第134話 煙ジェネレーター
ピーッ
耳をつんざくハウリングが響き渡った。その音はたしかに何かの始まりの予兆の予感を強制的に準備させるに足る周波数を備えていた。隊毛はタバコをあきらめ登壇する男に目をやった。それは、燕尾服姿の室田六郎だった。
「皆様! こちらがかの釜名見煙氏による作品ナンバー18でございます!」
室田の白手袋が指し示す先に、例のタコフネ型モニターがあり、画面には白い尻だったものがさらに細かく分割され、いわゆるテレビの砂嵐のようにチカチカしている。隊毛は、そのいわゆるテレビの砂嵐のようにチカチカした状態が気に食わなかったのだが、室田は威風堂々たる風体で用意したスピーチを朗々と読み上げ続けている。
「ご存知の通り、氏は作品に具体的なタイトルをおつけにはなりません。それには言葉による規定を避け、純粋形態としての作品を皆様にご堪能いただきたいとのご配慮である事は、皆様には充分にご承知おきの事と存じます。ここで愚言を弄すのも恐縮ではありますが、私は氏と長年の交友がありその意味では作品鑑賞において皆様のお知りにならないオリジナリティーのヒント、のような断片を数多く保持している事は、僭越ながら事実なのでありまして、黙してかたらぬ氏の芸術がなるべく真っ直ぐに伝わるよう一言解説めいたことを言わせていただきたいのであります。
一目見てお分かりのように、これは貝と蛸を組み合わせた形態をしております。硬いものと柔らかなものという対比? いえいえ。じつは蛸と貝とはどちらも軟体生物門貝殻生物亜門に属する、ひじょうに近い動物で、蛸は巻貝の仲間なのです。貝も硬いのは殻だけですからな。まさに外見に惑わされてはならないという深遠な教えを、このタコフネは顕現した存在なのです。さらにこの受像機台は、かつて地球人類を恐怖のどん底に突き落とした、火星人型を模してもいるという事から、トラウマという概念が導き出されるというのは、言わずもがなの事でしたでしょうか。この白一色で統一された不可思議なオブジェのまか不思議な質感は、空中元素固定装置ともいわれている、あのロストテクノロジー「カムナビ」を復刻したものであることも、この際指摘しておきましょう。では続いて、受像機をご覧下さい!」
ディスプレイ上の砂嵐を見ていると、それはさまざまな文字や形に見えてくる。隊毛は目頭を押さえて、そのモニターを食い入るように凝視している周囲のパーティー参加者を不躾なほどまじまじと観察した。知っている顔は、香鳴と部長くらいのものだったが、それ以外のギャラリーが実在しているのか、幻なのか。幻だとすれば、それはどこに現れているのか。そういったことを判断できる材料は何もなかった。
「もう既にお気づきになられた方もいらっしゃるでしょう。そう。この受像機が映し出す画像は、皆様の作品に対した時の反応をインタラクティブに反映していたのです。仕掛けは秘密です。そう一本のコードがMの真中あたりから垂れ下がっておりますね。あれはコンセントではないのです。お嬢さん。ちょっと引っ張って御覧なさい。いいんです。氏のこの作品は、見て、触って、嗅いで、舐めて、聞いて、しゃぶって、転がして、突っ込んで、掻き回してみていただきたいのです。そして、皆様の博識、皆様の深い洞察、啓示、直感、演繹的推論などを駆使してみていただきたいのです。お嬢さん。それは拘束衣の河バンドです。作品はその隣だったんですが、もう結構。
さあ。いささか長くなりました。このナンバー18は、難解とされる氏の作品群の中でも最も難解だとの評を受けていますが、何も氏は謎解きの材料をこしらえたわけじゃなりのですからね。存分に対峙して下さい。釜名見煙新作披露パーティーを、このような形で開催できた事は、この室田六郎最大の喜びであります。どうぞ、充分にご堪能下さい。そして豊かな交流の時を持てますように。ご清聴有難うございました」
場内に割れんばかりの拍手が起こった。数百人の乾杯。数百のコップだろうか。そして数百×2個の瞳が、でっちあげのNo.18を取り囲んでいた。既成事実の積み重ねが歴史だとするなら、釜名見煙は今日ここで、完全に死んだのだと隊家は思った。
「あら。何か映ってよ」
女性の声が響く。
「『暗かった。しかし硬く開きっぱなしでは何も見えなかった』ですって」
「不思議ね。謎をかけてくるようだわ」
『謎です。光陰は拘引なのです。現在その時ただいまだけが確かなようで実は確かかどうかを決めているのは思い出しているときの腹具合一つなのでしょう』
「何か、難しい話になってきたみたいよ」
「もっと楽しい事を考えさせて上げましょう」
女たちは、作品の八本足の隙間へ手を指し入れて、しなやかに動かし始めた。注視する四つの目とそれを取り囲む無数の目の中、タコフネのうめき声が確かに聞こえたと思ったその矢先、二人の女は足の間に吸い込まれるように消え失せ、モニターの砂嵐が一瞬だけ眼の形に凝固したように見えた。
『Noli me tangere』
近くにいた紳士淑女が、パチパチと手を叩いた。
「これもきっと現代美術の趣向なのだろう」
「本当に、まさに空想で時空を超える煙様ならではのインスタレーションですね」
『我を起こすな』
「なんと繊細な表現だ。まさに神業に近い」
石膏のギプスで固められているかのようだったタコフネの脚の一本が、ビュンと跳ね上がった。一人が悲鳴を上げて後ろへ飛びのき、数名が巻き添えを食って千切れて飛んだ。
「まさに擬似再生ですな」
「だがそれでは、あまりにも分かりやすい」
「いやいや。この一見分かりやすいというのが曲者でしてね」
「でも本当に、本物そっくりだわ。煙様ったら」
「アタクシ、子宮が疼いちゃうな」
「アラ、実は私も……」
『ありのままをみよこうあるべきとしてみるなありのままは思いのほかありのままではなく見える』
「何だかお説教されてしまいましたわね」
「先生にご挨拶申し上げたいわ。今日はこちらには見えないのかしら」
そういう声があちこちで囁かれ始めたとき、どこかから、
「煙!」という悲鳴のような声があがりました。そこに次々と、「煙先生!」とか、「煙氏」とかいう賞賛と、わずかな侮蔑を帯びた声とが続いた。
『釜名見煙』
ディスプレーの砂の濃淡が、この文字列を示したまま焼き付いたかのように静止した。隊毛はこの語に怨嗟をすら感じた。
「我思う。ゆえに我有り、は根拠の無い言葉でしかない」
という、平喇香鳴の声が聞こえた。何かを読んでいるような、平坦な口調だ。そう、明朝体活字縦書きの活字で組まれた文字を読むような抑揚だった。そんな台詞が、香鳴には見えているのだろうか、と隊毛は思った。そしてもしそのような文字列が映し出されるとすれば、それはこのタコフネモニター上であるはずだった。
「われわれは違うものを見ているのか?」
香鳴は傍らの隊毛を完全に無視して、タコフネの股間に手を挿入し、十の先端を、十の脳を持っているかのように自在に操って、装置の底を点検していた。そしてとうとう一本の指が隊毛の尻の間に入り込み、さらに奥へと侵入しようとし始めたの。隊毛は、その感触に懐かしさを覚え、おそらく画廊で初めて在日野の漂白された肌を見たときとまったく同じ官能から「ああ」と声を上げた。生暖かで柔らかく湿った物に性器が包み込まれる感じがした。股下の冷たくしなやかな感触とは正反対の、軟体生物の巻きつくような感覚が、隊毛の脊髄を引き抜かんばかりに吸い上げ、そして尻へは二本めの指が侵入し前後は機械的な正確さで連動して蠢いた。隊毛は可能な限りの自尊心をかき集めてその場に直立し続けていた。
周囲に喧騒が戻りつつあった。ざわめきは波紋のように広がり何十という注視を肌で感じ、隊毛は動揺した。だが動揺する部分は快楽をむさぼる全体に比べてあまりに卑小すぎた。香鳴の額に汗が滲み始めていた。皮膚が失われても汗腺機能は失われないものなのだなと隊毛は妙なところに感心した。
「平喇香鳴。素晴らしい。お前が触れたものはみな私の作品になるのだねぇ。まるであんたは、釜名見ナンバーズジェネレーターだねぇ。隊家もこうなると形無しだね。全く、お前は素晴らしい。顔を捨ててまで立てた誓いは真実だったんだからね。さあ、盛大な拍手を。お集まりのかたがた。私の空想の糧たち。私の空想の老廃物たち。この糞ども! どうか盛大な乾杯を!」
室田はその声の主の圧倒的なオーラに当てられ、まるで操られるかのようにグラスを高々と上げた。
「釜名見煙に、乾杯!」
会場は拍手と歓声、そしてガラスのぶつかり合う音とがこだましました。これまで希薄だった香水や白粉の匂いが濃厚な渦となって砂漠に充満した。
そんな中でも香鳴の手は片時も調子を外さず、喧騒は次第に静まりはじめた。再び彼女の一挙手一投足に注目が集まり始めたのだ。
運動には回転をも加わり、前後の連動はますます複雑さを増していった。タコフネモニターの砂嵐は、幾百もの線香花火が出鱈目に弾けているようなイメージのようにはげしく明滅し、ぜいぜいと喘ぐ隊家頭象にとうとうその時が来た瞬間、その姿は全裸の課長に入れ替わっていたのだった。香鳴は左手を手首まで肛門につっこみ、右手でしっかりとペニスをつかんでいた。いつ、どうやって隊毛が課長に摩り替わったのか、どうすればそんなことが可能なのかわからないまま、運動をとめることができなかった。
課長がたけり狂ったように爆発し、熱く、濃く、大量の白濁したものが放出され、砂漠に豪雪のような豪雨のようなものをもたらした。
隊毛はタバコをすいながら、その様子をタコフネモニター上に確認してたのだった。
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