10.言葉使い師
焦げた土塊が寄せ集まり、また人の形を取る。凍りついた土塊も内部から熱を帯びる。
「キリがねえぞ、凍!」二ッ森焔――撃鉄代わりの歯車を回して次々と火の玉を放つ。
「困りましたわ」二ッ森凍――鍔代わりの歯車を回し、逆手に構えた刀を幾度も振るう。
焔の羽織った黒革の上着は炎に焦げ、襟元から覗く市松文様の襦袢は汗に濡れている。和服のように見える飾りスカートはすっかり綻び、灰と泥に汚れていた。
凍の羽織も所々が裂け、白く染め上げた百合の花が警官たちの血と煤に汚れている。学生靴の艶は落ち、人並み外れた長い銀髪もあちこちが焦げていた。
そんなふたりの背後で双眼鏡を手にした財前剛太郎が言った。
「こりゃまずいね。安藤のやつ、憲兵の超電装の操縦師を人質に取った」前方の二ッ森姉妹に向け叫ぶ。「おーいお嬢ちゃんたち、〈闢光〉の支援に行けるか?」
「無理に決まってんだろおっさん!」と焔。
「おじさまたちが死んでしまいますわ」と凍。
「うん、おじさまの方がいいな、うん。凍ちゃん頑張ってなー」
「何馬鹿言ってんですか、財前さん」負傷者の止血の手を止めることなく、門倉駿也が応じた。「あの子は何してるんです。仮にも特級なんでしょう」
「彼女を責めるな。責めるなら、一五の娘に頼らなきゃならん俺たちの無力を責めろ」
「それはわかってますよ」
「まーお前さんの言うことはわかるよ。俺も死にたかないからな」財前は後方へ向け叫んだ。「おーい、早坂のお嬢ちゃん、調子はどうだ?」
「あと少しです!」とあかりは応じた。
変形して都市恒常化機構の接続口に刺さったヘドロン飾りを手に、蹲り目を閉じたあかりは額に脂汗を浮かべていた。暗号の解読と並行して接触していたエゼイドが、こちらを実態ある存在と認めないのだ。
ともすれば、自分の認知できない別の世界に存在する何者かを、認知できないながらも想像する能力というのは、ごく一部の知的生命体にのみ備わった機能なのかもしれない。少なくとも、エゼイドの頑なな態度は、想像するということを知らない者のそれだった。
言葉によって、言葉によらない精神の感応に至らなければならないのに、言葉による思考がそれを妨げる。これもまた、言葉によって自らを規定することから逃れられない生命体の限界なのではないか、とも思う。
だが。
もしかしたら。
超電装同士の争う不穏な音と、警官たちの怒号を背に浴びながら、あかりは眉間に皺を寄せる。
異星言語翻訳師なのだからと、相手の言語に自分を寄せることばかり考えていた。だが、自分自身の言葉でしか、自分を伝えることはできないのではないか。
ただ応えてと叫ぶのでも、人類がここにいるのだと語りかけるのでもなく、早坂あかりという個体を伝えなければならないのではないか。
考えが頭を堂々巡りしていた。その時だった。
財前の叫びが聞こえた。
「あかりちゃん、今すぐ逃げろ!」
擱座していた車両が真っ二つに割れ、簡易防塁が突破される。頼みの二ッ森姉妹も四方八方を不死の兵隊に包囲されて防戦一方。洋装の刑事に制服警官、出動服で固めた機動隊員らの陣形が崩れ、土人形たちに為す術なく打ち倒されていく。これまでの善戦の結果か、武器が再生されていなかったのが幸いだが、劣勢は明白。
そして最大の目標たるあかりに気づいた一団が、脚を引きずりながら迫った。
遠くでは安藤の高笑い。白川を追った伊瀬新九郎の姿はない。
銃を捨てた門倉が筋電甲の右腕で迫る土人形を殴る。だが崩れた側から再生する。財前が一体を後ろから羽交い締めにするも、力及ばず振り解かれる。
お前には無理だ、という父母の言葉を思い出した。
特級の試験に合格し、東京に行きたいと申し出た日の出来事だった。
そんな資格を持っていたところでなんの役にも立たない、いいからちゃんと普通の勉学を修めて、武士の娘として恥ずかしくない女子に成長し、間違いのない家柄の男性に嫁ぎ、夫をよく支える妻になりなさい。それは東京でなくともできること。お前はしなければならないことから逃げているだけなのだ。そんな下らない資格で、宇宙の向こうにでも行くつもりか――。
このままでは、結局父母の言う通り。
信じて送り出してくれ、自分の叶えられなかった夢まで託してくれた姉に申し訳が立たない。
涙が眼に浮かんだ。その時だった。
頭上から叫び声が聞こえた。
「退いてろ、年寄りどもっ!」
金ボタンの輝くカーキの制服に編み上げブーツ。見覚えのあるつんつん頭に意地悪な目の少年が、今まさにあかりに手をかけようとしていた一体を、着地ざま右腕のひと振りで粉砕する。
その目に、茶化しもからかいもなかった。
同じ装束の少年少女らが次々と飛来し、鈍い音を上げながら着地する。その腕、その脚。みないずれかが筋電甲。刑事たちが使っているような生活用ではない。鈍色に輝く、戦闘用筋電甲だ。
「陸軍憲兵隊麾下、機甲化少年挺身隊三小隊一五名、只今より貴官らを支援いたします!」
つんつん頭の号令を聞くや否や、各々の義肢で土人形に襲いかかる少年少女。
そして件のつんつん頭が、あかりに気づいて近づいてくる。
「おお、今朝の伊達娘じゃねえか」
「早坂です!」
「一五の娘が気張ってるって、本当だったんだな。……ほら、これ」少年は何かの紙片を渡してよこした。「途中で拾った。お前、よくものを落とすな。気をつけろよ」
「これって……」
折り畳まれた紙を開けば、こう書かれている――拝啓 早坂あかり殿。
戦いが始まる時に落として風に飛ばされた、姉からの手紙だった。
ありがとう、と応じかけて、大事なことに気づいた。
「中見たんか!」
「は? 見なきゃわかんねーだろ、しょうがねえだろうよ」
「そういう問題じゃねべ! 最低っちゃ!」
「なんだよ、せっかく拾ってやったのに」少年は不満気に口を尖らせる。「……結構、いいこと書いてあんじゃんよ」
「わたしの姉さまだもん、当たり前でしょ」
「知らねえよ」少年は筋電甲の拳を握って開く。「俺たちが時間を稼ぐ。お前はお前の使命を果たせ。それと……モダンガールとやらになりてえなら、標準語で話せよ」
「んなっ……なんだとこのトゲトゲ頭! カッコいいと思ってんのか!」
「は!? これ寝癖だし! 別に朝作ってるわけじゃねーから!」
「嘘だ。ぜったい嘘だ。ぜったい毎朝鏡の前で頑張って作ってんだ」
「ちげーし! ああもう、そんなこと言ってる場合じゃねえ」少年は生身の左手で筋電甲の左脚を叩く。「あばよ、伊達娘」
「ちょっと待ってけろ!」
「なんだあ」早くも飛び立とうとしていた少年。
「名前。名前教えて」
「ああ。言ってなかったか」右手で制帽を被りつつ、少年は応じた。「機甲化少年挺身隊二番隊隊長、小林剣一だ。よろしくな」
言うが早いが、その小林少年は手近な土人形に殴りかかる。
あかりは深呼吸し、手元に残った手紙に眼を落とした。
姉の言葉。
正義のために戦う人々。
託された夢。姉に、そして伊瀬新九郎に。
手紙を開いた。その中の一文が目に飛び込んできた。
――でも忘れないで。今のままのあなたも、誰よりも素敵な女の子なのですよ。
あかりは都市恒常化機構に向き直る。ヘドロン飾りに触れようとしてやめ、そのまま仁王立ちで言った。
「わたしの名前は早坂あかり。仙台出身、ご先祖さまは独眼竜の正宗公に仕えた武家の娘です」
正四面体は変わらずに淡い光を放っている。
あかりは構わずに続けた。
「わたし、まだ何も知らない。この街の素敵なところも、楽しい日常も何も知らない。姉さまが立った舞台も、お洒落なプロムナードも、流行りの甘味も……みはしの葛餅ってのわたしも食べたい!」
正四面体はやはり淡い光を放ったまま。
だが、光が、揺らぐ。
無数の文字と記号、そして文字や記号で表されない、言語が内包するすべてのものがあかりの脳裏を駆け巡る。暗号。復号。地球人が使う五五の言語。一一五の画像。一六と三二回転の音声。九〇分の音楽。黄金。二〇四八単位の素因数分解。
あかりは叫んだ。
「んだっちゃ、壊されたらわたしが困るっちゃ! んだがら……おら、ぎょうからごごでモダンガールさなんだ、おだずなよ!」
揺らぎは塊を成し、目を晦ます強い光が正四面体に宿った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。