15.あと2日

 啖呵を切ってしまった。

 〈純喫茶・熊猫〉の店内。女給姿の早坂あかりは、忙しなく腕を組んでは解くことを繰り返していた。

 市民を守る手段について、当てがないわけではない。だが、『彼』や『彼ら』が快く協力してくれるとは限らない。一度はこの帝都の平和を脅かす敵だった存在であり、下手に刺激すれば二の舞となる。どう話しかけ、どう味方につけるか。考えあぐねていれば、時間は飛ぶように過ぎていく。

「ここが営業しているとは思いませんでした」と客席の女が言った。「例の星鋳物が明後日には来るって噂で、街は持ち切りですから。私の知人にも、多摩の方や千葉の方に避難した人もいます」

「でも、彩子さんも避難してないんですね」

「それは、まあ」帝都随一の小電装工房・井端鉄工所の娘にして、社長である父の不在を預かる女傑・井端彩子だった。「ここは生まれ育った街ですし、これまでどんな危機でも乗り越えてきました。変な超電装が攻めて来ても、海から大怪獣が現れても、私たちはこうして無事です。多少家財が燃えても……」

「火事と喧嘩は江戸の華」

「それです」と微笑む彩子。「ところで今日は、先生は……」

「旅に出ていた師匠が帰ってきてまして。修行です。すみません」

「いえ……」と応じる彩子。「ちっ、損した」

「今何か……」

「いえいえ……」

 明るい白のワンピースは心なしか襟ぐりが深い。普段の仕事を感じさせない鬼気迫るほどに艷やかな髪に、鉄錆びや機械油の欠片もない爪。明らかに気合十分の、厚化粧さを感じさせないが四方八方どこから見ても完璧な化粧。全身を武器庫にした女がいた。

 合体鋼人クロームキャスターの一件で知り合ってからというもの、彩子は折に触れて熊猫を訪れていた。納入したルーラ壱式小電装の整備という名目だったが、明らかにサービス過剰である。そしていつもは女だてらに工房の男たちを仕切る彼女が、ここへ来ると清楚なレディに変身する。女とは恐ろしいと、彼女の顔を見る度あかりは痛感させられていた。

「どんな怪物が現れても、〈闢光〉が来れば雲は晴れる。私たちはそれを知っていますし、信じてもいます。だからこうして珈琲を飲んでいる。そして戦いが終わったら野次るのです。やい、珈琲が溢れた、どうしてくれる、と」

「それが江戸っ子の心意気、ですか」

「私は彼を信じていますから」彩子は頬杖で遠くを見る。「はぁ、新九郎さま……」

「今何か……」

「いえいえ……」

 思わず苦笑いで、救いを求めてカウンターを見る。店主の大熊武志は眉を寄せ、妻の雪枝は肩を落としている。世の中には物好きな人がいるのだ、と彼らの態度が語っている。

 すると、壁際に控えていた小電装、自称・呂場鳥守理久之進が近づいてきて言った。

「恋とは、夢を見ることに似ている。しかし愛とは、目覚めることに似ているのでござる。親分、そなたはもう、恋する歳ではござらぬ……」

「やかましいよポンコツ、バラしてやろうか」

「ひっ……」

 親分。もとい、製造者の瞳に炎を見たのか、理久之進は悲鳴を上げてあかりの背中に隠れた。

 凄んだ顔を一瞬で清楚な微笑みに戻して、彩子は言った。

「あなたが羨ましいです」

「それは……」

 もしや、いつも伊瀬新九郎の傍にいることを言っているのか。

 若干の身の危険を感じたあかりは、胸のヘドロン飾りを服越しに握り、フレイマーの位置を探ってしまう。ちょうど天井裏で、惰眠を貪っている気配がした。

 しかし、彩子は微笑みのままだった。

「私たちは信じることしかできません。でもあなたは、彼を手助けできる。彼の力になれる。信じる側ではなく、信じられる側に立っていることが、羨ましいのです」

 あかりは目を瞬かせた。

 そして胸を張る。

「そりゃあわたしは、人も羨むモダンガール、に、なる途中ですから」

「……実は今日は、先生にお会いする以外に、ひとつ用事があるんです」彩子はすぅと笑みを消え入らせた。「理久之進のことです」

 あかりは背中で震える小電装を気にしつつ応じる。「彼が? まさか、何か悪さをしたとか……」

「いえ、そうではなく。……彼、お役に立てると思います」

「いつもお店の役に立ってくれてますよ」

「彼はロバトリック星人です」彩子はあかりと理久之進を交互に見た。「彼はあらゆる金属へ同化・侵入することができます。私も先日の戦いはテレビで見ました。あの〈殲光〉という星鋳物、銃剣の内側に人を取り込んでいました。あの時は、勇気ある憲兵さんを犠牲にしてしまいましたが……」

「理久之進なら」

「ええ。あの剣に飛び込んで、人質を引きずり出せる」

 彩子とあかり、それに聞き耳を立てていた大熊夫妻の目線が集中する。さらに天井裏にいたフレイマーまでもが配管から姿を現す。

 当の理久之進は円な機械の瞳を明滅させた。

「拙者が、早坂どののお役に立てますか」


「で、でたらめだ。いんちきだ。いくらなんでもありえない」

 息も絶え絶えに言った伊瀬新九郎は、どうにか叩き折られなかった木刀を手に、道場の床に仰向けに倒れていた。

 周りには膝をついた超電装の操縦師たち。ひとりは帝都、ふたりは北部方面隊からの応援で、いずれも愛機は五〇式〈震改〉。乗り手に剣の腕を求める超電装であり、ゆえに彼らも一廉の達人であるはずだった。

 尻餅をついている小林剣一が言った。

「軍用筋電甲だぞ。なんで押し負けるんだ……」

「自信なくすぜ……」顎と両膝を床に着いて三角になった二ッ森焔が力なく言った。「俺ら改造人間だよな。おかしくねえか」

 木刀を杖代わりにしてどうにか片膝立ちする凍が応じた。「真剣なら……」

「おいおい、そりゃあ負けるやつのセリフだぜ」と葉隠幻之丞が言った。「羽織の姉ちゃん、あんたは筋がいい。だがいまいち、頭の中と身体がちゃんと結びついてねえな。姉ちゃん、剣は学んだんじゃなく、書き込まれたもんだな?」

 その通りですわ、と凍が絞り出した。

 全滅。飄々と二刀を収める幻之丞。新九郎ひとりを相手にしたときとの違いといえば、額に汗が浮かんでいることくらいである。

「さあて新九郎、次はどう出る?」

「どうもこうもない」新九郎は気合い一声、立ち上がった。「一度倒したくらいで、終わりと思ってもらっちゃ困りますよ、師匠」

「そうだ。倒れても何度でも向かってこい」幻之丞は満面の笑みで、二刀を予断なく上下に構えた。「お前はひとりではない。それが、俺とお前の違いだ」


 予言の日まであと一日となった午後。主が夜中と早朝にしか帰ってこない鬼灯探偵事務所を預かるあかりは、どこにでもいる両生類のような姿をした客を出迎えていた。

 応接机の上に、鈍色に光る光線銃のようなものが並んでいる。

「ご依頼の、電撃銃です」と井ノ内河津は言った。「早坂さんと、〈紅山楼〉絡みの方から同時にご依頼を受けまして。しかし……」

「数が足りん」と応じた遮光眼鏡に黒服の男。〈紅山楼〉で、紅緒に縁がある客や情報屋稼業の関係者を送り迎えする時にどこからともなく現れる運転手である。誰も名前を呼ばず、彼も名乗らないため、あかりは未だに彼の名を知らないままだった。「一〇か。これでは憲兵や警官たちに持たせられん。姐さんはご不満だろう」

「そうは仰いますがね、そもそもこの手の非殺傷武器ってえのはですね、怖~い人たちが、ええ、旦那みたいな、ええ、そういう人たちが、シロウトさんを脅すのに使うくらいしか需要がないんですよ。いやいや、旦那がそうだって言ってるわけじゃございません。はい。あとはまあ、天樹の治安部隊のうち、儀式用の一隊くらいです」

「一〇〇と依頼したはずだが」黒服が蛙に詰め寄る。

「わたしはなるべくたくさんと……」

「これでも精一杯で、ご勘弁くだせえ。何卒、何卒。あ、そうだそうだ、先生がたまに使われる変な銃、あれもこれと同じ機構です。ご存知でした?」

「話を逸らすな」

「ご勘弁を、ご勘弁を、わたくしにも家族がおるのです」

「独り身だろう。見え透いた嘘を吐くな」

「ご存知でしたか……」丸々と肥えた蛙が手拭いで冷や汗を拭く。

 あまりにも不憫なので、あかりは口を挟んだ。「しょうがないですよ。これは隠密衆の方々にお預けしましょう。それと、財前さんと門倉さんに一挺ずつ」

「致し方なしか」黒服は銃の一挺を手に取った。「ひとつは君に」

「わたしですか?」

「ああ。君の身に万が一があってはいけない。護身用の武器は持つべきだ」

「でもわたし、銃なんて持ったこともないです」

「教えよう」

 ですが、とあかりが抗弁しようとしたとき、「それには及びませぬ」と部屋の隅から声がした。

 給仕服の小電装が正座していた。自称・呂場鳥守理久之進である。

「早坂どのは、拙者がこの生命に代えてもお守り致す。ゆえに、物騒なものは不要にござる」

「何してるの?」

「精神統一でござる。心頭を滅却すれば火もまた涼し」

「そうか」と黒服が淡白に応じた。「ではこれらは私が持ち帰ろう」

「へえ、へえ、お買い上げありがとうございやす」井ノ内が平身低頭する。「して、お代の方は……」

「ツケておけ」

「そんな殺生な」

「どうせ不安に乗じてわけのわからん品物を高値で売り捌いて儲けているのだろう。街の平和のために寄進したと思え」言うが早いが、黒服は風呂敷を包み始めた。「邪魔したな。伊瀬の先生によろしく頼む」

「あの、折角なので訊いておきたいのですけれど」

「なんだね」

「あなたのお名前です」

「黒井福という。よろしく頼む」

「絶対偽名ですよね。今考えましたよね」

「半分正解だが、半分間違っている」と黒服は応じた。「確かに偽名だが、ネタは三ヶ月前から温めていた」

 これは冗句なのか。

 室内でも真っ黒な遮光眼鏡を取らない男を前に応じる言葉をなくしていると、彼はあっという間に荷物をまとめて帰ってしまった。

 そして井ノ内も、「今後ともご贔屓に」と一〇回ほども繰り返し、街の土埃の向こうに消えた。

 ふたりを見送り、あかりは服越しにヘドロン飾りを掴んだ。

 非殺傷兵器も満足に手配できない。敵はいつ何時、どこから現れるかわからない。

 そんな状況下で市民の命を守りたければ、手段はひとつしかない。

「理久之進、ちょっと着いてきて」と声をかけ、あかりは店の表に出た。

 通りを何本か抜けて、駅前広場へ出る。辻々には、既に多くの警官や憲兵が配備されている。

 そして広場の中心に鎮座する、光球を内に抱えた正四面体の枠、都市恒常化機構の制御端末の前に立った。

「早坂どの」と理久之進が言った。機械の音声に、不安が混じっていた。

「大丈夫だから」と応じてあかりは胸元からヘドロン飾りを取り出し、枠の一部から生えた突起へと変形させながら差し込んだ。

 向こうが潜脳兵士で来るなら、こちらは不死の兵隊で対抗するのだ。

 これが『彼ら』である。

 そしてもうひとり、かつて帝都を脅かす厄介な存在だった『彼』。

 あかりはまず空を見上げ、雲の中に潜む『彼』の名を呼んだ。

 そして異星砂礫の地面を叩いた。

「ご無沙汰してます、電脳遊人の皆さん」

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