10.主の名によりて来る者

 新九郎の額に血が伝う。痛めた右肩を左手で庇う。雨水が溜まった眼鏡を徽章に戻して胸元に留めると、中から獣の唸りが聴こえた。

「私を出せ、新九郎」と〈黒星号〉が言った。

「駄目だ。やつは強すぎる。時間稼ぎにしかならない」

「稼いだ時間の分だけ、救える命がある。君の命もだ」

「無茶はするなよ」新九郎は指先で流星徽章を叩き、内側から出現した蒸奇封瓶オルゴノイド・カプセルを割った。

「無理は承知!」

 黒い蒸奇が見る間に広がり、四足の刺々しい巨獣となって〈殲光〉に飛びかかった。

 決着は一合だった。

 銃剣すら使わず、〈殲光〉の手刀が、〈黒星号〉の腹部を深々と貫き通した。

「蒸奇殺法・十文字斬り――」外部拡声器越しに八雲が言った。「君に負けてから、その技を破ることだけを考えてきた」

 新九郎は怒鳴り返した。「これで満足なら、もうやめろ!」

 〈殲光〉が手刀を引き抜き、〈黒星号〉が再び煙に戻って消滅する。

「そうはいかない。君の次はあの天樹に巣食う偽りの支配者を討つ。そしてこの宇宙に私の正義を知らしめるのだ」

「それはお前の正義じゃない。チレインの正義だ」

「どうかな。天樹の支配を憎む者はこの星にも多いだろう」

「そのひとりとして、武力による革命は望まない!」

「望みに蓋をされた者は哀れだ。私が彼らを解放する。そして……」八雲が言葉を切り、〈殲光〉の頭部が新たに現れた人影を認めた。「おやおや。あれが噂の小娘か」

 囲いを抜けて芝生を駆ける女学生がひとり。早坂あかりだった。

 舌打ちする新九郎。高笑いする八雲。

「彼女には感謝しないとなあ。彼女の存在なくして、私はここに来ることはなかった。人類が光を超える資格を得たからこそ、私はすべてを知ったのだから」

「来るな、早坂くん!」と新九郎は叫ぶ。

 だが一五の健脚は既に倒れた〈闢光〉の機体をよじ登っていた。

「先生が! ひとりでやるからいけないんです!」

「見損なったぞ、新九郎。そんな娘が依子の後釜か?」

 〈殲光〉の右手に銃剣が生成される。

「待て八雲。彼女には手を出すな」

「私としても、子供を手に掛けるのは心が痛む。だが巻き添えなら致し方なかろう」

 〈殲光〉が銃剣を逆手に持ち替え、右手を振り被った。

 憲兵も、警官も、消防隊員も、二ッ森姉妹も動いた。相手は凶悪な超電装であり、星鋳物。〈闢光〉さえ下した。全員が恐れていた。しかし少女に先を越され、そして彼女が命を落とそうとしている時、我が身を挺して救おうとしない者は、ひとりもいなかった。だがその時、大地が轟き風が凪ぐような男の声が、すべてを静止させた。

「そこまでだ!」

 声の主にすべての目線が集中した。

 雨に打たれる髭面の男。首に提げたロザリオを揺らし、素足の雪駄でぬかるみを分けて進む。継ぎ接ぎだらけの黒い司祭服。

 そして背中に、十字に組んだ二刀を背負っていた。

「さっきの人……?」ようやく操縦席までよじ登ったあかりが眉を寄せる。

「まさか」新九郎が目を見開く。

 司祭服の男は両者に微笑みを向ける。

「また会ったな、お嬢ちゃん。それと……久し振りだな、坊主」

「あなたが、なぜ」

「積もる話は後にしようや。……おい、そこの若いの!」男は〈殲光〉を見上げた。「ちょっとは遣うようだな。だがたとえお前さんが宇宙一の二刀遣いでも、この俺の目が黒いうちは日本一にはなれねえぜ」

「何者だ」

「名乗るほどの者じゃねえ」

「なら貴様から先に死ね」

 〈殲光〉から銃剣が突き降ろされる。

 だが、大地の底から立ち上がった虹色の光が、星鋳物の剛力から繰り出された刃の切先を阻んだ。

 光の中心で男が唱える。

「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主。主の栄光は天地に満つ。天のいと高きところにホザンナ。ほむべきかな、主の名によりて来る者。天のいと高きところにホザンナ」

 よろめく新九郎をあかりが抱き止める。しかし当のあかりも、肩で息をする新九郎も、目線は司祭服の男に奪われていた。

 あかりが呆気に取られつつ言った。「先生、あの人ご存知なんですか」

「ああ、知ってるとも」

「誰なんです」

「僕の師匠だ。名は……」

 男――葉隠幻之丞は両手を左右に大きく広げた。

星鋳物ホーリーレリクス第〇号ナンバーゼロ仰光デイブレイカー〉……光よ来たれ」

 虹の光が渦を巻いた。


 芝生に開いた暗闇の穴から虹色の光が立ち昇り、もうひとつの黒鋼が姿を現す。腕を組んだ人型の超電装。その外観は〈闢光〉によく似ている。だが肩の巨大な鎧はなく、胸部には鎧の代わりに平板な装甲。その上には鋲を打ったような丸い部品が左右でなだらかなUの字を描くように並んでいる。籠手も脛当ても〈闢光〉の当世具足を模したような姿とは異なり、すべて滑らかな凹面を描いていた。そして頭頂部に、翠の炎が燃えていた。

 司祭服の男、幻之丞の姿が光球となって吸い込まれ、〈仰光ぎょうこう〉が十字に組んで背中に懸架した二刀を抜いた。

「さあて若いの、お前さんももう限界だろう。頭を使うのはいいことだが、使いすぎはいけねえな」

 外部拡声器越しの声。「旧式だから、電想通信機がないんだ」と新九郎が帽子を抑えつつ言った。

 対する〈殲光〉は両手の銃剣を逆手に構える。

 だが、浮遊する足元が小刻みに揺れている。

 途切れ途切れの声で八雲が応じる。「なんだそれは。同じ星に星鋳物が二体もあるはずがない」

「法には必ず抜け穴があるんだよ、若いの」

「ならば穴ごと潰すまで!」

 見えない力で加速する〈殲光〉と、頭から炎の尾を引き大地を蹴る〈仰光〉。二刀と二刀が激突し、庭園のくすんだ緑に火花を散らす。一見すると互角。だが超電装同士の戦いを知る者と、剣を遣う者には優勢が見えていた。

 〈殲光〉の太刀筋が微かに乱れていた。

 その時だった。

 無理矢理に〈仰光〉の二刀を押し返し、間合いを作った〈殲光〉が、後退しながら生成した銃剣を次々と地面に突き刺した。

 そして瞬きする間に刺した順に爆発。舗装を瓦礫に変えて雨空に巻き上げ、爆煙が〈殲光〉の姿を隠した。

「今日は退く。近い内にまた会おう、新九郎」

 そして発動される量子倉の中に、〈殲光〉が吸い込まれていく。悪魔が己の棲家へと帰るかのように。

 呆然としている警官や憲兵に〈仰光〉の幻之丞が檄を飛ばした。

「スターダスターを追うんだよ、お坊ちゃんたち!」

 慌てふためき車両に乗り込む刑事や憲兵。誰もが言われるまで忘れていた。〈殲光〉が撤退しても、法月八雲まで撤退するとは限らない。むしろ次の襲撃に備えて帝都に潜伏する可能性が高いのだ。

 息を整える新九郎の腕に、あかりの手が触れた。

「先生、大丈夫ですか」

「……やられたよ」新九郎の目線の先で、〈殲光〉が開いた量子倉の星虹が消えた。「〈仰光〉が来てくれなかったら、向こうの勝ちだった」

「第〇号、って言ってましたっけ……」

「君は知らないか」新九郎は濡れた装甲の上に腰を下ろした。「〈闢光〉以前のこの街の守護者だ」

 星鋳物第〇号〈仰光〉。踏み荒らされた庭園に集まった警官や消防、憲兵のうち、年若い者は怪訝な目、年嵩の者は畏怖の目を向けていた。この機体が、特定侵略行為等監視取締官の手脚として帝都を守って戦っていたのは、一〇年以上前のことである。今となっては知らない者も多いのだ。

 正確には一二年前。葉隠幻之丞が失踪するまでのことだ。

 その〈仰光〉の膝から、突然小さな爆発が起こった。

 機体が痙攣し、あちこちから歯車や蒸奇排気の異音が上がる。そして全身の力を失い、地面を震わせながらその場に崩れ落ちた。

 唖然となる周囲。新九郎だけがため息をついた。

「ろくなメンテもなしで、無茶をするからだ」

 すると、鳩尾辺りの乗降口が開き、縮れた白髪を無造作に後ろで束ねた初老の男が、「よっこいせ」と言いながら姿を見せた。

「いよお坊主、久し振りだな」

「もう坊主という歳ではありませんよ、師匠」

「デカい口を叩くのは俺に勝ってからにしな」

 新九郎は帽子を取った。雨は上がっていた。「変わらないな、あなたは」

「お前は相変わらずのっぽだな。警察辞めて開業したって聞いたぜ」

「ええ。そして今は、かつてのあなたと同じく、特定侵略行為等監視取締官スターダスターです。ゆえに」新九郎は立ち上がり、流星徽章を短銃に変形させて、幻之丞へ向けた。「手こずらせないでください。あなたには、星鋳物の略取と私的専有の容疑がかけられている。明確な星団憲章違反です」

 新九郎の言葉の間に次々と天樹の小電装が現れ、やはり幻之丞へ銃口を向ける。殿に現れたのはクロックマンだった。

「お久しぶりです、葉隠先生」とそのクロックマンが言った。「こうして姿を見せておいて、まさか無事に帰れるとお思いで?」

 あかりが新九郎の腕を引く。「ちょっと先生! 助けてくれたじゃないですか! 事情は知らないですけど、あんまりですよ!」

「そちらのお嬢さんの仰る通り、と言いたいところだが」幻之丞は携えていた二刀の包みを足元に置いた。「ちょいと取引をしねえか?」

 クロックマンが一歩進み出る。「星団評議会は暴力を持つ者との交渉には決して応じません」

 代わって新九郎が言った。「条件は?」

「俺の身の自由。代わりに俺からは、こいつの起動権をくれてやる」幻之丞は親指で背後の〈仰光〉を指差した。「こいつは〈闢光〉の前世代機だ。共通部品も多い。〈闢光〉を特急で直すなら、こいつから部品を取るのが一番早い。どうだ?」

「強かな人だ、相変わらず」

 クロックマンの長針が一回転した。「あなたは、この星と六号監視官を人質に取るおつもりか」

「どっちにしろ、俺を自由にしなきゃあの〈殲光〉には勝てねえぜ」

「どういうことです」クロックマンの秒針が小刻みに震える。

「条件その二」幻之丞は新九郎を指差して言った。「俺に稽古をつけさせろ。相手はそこの馬鹿弟子だ。師匠として、二度とこんな無様をさせるわけにはいかねえからな」

「そう来たか」と呟く新九郎。「やっぱり撃ってもいいか……?」

「駄目ですよ!」とあかり。

 幻之丞は一同を見回し、懐から煙草を取り出した。「どうだ時計さん、悪い話じゃねえだろう?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る