20.禁術

 裏大久保の雑居ビル。フロアに満ちた光が止んだ。

 手で顔を覆っていた井ノ内河津が、瞼を開き、指の隙間から恐る恐る様子を窺う。

「危ねえなあ」と二ッ森焔が言った。「このカエルさんが漢方薬になっちまうだろ」

「軽く見られたものですわね」と二ッ森凍。「わたくしたちを殺したければ、超電装でいらしてくださいな」

 正六角形が無数に連なった氷の盾が、蒸奇光線を防いでいた。そしてその盾が一瞬で溶け落ち、代わりに現れる特大の銃口――体内から生成される熱気に指向性を与えて発射する霊銃・炎星。銃把から伸びた銅色の管が焔の右手に何本も突き刺さっている。親指が撃鉄代わりの歯車を回す。

 応射一発。宇宙機の外装をも貫く炎の弾丸が、レッドスター・ファミリーの手下が操る飛行円盤の光線砲口に直撃した。

 制御を失った円盤にさらに追い打ちの二の太刀が迫る。一足飛びに接近した凍の左手には鞘に納まった刀――体内から生成される冷気を纏いあらゆるものを切り裂く妖刀・氷星。左手が柄を握ると、銅色の管が伸びて左手首に突き刺さる。そして鍔代わりの歯車を回し、気合い声とともに抜き打ちのひと太刀。

 円盤が斜めに両断され、浮力を失い街路へ落下。派手な爆発音を上げて炎上した。

 焔が銃を太腿に納め、凍が刀を鞘に納める。

「さあて。邪魔者もいなくなったことだし……」足元を見る焔。

 だが、井ノ内の姿はなかった。

 一瞬の隙を逃さなかった井ノ内は、既にフロアの入口のあたりまで逃げ出している。軽く会釈し言った。

「ではわたくしめはこれで」

「おい待てやコラ」

「今後ともご贔屓に」

 捨て台詞を残し、井ノ内は降りても降りられるとは限らない階段を昇って姿を消した。

「ったくよ。まさに脱兎のごとく、だぜ」

「カエルですわ」

「やかましい」

「わたくしたちも参りましょう」羽織の塵を払い、凍は所々雲の欠けた空に目を凝らした。「そろそろ、真打登場の頃合いですわ」


「間に合ってねえ!」

 上野アメヤ横丁。弾丸の雨で使い物にならなくなった警察の警邏車の屋根に着地した小林剣一は、毬栗頭をさらに逆立てて叫んだ。

「よおサイボーグ小僧。えらいことになっちまったな」応じたのは財前剛太郎である。「そんなに急いでどこ行くんだ?」

 警察、機動隊、憲兵とも負傷者多数。彼らが応急手当を受ける中、舞踏会仮面を着けた数名が拘束されながらも抵抗し暴れまわっていた。

「ここに来たんだよ。あの仮面どもは?」

「全員チレインに潜脳された。やられたよ。俺の身内もだ」

 財前の足元にはキツネ目の気障男、門倉駿也。外傷はないが意識を失って横たえられている。

「おいおっさん。あの伊達娘は。法月ってのと単独で……」

「おっさんはやめろや。早坂嬢なら……」

「小林くん! いいところに!」その早坂あかりが、片手を勢いよく振りながら応じた。「わたしを見晴らしのいい場所に上げて! 今すぐ!」

「見晴らし? 危ねえだろ。せっかく無事だったのに……」

「いいから早く! 戦後の建物ならどこでもいい!」

 その頭に載せられた、大きさの合わない男物の帽子。

 小林は車の屋根から飛び降り、頭上を見回した。

「ああもう。きゃんきゃん喚くな。上げればいいんだろ、上げれば!」


 アメヤ横丁から高速道路を越えてやや北東。上野から浅草へ通じる通りに〈闢光〉が落着し、衝撃に放置されていた自転車や看板が跳ね上がる。そしてそれらは落下することなく浮き上がる。上野駅を背にするように西側に降下した〈殲光〉の浮力に巻き込まれたのだ。

 迫り来る夕闇に飲まれ、睨み合う白鋼の悪魔と黒鋼の悪鬼。姿は前回の会敵と同じでも、中身は違う。天樹の蒸奇技師らの不眠不休の作業により万全の修復を施された〈闢光〉に隙はなし。光波防壁も装甲表面、会敵方面とも定常出力が維持されていた。一方の〈殲光〉も操縦装置の改修が施され、操縦師の脳への過度な負荷が抑えられている。

 互いに死角なし。

 内蔵兵器の出し惜しみもしない。

 そして両者を取り囲むように多数の超電装が展開する。

 西側、皇居方面からは陸軍憲兵隊の超電装部隊。二機の〈震改〉を含む七機が集結する。さらに北東、南東からはこれまでの戦闘で損傷を負い弾薬を消耗しながらもなお戦闘可能な超電装、計五機が移動中。

 しかし東側、〈闢光〉の背後からはチレイン連合艦隊から送り込まれた超電装部隊が迫る。浅草寺前からかっぱ橋道具街を破壊しながら接近。既に多数の被害が出ていた。電探盤に映る光点に、おかしな反応を示すものが一機。

 一瞬の黙考の後、新九郎は電想通信へ言った。

「お前は後だ、八雲」

 〈闢光〉が踵を返し東進。〈殲光〉に背を向け歩き始める。

 当然、通信機を揺らす八雲の怒りの叫び。爪を突き出した右手を振り上げ、〈殲光〉が急降下し接近する。

 だがその時、前触れなく発射された蒸奇光線が〈殲光〉の胸部に直撃した。

 勢いを殺され、しかし浮遊は保ったまま白鋼が制動をかける。

 地面にビームレンズが出現していた。

「〈禁術・朧諸星サイデリアル・キャノン〉」と新九郎は言った。「星鋳物の殲滅戦用特殊戦闘機能だ」

 〈闢光〉の全装甲がスライド展開。夥しい量の雲状蒸奇が樹状の筋を作りながら拡散する。続けてその結節点に次々と蒸奇光線砲が出現。建物の建材や地面の舗装のみならず、街路樹までも取り込んで光線砲へと変換する。

 これが、新九郎の野暮用の目的だった。

 理論的には〈闢光〉に搭載されたDOR吸収機構の応用であり、そして〈殲光〉の左手の腕輪と技術的には共通している。だが、生み出すものはより複雑な光線砲である。また、使用方法を誤れば知的生命体をも光線砲の建材として巻き込みかねないため、通常は使用制限がかけられている。使用には複数名の〈奇跡の一族〉あるいは星団評議会の承認が必須とされており、いつものように天樹で眠る六号監視官を丸め込めば使えるわけではない。そのため、戦闘開始直前の承認になってしまったのだ。

 しかしその承認も、条件付きである。

 原則として、知的生命体が居住する惑星表面では、〈闢光〉の朧諸星はもちろん他のあらゆる星鋳物の殲滅戦モードの使用は許可されない。いかなる理由があろうとも使用自体が侵略行為と同等の被害を及ぼしかねないためだ。

 だが今回は、審議の末許可された。その理由が今、帝都八百八町を包む。

 異星砂礫の戦後瞬時建築された建物や街路が一斉に波立ち、将棋の駒を散らばしたような音を鳴らしてその形を変える。住居や商店、オフィスビルを覆い隠すように表層が変形。今なお市民が残り、退避していても中に生活が残った建物のすべてが鈍色の装甲板に覆われる。

 憲兵の超電装も、チレイン連合艦隊の機体も、そして地上に展開したチレイン部隊も警備にあたっていた警察や憲兵隊も、全員が驚愕に目を見開く。

 〈殲光〉と八雲も狼狽し、手近な建物の装甲板を爪で切り裂く。だが、内部に達することはなく傷跡も即座に修復される。代わりに出現したビームレンズから蒸奇光線が放たれ、〈殲光〉は回避運動の連続を余儀なくされる。その経路へ回り込むように、無数のビームレンズが装甲の上を目まぐるしく動き回りながら光線を発射する。

 都市が丸ごと要塞と化したよう。飛び交う光条を回避し、跳ね返す〈殲光〉の腹中から八雲が言った。

「馬鹿な。こんな規模での書き換えなど……」

「できるんだよ。僕の助手と彼女の友人なら」

「電子生物か」

「そうだ。電文家一〇〇人が三ヶ月かかるような書き換えも、彼女とエゼイドなら一瞬だ。そして」新九郎の眼鏡の隅にビームレンズ生成数と配置図が表示される。高度一〇〇米ほどの上空へ逃れた〈殲光〉を取り囲むように、数えて一二〇。さながら巨悪を睨む無数の目。「この盾があれば、ラプラス・セーフティも黙る。憲兵隊も存分に戦えるだろう」

「やってくれたな、新九郎」

「もう人間の盾は使わせない。お前はそこで、この要塞都市東京の相手をしていろ!」

 新九郎が、操縦席の制御卓に出現した釦を拳で叩いた。

 漂う翠緑の蒸奇雲の中で、朧月のように滲む一二〇の光が一斉に輝く。ゆえに禁術。ゆえに朧諸星。

 そして一二〇の光線が一斉に〈殲光〉へと殺到した。

 轟音とともに、翠の爆煙に〈殲光〉が隠れて見えなくなる。

「これで倒せれば助かるが……まあ、足止めくらいにはなるだろう」

 背を向けたままの〈闢光〉の装甲がすべて閉じ、偃月飾りを右手に構えた。

 その眼前に立ちはだかる不死身の超電装群――〈蒸奇殺刀〉の切先が獲物を求めて揺れた。

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