第114話 大森壊滅

 大森駅周辺には寺社仏閣が多く、なだらかな坂を上り詰めた低めの高台にある公園のジャングルジムから見下ろせば、おのずと「杜」が目立っている。木々は太い幹から幾度も幾度も枝分かれを繰り返し、そのつど細くなって先端は鋭さを増していった。「杜」の先端は無数の切っ先でありその先端はことごとくが暮れ行く空をザワザワと切りつけていた。一閃一閃する傷の一つ一つはごくごく浅く身近な弧を描き、それらはまた幾重にも輻輳して時折、空の一部を三日月型に深く抉ることがあった。空はそこから蜜を滴らせ、その蜜にありつこうと大森駅周辺の「杜」のあらゆる切っ先が、空の裂け目にむかって枝を伸ばす。大地にどっかとすえられた根は、自分の遠い先端の微細な欲望の共鳴にしだいに耐え切れず、地の底で互いの根の緊縛を強めようとするのだったが、頼みとしていた大地そのものが、繰り返される微細な律動のため液状化を起こしており「杜」はあっけなく総崩れとなる。

 このようなカタストロフは、この地のいたるところで毎秒、いや1億分の1秒以下の頻度で繰り返していた。空を切り裂いた三日月状の傷から染み出る甘露は、樹液のごとく染み出して枝枝を伝わり大地へ流入する。空と地とを結ぶものが「杜」だった。「杜」は破壊し再生するエッジであった。それは、放牧民が用いる血抜きナイフのような溝を螺旋状に刻み込まれており、だからこそ「杜」を構成するご親睦として保護されているのであったが、無論、保護されているというのは人間の思い上がりであり、この世界が「杜」に保護されているのであった。

 巨大化したメカ工辞基我陣は、いま、品川方面からビルをなぎ倒し、道路に己が足跡を刻印しながら大森界隈へ進攻していた。潮風を感じながらメカ工辞基は愉快だった。

 巨大化して愉快なのは、なによりも「力」を実感できるところだ。視界の高さと広さも重要な要素だ。シューッと肩甲骨付近のベントキャプから蒸気を排出する。メカ工辞基の動力が何なのか、それはよくわかっていない。ただ、巨大化した後はとてつもなく空腹になり、どうしようもなくセックスがしたくなる。おそらく「種の存続の危機」に直面した大技なのだろうと、工辞基は推察している。

「陣ちゃん。やるのね?」

 肌瑪兎は少しワクワクしているようだった。メカ工辞基化すると神経伝達速度が相対的に鈍るため、動作に遅延が生じる。だから、それを補うための補助脳のようなしくみが備わっているのだが、その補助脳間の連携に時差が生じては意味がないので、その部分の同期機能についてはリモートで行わなければならず、そのターミナルの働きを肌瑪兎が行うのである。

 肌瑪兎はメカ工基辞から、およそ数駅離れた見晴らしのよいところでのんびりと、メカ工辞基の知覚機能に同期させて自分の脳内のメカ工辞基モデルが滑らかに動作できるよう受容信号を中継し、メカ工辞基の内部に散在する各脳が、あたかも同時にそれらの受容信号を受け取っているかのように錯覚させるのだ。言葉で説明すると非常に困難な専門的技術のようではあるが、実際上、肌瑪兎が行うのはメカ工辞基になった「夢」を見ることなのである。

 この「夢」は、通常の「夢」とはことなり、実際に現実世界の因果律に則って存在する「身体」に連動しているという点である。肌瑪兎は、メカ工辞基が感じるものを感じ、思うことを思い、目的とすることを目的として、そのミッション達成のために必要な動作を予測し、かつ送られてくる受容信号との誤差を最小限にする運動を選択肢から選ぶのである。そのとき、メカ工辞基の稼動範囲を超えた運動指示を禁ずるため、肌瑪兎とは「痛み」をリンクさせている。当初、肌瑪兎は、「死」もリンクさせるべきだ! と言い張ったのだが、工辞基はそれを断固として突っぱねた。

「痛みは、私の稼動範囲を知らせるために必要なだけだ。だから仮に外力によって運動範囲が稼動範囲外に及んだとしたら、その時点で、その部位の痛みのサーキットは切断される。それは、もはや私の稼動部位が役に立たなくなっていることを意味するからだ。だからといって、お前も一緒に骨を折る必要はないし、ましてや、私と心中しようなどと思ってはいけないよ。肌瑪兎。私はお前がいれば、何度でも蘇生できるのだから」

 肌瑪兎は、どうして自分がいれば工辞基が何度も蘇生できるといったのか、分からなかった。だが、これまでずっと信じてきた工辞基の言葉を、ここだけ疑う理由はなかった。

「わかった。でも私、絶対に陣ちゃんに無茶させないから」

「ありがとう」

 二人はこうして、幾度も危機を乗り越えてきたのだった。

 正直なところ、工辞基はなぜ、自分がメカ工辞基になって巨大化できるのかを知らない。いつそんな能力が備わったのかも知らない。鳥はいつ自分が空を飛べるはず、と確信するのだろう。親鳥を見たからだろうか? ではおたまじゃくしはいつ、自分が肺呼吸できると分かるのだろう? 水中で溺れそうになるから? そう考えると工辞基は、鳥よりもおたまじゃくしに親近感が湧くのだった。

 体内に存在する、自らの細胞を食い尽くす細胞によって、おたまじゃくしとしての身体を蝕まれながら、不気味な意思をもったデキモノのような手足が生えてくるのである。一方、体内ではエラから肺へと呼吸器官の大改造が行われ、分厚い舌ベロや巨大な目玉が現れてくるのである。完全変態の昆虫が蛹の中でドロドロになって再構築するというほどの変身ではないが、おたまじゃくしから蛙への変化はすべて、身を表にさらした状態で侵攻するのである。

 では、おたまじゃくしメンタルから蛙メンタルへは、いつどのように変わるのだろう。ある日突然「あ、俺、蛙!」と思うのだろうか。それとも、おたまじゃくしとして生きていられなくなった身体に追い立てられるように、おたまじゃくしから疎外され、蛙としてのメンタリティーに逃げ込むのだろうか?

 そう考えると工辞基はますます、おたまじゃくしから蛙へという変化に親近感がわくのだった。

 「外見は重要だよ、肌瑪兎」

 工辞基は肌瑪兎に出会った当初、よくそう言っていた。

 「なにしろ、世界には外面しかないのだから」

 肌瑪兎には、工辞基の言葉がよく分からなかった。肌瑪兎は表には表れていない「内面」を読み取ることができたからだ。だから、肌瑪兎はこう聞きかえしたのだ。

 「だけど、私はみんなが見えないものを見てるけど? その力があるから、陣ちゃんは私といてくれるんでしょ?」

 「肌瑪兎は賢いな」

 「そういうの、嫌いだな」

 肌瑪兎には、自分を賢いという工辞基の心の内側が見えていた。それは表に出ていた言葉と裏腹だったわけではなかった。むしろ、言葉通りの心情をよみとることができたのだった。だからこそ、「外面しかない」という工辞基の言葉が信憑性をもったのだった。肌瑪兎は少しだけさびしかった。

 「でも、そういってくれるのは陣ちゃんだけだから」

 肌瑪兎は工辞基の背中に飛びついた。

  それはいつのことだったのか、肌瑪兎は覚えていない。というか肌瑪兎はあまり自分のことを覚えていない。ある日突然、この姿のまま、自分はこの世界に存在していて、そこにははじめから工辞基がいたような気がしていたし、それでちっとも困ることはなかった。イフガメの砂漠で待っている間も、肌瑪兎の心は工辞基の心の動きを感じることができていたし、その意味で「距離」というものはさほど意味をもたなかった。そして、距離が意味を持たないということは、外と内との距離もまた意味をもたない、ということなのかもしれないな、などと考えることもあった。そういうことを思うのは大抵、砂嵐のシェルターの中だった。

「もし、こまったことがあれば、この笛を吹きなさい。私はきっとかけつけるから」

 工辞基がそういって手渡してくれた自然石に穴が開いている石を、肌瑪兎はネックレスにしていつも首にかけていた覚えがある。今、その石はどこにもないし、工辞基もその笛のことを一言も口にしない。だが結局、工辞基は砂漠へ肌瑪兎を迎えに来てくれた。「力を貸して欲しい」と頭を下げてまで砂の中へ戻ってきてくれたのだから、こまかなことは気にならなかった。

 日暮れまでに、大森界隈を、京急本線を残して壊滅させたメカ工辞基は、元の工辞基に戻って、立会川駅で肌瑪兎とハイタッチをして、品川駅へ向かい、ホテルでのんびり休憩してから、山手線へ乗った。

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