第63話 隊毛と工辞基
営業二課は今、隊毛頭象が支配していた。この重々しい空気によどんだ部屋の全体を、あの未伊那深夷耶を襲った包帯の輪が、吊り下げているようだった。
隊毛に「乞米操馬」と名指しされた工辞基我陣は、抱いていた肌瑪兎の肩をぎゅっと掴むと、まなじりを決して顔を上げた。
「いつかはこういう日がくるとは思っていましたが、いざとなると怖いものですな。」
工辞基の顔色は次第に元に戻っていき、抱いていた二人の女性をそっと床に寝かせると、ゆっくりと立ち上がった。隊毛はおもしろそうに工辞基の様子を見つめていたが、ふと背後の模型に気がつくと「うんうん」とうなずいてい見せた。
「君も無駄にコロニーに出入りしていたわけではなかったようだね。そんなものを拵える腕を持っていたとは、不測だったな」
隊毛の肩越しに、おずおずと室田が顔をのぞかせた。その視線の先には、室田の知らない工辞基我陣の表情があった。室田はここで口を挟むのはよした方がいいと考えた。或日野が中庭で言っていた「本当のクライアント」の意味が、隊毛の「釜名見不在説」によって信憑性を増した今となっては、「空想技師集団」の過去に根ざした問題を、どうしても知っておく必要があった。そこからプロジェクトを妨害する者達に対する有効な対応手段が見つかるかもしれないからである。とはいうものの、現実的な意味で、二人の会話に室田が割り込む隙がなかった、というのが本当のところである。
「いつから、ご存知でしたかな?」
工辞基がたずねながら、応接セットの方へ隊毛をいざなう。隊毛は躊躇せずそれに従う。室田もこそこそと後をついていくが、工辞基の対面に座る気分になれず、パイプ椅子を持ち出し隊毛の斜め後ろに陣取った。
「イフガメにいた頃、君はただの食料運搬人だったね。こっちの方面には興味がなかったはずだが、奇妙なものだね」
「当時は、食べるのに精一杯だった。あんな砂漠に好き好んで暮らしている連中の気が知れなかったが、おかげで配達業が成り立った。芸術にはいまもそれほど興味はないが、人の道というのかな、それに外れる事には我慢がならない性分でね」
隊毛はその言葉に煙たい顔をし、ポケットからタバコを取り出し火をつけた。その隙に工辞基は、室田の方をちらりと見た。その目には哀れみが浮かんでいるように思われ、室田はつい声を荒げた。
「君は偽名でここに勤めていたらしいな。明日の定例会議の緊急議題として提起せなばならんよ。そもそも辞令を無視してこちらへ引き上げてくるということそのものが、重大な社則違反だと思わないか?」
だが、工辞基はその指摘にだまって眉をつりあげて見せただけで、すぐに視線を隊毛に戻してしまった。室田は真っ赤になり、もう一言いってやろうと息を吸ったが、その隙に隊毛が話し始めてしまった。
「我々は、当時コロニーに関与していた連中全員のリストを持っていてね。それは毎年更新されている。つまり、今どこで誰が何をしているのかはみんな把握しているんだ。いつか、釜名見先生を交えた同窓会を開けたらどんなにいいかと思っていてね」
「よく言う。君たちがコロニーを去ってから、あそこは大きく変貌してしまった。その意味では君たちがあのコロニーの、いや空想技師集団の中核だったということは認めよう。だが、それは君たちだけでは成し得なかった成果だということを考えてみたことはあるかね?」
「その前に、君にあのコロニーを総括する権利が、そもそもあると思っているのかな?」
隊毛はタバコを灰皿に押し付け、鋭くいった。工辞基は俯いた。だが口元はほころんでいた。
「誰にも、そんな権利はないといえるだろうね。コロニーは誰か一人のものじゃあなかった。だから、誰の言葉でもコロニーは真剣に受け止め考える。なぜなら、誰でもコロニーの一員ならば、それについて意見する権利を持っているからだ。釜名見煙だけが、ある意味で特権的な立場にいたともいえるけれども、それとて空虚な中心といったものだった。みなが釜名見煙に心酔し支持してきた。だがコロニーに参加していた連中が思い描いていた釜名見煙像は、それぞれが勝手に作り上げた偶像にすぎない。いわば、釜名見煙が触媒となってさまざまな物が生まれていったのだから。先生は嘆いておられた。君たちがコロニーを去ったからではない。君たちが砂漠の生活で掴み取ったものが、あまりにも小さく未熟なものだったからだ」
「そうだろうね。あの先生の理想からして、人間世界にとどまっていることそのものが、卑小なことだったのだろうから。だが、肉体を超越して生きることなどできはしない。体は養ってやらねば立ち行かない。芸術も脳を刺激するひとつの手段にすぎないのだからね。先生の偉大さを崇めるのは君たちに任せるが、この世界では、あの先生のことを誇大妄想狂と呼ぶのだよ。私はそんな煙の中から使えそうなものを厳選してこの世界に送り出しているだけだ。釜名見の意志をのもっとも正統な後継者だと、認めたらどうだね」
工辞基は床に横たわる二人の女性に時折視線を走らせながら、隊毛の言葉を聞いていた。
「なぜ、認めてもらいたがるのですかな? それに私が認めたところで何が変わるというのです。何もかわりはしない。あなたは立派な贋作師で、大勢の才能ある人々をあらゆる意味で闇に葬ってきた殺人鬼ではありませんか。こちらの室田君と何か計画をなさっているらしいが、室田君も組む相手を間違えたね」
そういいながら工辞基は室田を見ようとしないのである。室田は憮然とした顔で工辞基をにらみつけ、すぐに隊毛の後頭部に視線を移した。また途中で話をさえぎられてはたまらないと思ったからである。だが、隊毛はなかなか次の言葉を発しなかった。室田は、工辞基の背後の置かれている模型と、その上部に静かに垂れ下がっている包帯の輪をためつすがめつしていた。
「隊毛さんどうしたんですか? 何かおっしゃらないと」
室田が心配になってそっと隊毛に耳打ちした。隊毛はうるさそうに室田の顔を裏拳で払いのけると、新しいタバコに火をつけた。
「ときに、乞米君。あの模型だが、完全じゃないようだね。」
室田はこの緊迫した事態で何を言っているのかと呆れた。だが、工辞基の顔にかすかな陰が掠めるのを見て取ると、改めて、問題の模型に目をうつした。それはいびつに膨れ上がった繭のようだった。
「思うに、君が自分で拵えたものではないね。誰かに作らせたかな? それは失敗だったんじゃあないのかなあ。やはりこういうものを人任せにするというのは、つめが甘い」
「十分に機能していますがね」
「嘘だ。嘘嘘。そのことは君が一番よく分かっているはずだよ。先ほどここの駐車場でね、かわいそうなことになっている社員がいましたよ。あれは、何といいましたっけ?」
「黄間締のことでしょうか?」と室田が答える。
「そうそう。黄間締君。電話では一度話したことがありましたが、かわいそうなものです。社会復帰は難しいでしょうなあ。それから、喫茶「凪」といいましたか。あそこは酷い有様でしたよ。ねえ。室田君」
室田は「まったくです」と答えはしたが、そのとき会社にいなかった工辞基に何の関係があるのかまったく分からなかった。工辞基は拳を握り締めて隊毛を見ている。
「先ほど君は、誰もが釜名見に心酔していたが、その実像はバラバラだというようなことを言っていたね。同感だよ。だから、私が釜名見の意志を継いでいるという事実を、釜名見本人が受け入れられないとしても、それはこちらの知ったことではない。君があたかも釜名見のために私と対決しようとしていること事体もまた、大先生のお気に召してはいないのではないかね」
「本人の気に入るようにすることが必ずしも本人のためになるわけではない」
工辞基は搾り出すように言った。
「老体に鞭打って手前勝手な理論の実験にまかり出てきた釜名見煙と、これまで釜名見煙の名声をいささかも損なうことなく守り通してきたこの私と、どちらが釜名見煙を名乗る資格があるか、結論は明白だとは思わんかね」
「断じて、そんなことは許さない」
室田はこうしてにらみ合いに入った二人を眺めながら、釈然としないものを感じていた。そして、室田と同様の感想を持つものが他にもいるいうことを、この直後に知らされることとなったのである。
「失礼だが、いったいお二人は何をどうしたいというのか、もう少し明確に話してもらえないでしょうか?」
突然の声に、隊毛と工辞基は同時に戸口を振り返った。そこには、今にも口笛でも吹きそうな笑顔で、ボスが立っていたのである。そして、その背後に付き従っていた白い男を見つけた工辞基と室田は同時に呟いた。
「或日野…」
「アルビヤ…」
白い男はボスの背中に隠れるようにして営業二課に入ってくると、自分の椅子に滑り込むように腰をおろした。
「ほほう。これだね。黄間締の書置きというのは。」
ボスは他人の注視を意に介さないようにテーブルの写真を撮り、それから床に転がっている二人の女性を見つけた。
「これはしたり。二人のご婦人をほったらかしにして君たちは何をしているんですか。すぐに手当てをしなければ。君。水をとってくれたまえ。ポットは使わないように。調べることがあるのでね。それから室田さんといいましたか。手をかしなさい。まったく。ご婦人をソファーに寝かすんです。この国からは騎士道が失われてしまったのですか?」
「ああ。これは瑞名さんです」
「何。知り合いか。ではこちらは?」
「その人は知らない人です」
「それは私の連れだ。彼女は私が運ぶ」
それからひとしきり人々の動きがあり、ソファーには二人の女性が横たわり、それ以外の男たちは例の模型のある机の四隅にそれぞれ椅子をもちより腰をおろした。扉に近い一角、模型の正面にはボスと或日野、ソファーに近い左辺には工辞基、その反対の角に室田と隊毛。
「では、この模型のお話から聞かせていただきましょうか。工辞基さん」
ボスが口火を切った。ちょうどそのとき時計が4時のベルを鳴らした。
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