11.修行

 〈闢光〉敗戦の報は瞬く間に帝都を駆け巡った。

 テレビは帝大とその周辺を舞台に大立ち回りを演じる二体の星鋳物の映像を繰り返し放送した。だが憲兵が人質に取られたところや超電装が撃破されるところについては、軍が放送を認めなかった。その分、大々的に報じたのは新聞だった。写真については軍の許可が降りなかったものの、戦闘の一部始終を詳細に記した記事が翌朝の号には掲載された。

 特に舌鋒激しく軍を非難したのは、発行部数二番手の毎朝新聞である。どこから聞きつけたのか〈殲光〉を操り帝都を襲撃した法月八雲についても詳しく書かれており、今回の事態は全面的に軍の失態であると断じていた。一方、軍への書き口が穏やかだったのは、部数一番手の法月新聞である。当然そこには、元来軍・政府寄りで反天樹の論調が目立っていたこと以上に、法月八雲が社長の御曹司であることも関係していると思われた。その分、事態の責任は〈闢光〉と天樹にあるという論調だった。

 正午からは法月新聞社長、法月七之助が記者会見を開いた。息子の招いた事態について涙ながらに陳謝する姿は同情を誘ったが、記者のひとりとして質問の手を緩めなかった。息子を増長させたのではないか、なぜ手元に置かなかったのか、親としての責任はどう考えるのか、あなたは社長の座に座り続けるのか、等々。まさに袋叩きだった。そして毎朝新聞の夕刊には、早速法月新聞の報道姿勢を糾弾する社説が載った。

「まったく報道とは戦争だねえ。そう思うでしょう、あかりちゃん」分厚い眼鏡を傾け、新聞を睨みつけていた田村景が言った。「ま、このお店が無事で何より、何より」

「いいのかな、こんなのんびりしてて」とあかりは応じる。自分と、この街と、両方に向けた言葉だった。

 湯島天神下の甘味処『みつばち』。明治の風情を残す店内は、目と鼻の先で超電装同士の戦闘が繰り広げられていたとは思えないほど平常営業だった。客は学生や、帝大内の復旧作業に駆り出されたと思しき職人たち、地元のマダムたちなど。放課後、あかりは田村景と北條撫子、即ちいつもの三人組でこの店を訪れていた。

 名物は、小倉あんみつである。アイスクリームに小豆を練り込んだ小倉アイスは、なんとこの店が発祥なのだという。匙を一口すれば、控えめで品のいい甘さが口の中に広がる。アイスのまろやかさと程よい小豆の食感がたまらない。添えられた杏の甘酸っぱさもまた絶妙だ。

「ま、この街ではちょっとくらいのドンパチは日常茶飯事だからね。火事と喧嘩は江戸の華ってもんよ。ね、撫子さま」

 その撫子は、首を竦めて絶えず周囲の様子を窺っていた。

「ええ、と言いたいところなのですが……」

「どしたの?」と景。

「もしかして」ぴんときたあかりは言った。「また家の人?」

「ええ。……早坂さん」撫子は深刻な面持ちであかりを見た。

「はい」

「わたくし、今日は家に帰りたくありません」

「……はあ?」

「一生のお願いです!」両手を合わせる撫子。ふわふわの髪が心なしか色褪せている。「ひと晩だけで構いません。鬼灯探偵事務所に泊めていただけないでしょうか……」

「え? いや、えーと、それは色々と問題があるような……」

 いつ獣に化けるかもわからない三〇の男やもめのことを思いつつ、あかりは苦笑いで応じる。

 しかし、である。

 思えばいつぞや、この三人組の前に伊瀬新九郎が姿を現した時、撫子は彼のことを知っている様子だった。伊瀬のおじさま、とも呼んでいた。親しい間柄なのならば、問題ないのかもしれない。

 いやいやしかし、とあかりが腕組みになっていると、構わずに撫子は続ける。

「祖父が、疎開しろと言うのです」

「そりゃまたけったいな」と景。

「まったく、けったいですわ」頬を膨らませる撫子。「確かに戦闘があって、危ないという父の言い分もわかります。ですがこちらにお宅のある皆さんは? 確かにわたしの家は葉山に別宅がございますが、わたしだけ逃げろというのは、あんまりです」

「んー、でもさー、撫子さまは北條の大事な末娘じゃない。逃がせるなら逃したくなる爺さまの気持ちは、わかるような……」

「じゃあわたくしの気持ちは? あんまりですわ、田村さん……」

「いやいやそんなつもりじゃ」

「早坂さん!」

「えっと……」あかりは言葉に詰まる。「まず、まず食べよう。ね。アイス溶けちゃうよ」

 杏を齧りつつ景が言った。「その爺さまってさ、北條厳之助だよね?」

「ええ」

「鉄の男も孫娘には甘いのかー。やっぱ人間なんだねえ」

「鉄の男?」

「あかりちゃん知らないの? 北條財閥の今の当主。若い頃はそりゃあ恐ろしかったらしいよ。一族内の骨肉の権力争いを勝ち抜いて、今や誰も厳之助会長の言うことには逆らえないとか。ここに逆らってるお嬢さんがいらっしゃるけど」

「おケイちゃんそういうのやけに詳しいよね……」

「かくなる上は断固拒否・徹底闘争です」撫子は机を叩いた。蚊も殺せないほど穏やかに。「わたくしは祖父に言いました。上女の生徒全員を疎開させるのならわたくしも参ります、と」

「それで厳之助翁はなんて?」言いつつ番茶を啜る景。

「許さん、と」

「そりゃあね」

「今日はどうしたの?」とあかり。「お迎えの車なかったよね」

「賄賂を渡しました」

「賄賂?」

「その……今朝、真田さん……運転手の方の、手の甲にキスを」

 景が口笛を鳴らした。「やるねえ。悪女だねえ」

「わたくしもやる時はやります」撫子は胸を張る。

「まあでも昨夜はうちの店も客少なかったしなあ」景は小倉アイスの最後のひと掬いを口に運んだ。「あの〈闢光〉が出てくるようになって三年くらいだけど、あんな負け方したの初めてだったし」

「三年?」あかりの匙から厩肥が落ちた。「もっと戦ってると思ってた」

「そうそう。それより前はあの天樹の、〈奇跡の一族〉の人が直接出てきてたんだよ。赤い火の玉で、びゅーんって」

「……知らなかった」

「その前は昨日も出てきた〈仰光〉だったらしいよ」

「一〇年以上前ですから、わたくしも噂でしか存じませんでした」

 ふうん、と応じる。

 百戦錬磨だと思っていた。伊瀬新九郎の特定侵略行為等監視取締官としての経歴は、まだ三年なのだ。

 するとその時、店の入口の辺りが俄に騒がしくなる。

「おっ、お迎えかな」と景。首を竦める撫子。騒がしさの主は、黒い洋装に白手袋の男だった。彼は撫子の姿を認めると、「やっと見つけましたよお嬢さま!」と声を張り上げた。

「嫌です! 帰りません!」隣の景に縋りつく撫子。

 近づいてきた運転手の男が撫子の腕を掴む。「困ります。私が厳之助さまにお叱りを受けてしまいます」

「嫌ったら嫌です! わたくしには心に決めた殿方が……」

「また戯言を! なんとしてもお連れします!」

「ああっ、助けてください早坂さん、早坂さーん!」

 叫びも虚しくずるずると引きずられていく撫子。あかりと景は、苦笑いのまま揃ってひらひらと手を振った。

「財閥のお嬢さまってのも大変なんだねえ」と景。

「わたしはやっぱり、財閥の御曹司に見初められるのがいいな」

「わかるわかる。血みどろの権力闘争から庶民出身の妻を守ってくれる優しい御曹司」

「ラブ・ロマンス」

「でもなんだかんだで世の中金よ、金」

「夢がないなあ」

「玉の輿が来い」

 若干、景とあかりは趣味嗜好が違うのである。ただし、ふたりとも政略結婚を強いられる令嬢より御曹司に見初められる庶民が主人公の方が好きというところは共通している。

 すっかり空になった小倉あんみつの器を見下ろし、あかりは言った。

「おケイちゃんのところは、この街にずっといるの?」

「空から爆弾でも降ってこない限りはね。外人さんたちはおおわらわみたいだけど。あかりちゃんの先生も大忙しなんじゃない?」

「いや、うちは今日から臨時休業中」

「なんで」

「それが……」あかりは乾いた笑みで言った。「先生が、修行らしくて」


 小石川の陸軍憲兵隊施設。その一角に、主に機甲化少年挺身隊の少年兵らが用いる武道場がある。彼らの力に耐えられるよう床は鉄張り。壁も膠石が剥き出して、あちらこちらに鋼鉄の手脚でつけられたと思しき傷や凹み、欠けが生々しく残されている。

 普段は筋電甲による格闘術の訓練に用いられている場所。だが今は、大男ふたりの木刀での立ち合いだった。

 片や葉隠幻之丞。両手にひと振りずつの長刀を悠々と構え、熱気の中でも変わらぬ司祭服で涼しい顔だった。

 一方の伊瀬新九郎は、一刀を構えた道着姿。だが片膝をついて肩で息をしている。

「温いぞ坊主」と幻之丞が言った。「鍛錬を怠ったな。自分より強いやつに何もかも任せているからだ」

「言っておきますがね、師匠」立ち上がり、木刀を片手正眼に構える新九郎。「僕はもう、あなたの知っている一八の若者ではないんですよ。年を取れば衰えます」

「俺に向かって言うか?」

「あんたは規格外だ」

「規格外の相手と戦うための、蒸奇殺法だ。忘れたか? 遣いこなすには……」

「自分も規格外の存在であれ」

「まずは一本、俺から取ってみろ。それができりゃ、お前が負けた理由もわかるさ」

「口で言う気はないんですか」

 その通り、と幻之丞が応じると同時に、新九郎が踏み込んだ。

 上段からの打ち込み。弾かれれば即座に構えを霞に移し、喉元を狙う突きを繰り出す。蒸奇殺法・兜落とし。その名の通り、剣のひと突きで脊椎を粉砕して貫き、頭部や、首の上に乗っているその他の器官を斬り落とすための技だ。

 だが幻之丞の左手の刀が、片手とは思えない力で容易く新九郎の突きを払い除ける。そして同じく刀を持った右手の甲が、新九郎の胸元に触れる。

 傍から見れば軽く押しただけ。にもかかわらず、新九郎の人並み外れた長身が風に吹かれた木の葉のように後方へ吹き飛ばされた。

「蒸奇殺法は、人ならざるものと互角以上に戦い、これを狩るための剣術だ」と幻之丞。「お前も刀を二本持て。相手の腕も二本とは限らんのだぞ」

 半身を起こす新九郎。「普通ね、老いた剣客の剣禅一如ってのは、力任せにしない剣術のことを言うんですよ」

「だから仏ってえのは信用ならねえ。天は自ら助くる者を助く。鍛えろ。力に頼らない技は、後からついてくるもんだ」

「絶対聖書にそんなことは書いてないでしょう。人間は完全ではない」

「神が与え給うたものは本来完全だ。完全でないものは信仰の奇跡によって、そのものなりの完全へと至る。それがキリスト者だ」

「屁理屈を……」

「お前が刀を一本しか扱えないなら、どうやって完全になる? やつの刀は九本だ。どう戦う?」

「師なら教えてくれてもいいでしょう」

「だから言っている。二本持てと」

「相変わらずですね」新九郎は立ち上がり、木刀を振り被った。「全く話が通じない!」

 木刀と木刀が鳴らす乾いた音が、道場に木霊する。

 出入口付近の、風の通る場所に、火花を散らす師弟を眺める見物人の一団があった。

「大したものだ」と言ったのは、機甲化少年挺身隊を率いる、沖津英生大尉である。「伊瀬新九郎め、やはり爪を隠していた。あれだけ遣えるのに空惚けるとは、食えん男だ」

「でもボコボコにされてるじゃないっすか」と応じたのは、片手片脚が筋電甲の挺身隊員、小林剣一である。彼が顔をしかめているのは、沖津の強すぎる整髪料の香気のせいだった。「タダもんじゃねえとは思ってたけどさ。働きたくねえとか言ってるからバチが当たったんだよ。いい気味……あ、痛い痛い痛い」

「調子こいてんじゃねえぞクソガキ」彼の毬栗頭を鷲掴みにして改造人間の握力で締めつける、燃えるような橙色の短髪の女。二ッ森焔である。「ま、ちょっと気分がいいのは同意だな」

「じゃあ離せよこのオトコ女……あ、痛い痛いごめんなさい」

「しかしあのおっさん、本当に人間か?」

「一応伺いますけど、お姉さまはどちらのことを言ってますの?」微笑で応じる銀の長髪。二ッ森凍だった。「先生でしたら、人並み外れた人間ですわね。わたくしたちの敵ではございませんわ」

「神父さんの方は? お前の得物も刀だろ」

「お姉さまの炎熱とわたくしの氷雪、合わせてようやく互角」

「珍しいな。意見が合ったぜ」

 四人の後ろにはさらに多くの見物人がいる。挺身隊の少年少女はもちろんのこと、訓練の休憩時間と思しき憲兵の姿もあった。

 さらに、吊った腕や包帯が痛々しい兵士がひとり。彼は陸軍憲兵隊の超電装操縦師だった。彼は先日の戦闘に五〇式〈震改〉で参加したが、両腕を〈殲光〉の銃剣に爆破されて戦闘不能に。しかし一命は取り留めた。一一機一一名のうち、唯一の生存者だった。師弟の立ち合いを見つめる爛々たる眼光。少しでも技を盗まんと必死なのか、それとも仲間の犠牲を無にされた怒りを向けているのか。

「しかし……あの侍神父が〈仰光〉を操っていたのか」沖津が腕組みのまま言った。

「隊長知ってんすか?」

「ああ。一〇年と少し前までは、あの星鋳物が帝都の守護者だった。子供らの憧れの的だった」

「懐かしいですわね」と凍。

「え、姉さん方も知ってんのかよ。何歳? あ、痛い痛い……」

「女性に歳を訊くんじゃねえぞ、クソガキ」変わらず小林の頭を鷲掴みにしながら片眉を釣り上げる焔。「俺らは一二年前に一六歳だからな。あれの現役時代も知ってる」

「え、じゃあ今二八かよ。さっさと嫁に……」

 また悲鳴を上げる小林を横目に凍が言った。「わたくしたちは、永遠の一七歳ですわ」

「二〇歳な」と言って、焔は沖津を見る。「亜光速やら超光速やらで宇宙の果てまで連れ回されたせいで、俺らの時間はずれてんですよ」

「時代だな」と沖津。「これからは君らのような人間も増えるのだろう。伊瀬くんの話では、あの法月という男も、通常の時間を歩んではいないのだったな」

「彼の行方は?」と凍。「必要とあらば、お力添えいたしますわ」

「市中狩り出しているが、杳として知れん。おそらくウラメヤか、新宿の白銀街に逃げ込んだのだろう。あそこは天樹も手を出せん」

「使えねーな。背丈ばっかり高くてよ」小林が口を尖らせる。

 すると、四人のすぐ隣に旋風が起こり、時計頭の男が姿を現した。

「聞き捨てなりませんね」

「うお、怪奇時計男」

「怪奇は余計です、少年」クロックマンは長針を逆行させ、睨み合う師弟に言った。「評議会の許可が降りました。葉隠先生、当面あなたへの処分は保留します。しかし当然、〈仰光〉は我々の管理下に置かせていただきます。よろしいですね?」

「結構、結構!」幻之丞は応じ、新九郎を蹴り飛ばした。「悪いのは俺じゃねえ。法の不備だ」

「あなたに〈仰光〉を預け、特定侵略行為等監視取締官に任命したのは、先代の監視官です。そして彼は亡くなり、あなたの解任権も宙に浮いた。スターダスターである限り、星鋳物の専有は法的になんの問題もない」とクロックマン。「まったく、この師にしてこの弟子あり、ですね」

 小林が膝を打った。「なるほど。じゃあ俺がガキの頃に星鋳物がいなくて、〈奇跡の一族〉が直接空を飛び回ってたのは」

「引き継ぎもなしに葉隠先生が行方を晦まし、スターダスターの座が事実上空位だったからです。……理由を聞かせていただきますよ、葉隠先生」

「積もる話はうちの弟子がバテてからにしてくれや」

 新九郎が上段から振り下ろした木刀を受けながらも、幻之丞が一歩後退する。一方の新九郎は体をやや開き、一回転しながら横薙ぎの二の太刀を繰り出した。

「鋭!」

「応!」

 両者の気合声が道場に轟いた。

 まじかよ、と小林が呟いた。

 新九郎の木刀が半ばから切断され、鉄の床に落ちた。

「一刀の十文字斬りは見事だが、まだ甘いな」

 幻之丞の峰打ちが唖然とする新九郎の脳天を打った。

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