第31話 多々場君の追跡

 僕はとにかく馬鹿でかい黄色のバンを追いかけ続けました。追いかけながら、僕は先輩の人の変わったような指揮力に驚いていました。いままでは、特に目立った業績も無く、シャイでアフター5の飲み会でもずっと俯いていて、王様ゲームで男とキス、と命令されれば、きちんとディープキスをしてしまうほどの、真面目な先輩でしかなかったのに、今回の仕事に携わるようになって、そう、高校生が夏休み明けに突然、ツッパるように、服装の趣味も、肌の色も変えて、スキンヘッドにまでして、あの室田営業統括部長兼営業課長代理と互角に渡り合う程、肝の座ったところを十二分に発揮しているのですから。

 アルビヤ先輩。僕はずっと、アルビノ先輩だと思っていました。でも、アルビノさんという人は、入社依頼ずっと資料室に配属されている、全然別人なのだといいます。二人に面識は無いだろうと、室田営業統括部長兼営業課長代理はおっしゃいました。ただ、アルビヤ先輩が肌の色を白くしてきたのは、アルビノさんの今朝の怪我と何かかかわりがあるのではないかと、僕は直観していました。

 アルビノさんは、今朝、警備員を三人叩きのめした暴漢と、トイレで鉢合わせをして重体に陥ったのだそうです。いてもいなくてもいい人の怪我でしたが、少なくとも午前中一杯は、社内の噂の主役でした。驚いたことに、アルビノさんの存在を、この事件で初めて知ったという人がほとんどだったのです。一体、これまで、どうやって会社に貢献していたというのでしょう。

 それは丁度、この仕事を担当する以前のアルビヤ先輩のようだと、僕は思いました。けれども、そんな昼行灯を決め込んでいたアルビヤさんは、実は今回の件がビックビジネスになるという事を見越して、独自に諜報活動をしていたものと思われました。僕への的確な指示といい、頭の切れといい、明晰な言葉といい、僕はアルビヤ先輩の仕事の役に立てるなら、休日を削ってもいいとさえ思っていました。

 橋を過ぎて立体交差をくぐると、バンはロータリーに入りました。僕はバンの二台後ろを気づかれないように尾行していました。本当は、車を三台使ったチームで尾行するのが一番なのですが、今は、とにかく僕だけがこのバンの素性を突き止められる位置にいたのです。官憲の目前であることをものともせずに持ち出した院長を、一体何処へ運び込むのか? 私は前のバンのスモークガラスを睨んで後をつけました。

 と、いつの間にか間に挟んでいた一般車両がいなくなっています。僕は問題のバンのすぐ後ろにつけてしまったのです。しまった。と僕は窓の外を見渡しました。

 と、車はまだロータリーを回っていたことに気づきました。前だけを見ていたため、どこを走っているのかにまで、気が回らなかった私のミスです。尾行に気づかれたと、僕は血が昇りました。ロータリーを二周も三周も付いてくる車を怪しまない人はいません。

 と、バンは一気にスピードを上げました。僕は一瞬躊躇してしまったのです。気がつくと、バンは僕の二台後ろを走っていました。ロックオンされたのです。僕は気が気ではありませんでした。バックミラー越しにバンを確認しながら、混雑するロータリーをのろのろと回るしかないのです。

 と、前の車がハザードを出しました。駅へ着いた誰かを送迎しようというのでしょう。ロータリーでの送迎は道路交通法違反です。が、そんな違反は誰でもしていることでした。僕は慌ててブレーキを踏み込み、慌ててバックミラーを見ました。

 が、そこにはもうバンは映っていなかったのです。駅前を12時の位置とすると、私は大体2時の位置で止まっています。12本の道路の交わるこのロータリーの、3時から11時までの間の9本の道路のうち、どこへ入ったのか、確認する術はありませんでした。

「アルビヤ先輩。すいません。巻かれました。場所は、ロータリーです」

「馬鹿野郎。至急、病院に戻って田比地君のバックアップに回れ。やつらが何を持ち出したのか、特定しろ」

「特定って、院長の体なんじゃ…」

「誰がそれを確認したっていうんだ。バンは盗難車だった。そっちの線はもう切れた」

「すいません」

 僕は真っ青になって謝りました。

 が、アルビヤ先輩は、意外にも優しい口調でこう続けたのです。

「済んだ事はいい。プランBに切り替えるだけさ。頼むぞ。病院だ」

「はい」

 僕は今、初めて仕事の楽しさを味わっているのだとの実感に熱いものがこみ上げてきたのです。


 田比地君の首尾


 さてと、と俺は病院の屋上から再び噴水前に下りた。この場合、二点固定法では画像はひどく歪むが、今はそれしかオプションは無かった。裏庭の自転車置場の支柱に取り付けた端末と、屋上の避雷針に取り付けた放射機。じゃ、やっつけちまうか…


 俺は昼下がりの午後を呑気に散歩する野良犬のように、病院の端から端まで歩いた。避雷針の放射機が自転車置場の支柱の固定端末と、俺の腰の移動端末との間にエックス線及び赤外線を放射する。つまり、このユニットは建物のCTを採る為の道具だ。社に戻って復元ソフトにデータをぶち込めば、病院は丸裸だ。


 あの騒ぎの時、ナースステーションの端末はまるで無防備に全てをさらけ出していたっけ。アルビヤさんの要求はこれで八割方は片づいた。

 かつて、書類の全てを、ライターや、ペンや、眼鏡に仕込んだカメラで撮影しなきゃ持ち出せなかった時代の事を、俺はいつも考える。あの頃の方が、緊張感を持って仕事が出来たな、とね。それにしてもあのビニールバッグの中身、俺のサングラスにははっきりと中が透けて見えたが、鉛の仏像か? ここの院長がアンドロイドだったとすりゃ、説明がつかなくもない。アルビヤさんには、検討がついてるらしいが、食えない男だぜありゃ。今のいままで猫かぶってやがって、恐れ入ったぜ。二重スパイの素質を十分に満たしてるじゃねえか。だが、一体どことどことをスパイしてるっていうんだ? うちの会社の情報を流してどこから甘い汁を吸っていやがるのか。案外、今朝の騒ぎだって、アルビヤさんの仕組んだヤラセじゃねえかな。と言ったら、多々場は「馬鹿なこというなよ」だとさ。おめでたい奴だ。尾行も満足に出来ない奴を待ってても仕方がないから、俺はとっとと次の仕事にかかるとしよう。


 ICUへ入るにはパスが必要だ。つまり俺にとっては開けっ放しだって事だ。さあ、一つ目の部屋。おっと、この部屋の電磁波量は凄まじいね。俺の電脳は一気に臨界に達したよ。ぎりぎりのセキュリティーって事だ。俺はサングラスを外して、電磁波防止防止とアイマスク、さらにエプロンを装着して、ベッドのある部屋を目指した。

「な、なんじゃいこりゃあ!!」

「どうした。田比地君。映像を送れ」

 おっと、何時の間にか回線が開いていたらしいや。俺としたことが不甲斐ないところをさらけ出してしまった。だが、さすがの俺もこんな不気味なもんは見たことがない。いつから、この病院じゃインスタントヌードルを生産しているんだ。間違いなく、この装置はフリーズドライ生成機だ。

「フリーズドライ生成機? 病院でそんなもの何に使うんだ?」

「知らないよ。献体か何かを保存するんじゃないの?」

 俺は昔ながらのスパイのように、ネクタイピンに仕込んだカメラのシャッターをきりまくった。機械の影にこんもりと盛り上がったゴミを発見する…

「アルビヤさん。さっきの優先順位確認するぜ。脳。脳と脊髄。脳と脊髄と肛門。だったっけね」

「院長がそこにいるのか?」

「ここにあるよ。変わり果てちゃいるが、話の流れからして間違いないだろ。なんなら歯型の照合をしてみるかい?」

「いや、いい。どうせ歯なんて一本も残ってないんだろ」

「ビンゴ」

「持ち出せるか?」

「かるいもんさ。何しろ、干からびているからな」

 俺は始めて見た。生身の人間のフリーズドライ。お湯をかければ生き返るなんていうおぞましい話は御免被りたいが、体重の80パーセントを占める水分がからからになった院長一式くらい、片手で運べる。頭痛を堪えてミイラをスキャンする。

「脳みそまで完璧に乾燥してる。クルミみたいな状態だ。ただ、各系統は全て保存されているらしい。どうする? お湯かけて三分待ってみるかい?」

「なんだってやってみるさ」

 俺はむかついてしかたがなかった。搬送ワゴンに院長をカサリと乗せて、シーツをかけると、革の繋ぎを脱ぎ捨てた。下には当然ブルーシャツにネクタイ。そして白衣を着込んでいる。おっと、看護婦が歩いてくる。俺はさも「処置無し」といった顔を作る。

「N医院に移送だ。ここの入院費は高すぎるとさ」

 看護婦はしばらくぼおっと俺とワゴンとの前に立ち尽くしていた。疑われる要素は何もない。

「朝から馬鹿騒ぎでいやになるな。疲れるだろ」

「え? えええ。なんだかぼーっとしてしまって。移送ですか?ご家族の方は?」

「お荷物なんだろ。人間、身内に見捨てられたら惨めだね」

「そんなこと… 患者さんに聞こえますよ」

「なに、鎮静剤を打ってあるから大丈夫だ。生きてるのか死んでるのかだって自分じゃわからないさ」

 看護婦は唖然として俺を睨む。心優しき看護婦さんだ。

「さ、どいてくれ。午後から頭蓋骨を三つ開かなきゃならないんでね」

 俺は看護婦の傍らを擦りぬける。ちょろいもんだ。院長もいない。それにさっきの騒ぎがまだ収まっていない。噴水前に、車を回してきた多々場がいる。一応、ユニットは回収してくれたらしい。

「ミスッたって?」

「挽回するさ。一つ、ニュースがある」

「何だい?」

「患者が一人行方不明になっている。さっきの騒ぎの後だ」

「ICUの患者か?」

 突然、アルビヤさんの声が割り込んでくる。なんだよ、向こうから設定してきやがる。多々場は得意気に「違いますよ」と言う。

「アルビノって、うちの社員ですよ。今朝、重体で入院した。それが行方不明だそうです。自力で歩ける状態じゃなかったっていうんですがね」

 アルビヤは絶句した。そして、カウンターに差し出された冷たい手を握りしめた。彼女はその手に自分の手をさらに重ね、微笑んだ。

「地媚君。またややこしい事になったよ」

「データは多いほうがいいのよ」

「そう思うかい?」

 地媚さん(型端末)は、力強く頷くと、多々場、田比地の送ってきたデータを、恐ろしい勢いで解析しはじめた。

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