18.影来る

「わたくしも妙だとは思っていましたの」抜き身の刀を肩に担ぎ、鍔代わりの歯車の上で親指を遊ばせる、水兵服に羽織の女。人並み外れた長い銀髪が雨を吸って背中に張りついていた。二ッ森凍だった。「レッドスター・ファミリーと法月八雲が協力関係にある。ですが、法月がここへ落ちた時、レッドスターとは銃撃戦になりました。それはまあ、事故だという説明もつきますが、潜脳者の乗り移り施設が手配されていたのは一体なぜなのでしょう」

「レッドスター、この連中は、予めチレインと通じていたってことになる。すべては計画されていた」ぐるりと周囲を見回す、切り詰めた大砲のような銃を片手にした、橙色の和式スカートに革のベストの女。短髪は燃える炎のような赤。親指が撃鉄代わりの歯車を回す。二ッ森焔である。「本当にそうなのか? 俺も、そこのポン刀女も、どっかの探偵やお嬢ちゃんと違って、頭が回る方じゃねえ。でもレッドスターは汎銀河調停機構も手を焼くほど組織の規模がデカい。それこそチレインと対等に交渉できるほどに。予め通じていたなら、落ちてきた法月を丁重に出迎えて匿うのが道理だ。妙だってことは俺らにもわかる」

「すると状況を見るに、法月は当初は潜伏していたチレインの潜脳工作員の支援のみ受けていた。その後、レッドスターと手を結んだ、ということになりますわ」

「〈闢光〉がのされたのを見て、強い方に尻尾を振ったんだろうよ。でもそうだとすっと……」

「チレインのための潜脳施設が既にある理由に説明がつきませんわ」凍は肩越しに背後を窺う。

 裏大久保違法建築群の一角。空間が捻じ曲がって土地よりも広いビルのフロア。剥き出しの建材が薄汚れ、薄暗い中に時折火花が散る室内に、盗電して引かれた無数の電線がのたうち回っている。それらが繋がる先には、冷凍睡眠用カプセルのようなものがふたつ。周辺には脳内の神経電位を観測するための核磁気共鳴装置が並べられている。そのすべてが、斬り裂かれて凍りつくか、撃ち抜かれて焼け焦げるかしていた。

 冷気と熱気が同時に漂う異様な空間には多数の異星人が倒れ、彼らの地球人風の衣服や偽装皮膜、破壊された武器が散らばっている。

「ですが、何事にも例外はありますわ」と凍。「たとえばこの街には、金さえ積めばどんなものでも、どんな相手にでも迅速安全に調達して売る調達屋がいらっしゃいますね」

「そいつがレッドスターに協力し、大急ぎで潜脳施設を整えた。そしてチレインが征服した星系出身者から成る工作員から、拉致した治安組織関係者へと頭ん中のチレインを乗り移らせた」ちらりと部屋の隅を窺う焔。

 ひと塊になった一〇名ほどの男女がいる。見る限り、職人、遊び人、勤め人、浮浪者、その他諸々身分も性別も様々。だが全員が異星人だった。

 そして全員が、チレインの抜け殻だった。

「その方は一方で、あかりちゃんや吉原隠密衆の依頼を請けて、非殺傷武器の手配もしてみせた」

「まったく、大した死の商人だぜ。井ノ内さんよ」

 壁際に追い詰めたその男に焔が銃を向け、凍が壁を踏んで詰め寄った。

 日に焼けた腕と真っ白な脚に追い詰められた、丸々太ったカエルが一匹。帝都一の調達屋と自他ともに認める男、井ノ内河津だった。

「死の商人とはまた、いつにも増して手厳しい……」滝のような冷や汗がカエルの肌を伝っていた。「そうは仰いますがね、わたくしにも生活がございまして……」

「でもこっちに関わってなけりゃ、電撃銃も一〇〇挺くらい余裕で手配できたんじゃねえの?」

「それは企業秘密ですので……」

「温いこと仰らないでくださる?」凍がさらに詰め寄る。

「あの、姐さん。お裾の方が、スカートが、その……」

「あら。見苦しいものを失礼」

 音を立てて突き立てられた刀が井ノ内の目線を塞いだ。

 焔が銃を井ノ内の側頭部に突きつける。「金が稼げりゃ見境なしってか。あんたにゃ良心ってのがねえのか?」

「良心ってえのは、ちょっとわかりませんがね」カエルの目がきらりと光った。「しかしわたくしもね、稼げなくなっちゃあ困ります。この星がチレインに征服されるようなことがあれば、この街一番の調達屋はレッドスターの皆さんになっちまいます。はい。わたくしは商売上がったりです。つまり皆さんや、先生の勝利を願っていることは、本当でございますよ」

「とことん現金な野郎だぜ」

「だから信用できる。……と、先生なら言いそうですわね」

 帝都最強の姉妹が揃って一歩下がり、得物を納めた。

「しかしこりゃやべえぞ」と焔。「俺らの前には警察がここを探してたはずだ。あいつらが影も形もなくて、抜け殻の人たちがこんだけいるってことはよ」

「警察にチレインが紛れ込んだ。門倉さんたちの一隊ですわね。警察としては、裏でレッドスターと通じて安易に犯罪組織に鈴をつけようとしたツケを払わされた、というところかしら?」

「おふたりとも、その、大変申し上げにくいのですが、ご自身の心配をされた方がよろしいんじゃありませんか?」

 井ノ内が吸盤つきの指で、焔と凍の先を差す。

 姉妹が振り返る。目線の先、破れた窓の向こうに、音もなく滞空していたレッドスターの浮遊円盤。その二連の砲口が、ふたりを狙ってぴたりと静止した。

 凍が舌打ちし、焔が「やっべ」と声を上げる。

 放たれた蒸奇光線砲が姉妹に直撃。照明の消えた室内が翠緑の光に染まる。


「待てやこの野郎!」

 帽子を取り落しながら伸ばした右手が寸でのところで届かず、逃走する男の偽装皮膜だけを引き剥がした。

 そして派手な飛沫を上げて水没。筋電甲に絡まった高分子皮膜を無理矢理解くのは、小林剣一である。場所は亀戸天神前の運河。少し北上すれば天樹の南を流れる運河に合流してしまう。もしも天樹へ到達された上で量子倉を開かれ超電装を呼ばれたら最後だ。男を乗せた船のスクリュー音が遠ざかっていく。

 外出禁止令が発令された帝都。警備にあたっていた憲兵のひとりが、かの有名な『置いてけ堀』跡のすぐ近くに架かる橋の橋脚部に不審な男を発見し質問しようと近づいたところ、突如として男は逃走。接岸していた釣り船に飛び乗り、天樹方面へと北上を開始したのである。

 憲兵は信号弾を上げ、近くに配置されていた機甲化少年挺身隊二番隊が赤色の信号を見て追跡開始。隊長にして最も優秀な筋電甲遣いである小林が、憲兵の装甲車両の屋根を蹴って運河へと突入し、そして敢えなく水没したのである。

 ようやく腕から剥がした偽装皮膜は、薄手でかつ一見して人間の姿と見分けがつかないほどの高性能品。内心で舌打ちした小林と、住処を荒らされ何事かと怒る鮒の一匹の目が合った。

 すまんすまん。内心で平謝りし、川床を筋電甲の左脚が蹴った。

 運河沿いの通りまで一気に跳躍。左右に展開した隊員に合図しさらに加速する。

 船上の男は黄色い烏賊に象の頭がついたような姿をしている。しかし船を使うところを見ると、泳ぎはさほど得意ではない。そして脚とも腕ともつかぬ一本の先に、指輪がある。闇市場の流通品でも相当の高額品である、量子倉の携帯鍵だ。

 間違いなくチレインの工作員。可能な限り天樹へ近づき、恐らくは軌道上の艦隊の一隻に搭載された超電装や兵員輸送コンテナを呼び出そうとしている。ひとりではなく、天樹の四方八方から同時多発的に行動を起こしている。

 一体でも減らせば、後に控える陸軍超電装部隊と、そして〈闢光〉の戦いが有利になるのだ。

 走る。飛ぶ。街路樹をすり抜け看板を飛び越え、車止めを足場に跳躍。ついに運河上を進む船と並走する。

「お前ら! 絶対止めんぞ!」と小林は叫んだ。

 頭上の建物を壁伝いに進むひとりと、対岸を走るひとりに手信号で合図を送り、小林は跳んだ。

 空中で、上から飛び降りてきた隊員と筋電甲の腕同士で手を繋ぐ。そしてぐるりと一回転しながら小林の身体が釣り船めがけて投擲される。さらに対岸を走っていたひとりが岸壁の手すりの鉄棒を引き抜き、小林へと投げ渡す。

 一個の弾丸となった小林。雄叫びを上げながら肉薄し、手にした鉄棒が釣り船の動力部を貫き通した。

 真っ黒な目の瞳孔を窄める工作員。脚の一本を天に掲げる。その先には指輪。宝玉に光が宿り、運河の直上から虹色の光が降り注いだ。だが。

「一〇〇年早いぜ、イカ野郎」

 筋電甲の鋼の蹴りが、工作員の異星人の黄色く滑る顔面にめり込んだ。

 転倒する工作員。その指先ごと、機械の剛力が指輪を握り潰した。

 光が弱まり、量子倉の星虹が閉じる。迫り出しかけた超電装の足首が切断され、運河に落ちて水飛沫を上げた。

 拳を掲げる小林に応じ、機械の手脚を持つ少年兵と憲兵が一斉に雄叫びを上げる。だが建物上に陣取っていたひとりが、天樹方面を指差して叫んだ。

「駄目だ! 他所で星虹門が開いてる。三、五……一〇以上!」

「ちきしょう、止められたのは俺らだけか」

 すると、小林の足元に倒れ伏した工作員が高笑いを上げた。

「無駄だ。この星もやがては、我らがチレインとひとつになる。天樹の欺瞞を白日に晒す時が来た!」

「黙れ!」

 小林の拳が再び工作員の頬を打った。

 そして遠くに重量物の落下音――とうとう帝都に現れる敵超電装の群れ。

 舌打ちする小林に、さらに追い打ちのような知らせが通信員からもたらされる。

「隊長! 例の法月って男が出た!」

「そりゃ出るだろ。場所は」

「アメ横だ。それで、交渉に例の異星言語翻訳師の子が単独で……」

「……あンの伊達娘!」釣り船から通りのビルまでひと息に飛び上がり、小林は叫んだ。「全員、敵超電装が出たとこに行って避難誘導の支援!」

「隊長は?」

「俺はあのバカ女を助けに行く!」

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