11.ナッソー乱舞
「三〇分も経ってないのに……」とあかりが瞠目する。「成長速度が早い? そんな次元じゃない……」
まるで長い時間をかけて根を張り、石畳を割って生えてきたかのよう。周囲に掘り返された痕はない。そもそも、そんな工事をしていれば画廊の中にいても気づくはずだ。
同じく瞠目する新九郎。「苗を植えたところが目撃されないわけだ。一瞬で生えるんだから」
そこへ喫茶店から財前と門倉が慌てて飛び出してくる。
「駿ちゃん、見てたか」
「そんな素振りは誰も。目は離しませんでしたよ」
「どういうことだ……おい、新九郎!」
「たった今ですか?」とあかりが訊いた。
財前が周囲に目を配りつつ応じる。「ああ。今だ。お前さん方がそこの画廊から出てくるほんの数秒前だ」
「まだ遠くへは行っていないはずです」と新九郎。「通行人か? 撫子くん、僕らから離れるな。早坂くん、ここから離れている人間に妙なやつはいないか」
「そう言われても……」あかりはヘドロン飾りを掌に載せている。「わたし、エスパーじゃないです」
撫子は左右を見回しながら、何も言わずに新九郎の袖を掴む。
新九郎はそれに気づかないふりで呟く。「どこかで見たような花だな……」
「星外品ですよ? それはないでしょう」とあかり。
「ええい、こうなったら」門倉が上着の懐から手帳を出して掲げた。「警察だ! 全員動くな! 妙な動きをすれば拘束する!」
「あーあ、やっちまった。俺ら業務外だぜ、駿ちゃんよ」
「仕方ないでしょう! それと、門倉です!」
「目立たないはずなんだ」と新九郎は呟く。「〈愛の伝道師〉は通行人じゃないはずだ。少なくともここで権田と接触していて、そして今もここにいるんだ。画廊でないなら……画廊の前の通り? ここにいつもいる?」
「動くな、全員だ! 動くな!」
新九郎は喫茶店を見る。門倉の大声に驚いた客と店員が紅白草を指差している。
画廊からも店主が姿を見せる。その隣の骨董品店からも同じように店主が現れる。違う。彼らは店内にいた。通りに何か植えられるはずがない。
帽子に手をかけ、右から左に通りに目線を走らせる。
その時、あかりが言った。
「どこにでもいる人。通りにいて、何か隠れてしていても気づかれない人……あっ」
「早坂くん? 何か気づいた……」
あかりの指差す先。
路上に胡座する似顔絵師がいた。幌を被っていて、顔はよく見えなかった。じっと動かなかった。門倉の声にも動じた様子はなかった。
門倉が手帳を示しながらゆっくりと近づいていく。
固唾を飲んで見守る一同。あかりが呟くように言った。
「似顔絵師さんなら、どこにでもいます。公園にも、往来にも。神宮外苑にも、水天宮にも、銀座にも」
「人が集まるところ。確かに草が生えたのはそういう場所ばかりだ」と新九郎。「似顔絵師のよくいる場所だ」
いよいよ似顔絵師に門倉が肉薄、手を伸ばし、幌を奪い取った。
大量の蔦が蠢いていた。撫子が悲鳴を上げた。同じような悲鳴が路地の方々から上がった。寄せ集まった蔦は、人間の形をしていた。そして、ぎこちない動きでゆっくりと立ち上がった。
「地に愛を。命の連なりを、決して断つことなかれ」とその蔦が声を発した。「天に光を。命の営みを、決して蔑むことなかれ」
「なんだこいつは。どこの知的生命体だ」
「違います」とあかりが即答する。
「何?」
あかりの掌の上で、展開されかけたヘドロン飾りが萎んでいく。「知性はありません。模倣しているだけです。おそらくは、あの樹液も、わたしたちの身体に効くように生成したんです。あれは、鏡です。環境を写しているんです」
財前が舌打ちする。「権田もそんなこと言ってやがったな」
「おい探偵! これは、どうする!」門倉がじりじりと後退する。
「僕に訊くな……」
「貴様以外誰に訊くんだ!」
「参ったな」と新九郎。目線は蔦人間から離さず、手帳に書きつけて頁を破った。「早坂くん。撫子くんを連れて下がりなさい。どこかで電話を借りて、この番号に。エフ・アンド・エフ警備保障だ」
わかりました、とあかりは応じ、撫子の手を引いて骨董品店の方へと駆けていく。撫子の指先が新九郎の袖から離れる。
知的生命体でないなら、サンプルを保管して駆除するしかない。
「信じられんな。少なくともこいつは、僕の言葉を解した」
「どういうことだ」と門倉。
「僕はさっき、こいつに躓いた時に、『妙な草を根絶やしにする』と言った。だから一気にこれだけ繁茂させたんだ」
「貴様のせいか!」
「遅かれ早かれ、こうなっていたさ」
蔦の奥から、岩の隙間を吹き抜ける風のような音がする。そして、小石のようなものがいくつか転がり出し、そのすべてが見る間に石畳を侵食して紅白草を生やす。
「おい新九郎、どんどん増えてんぞ」と財前。周囲に向け怒鳴る。「おい逃げろ! 動くなってのはすまんが取り消しだ。そこの若いの、憲兵を呼んでくれ!」
「知性あるように振る舞うだけの、知性のない存在。質問には答えてくれるかな」新九郎は門倉の横を通り抜け、蔦人間へと歩み寄る。「お前はこの草にとって、一体なんだ。周りの環境を模倣し、遺伝子を作り変えている。お前は種を宿した果実であり感覚器官だ。共生する別の生物か? それとも、この草とお前は同じ一体の生物の一部なのか? 僕らの細胞にとってのミトコンドリアだ。あれも初めは別の細菌が共生したものだったという説がある。お前もそうなのか?」
蔦人間が応じる。「空に炎を。我らの望みすべてを、決して妨げることなかれ」
「……要領を得んな。ならナッソーは? お前たちを捕食しようとする、あのトカゲの化け物は?」
「我らが半身」
「生き別れの兄弟にしては似ていないな」
「ひとつになる時、我らは産まれる。そして我らは旅立つ」
「産まれるだと……?」
その時、路地の交差点から悲鳴が上がる。逃げようとしていた市民の前に、薄茶色のトカゲの化け物が出現。市民には目もくれず、紅白草、つまり新九郎のいる方へと走ってくる。
くそ、と悪態をつくと、蔦人間が急に蠢きの速度を増す。そして内部から橙色の光を放つ。暗い緑色の蔦が見る間に焼け、同時に甲高い、女の叫びのような音を発した。
路地の人間がひとり残らず耳を塞ぐ。喫茶店の硝子窓にひび割れが走る。
それが断末魔の叫びだった。
折り重なった蔦の奥から炎が上がり、熱気に圧倒された新九郎の眼前で爆ぜて燃え崩れる。
「来るぞ!」と門倉が叫んだ。
甲高い吠え声を上げて突進してくるナッソー。縦に細長い瞳孔は紅白の花だけを見据えている。
喰わせてはならない。新九郎は直感し、胸元の流星徽章を叩いて中から現れた小さな封壜を割った。
「〈黒星号〉、やつを止めろ」
「心得た」
壜の中から黒い煙が吹き出し、刺々しい犬のような獣の姿を取る。そして疾風のごとく跳躍し、今まさに、紅白草を捕食せんとしていたナッソーの喉仏に食らいついた。
同じ頃、上野公園の芝生広場に立つ東屋を、炎の砲弾が吹き飛ばした。
「速いぞこいつら」怒鳴る女の右手で、銃身が酒瓶ほども太い不格好な拳銃のようなものがくるりと一回転する。爪を黒塗りされた親指が撃鉄代わりの歯車を回す。銃から伸びた銅色の管が、女の右腕へと突き刺さり、持ち主の挙動に合わせて生体のように蠕動する。
二ッ森焔――立て続けに放つ炎の弾丸が芝生に着弾し火柱を上げる。
横っ飛びに回避するのは、トカゲの化け物ことナッソーである。その反応速度は焔の射撃をも凌駕する。遮るもののない広い芝生広場はナッソーの独壇場だった。
しかし、その着地点を読み切った白刃が閃く。
濃紺の羽織が風を受けて翻る。夏の湿気を雪の粒に変えながら、人間離れした腕力で放たれる抜き打ちの斬撃。異星の技術で鍛えられた日本刀が、雲間から注ぐ陽光を反射する。柄から伸びた銅色の管が主である女の左腕に突き刺さり、生体のように蠕動する。
二ツ森凍――人並み外れて長かった銀髪は肩ほどの長さに切り揃えられている。半分は禊。そしてもう半分は姉のやりすぎゆえである。
ナッソーの腹部から桃色の体液が吹き出し、苦悶の叫びをが轟く。
だが、浅い。
「厄介だぜ」と焔。「これなら憲兵に頼んだ方が楽だな。囲んで蜂の巣にした方が早い。鉛玉でも一〇〇発も撃ちゃ死ぬだろ」
「まったくですわ」と凍。「でも、妙ですわね。確かに紅白草を食べているなら、体内からあの薬が分泌されても不思議ではありませんわ。ですが、これでは……」
「ああ。まるでナッソーの方も惚れ薬を体液にしてるみてえだ」
「わたくしたちは血を飲みませんものね」
「そういう連中もいたがな」
「東欧の星外入植者でしょう? 確か……」
「来るぜ!」
再び動き出すナッソー。紅白草を背に、姉妹は武器を構え直す。
上野公園の芝生の真ん中に突如数本の紅白草が生えたとの知らせを受け、軍よりも早く処理に訪れた地元の二ツ森姉妹。しかしいざ刈り取ろうとした時、どこからともなくナッソーが現れた。
例によって紅白草へ一直線に突進してくるトカゲの化け物に、帝都最強と呼ばれるふたりが苦戦を強いられているのは、偏に体液への警戒のためだ。ナッソーが紅白草を食うなら、惚れ薬になる樹液と同じものが胃袋から飛び散っても不思議ではない。迂闊に斬れないし撃てないのである。そこでふたりは、炎熱と氷雪の能力の幾らかを、意識しない飛沫を焼却ないし凍結させるためにの防御に割り振っていたのだ。
だが、今にも飛びかかろうとにじり寄っていたナッソーが急に動きを止めた。そして鼻先を背後の上空へ向ける。同時に、常人の四〇倍の聴力を持つ姉妹も、その叫び声にも似た音を聴いた。
「ナッソー」
ひと声啼くや否や、殺気立つ姉妹に背を向けてナッソーは走り去っていく。
「よろしくないですわね」凍は刀を鞘に納める。
「ああ。嫌な予感がする」焔は銃を太腿の隠し袋に納める。「追うぞ。どうせ追っかけてりゃあ……」
「彼がいますわね」
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