第104話 パリアメもしくはさまオラ

 「裏美疎裸」というバーの住所は紙マッチに印字してあった。だが、それが現地点からどれほどの距離にあるのかは誰にもわからなかった。ボスはあの部屋から腕時計を持ち出していたので、現時点のGPS座標だけは把握できていた。しかしそれは点情報でしかなく、今のところ、その点を配置する二次元マトリクスの入手が急務なのであった。

人通りは多い。夕暮れ間近なウイークデーのペイブメントを、キョロキョロと肌瑪兎が率先して歩いていく。すれ違う人々が手帳のような手鏡のような器具を肌瑪兎に向けては、表面を擦っていく。

「アウェイですよここは」

 とボスがこぼす。人々はみな人型ではあったが、何を考えているのか想像することもできず、このなかの誰かが突然、牙をむいて襲い掛かってきて、それを合図に他の全員が飛び掛ってきたとしても、こちらの世界の官憲は黙認するのではないか。隊毛にはそのように懸念する理由があり、それは工辞基も言外に共有する危機意識であった。

「あまり、先へいってはいけない」

 工辞基は、肌瑪兎に声をかける。

 腕時計をいじっていたボスが「ホゥ」と声を上げ、液晶画面をすさまじい速さで流れていく短文をしばらく反芻した。

「こちらのネット環境は、近々3Pの導入にこぎつける、といったあたりのようですね」

「それはニュースかなにかが流れているのかね?」と隊毛。

「いえ。どうやらそこいら中の連中の頭の中がアンデパンダンに流出しているらしい。検閲がないから、思想統制とも思えないが、さて……」

 肌瑪兎のかわいらしい姿の画像や動画も次々に掲載されていく。

[かわいくない? あれどこで買える服。マキュラセルとか? エターナル23とかかな? ちょっとセクシーでゴスロリなウサギぽいし。読モ? 読モ? 周りにいるおじさんたちスタッフ? 埃だらけできたねえな。用心棒とか。誘拐とか。通報する一応。やっちまえば? 通報しました 挙動不審 モザイクかけるべき? へんな帽子]

「言いたい放題だな」

 と、ボスは帽子を被り直した。すると砂粒が頬を流れ落ちた。

「身なりを整える必要がありますね」

「だが、この世界の通貨なんて誰ももっていないだろう? 両替ができるとも思えないが」と工辞基。

「現金なんぞ持ち歩いてるのは君くらいのものだろう」と隊毛はボスを見る。ボスは首をすくめる。

「生憎、紙幣には信用をおいておりませんので、金貨ならば少々。ですが、レートが心もとないな。こちらの相場はどのくらいだろうか」

 とそこへ、一閃する光。いつの間にか一行は、巨大なライオンの像の前で立ち話をする形となっており、そこそこ見栄えのするオジサン三人と、愛くるしいアイドル属性しかない肌瑪兎のファンサービスぶりに、時ならぬゲリラ撮影会の様相を呈していたのである。

「ねえねえ。裏美疎裸って知らないかな?」

 地面に寝転ぶかのようにして、手帳のような機器をフラッシュしている(どうやらカメラのようである)チェックシャツの男の顔の上にしゃがみこんで肌瑪兎がたずねる。カメラ小僧はモゴモゴと股間を押さえながら「常磐三丁目にあります」と即答する。その答えにボスが反応した。

 肌瑪兎に「スタンドアップ!」と命じたボスは、カメラ小僧の胸倉をつかんで立たせ、「詳しい場所と、なぜ即答できたのか聞かせてもらおうか?」 と凄んで見せる。フラッシュの嵐。

[暴力だ。やばいおっさんだ。ちょっとイカしてる。画像認証しても出てこない] 群集がざわめく。全員が似たような端末越しに、四人を注視している。

「おい。なぜ知ってる?」

 カメラ小僧は息も絶え絶えで「話す。話すよぉ」という声を絞り出した。

 その話をまとめると、

 裏美疎裸というボッタクリバーは、昼間はギャラリーをやっていて、先週までアニメ原画展を開催していたのだという。

 ギャラリーと聞いて、隊毛が耳をピクリと動かした。

「四人で動いては目だって仕方がない。われわれもいい大人なんだから、深夜0時にその裏美疎裸で落ち合うとしようじゃないか」

「いいね! 陣ちゃん。デートの続きができるよ!」

 肌瑪兎がそういって工辞基にしがみついた。群集から悲鳴が上がった。

[なんだよ神待ちかよ。いくらでできるんだろうな。交渉してみたら? あのオヤジより俺のほうが絶対強い 私も抱いてほしい]

「よし。じゃ肌瑪兎。服を買いにいこうか」

「うん。ボスは?」

「俺は、図書館へでも言ってみるかな。なにしろこの世界のことは何もわからんからな」

「じゃ、そういうことで散会」

 四人は三方に分かれた。群集は圧倒的に肌瑪兎と工辞基の後をついてくる。うっとうしいな、と工辞基は思った。

「やっちゃう?」と肌瑪兎。

「やっちゃうか」と工辞基。

 どうせこちらはメタ次元なのだ。いわば明晰夢のようなものなのである。だからたいていのことは実現できるはずだったし、そこでの面倒を引きずる恐れはないと工辞基は考えていた。

 肌瑪兎が立ち止まり、いつの間にか背負っていたマシンガンを構える。工辞基は目の前に駐車してあった自動車のトランクを難なく開け、そこにあるゴルフバックから9番アイアンを手に取った。

「たまには、こういうのも悪くはないね」

「ぶっとばせ!!」


 後方で、悲鳴と銃声が響いた。隊毛は眉を顰め、ハンカチで口元を拭った。

「工辞基我陣め。久しぶりにコロニー時代を思い出して派手にやっている」

 砂漠の変わり者たちへの物資調達係としては有能だった工辞基が、当時の禁制品やら希少なリソースをどのようにして取引してきたのか。隊毛は細かくは知らないし、知ろうとも思わなかったし、知らないほうが安全でもあった。だが、その秘密の一端を、今になって見せつけらることになるという因縁に、なにか陰謀めいたものを感じ取っていた。

 こちらの世界のことも、作者が介入して動いているのに違いがなかった。それが、悲劇なのか喜劇なのか、エンターテイメントなのか純文学なのかは知らない。ただ、自分の資質を存分に発揮して目的を達成するまでのことだ。隊毛はそう思っていた。


 一方、ボスも背後に騒乱の風圧を感じていた。世界に対してまったくなんの責任も負わない、という立場は単純に爽快であった。そしてこの機会を与えてくれた作者に礼を述べたい気分も起こりかけたが、それすら作者の懐柔策でないという保障はなかったため、ボスはその感情をあっさり黙殺した。それを自由意志などという概念で銘記しておこうなどとは思わなかったが、少なくとも「穴」が貫通していた以上、相関があることは明らかなこの世界に、われわれの世界がもたらしたものが何だったのかを、作者より先んじて憶測することはできた。

「大規模なシステム障害」交差点の電光掲示板に流れていくニュース。家電屋のひどく無骨なモニター上で繰り返し伝えられるキャスターの声。「業務中止」「情報漏えい」「システムエラー」「キャッシュレス取引の停止」「為替取引のタイムラグ」「キリルコインの大規模盗難」

 ボスはもちまえの手腕で群集の一人から掠め取った手帳型端末を用いて架空アカウントを取得し、広報部のクラウド(驚くべきことに、インターネット回線はあちらとこちらとをシームレスに接続していた)から有用な諜報関連ソフト(いわゆるrootkit)を取り出して、数十億キリルをタックスヘブンの架空名義口座へプールし終えていた。

「想像力があれば、なんでも実現できる」ボスはこの世界の住人の圧倒的な想像力の脆弱性を看破し、そこからあらゆる障壁内部へ入り込むことに成功していた。「こちらの世界に3Pは明らかにオーバースペックだ」とボスは確信した。だから、その導入が間近であること自体が、われわれの世界からの干渉に他ならないのだと、ボスは推理していた。そしてそれを加速させたのが「Pranaria worm」と「The boooooKs」なのだろう。あのワクチンは、ラボの地熊膝秀所長が仕掛けた起爆装置だった。駆除対象として研究するうちに情が移り、その成長の手助けをしたいと考えるようになることはさほど珍しいことではない。平喇香鳴なら「転移」と呼ぶだろうし、真名麻納央なら「情にほだされたな」と苦虫を噛み潰したような顔をしただろう。

 そして、自分たちの世界とこの世界との関係も似たようなものだとボスは推測していた。自分たちが通ってきた砂の穴は、サンドワームの作り出したものに違いなかった。通常ならば砂漠の砂の中で砂を食い、砂に埋もれて生息しているはずの砂粒程度の紐虫だった。それがイフガメ砂漠では、ある時期から突然変異をおこして、ボール状にもつれて硬化し始めたのだという。「縺れ合い、絡み合う無数の”意味可能体”が表層的”意味”の明るみに出ようとして、言語意識の薄暮のなかに相責めぎ、相戯れる」との言葉は、サンドワームの変態をパラフレーズしたものだ。

 つまり、釜名見煙である。こちらの世界においては、伝説の人として葬り去られているらしい釜名見煙が、作者をも牛耳ってわれわれをお使いによこして、失われたピースを採集しさせようとしているのではないだろうか。

 ボスは、自分たちの座標が、元の世界ではどこに位置しているのかを確認したかった。そこでタイラカナル商事で最後まで音信のあった通武頼炉をコールしてみた。

「はい。ボス」

 あっけなく通武頼炉の声が返ってきた。

「それから以後、どうだい?」

「こちらにはもう読むべきものは何もありません」

 普段の通武からは想像もできないほど陰鬱な声だった。ボスはあちらで何が起こっているのかを尋ねるのを躊躇した。

「私の座標を取得できるか?」カタカタと端末を叩く音がした。ボスはそのキータッチの音に違和を覚えた。

「君は今、広報部にはいないな?」

「厚生部です。使える端末がここにしかないので」

 ボスはひとまずそれをスルーした。

 実際のところ、タイラカナル商事なる構築物は灰燼に帰し、残されているのは中庭のみと、別棟のやはらぎ棟の一部のみであった。

「出ました。ボスの所在はンリドルホスピタル車寄せ付近となっています。無論、座標はねじくれていてそれは同時にタイラカナル商事の営繕課倉庫に重なっています」

「わかった。引き続きモニターしてくれ。通武君、頼んだよ」

「わかりました」

 興奮するでもなく、緊張するでもなく、動揺するでもなく、通武頼炉はまったく平静にボスの言葉に応じた。あちらでも確実に事態は進行していた。だが、今はこちらに介入することが先決だった。

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