12.目に物見せるぞ蒸奇殺法

「おい、探偵。これはどういうことだ」

「だから、僕に訊かれてもね」

「だから、貴様以外誰に訊くんだと言っている!」

「まあまあ、喧嘩すんなよお前さん方」

 新九郎と、財前と門倉。大の男が三人揃って見下ろすのは、〈黒星号〉に喉を食い破られたナッソーの死体だった。流れ出る血の色は、紅白草の樹液と同じ薄桃色をしていたのだ。

「植物と動物のような離れた種ではなく、意外と近縁の種なのか、こいつらは」

「しかしこんな鱗も目玉も、そっちの草にはない」門倉が拾ってきた棒切れで死体を突きつつ応じた。

「文句ばかり言ってないで君も頭を使え。板金屋の息子だろう」

「なぜその話が出る!」

「先生!」通りの向こうからあかりが叫ぶ。「凍さんたち、外出中みたいです! 出ません!」

「掛け続けろ! 建物の外に出るな!」

 あかりは頷き、骨董店の中へ戻る。

「なんだあ、あのお嬢さんたちを呼ぶのか」と財前。「ナッソーならこの通りじゃねえか。そんな血相変えなくても」

「一匹で済めば、いいのですが」

「もう何匹か出てくると?」

「あくまで仮説ですが」と新九郎。煙草に火を点ける。「半身がひとつになる時、産まれる。蔦人間はそう言いました。つまりこの帝都には、紅白草の数だけ、ナッソーがいる。一本生えれば一匹出てくる。今ここにある紅白草は?」

 財前の顔色が変わる。門倉が指折り数え始める。「……三二本。蔦人間が撒いた種で随分増えた」

「おいおい。これがあと三一匹来るってのか」

「喰わせるわけにはいきません。何が産まれるか知りませんが、ろくでもないことになるのは確かです」

「でも、お前さんのワン公もいるだろ……」

「いざとなれば巨大化させますが、三一匹を一匹残らず仕留められるかは……来ました」

 新九郎はまだ長い煙草を捨てた。

 路地の左右から一匹ずつ。そして二匹が屋上から看板を伝って降りてくる。お座りの姿勢だった〈黒星号〉が鼻を鳴らし、吠えた。

「……やはりさっきの声で呼んだか」

「こんなこったろうと思ったぜ」財前は懐から何か取り出し、門倉に渡す。拳銃だった。「お前さんはそれで身を守れ」

「しかし……それでは警部は」門倉はやはり固辞しようとする。

「俺は憲兵を呼んでくる。階級が上の俺が行ったほうがいい。それに、お前さんの腕は民生用より高性能だ。軍用とはいかないが、それで少しは戦えるだろう」

「……わかりました」

「くれぐれも無理はするなよ、駿ちゃん」

 言うが早いが、財前は走り出す。筋電甲の右足の動きが少しぎこちない。

 新九郎は再び流星徽章に手を翳す。すると、徽章がひとりでに捻じ曲がり、光線銃へと変形した。

「……まさか貴様にまた背を預けることになるとはな」と門倉。

「言葉遣いがなってないぞ。これだから最近の若者は」と新九郎。

「憲兵は何をしているんだ」

「帝都中に潜んでいたナッソーが一斉に動いたんだ。今頃大わらわじゃないかな」

 紅白の花が咲き誇る異星の草を挟み、ふたりは正反対に銃を向ける。

「この際だから言わせてもらうが」門倉はにじり寄るナッソーの頭部に狙いを定める。「この右腕のことで、私は貴様を決して許さない」

 門倉が右腕を失ったのは、とあるレッドスター・ファミリーの下部組織が管理する星外麻薬の倉庫での銃撃戦だった。当時、怒りに駆られていた新九郎は、ファミリーとの関係悪化を恐れた警察上層部の方針に反し、単独で倉庫へ侵入していた。そうしたのは、捜査を通じて新九郎が懇意にしていた異星人の女の娘をその下部組織が拉致して売り飛ばしたから。母親は麻薬常習者であり、新九郎を通じて彼女の存在を知った当時の異星犯罪対策課長の指示で、警察の検挙ノルマを達成するために逮捕されて娘と引き離され、星外退去処分を下されていた。

 事件後、処分より先に新九郎は辞表を叩きつけた。募り続けた警察組織への不信は臨界点に達しており、それ以上組織に属することはできなかった。伊瀬新九郎、二六歳の時だった。

「僕も若かった。君を巻き込んでしまったことは、済まないと思っている」

「だが恨んではいない。トランペットは意外と面白いからな」

「無理はするなよ。君の憎まれ口がなくなると寂しい」

「言ってろ!」

 躍り上がるナッソー。銃声が真昼の銀座に響く。


「本当に愛の伝道師なんだ」とあかりは呟いた。

「愛の……なんですか、それは?」

 骨董店の店内。表の路地を飛び交う光線や拳銃の発射音に、早坂あかりと北條撫子は身を竦め、机の下から様子を伺っていた。

「さっきの蔦人間の叫び声」引っ張ってきた電話機を抱えたあかりは言った。「人間の言葉に直すなら……アイ・ラブ・ユーを、もっと露骨にしたみたいな言葉だった」

「それでナッソーが集まってくる。早坂さん、何かご存知なのですか?」

「今考えてる」何度呼び出し音が鳴っても、エフ・アンド・エフ警備保障には繋がらない。諦めて電話機を放り出した。「あの樹液を吸引すると人間もアイ・ラブ・ユーが露骨になる。でも別の生き物に発情したりはしない。逆に考えると……あれも、オスとメスってこと?」

「紅白草の紅白ですか?」

「そうじゃない。ナッソーがオスで、紅白草がメスなの。逆かもしれないけど」

「……別の生き物ですよ?」

「そういう常識がいつも正しいわけじゃないよ。女性が好きな女性やその逆もあるわけだし」

「わたくしは早坂さんのことが大好きですわ」

「ごめん。今のは忘れて」あかりは机の下から首だけを外に出す。「……先生、大丈夫かな」

 店外の騒音は止む気配がない。それどころか、ナッソーの叫び声は明らかに刻一刻と数を増している。

 何か、彼のためにできることはないのか。

 相手が知性を持たない存在ならば、特級異星言語翻訳師は無力だ。二ッ森姉妹のように戦えるわけでもない。

 胸に細波を感じた。

 伊瀬新九郎のことを、すっかり許してしまうことはできない。彼は、撫子の気持ちからずっと逃げ続けた。紅緒からも逃げ続けている。きっと多くの女性から、彼はずっと逃げてきた。彼の優しさは、相手への思いやりよりもむしろ、自分自身が傷つかないための立ち回りなのだ。そんな理由で髪飾りをもらっても、少しも嬉しくない。

「早坂さんは、いつも新九郎さまとこんなことを?」驚きとも憧れとも、恐れともつかぬ瞳があかりを見た。

「本当に翻訳が必要な現場って、どこよりも危ない場所だから」

「必要とされているのですね。早坂さんは」

「わたしなしで、今までどうやってきたのかわかんないくらいね!」

 苛々する。彼に腹が立つ。でも同時に、彼の力になりたいとも思う。

 その時、店内の壁に掛けられたものに気づいた。

「撫子ちゃん。あれ、本物かな」

「お値段を見るに、観賞用の模造品ではないと思いますが……」

「なんでそんな相場知ってるの……」

「骨董品の目利きも家庭教師の先生に教わりました」

「さ、さすが」あかりは机の下から這い出す。「撫子ちゃんはそこで待ってて」

「早坂さんは?」

「これさえあれば、先生は戦える」

 あかりは立ち上がり、その刀を両手で掴んだ。


「多勢に無勢だぞ、探偵!」

「いちいちぼやくんじゃない!」

 〈黒星号〉が飛びついて動きを止めたナッソーの一体に新九郎は光線銃を撃ち込む。稲妻のように屈曲を繰り返しながらも着弾し、ナッソーの巨体が跳ねた。だが、一発では殺せない。皮膚の頑丈さは、天樹支給品の銃の威力を上回っていた。

 二発、三発と撃ち込む新九郎からやや離れて、門倉駿也がナッソーの一匹と取っ組み合いを演じている。右手の筋電甲に敢えて食いつかせ、爪に肉を抉られないよう寸でのところで躱しながら、左手の拳銃をトカゲの化け物の眼球に突きつける。

 射撃三発。よろめいたナッソーの頭を鋼鉄の拳で殴りつける。そうしている間にも紅白草へと飛びつかんとするナッソーを、敵意を剥き出しにした〈黒星号〉が牽制する。刺々しい姿は最初に出現した時よりも一回り巨大化している。だが、あまり大きくなると今度は小回りが利かなくなってナッソーの進行を阻止できないのだ。

「何体倒した? こちらは一体」と門倉。

「二体。〈黒星号〉が三体」新九郎は門倉を肩越しに見る。「君、悪いことは言わないから後で鼻や喉をよく洗うことだ」

 門倉は薄桃色の返り血を拭う。「惚れ薬か? こんなもの」

「悪いことは言わないから、甘く見ないほうがいい……」

「そんなことより、あの皮膚だ。弾が通らん」

「足先なら効くだろう。あの動きだ、神経も密集してるに違いない」

「なるほど」

「当てられるならの話だが……」

「貴様……」門倉が舌打ちする。「そもそも、やつらに痛覚があるかもわからん。あのなりで草なんだろう」

「あと何体だ?」

「三一から六を引け」

 二五。

 今ふたりと一匹を取り囲む個体が五体。あと二〇体出現する計算になる。

 すると、店舗を突き破って一体、交差点から一体、頭上の看板からさらに一体が一斉に現れる。

 飛び散る硝子。疾走するナッソーの鉤爪が石畳を跳ね飛ばす。〈黒星号〉が吠え、頭上の一体に飛びかかる。門倉が喫茶店の路面席の机と椅子を掴んでは放り投げる。光線銃を乱射する新九郎。怯ませはしても、止められない。

 万事休す。かくなる上はと新九郎が光線銃を流星徽章に戻した、その時だった。

「先生!」

 骨董店から早坂あかりが姿を見せ、手にしていたものを思い切り新九郎めがけて投げた。

「でかした!」

 身を低くし走り、地面すれすれで投げられたものを受け取る。黒塗りの鞘に収まった日本刀だった。質素な細工の鍔。汚れた目釘。飾り物ではなく、実戦用の刀だ。刀身を確かめる。錆も回っていない。

 そこへ襲いかかる一体のナッソー。

 柳並木が風にそよぐ。新九郎は息を吐いた。

「鋭!」

 地を這うような抜き打ちの一刀がすれ違いざまに閃く。足首を切り落とされたナッソーが、起こった事態を理解する前にその場で平衡を失い倒れる。蒸奇殺法・濡燕。夕立を知らせる燕のごとく低く沈めた刀で足首を狙う、二本足で立つ生物に極めて有効な技である。

 鞘を投げ捨て、抜身の刀を構えたまま飛ぶように三歩。次のナッソーが驚いたように首を引く。上がった上体に吸い込まれる一刀。鉤爪の生えたナッソーの右手が切り飛ばされる様を、新九郎は見ていない。

 そして正面に現れた一体の喉仏に、柄に片手を添えた渾身の突きを繰り出す。

 深々と突き立つ刃。ナッソーの全身が痙攣する。刀を突き刺したまま天地を返し、一気に振り抜く。桃色の体液を撒き散らしながら、ナッソーの生首が宙を舞う。蒸奇殺法・兜落とし。首を切り落とさなければ倒せない生物に対抗するための技である。

 目を見張る門倉。唖然とするあかり。

「元より人外相手の剣。舐めるなよ」

 薄桃色の血糊を払い構え直す新九郎に、ナッソーの群れが怯んだ。

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