4.北極星から来た男

 帝大附属病院の異星人專門病棟に入院することになった〈斬光〉のスターダスターは、名がなかった。

「自己認識、っていうんですか? そういうのがわたしたち地球人類と全然違うんですよ」

「なら名無しなのか?」

「いえ、名前も不定みたいです」あかりは腕組みになった。「その星のその土地で、北を意味する言葉が名前になるんですよ」

「彼の母語で北を意味する言葉、ではなく?」

 そうです、とあかりは頷く。

 時は星鋳物落下事件から一夜明けた午後。所は帝大附属病院受付。雨露を払って記名すると、待ち構えていた制服警官が案内に立った。

 青い肌の男が、目を覚ましたというのである。

 量子倉に戻された〈闢光〉は天樹の総力を挙げての修復が行われていたが、損傷の一部が〈奇跡の一族〉の遺体に達していたため、完全修復には一週間以上かかる見通しだった。事態の全貌は未だ謎に包まれている。〈斬光〉の電子記録の解析が進められているが、損傷が激しく、天樹から軍や警察、そして新九郎とあかりに情報が伝わるにはもう少し時間が必要。すると最大の手掛かりは、実際に現地へ趣き敗走した青い肌の男本人なのだ。

 聞くところによれば、青い肌の男の身体には目立った外傷はないようだったが、数の少ない種族であるため帝大病院の医師はもちろん天樹から派遣された医官も治療に苦心したのだという。

「入星管理局の記録によれば、同種がひとりこの街にいるらしいね。見つけるのは至難の業だ」

「青い肌の人間になるとは限らないんですもんねえ」

「しかしなぜ彼は青い肌の人間になったんだ」

「本人に訊けばわかるんじゃないですか?」

「だといいが……財前さん!」新九郎は片手を上げた。「遅くなりました」

「構わん構わん。お嬢さんは学業優先だからな」

 豪放磊落に笑うのは、警視庁刑事部異星犯罪対策課長、財前剛太郎である。そしてその隣では、爪先でリノリウムの床を忙しなく叩く門倉駿也の姿。多忙のあまりくたびれたスーツ姿のふたりは、白衣の医師や看護婦が行き交う病棟には不似合いだった。

 その門倉が新九郎をぎろりと睨んだ。「目覚めて開口一番、伊瀬新九郎を呼べとの仰せだそうだ」

「俺らは中に入れてももらえねえ。毎度で悪いが、お前さんが頼りだ」

 財前が親指で示す先には、自律制御の小電装二体が控える観音開きの扉。上に特別病棟、と書かれている。

 刑事ふたりと案内してくれた制服警官に一礼し、新九郎はあかりを伴って扉を抜ける。

 病室の前で、今度は馴染みの時計が待ち受けていた。情報が欲しいのは天樹も同じなのだ。

 三人揃って病室に入る。

 人間の医師らが、時計、帽子に書生装束の男、女学生という珍妙な三人組に怪訝な目を向けた。同時に、天樹の医官らがクロックマンと何事か言い交わし、医師らを連れて退室する。

 残された三人と、寝台の上で半身を起こした青い肌の男。

 窓の外を向いていた顔が、帽子を取った新九郎を睨んだ。

「……ポーラ」とあかりが言った。彼女の胸元で、ヘドロン飾りが発光していた。「ポーラリス・ノース。それがあなたの、この星での名前ですね」

特級異星言語翻訳師リンガフランカーか」と青い肌の男、ポーラが言った。「意味は?」

「英語というこの星の言語で、北極星だ」と新九郎が代わって応じた。「僕を呼んだそうだね。用件は、〈殲光〉とやらのことか」

「不覚を取った。まさか、奪取直後の星鋳物をああも巧みに操るとは」

「すると、君の姿は本来、直立二足歩行ではないな」

「俺の種族は万能単一細胞から成る。だから姿も変えられる。だから元々直立二足歩行の種族が、ああも容易く星鋳物を操るとは読めなかった……と、言っても、言い訳にしかなるまいな」

「随分と日本語が達者なようだが」

「体内に翻訳機がある。調査対象が地球の船だったからな」

「状況を教えていただけますか」焦れたように針を逆行させ、クロックマンが口を挟んだ。「チレイン星系で何があったのか」

「全滅だ」ポーラは三人を順繰りに睨んだ。「俺からも訊きたいことがある。俺は三〇三特務隊の任務内容を知らない。奴らは、三〇三特務隊が奴らの母星を攻撃したと言っていた。事実か?」

「事実です」

「この星の〈奇跡の一族〉のしもべは言うことが歯切れいいな」

「日々苦労させられておりますので」クロックマンの文字盤が新九郎を向く。「全滅とは」

「恐らく、三〇三特務隊は全員がチレイン星人に潜脳されている。地球の戦艦も星鋳物もそれで乗っ取られた。俺は三〇三と、チレインの艦隊から攻撃を受けた。艦隊だけなら蒸奇亡霊で誤魔化せたが、〈殲光〉にやられた」

「どうして地球に現れた?」新九郎は訊いた。

「連中は完全蒸奇星流式時空連続体跳躍機を入手し、艦艇に装着している。俺が奴らと会敵した時点で、跳躍準備がほぼ整っていた。だからこそ、俺も星流に放り込まれてここに来てしまったわけだが」

「君は跳躍機の稼働を阻止してくれたのか。だが〈殲光〉の反撃に遭い……」

「そうだ。俺だけが飛ばされた。ある程度は破壊したから大艦隊の跳躍は当分不可能だが、充填と星流の周期が揃えばこの地球に侵攻してくるぞ」

「当分とは」

「一〇日だ」

「この星の時間で、一〇日ということか?」

「そうだ。俺に一〇日と言ったやつは、地球人だったからな。〈殲光〉を操縦していた男だ」

「あの、先生」とあかりが口を挟む。「その完全蒸奇……なんとかってのは」

「早い話が、ワープ装置だ」新九郎は煙草を求めて手を懐に差し入れ、空のまま出した。「亜光速で移動すると主観時間は遅く進むが絶対時間は変わらずに流れている。三光年の場所に行くには光速でも三年かかる。宇宙に漂う蒸奇の流れ、これは知的生命体の行き来によって作られるのだけど、この流れが強め合った時に門を開くと、主観時間と絶対時間が一致した、時空連続体を跳躍した移動が可能になる。だが……」

 クロックマンが後を継いで言った。「軍用艦船および超電装への搭載は星団憲章で禁じられています。無論、星鋳物とて例外ではありません」

「やつらは母星への侵攻を試みた星団評議会への報復として、この地球を攻撃するつもり、というわけだな」

「そうだ」とポーラが応じる。

「この星は〈奇跡の一族〉による平和的統治の成功例であり、急所でもあり、さらに今この宇宙で最も弱体化している〈奇跡の一族〉本人がいる」

「極秘事項ですよ」とクロックマン。

「極秘だったんですか」とあかり。「いつぞやすっごいあっさり教えてくれたような……」

「当たり前だろう。君は僕のパートナーだ」

「パートナー」あかりは顔を逸らした。「まあ、そういうことなら、いいです」

「僕に彼らの役割が全面委任されてるのは、現住知的生命体による自治が滞りなく行われているという建前だけじゃない。傷ついた六号監視官にはできないからだ。そして彼が殺害されるようなことがあれば、全宇宙の反・汎銀河調停機構派の星系が勢いづき、銀河四方に最悪の混乱がもたらされる」

「〈闢光〉の修復を急がせましょう」言うが早いがクロックマンは姿を消した。

 すると、それを待ちわびていたように、ポーラが布団を跳ね除けて立ち上がった。

 だが、まだ足元が覚束ない。

「邪魔者がいなくなったから、言わせてもらう」青い顔面が新九郎に肉薄した。「貴様は敵を間違えた」

「あのままでは市街に大規模な被害が出た。僕の使命はこの星の平和を守ることだ」

「だが〈殲光〉と満足に戦えなければ、もっと大きな被害が出る。全宇宙規模のな。貴様も理解している通りだ」

「可能性がある限り常に最善を尽くすのが僕らスターダスターの使命だ。ラプラス・セーフティが示唆する通りね」

「ただの理想主義と最善を尽くすことの区別がつかないことを、未熟というんだよ」

「随分とこの星の言葉が達者だな。叩き落される前にその舌先で敵を丸め込んでくれたまえよ」

「おふたりとも」たまらずといった様子であかりが割って入った。「おふたりが喧嘩している場合じゃないと思います」

「君は黙っていなさい」

「そうはいきません。パートナーですから」

「……一理はある、な」ポーラは寝台に腰を下ろす。「これだけは言わせてもらう。あの敵は、貴様には荷が勝つ」

「仮にもスターダスターだ。君の実力は認めよう。だがやってみなければ、わからん」

「なら訊くが……貴様は、同じ地球人と戦えるか?」

「これまでも戦ってきた」

「どうせ圧倒的に戦力の劣る違法超電装だろう。今度の相手は星鋳物だ」

「答えは変わらない」

 見下ろす新九郎。

 見上げるポーラ。

 両者の目線が真正面から衝突し、見えない火花が病室に散る。降り続く雨が窓を叩く音だけが残る。

 そのまま一分ほども睨み合った時だった。

「そういえば」とあかりが言った。「星鋳物って、ワープできないんですか?」

「クアンタ・クロークから僕が呼び出す時のことを言っているのか?」新九郎は応じつつ、ポーラから目線を外した。「あれは各地の天樹や光明星に存在する格納庫と、スターダスターの流星徽章とを繋ぐ固定式の量子回廊だ。僕が宇宙のどこにいても呼び出せるが、どこへでも送り込めるわけじゃ……」そこまで言って、新九郎は目を見開いた。「おい、北極男」

「俺のことか?」

「〈殲光〉にはどの程度損傷を与えた?」

「多少は。だが戦闘には全く支障ない。あれには高度な自己修復機能が……」そこまで応じて、ポーラもまた、新九郎の意を悟ったようだった。「まずいな」

「ああ。早坂くん、君の言う通りだ」新九郎は眉間に親指を当てる。「星鋳物はオルゴン・アストラルの周期にかかわらずワープできる。先にスターダスターを送り込めばいいんだ」

「俺が〈斬光〉と通った星流の門が完全に閉じる前に、大気圏への再突入可能なひとり用のポッドの類を送り込みさえすれば」

「一〇日も要らない。〈殲光〉はいつこの帝都に現れてもおかしくないということだ」新九郎は帽子を被った。「〈殲光〉を奪取したのは地球人だと言ったな。顔は見たか。声は。名前は」

「顔は見ていない。だが姓名は名乗った。帝国宇宙軍所属の、法月八雲という男だ」

 新九郎の足元で、ブーツの靴音が鳴った。

 人並み外れた長身が揺らめき、そして大股で歩き出す。乱暴に押し開けられた扉が悲鳴を上げた。

「先生」病室を飛び出した新九郎に追い縋り、あかりが言った。「先生、どうしたんですか。法月八雲って……」

「僕の、親友だった男だ」新九郎は足を止めた。

「え?」

「いつか、帝国宇宙軍に入隊して、星外任務に就いた友人がいると言ったろう」

「……あ、事務所の写真の、あの人」

「それが法月八雲だ」

 〈殲光〉を奪取し、〈斬光〉を下し、そして今帝都に戦火をもたらそうとしている男は、かつての友。

 新九郎の手が拳を作り、廊下の壁を叩いた。

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