第132話 シロアリの女王

 KEEP OUT KEEP ON DANCING KEEP OUT KEEP ME HANGING ON KEEP OUT CAN YOU KEEP A CECRET DONT STOP A MUSIC KEEP OUT

 

 地下駐車場には黄色いテープが縦横無尽に張り巡らされている。まるで女郎蜘蛛の巣のようだ。

 と思えばその中央にさっそく、平喇香鳴の顔と夏个静ノの身体をつなぎ合わせたキメラが八本の脚の先の先についた八本の指の先端の八本ずつの鉤をレインボーカラープラスブラックのマニキュアを妖しく煌かして私を誘ってきた。

 わたしは、目の前にある物を、ただ即物的にその物だと捕らえ、その捕らえたものにはさっさと無味乾燥な学術名「KEEP OUT 侵入規制線危険テープ KEEP OUT 表示バリケードテープ 非粘着タイプ 0.05mmX75mmX100m巻 2,500円」とラベルして、あとはその「観念」を眼前に投影した射像によって、論理的に思考することを心がけた。

 わたしは厚生部を出て清掃部へ向かっていた。清掃部はタイラカナル商事社屋の地下駐車場の上の、地下一階にある。

 つまり、この社屋の地下駐車場は地下二階のレベルに位置しているのだが、エレベーターボタンのB1を押すとそれは自動的に本来の地下一階のレベルを無視して、地下二階まで降りる。

 この地下一階は、社屋の東北の角に搬入搬出口があり、清掃部の従業員と運搬トラックなどはみな、そこから直接出入りをするのだが、一般社員はまず、そのスロープ口には近寄らない。その入り口には指向性の高いスピーカーから、害虫の侵入を防ぐ非可聴音が常時響いており、それは少なからず人間の感情レベルに影響を及ぼすからだ。従業員と搬入搬出業者の内耳には、簡単な手術によってその音を打ち消すノイズキャンセリング器官が取り付けられている。

 これは余談だが、清掃部の従業員が喫茶「凪」を利用しないのは、この器官が「凪」のシステムに干渉を避けるためなのではないかとの噂も流れていた。無論、その噂の出所は私のところだったのだが、この件の調査はまったく進展しなかった。清掃部の従業員はみな口が堅く、こちらの質問には一切応じないのだ。業務上、社外秘社内秘部外秘プライバシーなどに触れる機会の多い部署なだけに、取り交わしている契約もまた厳しいものなのだろうが、それがときに強迫観念の様相を呈するあたりは、おそらく内耳に仕込まれた器官がなんらかの影響を与えているのではないかと思われるのである。しかも、その簡易手術を行う指定病院はンリドルホスピタルなのだから。以上。余談終わり。

 いったん地下駐車場へ降り、そこからスロープをのぼって行くと、途中に扉がある。それは幅が2メートルほどで、高さが1メートル半ほどの黒い扉だ。そこから地下一階の清掃部へアクセス可能だということを、わたしは地下駐車場の管理の外注先の田畑さんと話していて気づいたのだった。

 それは別に隠蔽された扉ではなく、図面上に明記されている点からも隠匿されているわけでもなかったが、地下駐車場のスロープの途中をてくてく歩くという行為がある意味で稀であることと、車上からその扉を見かけたとしても「何かの設備関係にアクセスするための扉だろう」程度にしか考えないだろうことから、事実上、この扉は認識されていなかったのである。

 私は、オレンジ色の明かりの点々と続くスロープの中途半端な勾配に、腰と背骨とに若干の違和を感じつつ、扉を前にしていた。

 すぐさま扉を開けなかった理由は、ノイズキャンセル機構のバックアップが、今回ばかりは無い、ということに関する気後れだ。

 これまで、清掃部を訪れる際は、広報部から干渉波長を帽子へ送ってもらうことでノイズの影響を最小限にとどめることができた。だが、今回はあのぶぅ~~~~~んと、きぃ~~~~~~んという唸りを直接鼓膜に受けなければならないのだと思うと、さすがに嫌な気分がするのだった。

 すると私は目隠しをされ、だだっぴろいコンクリート打ちっぱなしの部屋の真ん中に、床屋か歯医者の椅子、もしくは分娩台のようなものに手足を固定されて、耳に密閉型ヘッドホンをはめられそうになった。

 私は「なるようになる」と唱えて、頭をふって再び目の前の扉に対峙した。前にすすむには扉を潜るしかないのだから。

 

 扉の内部は砂まみれだった。

 本来であれば、社屋の建坪のおよそ半分近くを回収したゴミを仕分けする巨大なコンテナボックスが占め、残りに半分の半分がその仕分けを行うコンベアが占め、残りの半分が管理室兼休憩室としてパーテションで区切られていた。だが、今はそのすべてがほとんど白い砂に埋もれている。わたしが気にしていたノイズはなく、風に風紋を刻むサラサラという砂の音と、ときおりザーッと砂の崩れる音が聞こえるだけだった。この砂がどこから侵入したのかを突き止めるのは比較的たやすかった。医療ゴミを封入するコンテナの一部が砂丘から露出しており、そのコンテナは内部からねじ切られたように破壊されていたからである。その内部には白砂が詰まっていた。

 私は一応、この部署の標準装備となっていたはずの防塵マスクを探した。たしか管理室の壁面にぶらさがっていたはずだ、とそちらに目をやると、窓越しに見える室内にはテーブルの高さまで真っ黒な砂に埋もれ、扉から黒い砂まみれの従業員が次々と出てくるのが見えた。

 彼らは砂を掻き出しているわけではなかった。彼らはただ、部屋から出てきているのだった。全員が匍匐前進だった。わたしは少しずつそちらへ近づいてみた。風紋が刻々と変化した。風紋の変化は、靴の上からもはっきりと足裏に感覚できるほど生々しかった。

 すばやく壁面にとりついた。わたしは明らかに、何かを警戒していた。だが、何を警戒しているのかを想定することを自らに禁じなければならなかった。この砂は、わたしの想像した物を具現化するものだということを、わたしは学んでいたからだ。わたしはただ、見るしかない。ただ見て、それがこれまでに見た何かに似ており、それがこの状況下にあって許容可能である物ならば、見えているものはそれであり、それ以外ではないのだという前提の上で、それと一致しない細部をさらに見て、さらにふさわしいモデルを探していくという、極力、イメージ喚起力を抑えて、状況を特定しなければならないのだということを、学んでいた。

 シロアリの女王?

 しかしそれは適当な仮想だったろうか?


 室内の黒い砂の上に、白いぶよぶよしたモノが横たわっている。その尻のあたりから、じくじくと透明な液が滴っていて、その滴りを吸った砂はもぞもぞとうごめきながら、まるで黒蜜ゴマ団子のように固まっていき、人間のような姿になると四つんばいで部屋から出てくるのである。そうやって砂を固めて、部屋から排出していたからこそ、て、室内は埋もれずにすんでいるのだった。

 この視覚情報は、私の「シロアリの女王」というイメージのバイアスがかかっているため、それがその正確な姿であるか否かは不明だった。

 清掃部管理室にいるのは従業員か部課長などの人間であるはずだが、今、ガラス越しに見えるそれを、頑張って人間に見立てた際に、確実に生じる嫌悪感からくる嘔吐感に苛まれるよりは、シロアリの女王、と見立てたほうがよほどマシだというくらい、その白いブヨブヨはグロテスクなのだった。

 だが、その透明の十分な粘度をもった滴りは、見ただけで「甘い」ということが認識でき、ともすればその滴りを直接この口に受けて、嚥下したいという衝動に駆られるのだった。正視すればたちまち生理的嫌悪感から暴力的行為に及んでしまうであろうその、圧倒的に巨大で、圧倒的に無防備で、圧倒的に圧倒的なシロアリの女王のような物体の尻に、涎をたらさんばかりに見ほれている自分の姿が半透明のガラスに見出さなければ、おそらくわたしもまた、砂人間と化して砂の中を彷徨うこととなっただろう。

 そういえば、砂を固めてできている人の形をした砂の塊は、いったいどこへ向かうのだろう?

 私は、厚生部のアイソレーションタンク内に詰まっていた砂の行き先を知るために清掃部を訪れた。

 厚生部で夏个静ノと別れてから、わたしはそれまでに感じていた、自らの内部の万能感のようなものが、失われてしまったように思われていた。それまでは、この荒唐無稽な災害の全貌が、おぼろげながら掴めていて、どの方向へ向かえばよいのかということだけは迷いなく決断することができていた。

 だが、今のわたしは、とりあえず目先のことにしか考えが及ばず、少し前も少し後も砂嵐に阻まれているかのように朧だった。実際、わたしの身体の中にはあの砂が詰まっているのだろうし、その影響は脳に及んでいるに違いなかった。わたしのシナプスはあの砂が詰まっていて、あらゆる脳の経路の伝播に、あの砂が干渉しているのだろう。だから、わたしが何を見て、何を思っているのかは、すべてこの砂に誘導されたものであったのかもしれないのだった。

 とはいえ、それを嘆いても始まらない。

 ともかくわたしの美意識は、あのグロテスクな女王の尻を舐められるほどには破壊されてはいないのだし、当初の目的だった「砂」の行方を見届けるというミッションも忘れているわけではない。

 四肢を痙攣させるように、のたうつように、砂人間たちが部屋を出て行く。それは影のように白い砂漠を点々をつながっていく。まるっきり蟻の行列だなとわたしは思った。

 周囲は見渡す限りの砂漠風景だった。いくら広いとはいえ、たかだか建築面積の半分にすぎないはずの空間が、広大無辺に広がっている光景は「凪」に似ていた。タンクの秘密が砂にあったのだとするなら、凪の秘密もまた砂であったとしても不思議はないと思う。なにしろこの砂は、空想を具現化する砂なのだから。

 わたしは、圧倒的な白い世界に延々と続く黒のラインを辿りはじめた。身を隠す必要は感じなかった。砂蟻人間たちはだれも、わたしに反応しなかったからだ。

 この行列は無限遠の消失点のさらにあちら側にまで続いているようだった。じっとそちらに目をこらしてみると、そのヴァニシングポイントの向こう側へ遠ざかっていくはずの行列が、だんだん大きく見えてくるように知覚されてきた。黒い行列の尻がどんどん巨大化していき、やがて視界が黒い尻に覆われたとき、そこではじめて、砂蟻人間の行列はバラバラに広がった。そして、バラバラに広がった砂蟻人間は、ザサッと砂に戻った。その色は白だ。

 わたしは、砂蟻人間が崩れて白砂に戻ったあたりの足元に注目した。すると、そこは白い砂と、リノリウムの床との境界線上だったのである。

 つまり、広大は空間を埋め尽くしていたかに見えている白砂は、その無限遠の先までは到達していなかった。そこで、その砂を本来の床材であるリノリウムの上に広げるために、管理室のシロアリ女王は、黒砂で砂蟻人間をこしらえて砂自身に砂を運搬させていたのである。

 清掃部が砂漠を広げている?

 タンク内の砂がこの砂漠を作っているのか?

 それともこの砂漠の砂をタンク内に運んでいるのか?

 もしくは砂は循環しておりその循環器として清掃部が存在したのか?

 タンクも凪もこの砂によって支えら得ているのだとすれば、このシステム全体を支えていたのは清掃部だったのか?

 システムの導入計画にあたって、清掃部は関与していなかったはずだ。

 では、なぜこのような重要な機関を清掃部が任されていたのか?

 そもそも、あのシロアリの女王は、清掃部員なのか?

 わたしは、踵をかえし黒いラインをさかのぼりながら、さきほどの管理室へ戻った。足元でひっきりなしにうごめく風紋は、絶えずその形を変えていた。そのなかに繰り返し現れる図形は、さきほど見たイエローの規制線の文字にとてもよく似ていた。

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