第1話 仙台青葉の伊達娘

電脳遊人 エゼイド星人 電装王者エレカイザーⅡ世 登場

1.モダンガールさなりに来た

 拝啓 早坂あかり殿


 今頃列車に乗った頃でしょうか。あなたの旅路に幸多からんことを、心よりお祈り申し上げます。

 父母の反対もわかります。私もかつて、舞台役者に憧れて、東京で暮らしていたことがありましたが、天樹到来からの帝都は、三歩歩けば人ならざる妖に出会す魑魅魍魎の街になりました。年頃の娘が、ひとりで向かうような土地ではありません。私も一五の妹を見送るのは、正直不安が勝ります。

 しかし、あの街には、あなただけにできることがあります。

 特級の資格を取った、それも史上最年少でと聞かされた時は驚きました。そして同時に、運命のようなものも感じました。あなたの生きる場所は、みちのくの田舎ではなく、大宇宙への玄関口たる帝都なのだと。

 私は、自分が叶えられなかった夢を、あなたに重ねているのかもしれません。

 さてあかりさん、モダンガール五つの誓いを覚えていますか?


 ひとつ、いつでも一番流行りの服を着ること。

 ひとつ、素敵な殿方を決して逃さぬこと。

 ひとつ、己の食い扶持を人に頼らぬこと。

 ひとつ、世界で一番幸せな女の子になること。

 そしてひとつ、あなただけの方法で輝くこと。


 これさえ守れば、きっとあなたは、誰もが振り返る素敵なトーキョー・モダンガールになれるでしょう。

 でも忘れないで。今のままのあなたも、誰よりも素敵な女の子なのですよ。

 それでは。いつかたくさん、土産話を聞かせてくださいね。


 追伸

 例の探偵事務所には手紙を送っておきました。今も求人は有効とのこと。記事と求人票をなくさないでね。


 早坂かをり


 *


 帝都の空に晴天なしとは、誰の言葉だったか。四六時中立ち込める蒸奇の翠雲に覆われた空は、毎日が曇り。我が国の首都は、日本で唯一、気象予報に晴れがない街でもあるのだ。

 列車の汽笛が鳴り響く。発車案内札が掛け替えられる。帝都の北の玄関口、上野駅は、行き交う人と、異星人らでごった返していた。

 戦後二五年。すなわち、墨田の中洲に天樹が降りて、東京がこの星の出島となって二五年。

 天樹からおよそ四〇粁圏内に居住することを定められた異星人たちは、しかしその多くが天樹を我が目で望める土地に密集する。北は千住。南は品川宿。人呼んで帝都八百八町。その中心が、上野だ。

 そしてかつては人の暮らしの中に隠れ棲み、今天樹の下に集められた異星人たちを、人は異人、異星人、宇宙人――ないしあやかしと呼ぶ。

 虫のような目に象のような耳と鼻を持つ異星人と肩が当たり、早坂はやさかあかりは尻餅をついた。

 たった今、仙台発の特急から降りたばかり。荷物は抱えるような旅行鞄がひとつと、郷里の学校で使っていたズックの鞄。肩ほどの長さで一応揃えたざんばらの黒髪。だだちゃ豆のような色の着物に濃紺の飾り袴は、ともに化織の制服だった。周りを見回せば、みな臙脂や葡萄茶。一見すると和服だが、よく見れば洋風のワンピースのようなモダンな型の服を着た女性も数多い。

 やっぱり仙台は田舎だったのだ、と我が身を省み、あかりは今すぐ帰って服を取り替えたくなる。そして、これが普通と言い聞かせてきた故郷の両親の顔が浮かんだ。

 起き上がり、胸元の感触を確かめる。首から提げた、正八面体格子の中に青く光る硝子玉を閉じ込めた飾りは、あかりの宝物であり、この街で自分が何者かを証してくれるたったひとつのものだった。

 そして片手に持っていたはずのもうひとつの宝物を確かめようとして、あかりは声を上げた。

「ねえっちゃっ!」

 さっきの異人さんとぶつかった時に落としてしまったのか。人混みも構わず腰を落として左右を見回すも、見つからない。第三帝国との戦争を焼け残った板張りの床の果てまで、人の足の境から見通しても見つからない。

 誰かに助けてもらおうか。でも曇り空の下を行き交う人々に、人間は半分だけ。きっと話せば通じると知っていても、見知らぬ土地への怖さがあかりの足を竦ませた。匂いが違った。人のすえた汗の臭気だけではない、雨上がりの森の中で不意に感じるような、悪臭ともなんともつかぬ匂いが、そこかしこからする。人間ではない生物が周りに山ほどいる証だ。

 だが迷うよりも早く、異変がやってきた。

 地面が大きく揺れ、異星砂礫の駅舎が軋んだ。

 遠くから聞こえる怒号。悲鳴。そして一斉に、浅草口の方へと駆け出す人々。駅員が拡声器で呼びかける。

「公園側より超電装! 公園側より超電装! 直ちに駅舎より退避されたし!」

 流れる人並みに押し潰されて、あかりは鞄を手放しそうになる。自分より遥かに瀬の高い背広の男性と、水槽を頭に被った異星人に突き飛ばされる。そうしてまた尻餅をつきそうになった時、風に舞い上がるものを見た。それはつい先刻まであかりが片手にしていた紙片だった。

 待って、と叫んで人並みに逆行する。紙片は風に流されていく。えいや、と声を上げて鞄を抱え、走り出す。周りはもう人がいなくなっている。「そこの君、危ないから戻りなさい」と拡声器の駅員が怒鳴るが、あかりの耳に入らない。

 だが、頭の隅では、東京行きを決めた夜に、姉が語ってくれたことを思い出していた。

 東京へ行くなら、これらのものに気をつけなさい。

 即ち、地震、雷、男前。

 そして、怪人、あやかし、超電装。

 紙片を追いかけるうち、駅舎の外へ出ていた。待って、と叫んで手を伸ばすも、いたずらな風が吹く。

 その時、すぐ頭上で、硝子の器を耳元に叩き落としたような雷鳴が轟いた。

 見上げると、黒鋼の巨人がいた。

 駅舎やモダンなビル群を上回る背丈。鬼か修羅が鎧をまとったような姿。頭頂の偃月飾りが曇り空に微かに煌めき、その全身から青白い光の粒が散っている。精気、蒸奇、オルゴン。それは蒸奇機関を搭載し、乗る者の意のままに動く地上最強の戦闘兵器――超電装スーパーロボットだった。

 黒鋼の表面は陸中南部の鉄器のように凸凹していた。当世具足がごとき肩と胸の鎧は、団子虫のように板が重なっている。一歩歩けば草摺が揺れる。列車より太い手足は篭手と脛当に守られ、聳え立つ姿は黒色仕上げの青葉城がそのまま動いているかのよう。

 黒鋼の超電装は、もう一体の青い超電装と争っている。

 青の方は傷だらけで、見るからに継ぎ接ぎだらけ。左右の腕の形も違っており、帝国陸軍や憲兵が用いるものではない、犯罪者や悪意ある異星人の用いる脱法的な機体とひと目で知れた。異様なのは、その右腕だ。左に比べて明らかに大きく、派手な龍のような文様が描かれているのだ。

 台風のように吹き荒れる風に、袖が引かれる。乱れに乱れた髪をかき上げ見上げた先に、ひらり、と紙片が舞っていた。

 そして、瞳の焦点の向こうで、黒鋼の超電装の手甲に強かに打たれた青い方が、平衡を失った。

 建物の縁を掴もうと伸ばした青い腕が空を切る。駅舎の方へと倒れてくる。

 頭上へ手を伸ばしたまま硬直したあかりの方へ。

 うわあ、と間抜けな声が出たが、身体は動かない。鉄の軋む不吉な音とともに、青い超電装の影があかりに落ちる。

 すると、背後から誰かの手が伸びて、舞っていた紙片を掴んだ。

「跳ぶぞ、歯ぁ食い縛れ」

「跳ぶ? 跳ぶってなんさ?」

 答えの代わりに、身体が浮いた。

 猛烈な力に全身が引っ張られ、一挙にビルの壁に達する。目が回る。あかりを抱えた誰かはそのまま壁を蹴り、道路を挟んで反対側のビルの屋上へ着地する。轟音とともに青い超電装が倒れ、たった今まであかりのいた駅舎の入口が瓦礫に変わる。

 建物から建物へ。異星砂礫。瓦。また瓦。異星砂礫。跳躍と着地の度、旅行鞄を掴んだ腕が千切れそうになる。全身に浴びる湿った風。晴天のない街の澱んだ空気が、力強い何者かのひと息で切り裂かれる。服越しに彼の体温を感じた。

 そしていくつもの屋上を越え、洋風のビルの屋上にふたりは着地した。

「お嬢ちゃん、大丈夫か?」

 大丈夫です、と息も絶え絶えに応じ、顔を上げた。

 金ボタンの洋装の少年だった。睨むような目つきに、あかりは少したじろぐ。カーキの装束に編み上げブーツ。年はそう変わらないようだが、制帽を被った装いは、学校の制服には見えなかった。故郷ではまず見ない服のせいか、それともたった今までの空中散歩のためか、あかりの心音は高鳴っていた。少年が帽子を取ると、寝癖なのか狙ったのか、つんつんした髪が姿を見せた。変な髪形だ。

 礼を言おうとして、言葉を呑んだ。

 異様なのは、その少年の左腕と右脚だ。腕は肩から先、脚は膝から先が、鈍色の機械でできている。ただの義肢ではない。神経と接合して己の手足のように操れ、優れた遣い手を機械仕掛けの超人にする、筋電甲オートシェルと呼ばれる機械化義肢だ。現物を目にするのは初めてだった。

 帝都に生まれる子供には、手足の生まれつきない子が多いと聞いたことがあった。そしてそんな子供たちが多く所属する、陸軍憲兵隊麾下の組織の名前も。

「もずかすて……機甲化少年挺身隊け?」

 声変わりしたばかりのような枯れ声が応じた。「そうだ。あんた、命知らずもほどほどにしろよ。超電装が戦ってんだ。生身じゃ無事で済まねえぞ」

「ご、ごめんなしてけら……ごめんなさい」

「……郷里は?」

「仙台です! ついさっき、駅さ、駅に着いたところで」

 ふうん、と気のない様子で応じて、少年は片手に摘んでいたものを差し出した。「ほらよ。なんだか知らねえが、大事なんだろ」

「わ……どうもね!」

「どうもね?」

「あ、えーと……ありがとうございました!」紙を受け取り、改める。「いがった、どっごもふっちゃげてね……」

 少年が訝しげに言った。「……雑誌の記事か? 随分古そうだが」

「んだっちゃ! 大事なもので……」

「へえ……異星言語翻訳師?」

「この人、特級なのに財閥の雇われじゃなくて、探偵事務所で働いてるんです。栗山依子さんっていうんですけど。わたし、この人に憧れて、特級の資格取ったんです」

「あんたもなのか。特級ってことは……つまり、言葉遣い師リンガフランカー。その歳で、すげえな」

「いやあ、それほどでも」

 あかりが首から提げた、硝子玉を閉じ込めた正八面体の飾りこそが、特級異星言語翻訳師の証だった。

 人ならざるあやかし・物の怪が跳梁跋扈するこの街で、一番必要とされるのが、翻訳の仕事だ。地球語を学ぶ者や翻訳機を使う者もいるが、その多くは裕福な異星人に限られる。故郷の星から何らかの事情で逃げ出して、星人坩堝の帝都に流れ着いた難民のような人々は、高価な翻訳機を買う金も、地球語を学ぶ余裕もない。だから何らかの揉め事に巻き込まれても泣き寝入りせざるを得ないことが多く、ゆえに異星言語翻訳師が必要とされる。

 だが有資格者の多くは政府や、財閥系の大企業に雇用され、異人相手の公文書作成や外交・通商の手助けに従事する。それももちろん重要な仕事だが、一方で虐げられる人々の味方になることも大事――あかりが手にしていた雑誌記事の切り抜きには、そんな内容のインタビュウが掲載されていた。三年前の、職業婦人向けの雑誌だ。

 そして記事の片隅には、栗山依子というその女性が勤める探偵事務所の、求人広告が掲載されていた。

 言葉遣い師とは、特級資格者の通称である。半分の尊敬、そして、異星の言葉を自在に操る様への、もう半分の恐れを込めた。

「そんで出稼ぎってわけか。はるばる仙台から」

「んだ。……や、出稼ぎってわけでもないんですけど」

「じゃあなんでまた、わざわざ」

「モダンガール!」前のめりになってあかりは言った。「おら、モダンガールさなりに、帝都さ来たんだ!」

「ふーん」少年は口の端で笑った。「でも、ガキだな」

「はあ?」

「そんなんじゃ帝都じゃ命がいくつあっても足りねえぜ」

「おら」一呼吸置いて、標準語に直して続ける。「わたしだって、ご先祖様は独眼竜正宗公にお仕えした、由緒正しい武家の娘です!」

「それあんたに関係ねーだろ」

「歳じゃ、あなたも大して変わらないじゃないですか」

 皮肉のつもりだったが、少年は意に介する様子もなかった。「ああそれと、その探偵事務所」

「栗山さんの……鬼灯探偵事務所ですか?」

「そ。鬼灯探偵事務所だけは、よしといた方がいいぜ」

「どうして」

「今は開店休業状態だよ。快刀乱麻の蒸奇探偵も今は昔。きっと腑抜けの男やもめが昼間からひっくり返ってるぜ」

「……蒸奇探偵?」

「それに、栗山依子はもういないぜ」少年は、筋電甲の右脚を建物の縁にかけて言った。「嘘だと思うなら自分の目で確かめてきな」

 ひねくれた目の少年は、そう言い残すとひらりと屋上から飛び降りる。慌てて駆け寄ってみれば、機械の手脚を器用に使って地上へと軟着陸していた。

「待ってけろ!」

「カエルかお前! 異星語の前に、標準語をなんとかしろよ!」

「んなっ」

「あばよ、伊達娘!」

 大きく手を振り、帽子を被り直すなり駆け出していく少年。

 何か言い返す間もなく、その姿はあっという間に遠ざかっていく。

 あかりは手元に残った雑誌の切り抜きに目を落とす。鬼灯探偵事務所所属の異星言語翻訳師、栗山依子のインタビュウ記事。そしてその隣に小さく書かれた、『異星言語翻訳師 募集』の求人票。

 警邏車や救急車の号笛が遠く鳴り響く帝都の一角で、あかりは鞄を抱え直した。

 まずは自分の目で確かめるのだ。モダンガール五つの誓いの三つ目、己の食い扶持を人に頼らぬためにも。

 そして左右を見回し、呟いた。

「ここ、どこだいね……」

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