16.決戦前夜/開戦
予言の日、前日の深夜。とうとうクロックマンから「〈
しかしその新九郎は、深夜の客人にどう応対したものか悩むあかりをよそに、あそこが痛い、ここが痛いと言って事務所の応接ソファに埋まっていた。
「直ったのなら何よりだ。この一週間で唯一のいい知らせだよ」
「しかし左腕部は出力が低下しています。ご遺体の治癒には絶対的に時間が必要ですので。ご注意ください。……そちらは?」
新九郎はソファに倒れたまま片手を振る。「駄目だね。こてんぱんだよ。葉隠幻之丞から一本取りたければ、超電装が要る」
「ではそちらは得るものがなかったと。我々が小電装を二〇体壊し最も優秀な蒸奇技師が過労で一〇名倒れている間に?」
「その早口はなんとかならんのか……」新九郎は寝たまま煙草に火を着けた。「得るものはあったよ。むしろ僕より、彼女の方が得るものがあったかもしれない」
「わたしですか」急に水を向けられたあかりはむしろ、今日はもう吸わないだろうと灰皿を掃除したというのにまた吸い出した新九郎に腹が立っていた。「連絡役しかしてないですよ」
「僕よりむしろ君の方が、皆が力を預けてくれる。それは君の無力ではなく、君への信頼を証する」一方的に言って、新九郎は煙を吐く。「昏睡、だったか。潜脳したチレインを追い出す方法」
クロックマンが応じた。「被潜脳者の脳は、あなた方でいう明晰夢の状態に近いのです。ですから、昏睡によって同期を外すことができる。あるいは、自分が覚醒していると思い込んでいる意識を、リンガフランカーの呼びかけによって正しく覚醒させれば、正規の状態に復帰します」
「君が素直に教えてくれればこちらは高い情報料を払わずとも済むのだけどね」
「機密ですので。どこから漏れたのやら」クロックマンの長針がきっかり一周逆転する。
「早坂くん」新九郎は身体を起こし、ソファに座り直した。「機会があったら、説得を試みてくれ」
「潜脳された兵隊さんですか? それはもちろん。なんとしても、機会を作って……」
「そうじゃない。八雲だ」新九郎は灰皿の上で煙草を叩く。「僕の言葉は届かなかった。君なら届くかもしれない。頼めるか」
目を伏せる新九郎。
灰皿に収まりきらない灰が机に散っていた。今は不問にすることにする。
「お友達だったんですよね」
「チレインの潜脳の前には、人間関係は関係ないらしい」
常になく覇気のない新九郎から目を逸らせば、書斎机の上に置かれた写真立てが嫌でも目に留まる。
亡き妻や、夫婦の写真でもいいのに、彼が手元に置いているのは三人が写った写真だった。改めて訊くまでもなかった。伊瀬新九郎と栗山依子と共に写っている若者は、法月八雲なのだ。
どう応じたものか考えあぐねていると、新九郎が言った。
「紅緒さんと口論になったそうじゃないか」
「いえ、口論というほどでは」
「彼女とやり合えるなら、怖いものなしだ。……怖いか?」
「はい」とあかりは即答した。
「駄目なら駄目で、それでいいんだよ。失敗することよりも、何もしないことを恐れなさい」
あかりは目を見開いた。
怖いのは紅緒でも、武装した軍人でもない。説得に失敗することだ。それを見抜かれていた。
ぼんやりとしているようで、人のことをちゃんと見ている。言って欲しいことを言ってくれる。だからふた言目には働きたくないとぼやいてぐうたらな姿を晒していても、つい、信じてしまう。きっと、彼の周りに集まる人々も同じなのだ。
「やります」とあかりは言った。「先生ひとりに任せてはおけませんから」
「その意気だ」新九郎は煙草を消した。「昏睡の方だが、彼に連絡はしたか?」
「ゼベンン星人の 氏ですか?」
「そう、その彼だ。僕には発音できそうにない名前の。まだこの街にいるはずだろう。彼なら、狙った相手の精神に同化して昏睡させることができる。先日はその性質が悪い思念と重なって厄介なことになったが……」
「一応、接触はしました」とあかりは応じた。「ですが、期待はしないでください。わたしは、少し気を遣えば彼の時間に同期できますが、彼はそうじゃないです。間に合ってくれるかどうか……」
「大胆なことを」とクロックマン。「一度は敵に回った相手ですよ」
「次は星鋳物の奥の手同士の戦いになる。備えは万全にしなければね」
「禁術を使いますか」
「まあね」
「それほどの相手なら、こちらも手の内を増やすべき。ですが、少し、諸々の再調整が必要ですよ……」
すると、配管から人の手の形をした炎が吹き出す。「私の出番か」
事務所の建物に寄生する活力生命・フレイマーである。
「君は引っ込んでて」
「はい……」あかりに一喝されてすごすごとまた配管の中へと戻るフレイマー。
「ゼベンン氏も、幸運なことに、話せばわかる相手さ。君よりもね」時計に皮肉をぶつけると、新九郎はあかりを見た。「この前は憲兵と警察の力を借りても勝てなかった。だが今度は、この街に住まう者すべての力を借りる。君がいるからできることだ。君がしたのはそういうことだ。誇りなさい」
褒め言葉は真っ直ぐな男。
これは伊瀬新九郎の数少ない美点のひとつだが、思いもしない時に発揮されるのが、少し困る。
あかりはひとつ深呼吸してから言った。
「そういうのは、勝ってから言ってください」
静止軌道上に待機していた帝国宇宙軍翠光艦隊は陣形を変える。地球へ再突入し帝都へ降下するのに最適な地点に
静寿堂、という隠居雅号が記された檄文に記されていたのは、ただ一行。
「雲あるところ、開闢の光あり」
地球はもはや、地球人だけの星ではない。帝都には多種多様な異星人が暮らしており、そして汎銀河調停機構の版図にあるすべての文明が、銀河に混乱を招くチレインの野望が潰えることを切望している。たとえ戦力差は絶望的でも、地球には、〈奇跡の一族〉の信託を受けた男がおり、彼が操る奇跡の力がある。鈍色の雲が空を塞ぎ、太陽がその姿を隠しても、必ずやかの黒鋼は再起し、一刀をもって暗雲を薙ぎ払う。なぜなら光こそが、この宇宙に最初に在ったものなのだから。ゆえに総力をもって、耐えよ。
かくして全天無双の誉れ高き翠光艦隊旗艦、万能戦艦・
一方、陸軍憲兵隊および東京警視庁により市中には厳重な警備が敷かれ、帝都市民は不要不急の外出が禁じられた。市中には数えて一五機の超電装が配備。超電装による電撃戦の他に陸戦部隊の侵入が予想されたため、主だった通りには装甲車両や自走砲による防塁が築かれた。空からの侵入をいち早く察知するため空軍の警戒機が空を飛び交い、海軍の掃海艇が東京湾を埋める。
特筆すべきは、皇居の次に多数の戦力が配備されたのが、天樹に連なる通りであることだ。軍の内部には天樹による統治を快く思わない者も多かったが、天樹陥落はそのまま地球と帝都の平和の終わりを意味する。現住知的生命体の自主独立を尊重しなければならない名目から天樹の自衛戦力配置にあたっては軍と一切の連携を行わなかったが、しかし互いの穴を埋める配置が自然と取られていた。まさに呉越同舟の様相を呈していたのである。
そして夜が明ける。
午前一〇時。
星鋳物第七号〈闢光〉の左腕部最終調整と緊急時装備の点検のため、伊瀬新九郎は天樹の超電装格納庫を訪れる。
正午。
痺れを切らした異星人が外出し、憲兵に取り押さえられてひと騒動起こり、事務所で待機していたあかりが駆り出される。
そして夕刻。
警邏中の警官が、雨の降り頻る上野不忍通り裏の路地に男の姿を認める。男は高度な不可視外套を身に着けていたが、警官らにはその偽装を無効化する軍用モノクルが支給されていた。だが、職務質問を行おうとした直後に男は逃走。応援に駆けつけた憲兵隊を交えた銃撃戦に発展する。この時の帝都で、身元を隠して武装し、軍や警察から逃走する男は、チレインの工作員として潜伏していた潜脳者か、あるいは法月八雲である。そして警官隊に浴びせかけられた火力から、男の装備が軍用品であること、さらに解けた不可視外套の下から宇宙軍の軍服の白が現れたことから、即座に関係各所に電信が飛んだ。
しかし銃撃戦の末、男は上野アメヤ横丁の雑居ビル地下へと逃走。そこに存在する施設の特殊性から、追跡・突入に待ったがかかる。軍・警察・天樹の権力が及ばない代わりに犯罪組織に関する情報収集に長年用いられてきた、八百八町の善悪彼岸、〈BAR シルビヰ〉である。
そして現場の指揮を任されていた警視庁異星犯罪対策課・財前剛太郎の伝令として、同じく警視庁の門倉駿也が、上野は入谷の三丁目にある喫茶店へと駆け込んだ。
その二階、帝都広しといえども唯一の看板である『異星人專門』を掲げる鬼灯探偵事務所から、探偵助手の女学生・早坂あかりが応対に現れる。
「先輩は」と門倉が言った。
「先生は天樹に行かれたのでおりません。わたしが対応します。銃声が聴こえましたが……」
「またやつがシルビヰに現れた。法月八雲だ。特定侵略行為等監視取締官との交渉を要求している」
伊瀬新九郎の代理。それ即ち天樹の代理であり、地球人類の代表であることをも意味する。
商店がすべて鎧戸を下ろし、屋台の天幕が片付けられたアメヤ横丁の一角。観光客の代わりに通りを埋めた警官隊の中から、財前剛太郎が姿を見せた。
「頼むぜ、お嬢ちゃん。こうなったらお前さんだけが頼りだ」
任せてください、と応じ、二、三耳打ちする。
眉を寄せた財前に会釈し、外に会話を伝えるための小型の通信機を袖口に仕込んだあかりは、雑居ビルの地下へ向かう階段を降りた。
普段はそもそも食物なのかも怪しい生きた異星の生物や、調味料にしても奇怪すぎる液体などを売る店舗が軒を連ねる地下市場も、今日に限っては閑散としていた。巨大な換気扇の音がごうごうと響いている。奥へ進むと、主に異星人を客とした飲み屋街が現れる。しかしここも営業していない。一店舗の例外を除いては。
帝都東京の裏に通じた者なら誰もが知る、〈BAR シルビヰ〉である。
薄暗い地下街に灯る角灯と青いネオンサイン。重い木製の扉を開けると、子鬼のような給仕が身長ほども飛び上がって、無言のまま奥を指差した。
バーカウンターには、セミとザリガニの間の子を青い金属色にしたようなマスターがいる。
「いらっしゃWelcome、早坂さま」マスターが頭を下げた。「お客様があなたをwaiting for」
ご迷惑おかけします、と応じて店の奥へ進む。
しばしば密談に使われる赤い天鵞絨張りのボックス席に、軍服の男がいた。テーブルの上には緑の遮光瓶入りの酒。他に客はなかった。
「新九郎は?」と男が言った。
聞きしに勝る美形。真ん中でふたつに分けた前髪が雨に湿り、切れ長の目を半ば隠している。寛いでいるが背筋は伸び、脚を組んでいても横柄には見えない。掃き溜めの貴公子といった風情である。
帝国臣民なら誰もが知る法月新聞社の御曹司にして、帝大卒の軍人。帝国宇宙軍の艦橋員であることを示す白い軍服とねずみ色のコートは、この一週間余の潜伏のためかあちこちほつれて汚れている。
「先生は来られません。あなたと戦う備えのために」
「それで子供を寄越すか。私も舐められたものだ」
「わたしは彼の代理です」あかりは八雲の正面に座った。「交渉をご要望と伺いました」
「ああ。私は君たちに、降伏を勧告する」
「お断りします」
「新九郎ならそう言うだろう」八雲は組んでいた脚を解いた。「そこでまずは、君たちが置かれた状況を理解してもらおう。どこかで聞いているだろう君の友人たちにもね。陸海空軍、宇宙軍、それに警察や消防、憲兵隊。君らは君らの最善を尽くしているつもりだろう。だが君たちは、我々には勝てない」
「軌道上に展開しているのは全天無双の翠光艦隊です。戦力差はあっても、そう容易い相手ではありませんよ」
「確かに、地球産の軍用艦の火力は特筆に値する。特に三隻一単位の後衛として運用される主力戦艦、とりわけその主砲の威力は圧倒的だ。だが我々連合艦隊の敵ではない」
「連合艦隊?」
「チレイン星およびその同盟諸星に、地球艦隊を含む第三〇三特務隊を加えた、連合艦隊だ。驚くべきことに、翠光艦隊と比べて、数字の上での火力は拮抗している。しかし、地球の艦艇が他星に比べ圧倒的に劣っている点がある。探査能力だ。そして宇宙での戦闘の趨勢を決めるのは火力の差ではない。運用能力の差だ。敵位置や陣形を正確に把握し、適切な火力を適切に配置する戦術だ」
「翠光艦隊の士気は高い。数に劣り、肉を切らせて骨を断つ戦いこそが彼らの真骨頂です」
「では彼らが今探知し、迎撃のために艦隊を配置しているアストラル・ゲート開門の徴候が、囮だとしたら?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。