5.法月八雲
「また無理を言ってくれるな、伊瀬の」
「やれるのか、やれないのか。事は急を要します」
いつものように戯けて応じた財前剛太郎が、伊瀬新九郎の常にない雰囲気に笑みを消え入らせた。
「人探し。名前は法月八雲。二〇代中盤から後半の男で、法月新聞社の御曹司だが軍属。わかったよ。手配をかける。何か情報が入ったら知らせる。言っとくがお前さんが壊した市街の後処理で俺らはてんてこ舞いなんだぞ」
「彼を逃せばこの街が消える」
「お前さんがなんとかしてくれるんだろう。それに、話を聞く限りじゃそいつが潜入した証拠も今のところは掴めてないんだろうに」
「これはちんけなやくざや海千山千の宇宙人相手じゃないんですよ。わかっていていつも通りの大雑把をやってるなら、あんたは大馬鹿野郎だ」
「新九郎」財前は太い眉を寄せる。「お前、大丈夫か」
「流星徽章に誓って」
「ならいいが」財前は新九郎の肩を叩いた。「あんま気負うんじゃねえよ。お前さんの悪い癖だ」
余計なお世話です、と応じた新九郎は大股で歩き出す。小走りになりながら追い縋るあかり。
病院を出れば既に陽は沈み、陰気な雨が降り続いていた。
「もう遅いから、君は帰りなさい」
「先生は?」
「心当たりをひと通り当たってみる」
「こんな時間から? 雨ですよ? 傘持ってないじゃないですか」
いいから、とだけ言って、円車の扉を閉める。
遠ざかる後尾灯を見送り、新九郎は帽子を被り直した。
まずは千束吉原〈紅山楼〉。営業はしていたが、客足は疎らだった。
「とにかく、あたしはその法月八雲って男を探せばよろしいんですね」応対に出たおんな主・紅緒は言った。「それと、〈斬光〉と一緒に飛び出してきた落下物についてですが、気になる話があります。昨日の夜、
「警察は?」
「星鋳物関連被害の処理で手一杯で、まだ把握してないみたいですねえ」
「妙なもの、とは?」
「あたしも含め、ここら一帯を仕切ってるのは神林組、レッドスターとは一触即発の敵対関係です。おかげで写真の一枚もまだ。ですがレッドスターの側に死者が出たのは確かです。情報が流れてこないのもそのせいですね。得体の知れないやつに手勢がタマを取られたことを、隠してるんですよ」
「場所は」
「大久保のあたりです。……行かれるんですかい?」
「ああ」
「車を出します」
「まだ電車も動いてる。自分で行くさ。あなたの手勢が足を踏み入れては、後に禍根を残しかねないでしょう」
だが駅までは、と言う紅緒に負け、雨に濡れずに山手線に飛び乗る。混雑する車内の八割が地球人。二割は異星人。だが帝都八百八町と呼ばれる東京の東側を抜けると、少なくとも見た目の上では、全員が地球人になる。当然ながら、
大久保も戦前は文士の邸宅や庶民の平屋が並ぶ住宅街だったが、彗星爆弾の空襲で焼けてからは街の姿が変わった。帝都八百八町と呼ばれる天樹の庇護のもとで復興が進んだ地域とは異なり、街が再建される過程では、非合法な異星人組織の金と技術が流入した。そして不可思議な建材によるどうやって建っているのかわからない住宅が林立し、滅茶苦茶な区割りが行政や官憲の目を阻み、売春や違法薬物、武器取引の場となった。住民のほとんどは偽装皮膜を被った異星人だが、もはや警察は踏み込めない。街の秩序を作っているのはレッドスター・ファミリーだ。街の中に突然出現する猫の額ほどの空き地の数々は、そのほとんどが彼らがよく使う浮遊円盤型の小型宇宙機の発着場なのだ。
小雨降る中、新九郎はそんな街の路地をゆく。
不条理絵画のような建物の中から無数の目線を感じる。余所者で、人間。胸に流星徽章。何者であるかは説明するまでもなくこの街の支配者たちに伝わっている。
「僕が合図をしたらすぐに出てくれ」と新九郎は言った。
「心得た」流星徽章の中から器用に鼻先だけ出した〈黒星号〉が応じた。「あの時計には黙っていてくれよ。私が自分の意志で
「わかっているよ」新九郎は足を止める。
トラロープの張られた建築現場。鳥居のような印の下に『立入禁止』と書かれている。螺旋に曲がった鉄骨のようなものが無惨に折れ、割れた硝子のようなものが微かに虹色に明滅する。雨をすり抜けるように焦げ臭さが漂う。紅緒に教えられた、昨夜〈斬光〉に紛れて何かが落着したという現場だ。
土地は五〇坪ほど。その中心に、幌を掛けられた何かがある。
新九郎はロープを跨ぎ、足を踏み入れる。ぬかるみにブーツの爪先が沈んだ。
その何かに近づき、杭を抜いて幌を払おうとした時だった。
「そこで何してんだ、兄ちゃん」と男の声が聞こえた。
振り返れば、ナイフや金属パイプを手にした大柄な男たち。だが雨のせいで、偽装皮膜に雑光が走っている。ひとりとして、地球人ではなかった。
「僕が何者かは知っているな」
「何してんだって訊いてんだよ! 耳ついてんのか?」
「僕の耳なら頭の両横だ。どこについてるか知らないが、君らよりよく聞こえている」
すると、柄物のシャツや半裸のような男たちの中から、柄物のスーツ姿と革手袋の男が進み出た。子分のような男が、横から傘を差し出している。「特定侵略行為等監視取締官、伊瀬新九郎、だな」
「いかにも」
「困るんですよねえ。あんたみたいなお方が、こんな汚いところにいらしていただいちゃあ」
「茶の一杯も出してくれるのか?」
「駅までお送りしましょう。ここは物騒ですから」
「それには及ばない。少し気になることがあってね」
「それならお手を煩わせるまでもありません。この街のことなら私どもにお任せ下さい」
「君らは警察の、組対の連中に随分信用されているんだったね」
「ええ。お世話になっております」
「しかし僕は、何事も自分の目で確かめる主義でね」新九郎は周囲に目を巡らせる。
夥しい弾痕。その多くは金属を深く刳り、溶解させている。光線銃によるものだ。それも、市中に出回るものではない、軍用の、連射が利く高出力のもの。そして弾痕の場所は、広場の中心から外へ向かっている。
中心にいた何者かが、軍用光線銃で、彼を包囲した集団を掃射したのだ。
新九郎は幌を払った。
「……やはりか」
中にあったのは、流線型の再突入用ポッド。白色の素材が無数の焦げ跡に彩られている。撃たれたものは少数だ。大半は、大気圏への再突入時の、断熱圧縮された空気によるもの。耐熱パネルが疲れ果てたように落ち、跳ねた泥が新九郎の袴を汚した。
雨は上がりつつあった。
「ここで何があった?」
「あんたは知らんでもいいことです」顔面に雑光が走る。偽装は顔だけのようだった。よく見れば、手には指が七本ある。
「僕は君らには用はない。この中にいた男を探している」
「こっちは用ができちまったんですよねえ」スーツの男は左手首を三度回した。「やれ」
一斉に得物を手に襲いかかる男たち――新九郎は流星徽章を指先で叩く。
先頭の男の手首に、黒い風が食らいついた。
刃物が落ちる。鈍器が転がる。〈黒星号〉が吠える。粗悪品の偽装皮膜の下から緑色の血が滴る。
「手痛い反撃だろう」手を翳して雨脚を確かめてから、新九郎は煙草を取り出す。
すると、「てめえ!」とひと声叫んだスーツの男の右腕が割れる。服も手袋も切り裂いて、中からせり出す錆びた銀色の銃身。おそらく元々左腕しかない種族なのだ。子分たちが左右に散らばる。
左手で支えた右腕の銃を、新九郎に向けるスーツの男。にやりと笑う。その直後。
スーツ姿がくの字になって吹き飛んだ。新九郎の耳には先程から、いやにうるさい排気音が聞こえていた。
スーツの男を轢き飛ばした米国風単車に跨った橙色の短髪の女が、着物風のスカートの裾をからげて太ももに隠した巨大な銃を抜いた。
「いよお、伊瀬の。手こずってるじゃねえか」
二ッ森焔――男たちの足元へ向けて警告射撃を一発。砲弾が落ちたような火柱が上がった。
新九郎は煙草に火を点ける。「やっぱり、僕の方が耳がいい」
「なんの話だよ」
「こっちの話さ」
倒れた親分を抱えて、子分たちは蜘蛛の子を散らすように暗闇の中へと姿を消す。新九郎も合図して〈黒星号〉を戻した。
「紅緒姐さんに、あんたがここだって聞いてな」焔は銃を収め、単車を降りる。散らばる血痕を見て、続けて言った。「余計なお世話だったみたいで、何よりだぜ」
「いや、助かったよ」煙を吐く新九郎。「……というか君ら、紅緒さんからも仕事を請けているのか」
「たまにな。天樹の仕事と生活保障じゃ不自由が多くてさ。小遣い稼ぎだよ」
「つまり、遊ぶ金欲しさか」
「そうとも言う。あーくそ、可愛い愛車に要らん傷が。割に合わねえ」
「僕の護衛を?」
「ああ。偉い剣幕で俺らのところに電話してきてよ。あんた相当あの女王さまに愛されてんな。それともうひとつ。伝言だ」
「伝言?」
「シルビヰのマスターから。あんたを訪ねてきた野郎がいる。軍服だったそうだ」
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