13.第五夜・機械猿獣メカウォック

 女性と寝所を共にするのは、〈紅山楼〉を勘定に入れなければ、妻が死んで以来初めてだった。

 伊瀬新九郎は柄にもなく緊張していた。時計の秒針が時を刻む音がやけに大きく聴こえ、なかなか寝つけなかった。妻が死んで以来に、かつて夫婦で使っていた寝台に身を横たえたせいかもしれない。ひとりで使うには広すぎたのだ。

 それでも、不平だらけだった小さな特級異星言語翻訳師が寝息を立て始めると、徐々に意識が睡魔に白旗を挙げ始めた。

 そして次に気づいた時には、〈闢光〉の操縦席だった。

 新九郎がいつもの書生装束であるように、あかりも女学校の制服姿だった。

「へえ。こういうふうになってるんですねえ」と傍らのあかりが言った。

「……本当に出た」

「出たってなんですか、出たって」あかりは口を尖らせる。「助手の席はないんですか?」

「確かあったはずだ。ええと……」新九郎は腕を包むような操縦装置から一旦腕を抜き、レバーを手探りして引いた。

 すると、新九郎の背後から小型の座席と固定帯が現れる。

 いそいそと座るあかりを横目に、新九郎は画面越しの周囲を確認する。昨夜と同じく、無惨にも一面の瓦礫となった丸の内。だが東京駅より西は無傷だ。〈闢光〉が姉妹怪獣の絨毯爆撃を受けた地点は地盤が融解し、爆心地を中心としたすり鉢状に地形が変わっている。

 連戦でDORをすっかり使い果たされた空に雲はなく、柔らかな月光が差している。建物が消えて見晴らしがよくなったために、見えないはずの天樹がよく見える。

「気乗りはしないが、奥の手を使うしかなさそうだ」

「気乗りって、こんな晴れてるのに」とあかりが言った。「綺麗ですね」

 帝都東京に晴天なし。星空や青空が顔を見せるのは、雲を払う天地開闢の光が差した時だけだ。だが、ここ最近で新九郎と〈闢光〉が蒸奇殺刀を高出力で発動したのは、犯罪王子アントワーヌを相手にした時だけ。当時は夜景を楽しむ余裕などなかった。ましてあかりは、東京にやってきたまさにその日だったのだ。

 だが、そんな景色に、一点の染みが落ちていた。

「ずっとそこにいたのか」と新九郎は呟く。

 紫の雲である。

 夜空の黒に溶け込むように、緩慢に渦を巻き、丸の内上空を漂っている。

「行けるか、早坂くん」

「はい、先生」胸元から首飾りを取り出すあかり。彼女の掌の上で、正十二面体が内側から幾重にも展開する。「目的。侵略企図の有無。彼に共感させた何者かの特定」

「尋問は任せた」新九郎はペダルと操縦桿を操作する。「僕はの相手をする」

 〈闢光〉が一八〇度転回。正面にその邪魔者の姿を捉えた。

 黒い毛並みに機械の外装。蒸奇獣を機械で武装したような怪物が、両手で自分の胸を太鼓のように叩きながら吠えた。

 目も片方がカメラ化されており、本来なら筋肉が存在する部分が機械に置き換えられている。何より目を引いたのは、丸ごと機械化された右腕と左脚だった。

 宇宙超鋼の鎧を着たゴリラ。

 体躯に不釣り合いに太い両腕を地面に着き、前傾姿勢になった姿は、鉄狒々ともお猿の大将とも渾名される、憲兵隊の四八式〈兼密〉そのものだ。

 新九郎の眼鏡の上に、またも名前が表示された。その名も、機械猿獣メカウォック。

「小林くんか。気の毒に」

「実際猿みたいなやつじゃないですか」

「確かに」

 するとメカウォックが怒りに燃えるように両の拳を打ち鳴らし、二本の足と二本の腕で大地を蹴った。

 かつて建物だった瓦礫が飛び跳ね、そして続いてメカウォック自身が巨体に見合わぬ跳躍。超電装の背丈を優に上回る高さで両手の拳を組み、自然落下しながら〈闢光〉へ迫った。

 咄嗟の後退。代わりに拳を受けた地面から既にひび割れていた舗装が砕けて舞い上がる。

「こちらはいい。君は雲の尋問に集中しろ」

「やってます」とあかり。

 そして彼女の口から、まるで二〇人の人間が一斉に叫んだような重なり合った声が轟く。新九郎には、言葉にすら聞こえない音の羅列。そして音が、ラジオのチューニングを合わせるように目まぐるしく変わる。

 一方で機械で固められた肩から突進してくるメカウォック。新九郎は光波防壁の出力を上げるが、恐るべき鉄狒々は速度を緩めることすらない。光が描いた幾何学文様が一瞬で崩壊。いとも容易く突破され、両腕を組んで受け身の構えを取った〈闢光〉と激突する。超次元の虹色から熱の橙色へと変化する火花が散り、廃墟の帝都を照らす花火となる。

 互いによろめく。だが体勢を整えるのはメカウォックの方が早い。

 二度目の激突。たまらずに〈闢光〉が数歩後退する。

「ひとりじゃない。たくさんいる」とあかりが呟く。「個体の定義が曖昧? 違う。ゼベンンはあくまで一体。超電装を操れるのは、個体だから。電想機は個体からしか神経電位を抽出できない。ならこれは、別の誰か?」

 三度目の激突。ついに〈闢光〉の構えが解ける。両腕を振り上げるメカウォック。振り下ろされた棍棒のような拳を、両腕の篭手が受け止める。その剛力に〈闢光〉の両足が地面にめり込み、全身の関節が悲鳴を上げる。

 馬鹿な、と新九郎が呟く。

 〈奇跡の一族〉の遺体を骨格とし、宇宙戦艦にも匹敵する超高出力のヴィルヘルム式オルゴン・スチーム・エンジンからもたらされる無限の動力を自在に行使し、製造どころか加工も困難な翠玉宇宙超鋼と最新鋭の蒸奇兵器で武装した星鋳物第七号〈闢光〉が、力負けしていた。

「一〇人、一〇〇人、違う、いどど多いっちゃ」あかりが先走る思考を御すように、日本語の言葉を発する。「己と他が曖昧な存在の思念波? 違う。これは、これは……本当にいる。いた。どこかから来たわけじゃない。ずっとこの街にいた。数千の……人間?」

 グリムザンのような技巧でも、ボルカガンとブリゾードのような連携でも、まして帝都を狙う卑劣な悪党どものように星鋳物の弱点を突くわけでもない、単純かつ圧倒的な力。

 〈闢光〉が両脛当を展開させて、内部のオルゴン収束レンズからビームを放つ。メカウォックへ至近距離で直撃する。だが怯まない。それどころか、再び拳を振り上げて殴りかかってくる。二度、三度。その度に黒鋼の全身が激しく振動し、衝撃吸収機構の限界を越えて操縦席の新九郎とあかりを揺さぶる。

 新九郎は舌打ちする。

「ならこちらも、本気だ」

 さらに胸部の鎧が展開。二門を加えた蒸奇光線砲がビームレンズ保護の限界寸前の出力と射速で連射された。

 夜の闇を打ちのめすような翠白色の閃光。その全てを一発残らず浴びたメカウォックがたまらず後退する。

 だが致命傷には至らない。直撃しているが、毛並を少し焦がした程度だ。

 その理由――〈闢光〉の電子頭脳がその算力を余すところなく発揮して解析。未来予測に基づく回避可能な殺傷の防止装置ラプラス・セーフティを実現する蒸奇機関は、発動機であると同時に階差機関でもあるのだ。

 メカウォックの片目と置き換えられた機械の義眼。これはただのカメラではなく、〈闢光〉に搭載された知性体センサに似た機構で、敵意の発露を検知している。そして検知と同時に攻撃の落着点を予測し、実際に攻撃が到来するよりも早く、ピンポイントでペンローズ・バリアを展開しているのだ。

 ならば攻略方法はひとつ。

 敵の予測を上回ればよい。

「いいことを教えてやる」新九郎は深呼吸する。「こいつの刀は僕のための後付だ。本来の仕様は……」

 〈闢光〉が両足を肩幅に広げ、両手の拳を合わせれば、展開済みの四基に加えて両肩、両前腕のビームレンズが露出。額のひとつを加えて九の砲門が、それぞれの照準を合わせた。

 新九郎がトリガースイッチを押し込んだ。

「……砲撃戦だ」

 僅かな時差をつけて、九つの砲門が一斉に光を放った。

 ある一発は直撃の軌跡。だがある一発は明らかに逸れる。だがその逸れた一発の射線に別の一発が割り込み、空中で衝突して軌道を変える。

 結果、四方八方からビームがメカウォックに殺到する。

 計算力の戦いだ。

 先読みしてペンローズ・バリアを張るメカウォックと、先読みを困難にするほど複雑な射撃を分間一〇〇発ほども連射する〈闢光〉。新九郎は狙わない。狙うのは階差機関であり、翠玉宇宙超鋼と〈奇跡の一族〉の遺体の中でマイクロ・ブラックホールの配列として刻まれるオルゴンのパンチカードだ。

 蒸奇の光に焼かれたメカウォックが牙を剥く。威嚇ではなく、苦悶の叫び。そして〈闢光〉の額の光球から精密に放たれたビームが、メカウォックの機械の義眼に直撃した。

 あかりがうわ言のように言った。「敵意。悪意。無念。苦悶。怒り。悲しみ。真っ黒。お母さん、お父さん、どこにいるの。痛い。熱い。寒い。何、これ。先生。先生!」

「早坂くん? 大丈夫か。無理はするな。手がかりでも掴めればいい」

「空から炎が降る。取り返しのつかない滅びがやってくる。いつかもう一度立ち上がるという希望さえも燃やし尽くすような炎。叫んでいる。叫んでいます」あかりは新九郎の肩を掴んだ。「一〇万の死者が叫んでいます。私達を忘れるなと」

 額に汗を浮かべ、蒼白な顔で目を見開いたままのあかり。

 新九郎は「なるほど」と言った。

 〈闢光〉が、全身から翠白色の煙を上げるメカウォックに向き直り、両腕を腰溜めに構えた。

 その手を前に突き出し交差。指先まで伸ばした両手をゆっくりと左右に広げれば、そこにあった目に見えない膜が開かれるように、虹色の光が集う。

 そして、直径四〇米ほどの巨大なレンズのようなものが〈闢光〉の前に形作られた。

「十分だ。こいつを片付けて帰るぞ」

 あかりの手の上で、首飾りが元の正一二面体に戻る。「わかったんですか、今の。ごめんなさい。わたし、全然……」

「君はわからなくていい」

「……先生?」

 新九郎はそれには応じずに、上空に漂い続ける雲を一瞥した。

 〈闢光〉の操縦席がにわかに変形する。新九郎の両腕を覆っていた装置が崩れ、代わりに床下から拳銃を模したような握り手と照準器が現れる。

 月がいつの間にかその姿を隠し、東の空に闇払いの暁光が滲む。一番暗い夜明け前は、既に過ぎ去っていた。黒鋼の全身から翠光が立ち上り、全身のビームレンズから光の筋が巨大な光のレンズへと注ぎ込まれる。

 新九郎の手が握り手を掴んだ。

 メカウォックが街を震わせる咆哮を上げて突進。新九郎の眼鏡に照準固定と砲門の臨界を告げる銀河標準語A種が流れた。

「ようやくわかった。お前は、この街が忘れるべきものだ」

 本来砲撃戦仕様として建造された星鋳物第七号〈闢光〉の、本来の必殺兵器。もうひとつの蒸奇殺法。その名も――。

蒸奇殺砲クラウドバスター!」

 かつてこの星に蒸奇機関をもたらした不遇の天才、ヴィルヘルム・ライヒ。彼がその壮年、未だ明らかではなかった宇宙の脅威に立ち向かうために作り上げたオルゴン放射器の名を受け継ぐ〈闢光〉最大の火砲が、宵闇を焦がさんばかりの光を放った。


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