13.もうひとりの女

 雲霞のごとく迫るルーラ壱式の軍団。その先頭を走る一体は、あろうことか自分の首を小脇に抱えていた。

「おかしいな。首を落とせば倒せるはずなのだが……」

「あれ、ゾンビじゃないですからあ!」

「そうか。言われてみれば確かに」新九郎は目線を進行方向へ戻した。「そもそも走らないな、ああいうのは」

「最近のは走るそうですよ」

「君、詳しいね」

「実は姉が、そういうの結構好きで……」

 息を切らして走りながら交わすべき会話ではなかった。

 建物を出れば逃げ惑う工員たち。押し寄せるルーラ壱式の集団が壁を崩し、扉を破り、シャッターを突き抜けながら躍り出る。

「先生、あれ呼んで! 〈闢光〉!」

「駄目だ、人を巻き込みすぎる」

 そんな、と応じかけたときだった。

 轟く単車の排気音。この音が聞こえたということは。

 新九郎が足を止め、大きく深呼吸した。

「やあ、助かった」

 正門から轟音――門扉を突き破りながら敷地内に輸送車が突入。運転席にはやはり、ルーラ壱式。だがその背後から、炎の渦と氷の弾丸が追いすがる。

 炎の装飾が施された米国式の単車に跨る二ツ森焔が、右手の銃で輸送車のタイヤを撃つ。

 今にも壊れそうな――事実、屋根が斬られて大きく曲がったてんとう虫のような独逸車の前方硝子を突き破った刀から氷の粒が迸り、輸送車の側面を蜂の巣にする。運転席に座る銀髪の女は二ツ森凍。

 そして空中から飛来した右腕と左脚に軍用筋電甲を装着した少年が、地面に砲弾のような痕を刻みながらあかりと新九郎の目の前に着地した。

「遅いよ小林くん」とあかり。

「うるせえ、こっちも立て込んでたんだよ」

 額の汗を見るに、その言葉に嘘はないようだった。上着はなく、右腕は袖が焦げ、左脚はズボンの布地が半ば崩れていた。髪のとげとげも幾分丸くなっている。

 自走不能に陥った輸送車が止まり、工場から出現したルーラ壱式の軍団も一斉に動きを止めた。

 二ッ森姉妹がそれぞれの愛車を降りる。

 敷地の外へと逃げ出す工員。だが稲葉だけは、新九郎の傍らへと近づいてくる。

 つい先程までの上へ下への大騒ぎが嘘のように静まり返った工場。腹を揺らして走ってきた稲葉に、新九郎が言った。

「あなたもお逃げください。こうなった以上は、僕の管轄です」

「社長とお嬢さんが戻りません」と肩で息をした稲葉は応じる。「私にはここを守る、義務があります」

 言っても無駄と悟ったらしく、応じる代わりに新九郎は小林に耳打ちする。「彼の護衛を頼む。この敵は、君には分が悪い」

「知ってるよ」と小林。「気ぃつけろ、探偵。何かおかしい」

「おかしい?」

「ああ。あのコンテナの中。女がふたりいる」

「ふたり?」新九郎の目線が半壊したコンテナに向いた。

 頼んだぜ、と言って稲葉を抱えて建物の屋上へ逃れる小林。

 代わって二ッ森姉妹が、新九郎とあかりの左右に立った。

「一方は井端彩子さんですわ」鞘に納めた刀を右手に持った凍。「もう一方は、存じ上げないお人です」

「なんの変哲もないおばさんだぜ」和柄のスカートに深く入った切れ込みから覗く脚のホルスターに銃を納めた焔。「早坂ちゃん、心当たりは?」

「すみません。わからないです」

「直接訊いてみよう」靴音高らかに新九郎は一歩踏み出し、声を張り上げた。「特定侵略行為等監視取締官、伊瀬新九郎だ。貴君らの行為は星団憲章第三条、発祥星系外における紛争行為の禁止に該当する可能性がある。また……」

「そいつはもう聞いたよ、探偵さん」コンテナから姿を現す男――井端鉄工所の主、井端仁だった。

「井端さん。ちょうどいい」新九郎は煙草を取り出す。「質問に答えてもらっていない。なぜあんたは、かの魔水銀どもに手を貸した?」

「答える義理はねえな」

 嘆息し、火を点ける。「なら質問を変える。懇意の情報屋からの又聞きで恐縮だが……あんたのお嬢さんは、妻の死後ずっと塞いでいて、事故で左手も失い、にもかかわらず、ある時人が変わったように仕事に熱中するあんたを、ひどく案じていたらしい。そのある時とは、ロバトリック星人に寄生された時なのではないか」更に歩み出て新九郎は続ける。「人が変わったあんたが作ったのが、そこに群れ成しているルーラ壱式小電装だ。なああんた、小電装にオルゴン伝送管を使うという発想の転換を、どうして思いついた? ロバトリック星人が、地球への潜入に利用していたオルゴン伝送管を、あんたはなぜ小電装に組み込んだ?」

「囁くんだよ、こいつが」左手を見せる仁。

「インスピレーション」と新九郎は言った。「凍。あいつの手首を斬り落とせ」

「怒られませんの?」

「僕が許す」

「では遠慮なく」凍の右手が刀の鯉口を切った。

 放たれた矢のような一瞬の接近。羽織と銀髪が風を受け、仁の懐に飛び込んでの抜き打ちの一閃――その直前。

 輸送車の運転席の扉が内側から吹き飛んで凍を襲った。

 咄嗟に扉を両断する凍。その陰から姿を現す運転手役だったルーラ壱式は、耳のあたりにバツ印が刻まれている。既に全身に氷の弾痕を受けながらも、その動きは凍の不意を突けるほど素早くそして、力強い。小林が〈聞かざる〉と名づけた個体だった。

 金属材を振り回し凍と斬り結ぶ〈聞かざる〉。

「面と向かってじゃ寄生を阻むので精一杯か」援護しようと銃に手を伸ばす焔だが、控えていたルーラ壱式の軍団がにじり寄る。焔の舌打ち。「さすがに数が多いぜ。喋ってねえでなんとかしろ、伊瀬の旦那」

「先生、インスピレーションって……」

「妻を失い、腕を失った職人にロバトリック星人は再起するための発想を与えた。善意からではない。自分たちの発祥星系外紛争の片棒を担がせることと引き替えにだ」悠然と煙草を吹かす新九郎。「彩子さんはそれに気づいていたんじゃないかな。……違うか、井端仁」

「さすが帝大出の元刑事だ。いい勘してんじゃねえか」

 大学も前職も、事務所を訪れた偽物の彩子に話したこと。個体間の接触で互いの情報を共有する彼らにとって、一体と全体の区別はないに等しいのだ。

「既にお前たちの企みは露見した。グモ星人の襲撃は不可能だ」新九郎は、今にも飛びかかろうとするルーラ壱式の軍団へ向き直る。「大人しく投降すれば、厳罰は避けるよう天樹に取りなしてもいい」

「断る」即座に応じたのは井端仁だった。

「なぜ、あんたが断る? そんなに好きか、あの魔水銀どもが」

「俺にも事情があるんだよ。それに連中はみな戦士だ。とっ捕まって生き恥を晒すくれえなら、戦ってくたばる方を選ぶ」

「これを見ても、同じことが言えるかな」

 警邏車の号笛が一斉に鳴り響いた。

 正門から次々と侵入する警察車両。そして鋼鉄の四肢が刻む四拍子が大地を揺らす。

 間合いを取った二ッ森凍とルーラ壱式〈聞かざる〉が、互いにその音の主を見上げた。

 荒川を渡り、両手と両足での走行で出現する二体の四八式〈兼密〉。灰色の腕が工場を囲む塀を砕いて停止する。旧式ながらも恐るべき鉄狒々の威容。水飛沫と川魚を撒き散らし、御用印の探照灯が居並ぶルーラ壱式の軍団と井端仁を照らした。

 続けて板撥条のような脚で軽やかに路地から路地へと跳躍移動してきた五〇式〈震改〉一機が、泥を跳ね上げながら〈兼密〉の前に着地。上下の侍のような陸軍憲兵隊の最新式超電装は、端から刀の柄が生えた、細長い箱のようなものを左手に携えている。

 煽りを受けて泥まみれになった警察車両から、拡声器を手にした背広の男たちが降りた。

 狸のように恰幅のいい、総白髪を短く刈り込んだ男、財前剛太郎。そして傍らに控える、気取った前髪の下で蜥蜴のような鋭い目が光る、門倉駿也である。

 門倉が大声で言った。「警視庁異星犯罪対策課だ! ルーラ壱式を捨て、全員前へ出て一列に並べ!」

「大人しくするなら瓶詰めは勘弁してやるぜえ、魔水銀の皆さん」と財前。

 車から次々降りる警官たちは、皆一様に硝子瓶を携えている。遺憾ながら、無様かつ単純な瓶詰めこそが、人間に使えるうち一番身近かつ有効な、ロバトリック星人の拘束方法なのである。

 新九郎は井端仁へと歩み寄る。

「あんたの事情は知らない。でももう、終わりにしませんか。あんたも人間。僕も人間、争うだけが能じゃない」

「断ると言った」

「なら理由を話してくれ。あなたが宇宙人に騙されているか利用されているなら、洗脳されていたということにしてもいい。僕には、その権限がある」

「聞き分けのねえ若造だな」

 すると、仁が背にしたコンテナから声がした。

「その人に何を言っても無駄よ、あんた」

 小林剣一が言うもうひとり。二ッ森凍が言う存じ上げないお人。二ッ森焔が言う、なんの変哲もないおばさん。

 姿を見せた女は、井端仁と同じ年頃に見えた。白いものが目立つ髪に、工員らと同じ作業服。

 あかりのヘドロン飾りが熱を帯びた。見えたのは、深い悲しみだった。自分に安心を与えてくれる存在、ここにいてもいいと思える存在、この人のためならどんな苦難の中にあっても前へ進めると思える存在――そんな誰かが失われた後に残る、真っ暗な虚無。

 その正体を悟った新九郎が目を見開く。

「まさか」

「早苗だ。俺の妻だ」と仁は言った。

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