第113話 ボス死す?!

「さてと」

 とボスはそうひとりごちた。釜名見煙が仕掛けていることはおおよそ見えてきた。だがそれを読み解くことはできていなかった。世界が、世界とひじょうに紛らわしい釜名見煙の撒いた種を根付かせているのだとすれば、その釜名見煙という雑草のみをただちに駆除することは困難だ。なにしろ、この世界を成立させているモノと釜名見が用いているモノとは同根だったからだ。

 一方、この壊滅的な状況をボスがタイラカナル商事広報部ボスの立場で収束させなければならない責務は、これっぽっちもなかった。

 ではなぜ、自分はこんなことに関わっているのだろう、とボスは考えた。

 道路をヘッドライトとテールランプのラインが流れていた。薄闇に均等で均質にビルの窓からの灯りがポツポツポツポツポツポツポツポツポツ…… 唐突にそのポツポツとした四角い光が雪崩た。

 周囲にある高層ビルから窓の光がザーという音とともに滝のように落ちてきて、歩道上で激しく渦を巻いて飛沫を上げた。ビルの中にいたおびただしい数の人間を捲き込んだ光の滝は、ゴツゴツという音とともに血で染まったが、その血はすぐにビルの躯体をなしていた瓦礫に覆われていった。

 いや、瓦礫ではなかった。それよりももっと細かく、もっと鮮やかな光の粒が、キラキラと、アスファルトと転落した人々を埋めていくのだった。

 いや、埋めていくのではなかった。砂とともに落下してくる人間は、落下の間にだけ人型を成している砂の塊なのだった。それが路面にたたきつけら得て真っ赤な砂が飛び散って辺りの砂に混じって消えていくのだ。

 ボスはその砂の奔流を巧みに避けながら、その成分が「イフガメ沙漠の砂」であることを直感していた。そして、ボスの周りをスマホに目と耳とを奪われて歩きながら、平然と光の砂に飲み込まれていく人々が浮かべている表情の恍惚に不気味さを覚えていた。

 ボスはスマホを見た。そこには砂嵐が映し出されていた。音声をオンにすると大量の細かな何かが摩滅していく音が大音量で鳴っていた。体中の骨を巨大なスリコギですられているような音だった。人々はこの映像と音声にこころを奪われたまま、砂に没していった。

 ザーとビルが崩れる。ボスは膝まで砂に埋もれながら通武頼炉を呼び出した。

「ボス」

「俺はまだループ中か?」(キーボード操作音)

「いえ。こちらの座標ではンリドルホスピタル三階閉鎖病棟通路です」

「そこに揣摩が手に入れた営業二課の田比地の3D座標を重ね合わせることができるか?」

「はい。揣摩さんは隣にいます」

「何!」

 揣摩摂愈は、タイラカナル商事の社史編纂室で絶叫しながら消息を断ったはずだ。その揣摩が復帰している?

 壊滅したタイラカナル商事社屋がイフガメ沙漠と重ねあわされていることから考えるなら、揣摩は社史編纂質から一足早くイフガメ沙漠へ飛ばされていて、折りしも会社に復帰できたのだろう。

 ボスは間に合わせにそのような仮説をたて、揣摩に向かって指示を出した。

「俺がそちらに戻るには、ここから上に向かえばいいのか、下に向かえばいいのかを指示してくれ」

(ギシギシという摩滅音と、キーボードの操作音)

「65m先の公団地下鉄清川虹公園前B6階段を下りて3分後に通過する準急の先頭車両に、ホームの東から4番目の点字ブロックから飛び込んでください」

 それは間違いなく揣摩の声だった。

「分かった」

 ボスは揣摩の言うとおり65メートル先の公団地下鉄清川虹公園前B6階段を駆け下り、まもなく通過する滑川市場行の準急が速度を落とさず通過する寸前に、ホーム東から四番目の点字ブロックから線路へ飛び込んだ。

 ゴスッという鈍い音が構内に響き、電車は通過していった。ボスの姿はどこにも見えなかった。


 厚生部のイルカチャン制御コンソールからボスへのコールサインが三度発信された。だが返信はなかった。ボスの座標を示す点は移動しなかった。おそらく帽子が跳ね飛ばされたまま地下鉄坑内に転がっているのだろう。

「部下を信頼しすぎるのも問題だね」

 肩を落としている通武頼炉の隣で、肩をポンポンと叩いていたのは、室田六郎だった。

 室田は勤怠管理室の爆発で弾き飛ばされ、中庭上空を経由してこの厚生部のイルカチャン01へ不時着し、そこできれいさっぱり回復していたのだった。

「あいつらは誰一人、私を探そうとしなかった。あの爆発のなか、いやあの部屋へみなで移動してから、いや営業二課の部屋へ移動してから、いやイフガメに飛ばした工辞基が沙漠と共に戻ってきてから……、とにかく私は完全に埒外におかれていた。そんなことが許されると思うかね? 営業一課をここまで大きくさせ、ひいてはタイラカナル商事に多大なる貢献をし、統括管理部長にまで上り詰めた私を、ないがしろにするなど言語道断だ!(ドン!)クライアントとして接してたからこそ下手に出ていたが、隊毛とかいうヤマ師もヤマ師だ。生来の詐欺師であることは第一印象からプンプンしていたさ。ああ。俺は敢えて、敢えてだぞ! 踊ってやったんじゃないか。工辞基我陣のいけすかないスケベ野郎を抹殺する手立ては、これで尽きたわけじゃあない」

「わかりますよ、伯父さん」

 と通武頼炉がため息をついた。

「僕だって、広報部みたいな騒がしい部署で『御味噌』みたいに扱われるのは耐えられませんでしたからね」

 通武頼炉は室田六郎の縁故入社だったのだ。

 不登校引きこもりニート生活だった通武頼炉のスキルは掲示板煽りぐらいのものだった。室田はかねてから広報部の動向を目の上のたんこぶの如く思っていたので、内情を探れるスパイを送り込みたいと考えていた。そこで、広報部へ通武を送り込んだのだったが、受け入れたボスは当然、通武頼炉の背景を調べ上げており、室田の犬として送り込まれていたことを看破していたのだろう。だからこそ広報部内で好き勝手をさせていたのだ。ただその活動は逐一、揣摩摂愈にモニターさせていた。

 結果的に、通武が室田の役に立ったのは、今回が始めてといっていい。

「ああ。この騒動が片付いたらお前を企画部のアクチュアルマーケティング課に推薦しよう。世間の噂を操作する仕事はじつに有用でやりがいがあることと思うぞ。お前の広報部での経験だって無駄にはならないだろう」

「あそこで学んだことなんて、何もありませんよ」

 通武は掲示板やSNSに公団地下鉄清川虹公園前ホームで発生した人身事故に関して、自殺をほのめかす書き込みをしながら、どこかつまらなそうだった。

「でも、本当に殺さないといけなかったんでしょうか?」

 室田は通武の肩をふたたび強く叩いた。

「あの男は想像以上にキレすぎた。おかげで種は順調に成長してとうとう実を結ぶまでにはなったが、クライアントとしてはあの男が収穫しようとしている果実はあまり好みではなかったようでね。あまりその果実ばかりが大きくなってしまうと、他の枝先に成っている、もっとずっと美味い果実に養分がいきわたらなくなるからね。摘果のタイミングは難しいかったようだが、それなりに伏線を張っておいた甲斐があった。

 こちらは設備も十分ではなく情報は混乱していてしかも指揮系統は出鱈目だった。畑違いのお前は慣れない作業をさせられた結果、ありえない結論を導き出して上司に指示を送った。『電車に飛び込め』とね。しかもその際、消息不明の元部下が隣にいる、などという荒唐無稽な話も交えていたのにも関わらず、あの男はすべて信じたんだ。

 お前に落ち度はない。やったことのない作業を強要されたのだからね。検証もせずに電車に飛び込んだあの男のミスさ」

 通武頼炉はネット上の反応を確かめながら、ボスが仕事上のストレスを抱えていたらしいことや、業務上知りえたインサイダー情報を不正に用いていたんじゃないか、疑惑などを注意深く書き込んでいた。

「これで、広報部は解体だ。組織の自浄のための部署なぞ組織には不要だ。そういうものは必要に応じて第三者委員を選定して客観的結論を広報すればよいのだからね」

「でも、伯父さんのクライアントって、いったい何をしようとしてるんですか? どんな力をもっているんですか?」

 室田は通武の肩をぎゅっと掴んだ。そうされると、通武はキーボードを叩く腕が痺れて何もできなかった。

「守秘義務があるからお前にも話せないんだがね。今夜0時には世界にお披露目できるだろう。お前はもう家の戻るがいい。退社時間は過ぎているし、お前は平社員なんだから」

「じゃ、そうします。さよなら」

「ああ。気をつけてな」

 肩に鞄をかけて、通武頼炉は厚生部を出て行った。

 室田は厚生部のイルカチャンタンクをしばらく眺めてから一度外に出ると、どこで調達したのか、9番アイアンをもって再びやってきた。そして、首を左右にコキコキと鳴らすとゴルフクラブを振りかぶり、室内の機器のすべてを徹底的に破壊し始めたのだった。

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