第135話 右手に銃(ガン)を持つ男 

 ボスはシロアリの女王の腹を抉ったナイフの切っ先が、自らの下腹部から突き出ているのを見た。と同時に、ナイフに寸断された小腸の九十九折れの断面に、体を四方八方から囲まれているのを目の当たりにしていた。その小腸の断面からはとめどなく砂が零れ落ちていた。ボスはその砂を浴び、砂を飲み、砂に埋もれ、そしてその砂の内部ではシロアリの女王がせっせと黒蟻を産んでいるのであった。いや、ボスの切り裂かれた小腸の内部こそがこの清掃部が存在する地下一階そのものであり、ということはまた、そこにタイラカナル商事の社屋は建っているのであった。九十九折れの小腸の無数の断面のひとつひとつにタイラカナル商事が存在し、大量の白砂が音もなくなだれ落ちていた。ボスはもう、その砂を食っているのか糞しているのか分明しなかった。それどころか、シロアリの女王に突き立てたはずのナイフが自らの小腸を寸断した事実をもってすれば、シロアリの女王こそがボスその人であったのだという帰結すら、ボスは否定できないと思った。

 取り返しのつかぬことをしたのだろうか?

 ボスはシロアリの女王の腹が切り裂かれているのを見下ろした。それは風船が破裂する瞬間をスーパースローで捉えた映像のように、皮膜が不規則に千切れて外側へ広がっているのであったが、まだ中身が噴出する直前の静止画ででもあるかのように、白とも黒ともつかぬ、いや白い部分と黒い部分とが卍のように渦巻いた内部構造が垣間見える。それはボス自身のナイフの切っ先が飛び出した腹腔内にある無数の断面も、その全体も同じ模様を描いていて、時折、白の円の中の黒の小円と黒円の中の白の小円とが行き違って、どうやら裁断機のようにそれぞれは穴なのであった。そこにきゅうりをさしておけば、白内黒と黒内白とがそれぞれ行き違う瞬間にスパッ!!! と切れおちてみずみずしいきゅうりの断面からは黒い砂がザラザラととめどなく落ちてくるのであった。それは、ボスの指でもペニスでも同じようにそうなるはずなのであるが、そこに尻を差し入れることは果たして可能だろうか?

 あくまでも尻は断面でありたいからには、中央の淫裂を含めた全体をスパリとした切断面によって、同じ黒と白の、これはそう、陰陽のあの白黒のマークのようなものが顕れてくれるのであれば申し分ないことだとボスは考えた。いずれにせよ、世界は砂であり砂はこの白黒の図の様相を呈しているのだということは、自らの小腸をもって体感したボスの認識の右に出るものはいなかったのだが、それを驕ることなくボスは再びシロアリの女王の腹部にむけて、今度はナイフの刃を胴体を輪切りにするように差し入れた。だがしかし、シロアリの女王の胴体はボスの胴体よりも太く、ボスの手にしていた十徳ナイフがいかに、ヘビーデューティーなプロ使用であったとしても、その刃渡りの寸足らずさはいかんともしがたく、ブヨブヨの胴体に覆いかぶさるようにして、奥から手前へザシュザシュと切り込んでいく途中で、分断された部分がみるみる癒合してしまうのであった。時間差を与えていてはシロアリの女王の胴体を真っ二つにすることは不可能であることと、刃を中途い入れた状態でマゴマゴしていれば、おそらく自らもシロアリの女王の胎内へ取り込まれてしまうであろう。ならば、取り込まれてしまえばいい、とボスは思いついた。

 もちろんこの作業の途中、同じくボスの胴体も自らのナイフによって切断されかかっているわけだし、事務室そのものにも、ナイフが入ってくるのを目の当たりにしながらボスは考えていたのである。事務室の切り込まれた天井からは、黒い砂がザラザラと落ちてきて、その隙間からはやはりあのい旗印がグルグルと回転しながら四方八方に伸びていくのである。

 ボスは、切っている自分が切られている自分であり、切られているシロアリの女王の腹がきっている自分の腹にほかならず、それはすなわち切られつつあるナイフが通過していく胎内で、まるで黒ひげ危機一髪ゲームのように感じながら、それが切断されていく過程を、後ろから前から、中から外から認識している、果てしなく上下に連なるメタ的認識の外もまた内なのであって、自他、主観客観、敵味方、塩コショウ少々、などといった適宜適当に用いられる概念の一切は合わせ鏡空間そものもの中では一切無効となるということはつまり、ボスは外部を内部を内部を外部に晒すどこにも通じていない穴として、シロアリの女王の胎内に帰化できたとしたら、その外側に何が起こるであろうという好奇心に抗し難い。

 では、とボスはナイフを引き抜き、今度は胸部から下腹部へむけて一気に刃を引き下げた。シロアリの女王の、ではない。自らの胴に、である。すると、見下ろしているシロアリの女王の腹部も同じように切り裂かれそこから、光と闇とがコーヒーミルクタピオカ白タピオカ入りみたいにぐずぐずとうごめくのが見えたところへ、頭から飛び込んだボスはボスの帽子に阻まれて、どうあっても肛門を抜けることができないのであった。

 ボスは今なお知りにあてがっていた帽子を頭にかぶりなおした。だが頭に被ったと思った帽子は下腹部からはみ出していたナイフの切っ先に、ちょうどひっかかったのだ。そしてこのときとばかり事務所内の黒い砂がボスの無防備な尻めがけて突進を始めた。だがそのとき、ボスの尻から熱くドロドロとした熱泥流のようなものが、アンドロメダ号の拡散波動砲のように飛び散り、さしもの黒い砂の軍団もその粘度の高い泥に貼り付けにされてしまって泥糞団子となると、さらに周囲の黒砂をまとわせて巨大化していき、とうとう事務所に収まりきらなくなって、複数の巨大な泥糞団子同士がねっちりもっちりと不定形に結合したその空隙に、事務所は取り込まれていた。無論、その外側にはシロアリの女王の腹部がブルブルと灼熱の太陽に妬かれて、しだいに焦げていくところなのであった。

 ボスは自分の肛門に、人影を見た。熱い迸りはその右手から連射されていた。連射しつつ人影は近づいてきた。逆光の影。どぎゃんどぎゃんと右手に仕込んだ銃のような噴出孔から熱い泥のような、それはおそらくプラズマ状になった砂だったのかもしれない、なぜならば噴出しうる材料はその砂しかなかったし、これがもしイフガメ砂漠の砂であったとするなら、その砂の一粒一粒にはE=mc2みたいな感じで、物質をエネルギーに変換可能な器官が挿入されているらしいことを、ボスは掴んでいたからだ。

 では肝心のあの人影は一体?

 心当たりは一人ある。砂漠で右腕を切断しそれ以降、人間離れしたというよりももはや人造人間か化物と化して八面六臂の奮闘ぶりをみせている工辞基我陣である。だが、彼は隊毛らと行動を友にしているはずで、もしいまボスの肛門括約筋を両足と左手とで潜り抜けようとしている、ということはつまりシロアリの女王の陰裂を同様に内部から、そしてまた外部から押し広げて挿入しよう、もしくは排泄されようとしているだけでなく、一方おなじように崩壊しつつあるこの事務所の亀裂を油圧カッターで押し広げて脱出はたまた救出せんとしている人物が、工辞基だとしたら、近い座標にいるはずの隊毛もまた付近にいるはずであることから、例の「裏美疎裸」におけるパーティー会場ですら、そこにあることになる。

 ボスは中心点を常に分散させることで、真円ではなく楕円の運動原理をもって事態に応対すべきと判断し、自ら単独行動に出たのであった。タイラカナル商事における座標の混乱は、社屋内にとどまらず、ンリドルホスピタルをもうひとつの中心点とした一見、楕円半径内に生じていると思われたが、実はさらにイフガメ砂漠をも影響範囲していたのみならず、時間軸までも容易に混迷させしめていたのである。そのような気まぐれに対抗すべきプランなど事前に用意できるはずもなく、ボスはただ臨機応変に踊り続けてきた。そしてそれは工辞基我陣の態度にも、同じ臭いをボスは感じていた。

 ギリギリと音をたてて、割れ目が広がる。ボスは目を細めて肛門を超えてきた勇者を凝視する。

 その男は、タイラカナル商事社史編纂室を最後に消息を断ち、少し前、通武頼炉が一緒にいると室田の指図で嘘をついた、揣摩摂愈(本人)だったのである。

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