第103話 こんな夢をみた

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 こんな夢をみた。

 作者は書くことでしか作品に対抗できない。作品は書かれることでしか作者に対抗できない。私は「空想技師集団」を書き続けながら、いつでもその事実に安心し、かつ怯えていたような気がする。

 作者は作品世界へ「神」のように君臨できる。だがそれとて作者自身の置かれている環境の制限内においてのことでしかない。つまりは作者は作者の属する社会と、形成する身体と記憶とに制限される。その制限を食い破ろうとするのが「空想」なのである。

 キリスト教的にいえば、作者と作品との間に、精霊のように空想があるが、この三位一体の関係は決して友好的なものではない。作者にとって作品とは常に自らの境界線を示し続け、作品にとって作者とはつねに暴君であり、空想にとって作者とは不完全な筆記具にすぎず、作者にとって空想力とは他者と認ずるよりほかなく、空想にとって作品とは糞でしかないのだから。

 糞しか生み出せない空想力は糞であり、作品は糞なのである。精霊は完璧なものであるが、それを具現化する機構が不完全すぎるために、世界は肥溜めのようになってしまうのだ。釜名見煙が「純粋空想」というとき、それは糞生成器を介することなく、精霊そのものを具現化した空想即現実を示している。

 この節の冒頭、私は私の怯えについて書いた。

 書く者と書かれる者とが等しく糞であるならば、その濃度が飽和したとたんにその境界は失われ、失禁によって描かれた地図が互いに融合してしまうのではないか。私が恐れていたのはこのことであり、先ほどまさに実現したところである。

 そのことに私は驚いたりしない。それが現れた瞬間は、それは吃驚はした。だがそれが想定内であったことは明らかである。そしてその場合の対処方法も私はちゃんと用意していた。


 作者がデザインした作中人物が、作者を出し抜くなどということがありうるのか? と読者は疑念をもたれたかもしれない。私は「ありうる」と断言する。なぜなら「存在」とは「精霊が宿る器」のことであり、精霊にとっては「現実非現実」「物体非物体」「因果非業」などの区分は無いからである。状況が器を成型し、成型された形に応じた精霊が注がれる(というか溜まる)のだ。この精霊を空想と読み替えていただければ、理解の一助となるだろうか。つまり、作者が作者の器の限界のなかで生成した糞の中でのたうつ状況がいくつかの器を成型し、その糞の器に空想が溜まることで、作者とは異なる作中人物の顕現が行われるのだ。

 通常の作品であれば、作中と作外とは厳然と区分されており、越境が生じることはない。せいぜい、「登場人物が勝手に動く」という「やらされ感」があるくらいのものだが、この「空想技師集団」においては、ついに、その境界が破れ、作中が作外へ越境することとなったわけである。

 いや、現代は相対性理論を超えて、量子テレポーテーションが観測される時代である。あちらがこちらへ、とは、こちらがあちらへ、という相対的関係におかれているのみならず、仏教でいうところの「依他起性(量子もつれ)」から、すべての隔たりを無とする「円成実性」へと移っている。もっとも、量子テレポーテーションは隔たりを前提としているてんで、まだまだ不十分なのではあるがそれはさておき、作者と作品との隔たりを安易に無とされては収拾がつかないことも事実なのである。

 明記すべきは、現実でおきた事は作品内に影響する。ということである。だが、このことは先に書いた「作者は社会や自身の過去に縛られる」という定理に何を付け加えることになるだろうか?食い気味に答えよう。それは「双方の未来を改変しうる」という属性が付与されたということなのである。

 作者によって作品の未来が変えられるということはさほど重要ではない。「作品が作品外の未来を物理的に変える」という点に着目すべきなのである。これは、これまでにも見られていた、ベストセラーになったから、棚を増やそう、とか、担当の給料が上がるとか、帯をアイドルのH.Iさんに書いてもらおう、とかいった人間関係に変化をきたすというレベルでの改変ではないのだ。

 作中で、文字が変化してしまう、という場面があった。現に今、作中人物たちはその文字を用いて筆記活動を行っているのであるが、私は作者特権としてその変化をあえて無視して記述し続けているし、話し言葉についても、本来は通訳が必要なところを、精霊の自動翻訳機能によってクリアしている。そこに「誤訳」がないとはいいきれないのだが、そもそも「空想」と「現実」とのあいだのはなはだしい「誤訳」を放置しているのであるから、誤訳など誤差にすぎない。

 さあ、私を戒めていたタイラップがようやく緩んだ。寝ている場合ではない。釜名見煙がこちら側に浸出してきたからには、それにふさわしいプロフィールを造型しておかねばなるまい。叩き壊されたラップトップは、精霊のお導きによって直っている。作者は書くことでしか作中人物に対抗できない。やつらが、「ぼったくりバー裏美疎裸」を見つけ出すまでに、こちらも万全を期しておかねば。


『季刊 几螺果巳』1969年12月「蘇る釜名見煙」号

はじめに

「Note of the note -ノートの調べ」 と題した不定期シリーズ。

このシリーズでは、著名人のノート、手稿、手帳、日記などを紹介し、そこに込められた作法と思いを検証していく。


No.119として、現代芸術家 釜名見煙さん(以下敬称略)のノートを検証する。

出典


図版1.『空想技術体系便概』釜名見煙 ばんぐ出版(1969年復刻版)

釜名見煙のこと


1900年(明治33年)4月23日 愛知県土岐郡市之倉村の鉄道技師の次男として生まれる。


早稲田大学建築科に学ぶも1923年6月中退。


図版2.学生生活を過ごした四谷の朱雀荘


1923年(大正12年)9月1日関東大震災に遭遇。瓦礫の山と化した帝都に、「物質存在」の醜さを感じる。

壺井繁治の知己を得て、萩原恭次郎創刊の詩誌「赤と黒」に一時参加するも、2年を待たず「白こそが爆弾である」と宣言し決別する。図面のトレースなどで生計をたてながら、「空想技術体系全20巻」の草稿に取組む。


1924年(大正13年)『赤と黒』6月(号外)に掲載された「空想技術体系要綱」が、改造社 山本実彦の目に止まり、現代日本文学全集の「詩・評論」の巻に収録された。円本ブームにのって、多くの印税を手にした釜名見は、三重県鳥羽市の神島に「共想舎」を開設。美術工芸に勤しむ者たちと共同で自給自足生活を行いながら、1930年「空想技術体系全20巻」を脱稿する。


図版3.神島での住居


図版4.神島の共同宿舎


その後、釜名見は「媒体に囚われない相関的全感覚芸術の行使」を提唱。全国を行脚し、住民らを巻き込んでの行使を行った。受け入れられるものも、排斥されるものも、騒乱罪などで捕縛されることもあったその行使は、約5年間で、800回に及んだ。(異説あり)


1935年 福島の霊山町を通りかかったところで喀血し、山戸田の寺で養生をする。そこで、釜名見は全身を剃毛したり、薪を粉々になるまで彫ったり、書道で紙が真っ黒似なるまで筆でこすったりという奇妙な振る舞いを繰り返し、精神衰弱と診断され入院する。


図版5.病院の中庭にて


最期まで付き従った能面師の土師無明は、釜名見の入院中の様子を次のように伝えた。


「縺れ合い、絡み合う無数の”意味可能体”が表層的”意味”の明るみに出ようとして、言語意識の薄暮のなかに相責めぎ、相戯れる。”無名”がいままさに”有名”に転じようとする微妙な中間地帯。無と有のあいだ、無分節と有分節の狭間に、何かさだかならぬものの面影が仄かに揺らぐ」(引用1)


1937年8月24日死去(享年37)

釜名見煙のノート


「かつて、素晴らしい才能がありながら、絵の具を作る技術がなかったばかりに埋もれて行った画家が数多く存在しました。表現されたものでしか、人は価値を判断する事ができません。それは枷です。私は、あらゆる人間が持っている空想を、絵とか音楽とか彫刻とかに束縛されることなく表現する術を明らかにしたいのです。(釜名見)」


このような原理を打ち立てた釜名見煙は、行使に際して一切の習作を残していない。自画像もサインもない芸術家、それが釜名見煙である。したがって、以下に紹介するノートは、尋常小学校~早稲田大学、そして神島における『空想技術体系』のための研究ノートに尽きている。釜名見煙の主活動である行使(釜名見ナンバーズ)については、当時の地方新聞などから探すしかない。

白磁への情熱(尋常小学校当時の研究ノート)


図版6.白磁に関する研究 尋常小学校6年生「夏の自由課題」


生まれ育った土地は陶芸がさかんな地域だった。そのなかで釜名見煙はとくに「磁器」に興味をしめし、透き通るような肌合いをもつ白磁のかけらを集めていたという。


この白への執着は「空想技術体系」収蔵の「ネイトン二世 ―純粋空想と人工純白」論に結実する。


付録「ネイトン二世(抄)」

混血王(またの名を皮剥ぎ王ネイトン二世の逸話)

「旧世紀の西大陸を白の恐怖で被い尽くした一人の王がいました。『混血王。ネイトン二世』です。彼はまたの名を「皮剥ぎ王」といいました。ネイトン二世は確かに王族の血を引いていたのですが、どういうわけか、鳶色の肌で産まれてきました。その為に、後継者争いは熾烈をきわめることとなりました。幼い頃、自分の肌の色から骨肉の争いを引き起こしたのだとのトラウマは、ネイトン二世に過剰なまでの白色愛好癖を植え付けたのです。

白色の優位性を成文化した最初の王として、現在彼の名は歴史から黙殺されています。彼は白のために紡績、鉱工業、遺伝子学、医学、なめし工芸、博物学、芸術、特に絵画などの分野を厚く保護しました。しかし、本質的には恐怖政治だったといわれています。純粋な白を作ることが王の最大の命令であり、失敗には死を与えられたのです。それぞれの分野で様々な白が発見、生成され、その純度で等級が決定しました。医学の分野ではアルビノ種の研究、肌の漂白技術などが研究されました。もちろん、当時が第一次産業革命期に重なったことは、研究者や職工にとっては、ある意味で、幸せだったといえるでしょう。そんな中で、白でなくてはならないのに、白が作り出せない一つの分野がありました。

王は、自分の身の回りを全て白で統一していました。自分の肌を隠すために、白い肌を持つ娘の皮を剥ぎ、衣服を作らせたという伝説もあります。全国から集められたえり抜きの美女、特に肌の美しい女たちと七日七夜に及ぶ宴を催し、娘達の中で酔いつぶれた者から順番に、生きながら皮を剥ぐのです。阿鼻叫喚が宴をいよいよ盛り上げて行き、白色大理石の鉱脈を磨きぬいて作られた地下室からは、血が溢れたといわれています。最高のなめし職人が皮をなめし、染みぬき、さらに漂白を施した人皮の衣類は、王の身体にあわせたまま縫い合わされていたといいます。

それほどまでに白に執着した王が、歯がゆくてならなかったのが、「磁器」だったのです。

現在の白磁が、ボーンチャイナと言い習わされている事はご存知でしょう。東の果てから、シルクロードを通って塩と共に交易されはじめたのが、この冷ややかな白い肌を持った白磁器でした。王はこの技術を盗み出そうと、密偵を送りこみ、さらに軍勢をしかけようとした程でした。しかし、隣国のストラビヌが、その外交手腕によってまんまとこの技術を輸入することに成功してしまったのです。ネイトン二世は、使者を遣わしてこの技術を手に入れようと試みました。しかし、ストラビヌはチャイナとの条約によって、『門外不出』を遵守し続けたのです。大陸において薄く硬質な白い肌は一大ブームとなりました。ネイトン二世は、諦めて、ストラビヌからの輸入で、欲望を満たせたでしょうか?

王は、白馬に乗り、白い羽飾りをつけた甲冑に身を固めて、ストラビヌへ進攻したのです。王の肌はいかなる矢をも貫けないように加工を施された乙女の皮を纏っていたのです。五千からなる白馬の進攻。それは無謀な行軍でした。ストラビヌの首都までの辺境地帯には自然の要塞、ヌトラカン砂漠が横たわっているのです。ストラビヌ軍は、砂に潜んでそれを迎え撃ちました。激しい日差しの下でも、夜間でも、『白』は砂中艦からの格好の的となりました。王は、戦に望んでなお、白を捨てられなかったのです。迷彩を施したストラビヌの兵士達は、囲いの中の白色レグホンを捻るよりも容易く、王の軍を殲滅できたでしょう。王の甲冑は砕け、人皮は日に焼かれ、防護機能が停止していました。ネイトン二世は、このヌトラカン砂漠の中ほどで、全身を陽に焼かれ、褐色の塩に被われて息絶えたといわれています。今でもその塩の柱を見ることができるそうです。」


大学時代の雑録帳


建築設計を学ぶかたわら、釜名見煙は「雑録帳」とよばれるスクラップブックを作成している。学び始めたドイツ語を駆使して、自由奔放なイメージをコラージュしたものだ。


図版7.scrap 01. 永遠


図版8.scrap 02. 凝視


図版9.scrap 3. 女たち


空想技術体系の研究ノート

全20巻索引1巻からなる『空想技術体系』は、1930年に発表された。羊皮紙に手彩色図版が添付され、限定13部。セット毎にナンバリングが施されている。釜名見の行使を「釜名見ナンバーズ」と呼ぶのは、このナンバリングのなごりだ。


図版10. art and magic


「体系」は、「第一巻 空想技術を紹介する」から始まり、最終巻「空想技術集団宣言」に至る間に、古今の文献や、芸術界、文芸界、音楽界、思想哲学界、宗教界、そして科学技術界、医学界までを包括し、空想技術を明晰に確立させ、既にありながらそれと意識されることなく無為に浪費されている空想技術に明確な構造を与えた、非常に難解な大著である。


図版11. 南方熊楠往復書簡まとめ


釜名見は南方の粘菌研究について、「物から存在へと突き抜けると「物質」とは存在の属性の一つであるということがわかる」と感心していたという。


図版12. 曼荼羅


釜名見煙は人間の欲望、煩悩と密接に関わりながら空想の純粋さについて論じる。宗教・科学を疎外的空想技術と見做しつつ各派がどの程度純粋空想を保持しているのかを研究した後、精神異常と空想、夢と空想、先端科学と空想、天才と空想など、あらゆる二項対比を行い、そのいづれもが純粋空想を堕落に導いたのだという事を論証しようとしている。


図版13.脳と記憶


空想はどこから生じるのか? 釜名見煙は哲学的方面のみならず、科学的見地からの検討を最重要とした。


図版14. 脳細胞スケッチ


「空想とは、それ自体が非常に掴みにくいものだ。したがって、様々な述語によって規定され、撤廃され、また確定され、廃止されるといった馬鹿げたことが繰り返されている。空想、想像、妄想、虚妄、空言、嘘、夢だとか、幻想だとか、様々な述語が用いられ、そのいづれもが少しずつ重なりながらも、別々の意味を表すという複雑な状況となった。しかし、これらは皆、同一の現象なのだ。では、何故このような区別をされなくてはならなかったのか。それは、この現象が引き起こす二次的な要素、またはその現象がみられる場所、時間などによる規定の仕方に過ぎない。(釜名見)」


図版15.重力


釜名見煙は、純粋空想そのものを説明するのではなく、反対概念を糾弾することで純粋空想を浮き彫りにしようとする。純粋空想は言語による規定をも否定するためだ。


釜名見煙の芸術は、常に価値観の破壊をテーゼとし、それは最新の科学的知識、先端技術によって表現されてきた。第一作とされるエンサイクロペディアの発表は、知の破壊と再生を体言したいわば脱現代宣言だった。


おわりに

「その後発表された釜名見ナンバーズと呼ばれている一連の作品は、全て、見るものを二分してきました。すなわち、心酔する者と、嫌悪する者とに、です。釜名見は、時として駄々っ子のように現在の風潮や、大義をひっくり返そうと試みてきましたし、そのようにして成し遂げられた作品は、無視することを許さないリアリティを獲得していました。釜名見は現代美術最後の巨匠として、時代の推進力となり、かつ、時代の破壊神として君臨し続けていました。煙の凄さは、こうした状況をすべて、処女作品の「空想技術体系」で予言していたということです。今、この著作は散逸しており、この点については釜名見神話として語られているだけです。時代に対するアンチテーゼが釜名見の製作動機だったことは、いうまでもありません。ですから、自身が時代を造り出してしまっているというジレンマを解決するためには、釜名見は、つかみ取った地位を捨て去らねばならなかったのです。釜名見にとって時代はあまりにも軽く、むなしい物に見えたことでしょう。」


釜名見煙という芸術家は、埋もれていました。

死後30年余りたった1964年。ハイレッド・センターの赤瀬川原平らによって、釜名見煙は、ハプニング、アクション、イベント、といった芸術行動として再評価され、「訪問詩劇」、「回覧彫刻」など、寺山修司らによる天上桟敷の活動にも多大なる影響を与えることとなります。


しかし、彼が解放したかった「純粋空想」は未だ、いやますます物質文明に縛り付けられているように感じるのです。


「この世界の全てが、空想を堕落させている」釜名見煙

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