第111話 隊毛釜名見芸術を語る

「とくに、『具象』から『アクション』へと移行してからはとくに「ボウトクゲイジュツ」の謗りをまぬかれず、騒乱罪や威力業務妨害、浄水汚染罪、風紀紊乱罪、公衆猥褻物陳列罪、窃視強要罪など、いくつもの訴訟に明け暮れる晩年でしたが、本人は一度も出廷せず、かえってその公判当日に遠方の街路で「迷路No.18」といったパフォーマンスを繰り広げたりと、まあ反骨精神の塊といった凄まじさでした。『釜名見は空想を実現する』と、おだてあげる向きもありましたが、画廊としては、パフォーマティブな芸術というものにはあまり受け入れられません」

「『事件』は、売れないからでしょう。二つの点で」

「まさに。売るものはないし、売れるものでもないと。釜名見煙という芸術家は、活動家として死にました。芸術家としてのアジェンダと活動家としてのマニュフェストとの著しい乖離は、いわゆる『カマナニア』を切り捨てる結果となったのです。つまり、過去の芸術作品が値崩れを起こしました」

「市場価値を失った芸術家だと」

「まさに。今、釜名見煙は厄介な物件です。過去の栄光が現時の零落を、残酷に照らし出してしまう。まだ、無名の作家の作品のほうが、売りやすいという状況です」

「釜名見はなぜ『行動主義』に走ったのか、という批評が皆無であったように思われますが、この界隈ではどのように受け止められていたのです? 私は釜名見煙が『空想技術体系』を捨てたとは思えないのですが」

 隊毛のこの言葉に、バーテンダーはいじっていたボウタイを引きちぎり、それを隊毛のジンライムに突っ込むと、喉を鳴らして飲み干した。隊毛はそのバーテンの様子をおもしろそうに見ていた。

「し、失礼。失礼ですがあなたは、その、た、た、た、体系をご存知なのですか? 幻の全二十巻プラス便覧一巻の所在を、よもやご存知ではありますまいか?」 

 隊毛の内心は複雑であった。

 こちらの世界が、もといた世界とはある程度パラレルであり、相補完的かつ入れ子的であるだろうと、隊毛は予測していた。さらに敷衍するなら、表面に現れているパターンは違いこそすれ、そのパターンを生み出す胎動は同じだと考えていた。

 一連の展開は、その胎動へ釜名見煙というイデアが不均衡に流出し始めたせいであるとの仮説をたて、こちら側にも釜名見煙のサインがあるはずだと思って裏美疎裸を訪れたのである。

 そもそも、「裏美疎裸」を持ち出したのは、釜名見の傀儡に堕した作者であった。隊毛にはそれが愉快だった。

 空想は展開する空間を必要とするが、その際に必要悪として時間が導入されてしまう。釜名見は、こちらの世界で、「死」によって「時間」を超越しようと試みたのだが、市場価値は今なお釜名見を囚えていた。それは、本来の釜名見煙としての存在体ではなかったが、釜名見煙という指示詞が、実体をもたない名辞だけが、いわば幽霊が実体と等価ででもあるかのように、生き延びてしまっていたのだ。

 それは「書字」のようなものだ。釜名見というノエマ無きノエシスが「不定形」の「イベント」へ没入していった過程とは、シニフィエなきシニフィアンとしてありたいという釜名見煙の意思であり、そのようにしてしか埋めることができなかった釜名見煙という遺体なき棺であり、こちらの世界における決定的な実在の不在を意味していた。

「それは、あのg(グラビトン)のようなものです。確実にその影響下にあるのにもかかわらず、実体の観測ができないもの、としての、シニフィアン釜名見煙にとってのシニフィエ空想技術体系、というわけです」

「釜名見煙は、コンセプチュアルアーチストでしたから、作品と宣言とはセットでなければならなかった。ノエシスとしてのコンセプト。ノエマとしての作品。ですが、コンセプトもまたノエマに他ならない。ですが、そういうしかつめらしい議論は他所でやってもらえばいいのでしてね」

 バーテンはカウンターの影にあった手提げ金庫から、新しいボウタイとブラックカードとを取り出した。隊毛はその様子を目の端に捕えながら、タバコを咥えた。

「禁煙ではないでしょうね?」

「ここは治外法権ですから」

「『scrap 02.凝視』お気に召しましたか?」

 煙をプウと吐きながら、隊毛はカウンターの上のクリスタルキューブを手に取った。

「釜名見は、見られる側にいた。常に。だからこそ『凝視』には意味があるのだと思います」

 首の後ろで留め金をパチンと留めて、バーテンはまた、くりくりとボータイをいじり始めた。隊毛は、『バーテンは買い手を探しているのだな』と推理した。あとは、対価を支払うつもりがあるか否かである。

「凝視すること。それは歴史の始まりだったといえるでしょう」

 隊毛は、指の上でキューブのオブジェを転がしながら、話し始めた。

「たしかに、釜名見煙のアリバイともいえる『空想技術体系全20巻』は失われてしまったようにみえる。だが、現在、見つからないからといって、それが無かったということにはならない。実際、今がこのようにあるという事実が、過去を証明している。それが因果関係です」

「はぁ。歴史ですか」

「コンセプトなきアートなど、ハプニングですらない。ただの事故だ。そこに思想を与えるからこそ、ハプニング、つまり「テロ」は成立するのです」

「だから、歴史だと。通低するもの。裏打ちするもの。因果を担保したもの。歴史に統合されたい欲望。いかに突飛なことであるようでも、歴史に結びつけられていさえすれば、それはまた新たな歴史となりうる」

「釜名見煙は、名前を否定していた。顔を否定していた。あらゆる署名を否定していた。それは、「私」から「般」へというレディーメードに至るためにではなく、「個」から「普」へという下部構造への働きかけにのみ可能性を見出していたためでしょう。そしてその『事物』という下部構造こそが上部構造なのであるという逆転。歴史とは個別な点をつないでできた絵ではなく、すでにある絵の中から点的な事実を取り出していく形而上的な行為なのであると」

「釜名見は、宿命論者ではなかったと思いますが?」

「これを宿命論だと考えること。それこそが、宿命論者なのだという逆転です。歴史とは忘却された反復に他ならない。今、釜名見ほど、忘却を求められている芸術家がいますか? 釜名見ナンバーズの、時間を超越して失われない現代性は、歴史をツリーからリゾームへと転換する『器官』として機能する。釜名見の空想技術とは、そのような「凝視」としてあった。それは、人跡未踏の高み、崇高な神の視座、つまりは見るだけで何一つなし得ない、歴史の図案に手を加えることができない、磔刑の神の視座などでは、断じてなかったっ!」

 隊毛は、オブジェクトを握りこんだ拳で、カウンターをドンとたたいた。バーテンはうろたえた。せっかくの歴史的新発見を、目の前で破壊されてはたまらないからだ。今の隊毛の長広舌は、ひじょうによい宣伝になったのだ。二本目のボウタイを通じて、マニアのみがつながるサーバーへリアルタイムで送出されていた動画データへの食いつきは、すこぶる良かった。「その男を監禁すべき」という不穏当な反応を含めて、釜名見を崇拝するカマナニアたちのコミュニティーは、久々に滾っていた。

「それでは、えー、キオラ画廊の隊毛頭象さん。あなたはその『scrap 02.凝視』を、どのように位置づけるのですか?」

「釜名見が、イベントへ出て行ったのは、書を捨てて街へ出ようという煽動などではなく、空想が肉体へ敗北を認めたなどというネガティブなものでもなく、空想技術を極めえるために要請されたメソッドであった。『scrap02 凝視』とは、動かず一点を見つめる目であり、何人たりとも逃れることのできない目であり、その凝視を凝視する者の目でもある。それは、行為である。イベントである。パフォーマティブそのものであるようなオブジェクトとして結晶化したハプニングそのものである。つまり、歴史という図案、つまり、時間が辿り、辿る、道筋を封じ込めた無限の空間のモデル。あらゆるものが、ここからの差延であるような源泉であり、一の一。よろしいですか。これこそが、釜名見煙の「凝視」に他ならないのですっ!!」

 隊毛が手のひらを開くと、店内の照明は薄暗かったのにもかかわらず、その僅かな人工の光を浴びたクリスタルキューブの瑕からは、不均一な光の筋があちこちへ飛び、それは、店内のさまざまな物品で複雑に屈折するのみならず、何も無いはずの中空の一点で激しく折れ曲がり、反射したりもした。その光景は、光がなんらかの図案を描き出そうとするのを、このバー空間が、そろって邪魔をしているようだった。

 バーテンは息を呑んだ。そして、バーテンのボウタイ越しに、隊毛のパフォーマンスを凝視していた数千の精鋭たる生き残ったカマナニアたちもまた、呆然と息を呑んだ。オブジェから放たれた光は、それぞれのモニターを超えて、視聴者の眼球へも侵入していたのだ。

「隊毛さん」

 とバーテンは隊毛の手をとった。その手はポマードでベタベタしていたが、隊毛はそれを咎めなかった。

「今夜、新しい展示の披露パーティーを、内輪で、行うのですが、その場で是非、この『凝視』のお話をしていだけませんか? 現代に釜名見をよみがえらせるには、なんらかの起爆剤が必要だった。それは伝説の勇者を待つかのように見込み薄だと思っていた。そこへ、今というタイミングで、あなたが現れたのです。これは、釜名見の因縁ですよ」

 隊毛は頷いた。

「始めに申し上げたでしょう。このタイミングでこの画廊の情報を知ったのは、何かの縁だと」

 そして隊毛は、オブジェをバーテンの手に移した。

「表面をよくぬぐって展示してください。屈折率が変わってしまいます。それから、なるべく広い何も無い空間が必要ですが、用意できますか?」

 バーテンは、食器を拭くリネンの布にオブジェをくるみ、何度も頷いた。

「では、キリルをプリペイドでいただけますか?」

「い、いかほどで?」

 金の話をされて、バーテンは途端に尻込みした。確実に売れると分かっている商品だったが、果たしていくらふっかけられるのかという不安だった。展示が始まれば、売値の200倍だって買い手はつくだろうが、目先の出費には怖気づく。審美眼はそこそこだが、画廊経営者としては二流だなと隊毛は思ったが、そういった感想は、ちょっと首をかしげただけで仕舞い込み、悠々とハンカチで手を拭くと、もう一度右手をバーテンにむかって差し出して言った。

「値段をお決めるになるのは、あなたです。分割でもかまいませんよ」

「そ、そうですか。いや何しろキリル残高がこころもとなかったものですから。とりあえず今お支払いできる限りのキリルマネーを会員カードにチャージいたしますので」

 隊毛は、金額を確かめることなくカードを受け取って、微笑んだ。バーテンは、ホッとしたようだった。

「それで、パーティーは何時からですか?」

「深夜0時かっきりに。こちらへお越しください」

「必ず」


 裏美疎裸を出た隊毛は、看板をトントンと叩き、それからカード残高を確認するためにコンビニに入った。その額は、ホテルニューオータニ 東京 エグゼクティブハウス 禅に三ヶ月連泊してもお釣りがくる程度だった。

「さて、どこかでのんびりするとしよう」

 隊毛はそう言って、雑踏へまぎれていった。

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