第30話 鍵

「アルビヤだ。お、多々場君か。どうした」

 ンリドルホスピタルからの連絡でした。何かひどく慌てた様子です。

「酷いですよ、こっちは。第一級殺人とかで、警察が黄色いテープをぐるぐる巻きで、中に入ることもできませんよ。一応、半年前のCTは入手しました、健康診断の時のやつですが。残りは、多比地君が入手しました。あと眼球もろもろも、不燃ゴミの中から回収しましたが、御本尊が臨終じゃ、仕方ないですね」

「死んだのかどうか、確認できているのか?」

「間違いないでしょ。今さっき、運ばれていきました」

「多々場君。警察は警察の目で世界を見ているんだ。私達は広告屋の目で世界を見なければならないんだ。優先順位は覚えているな。それから合法的な方法に頼るなとも言ったな。警察のバンにのせられたらそこから先は厄介だ。何とか写真だけでも撮れ。いや、一目見てこい。その網膜に焼き付けてくるんだ。いいな」

 私は、現場には自分がいくべきだったと、今更ながら後悔していました。ただでさえ、目口耳を不能にされて、窮屈な状態で縛りつけられていたのです。だからこそ、死の診断には細心の注意が必要だったはずなのです。私には、まだ院長は死んでいないという確信があったのです。なぜなら、私が知りうる限りでは、死ぬ理由が無かったからです。

 今、院長を見逃すわけにはいきませんでした。半年前のCTでは古すぎるのです。私は院長が言っていた「鍵」を絶対に入手しなければならなかったのですから。

「多々場君」

「はい。玄関にきました。車は噴水の前です。なんか黒いバッグに入っていて外からは確認できません」

「そうか、何か騒動でもおこして… ちょ待てよ。警察が遺体を運ぼうとしているって?」

「はい。司法解剖にまわすんでしょう」

「馬鹿野郎! この町で、司法解剖をする公的な機関は何処だか知ってるか?」

「そりゃ、もっとも設備の整ったンリドルホスピタル… アッ!」

 そうです。この町で、詳細な剖検が出来る施設があるのは、この病院をおいて他にないのです。加えて、救急の患者もここに運び込まれます。ここから出ていくのは、病気が直った者か、内蔵をそっくり顕微鏡標本にされてしまった遺骸の脱け殻だけです。だから、今、院長を運び去ろうとしているのは、正規の警察ではないということです。

「多々場君はバンを尾行しろ! それから田比地君。例のユニットを装着してるな? そのまま、病院に残ってくれ。もう少し調査してもらいたいことがある」

 多々場君は、車に乗り込んで追跡を開始しました。そして田比地君は、サングラスの内側でニヤリと笑みを浮かべていることでしょう。彼はこういう活躍を夢見て、うずうずしていたのですから。 

 ―さてと

 私は手を擦り合わせました。この茶番はおおかた、隊毛の一味がしくんだことに違いありません。さきほど私が連れ去られたどさくさで、院長を拉致しなかった事こそが、彼らしくない失敗だったのですし、警察の眼前という危険を冒してまで、院長を連れ去りたい理由が、彼らにはあるのです。

 それは「鍵」の為に違いないでしょう。そして、鍵には鍵穴が付き物です。鍵穴のヒントは、やはりンリドルホスピタルにあると、私は考えています。

 行方不明の運転手、隊毛達、そして室田営業統括部長兼営業課長代理。私は、目隠しをしたまま三面差しをしているような状況にありました。自分の持ち駒ですら、はっきりとしていません。ですが、この全てに勝たなくては私は破滅する。そんな焦燥と興奮とが、私を付き動かしていました。

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