、暴れるあかりを下ろして新九郎は言った。
「早坂くん、撫子くんと一緒に逃げろ。かなりまずいことになった。門倉くん、彼女たちを頼む。特にそちらは北條のご令嬢だ。傷をつけたらクビじゃすまんぞ」
「心得た。……北條の?」
「はい。撫子と申します。以後お見知りおきを」撫子は律儀に頭を下げる。
「ああもう! 早く逃げるよ!」あかりは撫子の背中を叩く。
一同の頭上に影が落ちた。
「嘘お」とあかり。
「面妖な」と門倉。
「わあ……」と撫子。
ナッソーと紅白草だったものは、石畳や土壌、向かいの喫茶店の建材を飲み込み、無数の蔦が寄せ集まった塊へと姿を変えていた。尚も周辺の物質を暴力的に取り込み、見る間に巨大化する。新九郎が切り落としたナッソーの首も、門倉が投げた喫茶店のテーブルも、何もかも蔦に変わっていく。すでにビルの三階ほどにその高さは達しており、地面は陥没していた。
一瞬で生い茂り花を咲かせる種子、その正体。
「浸蝕してる。元素転換か何かか、これは……」
「だ、大丈夫ですか。お任せしても」引きつった笑みを浮かべるあかり。「全然鏡でも愛の伝道師でもないっぽいですけど……」
「誰に物を言っている」新九郎は帽子を取り、あかりの頭に被せた。「すぐ戻る」
「はい!」
そして新九郎は路地へと進み出る。
三人の背中が遠ざかる。〈黒星号〉が満足気に鼻を鳴らし、煙に戻って消える。二ッ森姉妹は各々の車両に戻り、みるみるうちに巨大化するナッソーだったものを見上げている。
新九郎は胸元の流星徽章を指先で叩く。すると、徽章だったものが外側へと折り畳まれるように変形し、遮光レンズの眼鏡になった。
その眼鏡を掛け、天を仰いだ。
「
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