15.こんな夢を見た

「死者の霊魂?」

「の、ようなものだと、僕は考えます」と新九郎は言った。

 天樹東京、その中央。

 発光する赤い球体の内部に取り込まれた新九郎は、〈奇跡の一族〉の六号監視官と向き合っていた。

「ゼベンンは利用された……いや、うっかり取り込まれてしまって、手段にされただけです。本質的には、今回の事態は、人類の生者と亡者の争いです。これが人類の内乱にあたるのか、それとも現在の人類に対する特定侵略行為とみなされるのか、僕には判断がつかない。僕は、捉えようによっては、星鋳物を人類同士の争いに用いてしまいました」

「地球人類は、我々〈奇跡の一族〉が認知しない、未知の次元に生息する悪性知的生命体による侵略行為を受け、伊瀬新九郎はこれに対抗するため星鋳物第七号〈闢光〉を用い、これを撃退した」

「……よろしいのですか?」

「君が珍しく我々に正直だからだ。我々は正直さに対し、誠実さで応える。評議会へは私が取りなそう」

「さすが宇宙の学級委員だ。恩に着ます」

「ひとつ訊きたいのだが、いいかね」

「あなたの貴重な三分間を消費してまでのご質問なら、僕も誠実さで応えましょう」

「なら訊こう。君は今回の事態、最初から予測していたか?」

「まさか。さっぱりわからなかったのは本当です。ですが手を出しあぐねたために、罪のないゼベンン星人を殺してしまわずに済んだ。花のお江戸では、これを『終わりよければ全て良し』と言います」

「ゼベンンはどうしている?」

「死者の怨念との切り離しには成功しました。後は僕と、あのいけ好かない時計男とで処理します。幸い、帝都への実害は憲兵隊の権威を除けばほとんどない。犠牲になった蒸奇技師の家族への補償を厚くお願いします。僕への報酬を削っても構わない。流星徽章を返上せよと申されるなら、返上します」

「それには及ばない。彼らも君と同じく、光明星の名の下に、宇宙の平和のためにその生命を使うことを使命とした者たちだ。責任は私にある」

「ご厚意に感謝します。無益な争いを止めてくださったことにも、御礼申し上げる」

「特定侵略行為等監視取締官・伊瀬新九郎。君の一層の活躍に期待する」

 赤い光の壁が割れた。

 代わって現れた底の見えない薄暗い柱廊。傍らに空間を飛び越えて出現したクロックマンが、やや不満気に言った。

「言い訳は済んだかね?」

「人聞きが悪いな。報告だよ」

「では参りましょうか。この騒ぎの張本人を待たせている」

 よかろう、と応じ、新九郎はクロックマンの真正面に立つ。掛け声に合わせて跳ねれば、そこは〈純喫茶・熊猫〉の軒先だった。

 店内に入ると、鞘に納めた刀を杖のようにした二ッ森凍が「あら」と声を上げた。

「お早いお着きですわね、先生」

「監視官はああ見えて物分りがいいからね」新九郎は隣の時計を一瞥する。「彼と違って」

「あの御方は寛大なのです。あなたがその寛大さにつけ込まないよう監督するのが、私の役目ゆえ」

「飴と鞭というわけだね。……どうだ、早坂くん」

「思った通りでした」と早坂あかりは肩を落とした。

 店内に居並ぶのは、二ッ森姉妹に警視庁異星犯罪対策課の財前と門倉。カウンターの中で「もう慣れた」とばかりに淡々と珈琲を抽出する大熊武志と、その隣で「慣れてたまるか」とばかりに売上を数える大熊雪枝。壁際には気をつけの姿勢で控えている給仕服姿のルーラ壱式小電装がおり、彼の後頭部に信号線を繋いで携行操作盤へ何かのデータを吸い出している井端彩子の姿もある。配管から吹き出した活力生命体・フレイマーは何が楽しいのか延々と三三七拍子を刻んでおり、その横では小林剣一が炎相手に拳闘の真似事を繰り返していた。

 そして一同の中心に、展開したヘドロン飾りを掌に載せた早坂あかりと、紫色の雲がいた。

 雲の大きさはおおよそ五〇糎ほど。中心部には淡い光が灯り、その光は、あかりのヘドロン飾りの光に呼応して脈動していた。

「彼らは、人間と時間感覚が全然違うんです」とあかりが言った。「ゆっくりなんですよ。確か井ノ内さんが、ゆっくり文字が浮き出る不思議な紙を見たんですよね。あれが彼らゼベンン星人にとっての、普通の速度だったんです。入星管理局への申請がやけに早かったのもそのせいです。わたしが対話に失敗したのも、速度を読み違えたからです。彼は応えてくれていたんですよ」

「短気は損気ということかい?」

「そうやって要約してわかった気にならないでください」

「む……」

 二ッ森焔が声を上げて笑う。「こりゃ一本取られたな、伊瀬の」

「そもそも蒸奇獣とはゼベンン星人がこのガス様の生態で普通の物質生命と関係するために発達させた技術が元になっています。井ノ内さんへの手紙が消えたのもそのせい、というか、そういうものなんですね。倒された蒸奇獣が霧になるのと同じで……」

「そういう生態ならば、彼らの超電装は蒸奇獣と似た性質を持ち、封瓶にも収まる」腕組みになる新九郎。「なるほど、筋は通っているな」

「一生の不覚です」とあかり。「時間が流れる感覚からまるで違うなんて、初めてです。教本にも載ってませんでしたよ」

「意識とは時の流れを漂うものだ」時計頭が口を挟んだ。「漂い方が違えば、言葉も届かない。だから言ったろう。時行の感覚は、人間には中々理解しづらいものなのだ」

「いい経験をしました」

「それはいいけど、肝心なのは目的だぜ、お嬢ちゃん」財前は狸腹を撫でつつ言った。「こいつは何のために帝都にやってきた。それ次第じゃ、俺らも黙っちゃいらんねえ。なあ駿ちゃん」

「門倉です」狐が目を三角にする。「いつまでもあの紫色の雲が漂うのは御免被る。ここ数日の交通事故件数は通常の四倍だ。交通課の苦情を聞くのはもう沢山だ」

「なんだあ駿ちゃん、お前交通課の婦警といい雰囲気だったって噂だぜ」

「それは関係ないでしょう」

「目的はまあ、入星管理局への提出書類に書いてあった通りみたいですよ」あかりが雲を見ると、雲は微かにその形を変える。どうやら同意しているようだった。あかりが雲に話しかけている言葉は一切聞こえないが、対話が成り立っていた。「観光です」

「んなアホな」とちゃっかり聞き耳は立てていたらしい大熊武志が声を上げ、「あんたは黙ってるんだよ」と隣の雪枝に窘められる。

「観光って……俄には信じ難えけど」乾いた笑みの焔。

「あかりちゃんがそう言うなら、まあ……」首を傾げている凍。

「わかった。一〇〇歩譲って、信じる。信じるとしてだ」配管から吹き出す炎との戦いが膠着状態に陥ったらしい小林が、全身に不満を滲ませて言った。「違法な蒸奇封瓶を入手した件はどうすんだよ。俺らひでえ目に遭ったんだぞ」

「それはこちらの   さんも平謝りしてるよ。知らなかったんだって」

 あかりの言葉の奇妙な途切れの間に、どうやらゼベンン星人の名前が収まるようだった。

「平らどころか立体じゃねえか」

「ちょっと黙ってて」

 悄気げる小林に息を合わせるように、フレイマーの威勢も萎む。「外野は外野同士、鍛錬に勤しみましょう。所詮我々はどんな事件でも脇役……」

「お前は出不精だからだろーが!」

「珈琲を温めること、それがわたくしの幸せ。なんでもない一日が人生最良の日……」

「一緒にするんじゃねー!」

 そう叫んだ小林だが、今朝目が覚めたらずっと悩まされていた肩凝りが嘘のように治ったのだという。まだ一〇代でも、鋼の腕をぶら下げていてはやはり肩が凝るらしい。怪獣の鋳型にされたことの、予期せぬ副作用だった。

 新九郎は嘆息しつつ煙草に火を点けた。「観光で来て、現地での足を自分の星や他の星と同じように手配しようとした、というわけか。地球では歴史上の経緯から蒸奇封瓶の所持が違法とも知らず」

「そうです」

「つまり、無知のために違法な品をヤミ業者から法外な価格で入手してしまう観光客」

「聞いたような話だな」と財前。

「一応上に話は通すが」とクロックマン。心なしか短針も長針も動きが渋かった。「注意程度で、星外退去にはなるまいな……」

 門倉が眉間の皺を更に深くする。「なら当分紫の雲が浮かび続けるのか」

「いえ、それは大丈夫です。……お願いします」

 あかりが不定形の雲にヘドロン飾りを寄せる。

 すると、紫色だった雲、ゼベンン星人の体色が、見る間に薄い灰色へと変わった。

 帝都東京に四六時中漂う雲と同じ色だった。

「最初からそうしてくれよ……」財前が頭を抱える。

「お忍び観光で地球の生の景色を眺めるつもりだったんですよ、彼は。ちょっとした視覚の読み間違いがあっただけで……」

「宇宙人と話してるみたいだぜ」と焔。

「どう見ても宇宙人ですわ」と凍。

「それで」新九郎は煙草を吹かす。煙の色は、目の前に漂う小さな雲と同じ色だった。「彼はいつまで地球に滞在するつもりなんだ」

「そんなに長くはいないみたいですよ」あかりは至って軽く言った。「母星では、地球で言うお金持ちの実業家みたいで、結構ご多忙のようです」

「僕らの時間では?」

「ちょっと待ってください。ええと……」指折り数えるあかり。

 だが途中で諦め、カウンターの方に算盤を借りに行き、戻ってきて机に向かい、滑らかに弾き始める。

 桁がどんどん大きくなる。小気味いい音が店内に響き、一同の目線があかりに集中する。

 そしてあかりの手が止まった。「ははは」と笑い、顔を上げ、一同を見回し、言った。

「一年ですね」


 事の顛末を聞いた紅緒の哄笑が、夕暮れの〈紅山楼〉の奥座敷に響き渡った。

「じゃあ結局、先生もあたしらも、ものを知らないお金持ちの珍道中に振り回されただけってわけですかい。夢幻怪獣インクラーが聞いて呆れる」

「大山鳴動して鼠一匹とはこのことです」

「何事もないなら、それが一番ですよ」紅緒は煙管の煙を美味そうに吐いた。「この平穏無事な日々を、夢にしちゃあいけない。それがあんたの仕事でしょう、先生?」

「案外、夢なのかもしれませんよ」

「どういうこっです」

 新九郎はこの部屋に入って五本目になる煙草を押し消した。「雲の形をした生命を見て、思ったのですよ。人の精神活動は、その尽くがおつむの中の電気信号なのだそうです。そしてこの帝都東京には、始終蒸奇の薄雲が漂っている。するとね、あの雲の中にも電気信号があって、人と同じように何かを考えているのかもしれない。早坂くんがね、この街は、意識の背景輻射が濃いと言っていたんです。つまり今の我々の、この平穏無事な日々は、あの雲が見ている夢に過ぎないのかもしれない」

「なァにを寝惚けたことを仰ってるんですか」

「もしかしたら、と考えるのですよ。空飛ぶ戦艦などないのかもしれない。米国は原子爆弾を落としたのかもしれない。天樹など降りてこなかったのかもしれない。奇跡の一族などいやしないのかもしれない。超電装などありはしないのかもしれない」

「よしんばそうだとして、あんたは戦うことをやめますか?」

「まさか」

「なら、夢の中を泳いでりゃいいんですよ」言い、紅緒は文机を離れ、胡坐する新九郎へと、今時珍しい総絹の着物を衣擦らせて膝行ってくる。膝と膝が触れた。「それとも、夢見心地にさせてあげましょうか」

 肩を押されて仰向けに倒れる新九郎と、その上に跨る紅緒。地味な紅が引かれた唇を、真っ赤な舌が左から右へと這った。

「あなたには敵わないな」

「早く降参しちまいなさいな」

「僕の負けです」

 手を持ち上げる新九郎。

 すると、廊下の方から慌ただしい物音と騒ぎ声が聞こえた。

 板張りの廊下を駆ける足音。ややあって、微かに開いていた襖の隙間から、小さな乱入者が顔を出した。

 黒猫だった。

 うにゃあ、と鳴いて、今まさに絡み合わんとしている新九郎と紅緒の横まで鈴を鳴らしてやってきて、呑気に毛繕いを始める。

 やや遅れて、「女将、失礼します」と一声。襖が開かれた。

 現れたのは、赤い縮緬の着物に、手首から鈴を下げた、禿の紗知だった。

 組み敷かれた新九郎と紗知の目がまともに合った。

「し……失礼しました」

「構わんよ。おいでなさいな」と紅緒が言った。

 新九郎が身を起こし、降りた紅緒も裾を整え、黒猫を抱き上げる。

 主に命じられては引っ込むわけにもいかないのだろう、紗知がおずおずと敷居を跨いで部屋に入る。

「どうしたんだい?」と素知らぬ風の紅緒。

「その猫さんです。どこかから迷い込んでしまって……」

「そうかいそうかい。しかし……」猫の喉を撫でつつ、紅緒の視線が室内をぐるりと一周する。「うちに置いてやるわけにはいかないねえ」

 それもそのはず。部屋には一面の金魚鉢。赤黒金、色も形も様々な金魚たちが、夢の中を泳いでいる。

 新九郎は、その迷い猫を具に検分する。

 見覚えがあった。

「よろしければ、うちの事務所で預かりますよ」と新九郎は言った。

「あれまあ。あんたはガキの頃から犬っころ派でしょうに」

「助手が喜びます。それに……」

「それに?」と紅緒。

 小首を傾げる紗知。

 さて、この猫は一体何者なのか。

 谷中。丸の内。紫の毒雲の出現地帯に次々と現れ、そしてどうしてか、ウラメヤ横丁の逆さ鳥居を訪れた新九郎を待ち受けていた。今回の一件は、まるでこの一匹の黒猫に導かれているようだった。

 雲に取り憑いていたものの正体は、かつてこの街を襲った炎に焼かれた人々の怨念だった。

 ならば。

 人には多面性がある。怨念を抱いた人々の中にも、きっと未来に託した一縷の希望のようなものがあった。かつての戦火を忘れて平穏無事な生活を送る人々を、憎むばかりではなく、ただ見守り、祝福したいと思う心も、きっとどこかにはあったに違いない。

 畏れが内包する陰陽の、陽。

 あるいは、この街が誰かの夢ならば。

「詮無いことだね」新九郎はその猫に向け、掌を上に向けて差し出した。「ほれ、お手」

 すると猫は剣呑な鳴き声を上げ、爪を立てた前脚で新九郎の手を払った。

「……嫌われてますねえ」

「こいつめ……」

 大山鳴動して猫一匹。

 あるいは、幽霊の、正体見たり、猫一匹。

 しかし猫という生き物とはとことん相性が悪い、犬派の新九郎であった。



 同じ頃、鬼灯探偵事務所にほど近い、路面電車が通る交差点の角。

 ツイードの紳士や乳飲み子を背負った母親が行き交う街角の、幽霊でも出てきそうな狭く薄暗い煙草屋。吹けば飛びそうな看板に、読み取るのもやっとの文字で『べにばな煙草店』と書かれている。その通りに面したカウンターから、道化師のような厚化粧の女が顔を覗かせれば、母親が顔を引きつらせて足早に立ち去っていく。

 花街の先の女王。紅緒の母である女は、名を紅花べにばなといった。無論、遊女だった時から使っている、通り名である。彼女の本名を口にして、次の朝日を拝める者は、帝都広しといえどもふたりしかいない。娘の紅緒と、その昔馴染である私立探偵・伊瀬新九郎である。

 その軒先に、尚一層暗い影が落ちた。

 大男である。

 無造作に結んだ縮れた白髪。ぼろぼろの司祭服カソックの前を開け、鼻緒が汗染みに汚れた雪駄の足音を鳴らす。年の頃は還暦の少し下くらい。三日は剃っていない無精髭。乾いた唇が湿気た煙草を咥えている。身動ぎすれば、首から下げた青いロザリオが揺れる。骨張った左手の中指に、錆びた十字架のついた指輪。そして継ぎ接ぎだらけの風呂敷包みと一緒に、十字に組んだ大小の刀を背負っていた。

 肩で風を切っていた通りすがりのやくざ者が、彼の姿を認めるや否や通りを渡って反対へと逃れていく。

 煙草を吐き捨て、鼻歌にしては大きな濁声で、しかし人に聴かせるには小声で、男が歌う。


〽天の后天の門

 海の星と輝きます

 アヴェ アヴェ アヴェマリア

 アヴェ アヴェ アヴェマリア


 百合の花と気高くも

 咲き出でにし聖きマリア

 アヴェ アヴェ アヴェマリア

 アヴェ アヴェ アヴェマリア


 行く手示す暁の星

 導きませ御母――


「やかましいよ」と厚化粧の女が遮って言った。「何しに来やがった、幻之丞」

「やあ、紅花姐さん。俺の聖母。達者でやってたかい?」

「一二年もどこほっつき歩いてやがった。今更ひょっこり現れたって、あんたを許すと思ったのかい」

「覚えててくれたんだね。さては俺が恋しかったか?」

「地獄に堕ちな」

「残念。俺が行くのは天国だ。日頃の行いが善い上に、主は全ての罪を許し給う」

「何しに来た」

「派手にやってると風の噂に聞いたのさ。俺が帽子をくれてやった坊主がよ」

 大男は煙草に火を点ける。伊瀬新九郎と同じ舶来の銘柄だった。

 その怪人の名は、葉隠はがくれ幻之丞げんのじょう

 かつて蒸奇探偵と呼ばれ、伊瀬新九郎が今も師と仰ぐ男であった。


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