17.血雨降る

 蒸奇星流式時空連続体跳躍機アストラル・ジャンパーが作動し星流門が開く時、必ず事前に自然には存在し得ない蒸奇溜まりが発生し、これを検知することでワープアウトを事前に察知することができる。しかし一方で、これは偽装できる。誤検知させることも。単に光学的に偽装した蒸奇機関がひとつあればいいのである。

 当然、跳躍する距離や門の大きさ、持続時間などに応じて蒸奇溜まりのパターンは異なる。だがそれを正確に探知できるほど、地球の技術は優れていない。また、星団憲章で禁じられているため、小規模な海賊艦ならばともかく、本来軍用艦の大部隊が戦術距離でワープすることはないのである。

 しかし、汎銀河調停機構と対立するチレイン艦隊にその理屈は通用しない。そして、不定間隔樹状陣形による迎撃という宇宙戦闘の定石は、敵艦隊を予め観測していることを前提として投影面積を最小にするものであり、側面からの攻撃は想定しない。

 かくして、翠光艦隊が警戒監視を厳とする蒸奇溜まりから、七〇宇宙単位ほど離れた地点に次々と出現する白色の艦隊群。その艦首は翠光艦隊の側面に向く。前衛に蒸奇性砲撃対策の光波防壁ペンローズ・バリアと物理攻撃対策の電磁防壁および物理防壁を備えた防塁艦、中衛に蒸奇光線砲と誘導弾を備えた機動強襲艦、そして後衛に決戦砲を備えた主力戦艦の三隻一単位から成る艦隊群が八方扇状に展開し、漆黒の宇宙に光の傘が開いた。

 そしてまず、大量の質量散弾が、翠光艦隊の脇腹へと襲いかかった。

 海軍時代の慣例から灰白色に塗装された翠光艦隊が即座に陣形転換し、中衛の艦船群から迎撃の蒸奇光線が一斉に放たれる。まずは質量散弾と、光線砲によるこれの自動迎撃が、宇宙戦闘の基本である。この際に物を言うのが、中衛の機動強襲艦に搭載された電子頭脳の性能である。大量の飛来物を確実かつ高速で識別し、ビームレンズの収束率を調整して砲撃する。生身の生物の反射神経では不可能なのだ。そしてビームレンズは出力が上がるほど敏感な調整が必要になり、もしも質量体が直撃すれば途端に使用不能となる。ビームがあるから散弾があり、散弾があるからビームがあるのだ。そして光線砲の計算負荷を減らすためにも、陣形が肝要になる。一艦あたりの直撃が予想される質量体の数が少なければ少ないほど、高速かつ確実な迎撃が行えるためだ。

 しかし側面から撃たれてはひとたまりもなかった。

 そこで、翠光艦隊指揮官は、各艦に迎撃の計算負荷を落とし、陣形転換を優先するよう指示する。前衛防塁艦の艦首を可能な限り敵艦隊へ向け、反撃の糸口を掴むためである。しかしこの時、三隻一単位からなる艦隊群を立体再帰的に配置し、敵砲撃一回あたりの有効性を極小化するために艦隊旗艦が行う指令のための計算資源が、迎撃計算を肩代わりしたために不足してしまう。

 これが致命的であった。

 なぜか。

 三隻一単位の後衛に配置される主力戦艦の多くは、船体そのものを巨大な蒸奇光線砲としており、これが決戦砲と俗称されている。俗称の由来は、防塁艦が張り巡らせる防御手段を丸ごと破壊できるため。しかし艦隊戦においては、主力戦艦の射線を確保するとは即ち味方防塁艦が左右に避けることを意味し、さすれば主力戦艦は無防備になる。全体および三隻単位での艦隊機動に生じる僅かな綻びを縫って適切に決戦砲を発射することが敵艦撃破の鍵となるのである。

 しかし今、帝国宇宙軍翠光艦隊の機動には、大きな綻びが生じていた。

 そしてチレイン艦隊は、規格外の超弩級決戦砲を備える戦艦を擁していた。

 帝国宇宙軍から星団評議会麾下の平和維持軍第三〇三特務隊に出向し、そしてチレイン艦隊に乗っ取られた、〈雲梯くものはしだて〉である。

 会敵からの翠光艦隊の動きは、すべてチレイン連合艦隊の予測通りだった。そして、翠光艦隊からの応射に対応して艦隊群が織り成す傘の花の、一角が割れた。

 予め発射のための充填を完了していた〈雲梯〉の艦首決戦砲、旋条波動蒸奇二連砲の射線が確保され、翠光艦隊が対応する間すら与えずに発射。直径二〇米に及ぶ二条の蒸奇光線が螺旋を描き、大艦巨砲の一撃への備えが崩れた艦隊の一角を削り取った。



 法月八雲は、緑の瓶を傾けて口を湿らせる。

「巨砲の一撃は優れていても、地球の宇宙軍は艦隊戦の素人集団だ。壊滅は時間の問題だろう。セオリーは学んでいても、無法者には太刀打ちできまい」

「しかし軌道上から地上を砲撃するための殲滅艦は艦隊戦のお荷物です。呼ぶとしても、翠光艦隊を壊滅させた後でしょう。しかしそれにはある程度時間がかかります。その間に戦闘の有様が星団評議会に知れれば、平和維持軍ではなく、〈奇跡の一族〉ご本人があなたがたの制裁に降臨するでしょう。つまりあなた方は電撃戦を行う必要があり、艦隊戦と前後して、地上部隊を降下させ、天樹破壊を図ると思われます」

「聡明なお嬢さんだ。新九郎が目をかけるのもわかるな」

「そしてあなた方の地上部隊は、わたしたちが阻止します。あなたの〈殲光アナイアレイター〉は、先生の〈闢光クラウドバスター〉が」

「難しいのはね、お嬢さん、〈奇跡の一族〉は原則として、現住知的生命体の戦いに手出ししてはならないということなんだ。我々の攻撃を君たちが持ち堪えている限り、彼らは来ない。つまりこちらは、君たちを嬲り殺しにできるというわけだ」

「わたしたちはそんなに弱くありませんよ」

「個体は強くとも連携を断つことは容易だ。加えて君らは、愚かにも出来る限り殺さないことを選択した。星鋳物のラプラス・セーフティは、星鋳物の圧倒的な力があってこそ成り立つものだ」

「愚かでしょうか。わたしたちには、あなたたちチレインの潜脳を解く手段があります。実行すれば、あなたの言う連合艦隊は戦力の大半を失い、瓦解します。あなたたちのことです、きっと地上部隊は地球人を中心に構成するでしょう。潜脳さえ解けば、彼らはそのまま、こちらの戦力となるのです」

「何が言いたい?」

「降伏勧告です」あかりは、八雲の目を真っ直ぐに見据えた。「今すぐ武装解除し、天樹の指示に従ってください」

 八雲はしばし目を閉じる。

 そして、大声を上げて笑った。

「面白いお嬢さんだ」

「冗談のつもりではありません」

「なら今すぐ実行してみたまえ。君らが我々の潜脳を解くことを渋る理由は何もない。今しないのなら」八雲は空になっていた瓶を音を立ててテーブルに置いた。「できない、ということだ」

「はったりだとお思いですか?」

「ああ。しかし一片の真実もあるのだろう。そもそも何らかの容易い手段で潜脳を解けるのなら、今君はこうして、私の脳からチレインを追い出そうとはしていない」

 八雲はあかりの胸元を指差した。

 沈黙が数秒。

 あかりは観念し、胸元に隠したヘドロン飾りを取り出す。紐を通した多面体は緩やかな変形を繰り返しながら発光していた。

「その自信。その不敵さ。そして融通の利かなさ」八雲は座席に深く背を預けた。「不思議なものだ。君と話していると、まるで新九郎と話しているような気分になる。それが君があいつに学んだからなのか、それとも異星言語翻訳師として私の精神に介入しているせいなのか、区別がつかない」

「あなたにとって、先生との思い出は懐かしく温かいものであると同時に、苦く冷たいものでもある。人の心には多重性があります。あなたも例外ではありません。そしてあなたは、温かい側に天秤を傾けることのできる人間だった。少なくとも先生は、そしてわたしも、あなたのそういう側面を信じています」

「信じて変わるほど人は容易くない。特に、孤独という病に蝕まれた者は」

「孤独になることほど難しいことはありませんよ」

「周りに人を集める才の持ち主の言葉だ」

「もしもあなたが、自分はひとりだと思っているのなら、あなたはわたしたちには勝てません」

「君らが、どんな悪意を前にしても自分たちは連帯できると信じているのなら、君らは私には勝てない」

「できます。わたしの仲間は、人間だけではありません」

「なるほど」しなやかな指先が空の瓶を弾く。「君の奥の手は、何らかの異星生命体か。それも、すべての被潜脳者の精神に一気に侵入するか、昏睡させるかできるような。そういえば、先日この街では原因不明の連続昏睡事件があったそうだな。もしもその原因となった生命体を君が味方につけているとしたら、その自信も理解できる」

「それは」と応じて、二の句を継げなくなる。

 油断していた。法月八雲は、学生時代から、あの伊瀬新九郎を向こうに回しての論戦を繰り返してきた男。〈奇跡の一族〉をも誑かす新九郎と、同等の鋭さと抜け目なさを持っているのだ。

「思うにその生命体、対話が非常に難しいのではないか?」八雲は口の端で笑う。「その生命体は、確かに君の味方なのかもしれない。だが十全の戦力ではない。そう、たとえば……連絡を取り味方する確約は取れたが、君の制御下にはないからいつ行動を起こすかもわからない。違うかい?」

「脅しでも、冗談でもありません。降伏するのがあなたの身のためです」

「言葉が荒くなった。焦っているな?」

「焦ってなど……」

「特級といえど、その程度ということか」八雲は立ち上がった。

「法月八雲さん。席にお戻りください。交渉決裂の意志と見なします」

「そう思ってくれて構わない」

「この場所は既に憲兵と警察機動隊に包囲されています」

「なら崩すとしよう」

「おやめなさい」あかりも立ち上がる。「依子さんは、あなたの行動を決して喜びません。彼女の願いはこの街の平和であり……あなたと先生が、生涯の友であり続けることです」

 八雲はテーブルの空き瓶を払い除けた。

 鋭い音ともに床に落ちた瓶が粉々に砕け、破片が一面に散らばる。

「あの女のことを口にするな、小娘」

「あなたは彼女を愛したのでしょう」

「違うな」八雲は腰の拳銃を抜いた。「今も愛している」

 銀色に光る円筒形の軍用光線銃。その銃口が、寸分違わずあかりの眉間を狙っていた。

「ならどうして、この街に災いを招くのですか」

「やっとわかった。君が私を苛つかせる理由。新九郎が君のような娘を手元に置く理由」八雲の顔からすべての感情が消えた。「早坂あかり。君は、栗山依子によく似ている」


「……こいつは一体どういうことだ、駿ちゃん」と財前剛太郎は言った。

「どうもこうもありませんよ、財前さん」

 応じた門倉駿也の片手に拳銃。その銃口は、財前の背に向けられていた。

 雨空の下、アメヤ横丁雑居ビルを包囲した警官隊に動揺が走っていた。銃を味方に向けていたのは、門倉だけではなかった。数えて一二名。すべて、門倉の指揮の下、チレインの潜脳乗り移り施設を探索していた刑事たちだった。

 そして全員が、示し合わせたように目元を隠す舞踏会仮面を着ける。

「なるほど。ミイラ取りがミイラになりやがったな、駿ちゃん」

「ずっと腹が立っていたんですよ。その馴れ馴れしい呼び方も、あんな探偵風情を信頼していることも」

「探偵風情ってな。元先輩だろ」

「だからですよ。あいつは考えが甘い。あんたもだ。レッドスターだかなんだか知らないが、けだものの外人どもなど、端から順に多摩の豚箱にブチ込めばいい。そうしないから、今の帝都のこの有様だ。ウラメヤも裏大久保も、白銀街も浄化する。地球は人間の星だ。我が物顔で歩き回る外人どもに乗っ取られて、どれだけの人間が泣かされたことか」

「功利を言い訳に排除を肯定する。そいつは二五年前の鉄十字軍団と変わらねえ優生思想だぜ」

「黙れ、二枚舌の古狸め」

「……後でお仕置きだぜ、駿ちゃん」

「馴れ馴れしいんだよ!」

 銃声が茜色の曇天に木霊する。

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