第18話 品評会
「…が煙ですか?」
「まあ、お待ちなさい。レベルは? 夏个君」
「2.5マキナです」
「落としなさい」
「判りました」
目覚めた時、私はぼんやりと明るい部屋に横たえられていました。耳鳴りがします。部屋はただぼんやりと明るいというだけで、何がどうなっているのか、よくわかりません。そして、身体は痺れたようになっていて、手や足が本当についているのかどうかすら、曖昧でした。ぶーーーーん。というモーターの唸るような音がしています。あの、看護婦はどうなったでしょうか。そして隊毛氏は、釜名見煙は、どうなったのでしょう。
「会社に連絡しなきゃ」
「会社に連絡しなきゃ」
「会社に連絡しなきゃ」
今更何を…… と思います。でもこの衝動は抑えがたいほど強力だったのです。これは、非現実的恐怖に対抗する現実の強化にほかならないのでしょう。「会社」だけが、この私を現実に繋ぎとめてくれる。しかし、そうと認めることの何とみじめなことか。他には何もないのでしょうか。地媚さんは。看護婦さんは。お母さん。お母さん。
涙がこぼれ始めました。会社に代表される日常は、磐石でした。しかし、その地盤が堅固であるがゆえに、それ自体が激しい地震の原因となって、そこに住む者をいたたまれなくします。
ふん。そんなのは、言葉の遊戯にすぎない。誰が何と言っても、私は現実へ、会社へ戻り、タイムカードを押す(かもしくは、直行、直帰を認めさせる)のだ。実際、私がここにいるのは、仕事絡みだったのですから。
「私は仕事をしているんだ」という強い信念が、激しい憤りとなって体内を巡りました。私の体は、これまでに動かしたことのないくらいに、弓反り、限界を超えた金魚運動を繰り返し、ベッドを激しく軋ませました。ただ、こんなに牙を剥いて抗ってみたところで、きっと部屋の静けさを強調する程度の効果しかないのだと思います。
きっと、私は監視されていて、この緊縛空間から逃れることは出来ないのだと。私が納得するまで、何時間でも、いえ何日でも、何年でも、放って置かれるのでしょう。この部屋の変わらぬ静けさこそが、永遠でした。私は永遠の恐怖に押し潰されていきました。頭の中にきな臭い匂いが立ち込めました。鼻がつんとして、目が痛くなりました。そして、私はまたも気絶したのです。
「今度はどうだい」
「7.3±0.4近辺で平坦です」
「静かになったね」
「はい。かなり強力な発作でした」
「で、波の方はどうだった?」
「こちらは常に安定だ。クランケは凪いでいた」
「おかしいじゃないか。それじゃ今の発作は、この脳の働きによらないとでもいうのかね」
「下腹部にも充血は見られませんでしたし」
「こちらは、認知心理学テストをしてみないと何とも言えませんが、おそらく、クランケ自身が構築してきたニューロンネット束とは別系統の束が存在するのでしょう。もちろん、時間とともに両者は統合されてしまう非常に不安定な組織ですが」
「断層面はどうか?」
「はあ。催眠科のドクターの仮設の、物理的な裏付けが取れたように考えます」
「ほほう」
「聞かせて、いや、見せてくれたまえ」
水が入った耳が聞くような音が聞こえます。品評会みたいです。大勢が私を取り囲んでいるようです。
私はずっと臆病に暮らしてきました。それで上手に生きてこられたと思っていました。自分さえちゃんとしていれば、ゆめゆめ、酷い目に遭う事もあるまいと思ってこれまでやってきたのです。
それが今では、全身つるつるの真っ白で、痺れきっているし、看護婦の目の前で盛大に噴出させてしまうし、永遠の禁固に処せられているようだし、全く、この病院での父の処遇か、それ以下の扱いをうけて、かぼちゃのように品評されているのです。
「この部分です。なかなか厄介な場所です。脳幹と視床下部の境界なんです。ここです」
「なんだね。この影は」
「何とも… 血栓ではありません。点滅しているようにも見えます。強いて類似物を挙げるとするならば、昨年の3月、イフガメ砂漠で訓練中の自衛隊一個中隊全員が目撃して、事実だと宣誓したかどで幕僚幹部会が召集され、全員がロボトミーを行ったという、いわくつきの未確認飛行物体の写真かと…」
「何を馬鹿な」
「おいおい。遅くなった。悪いが試させてもらうよ」
「かまわん。肌には、色にもハリにも興味がないんでね」
「はん。常識絶対主義で新規客を病院へ勧誘しているあんたがたの台詞とも思えんな」
「白い肌は相変わらず引き合いが多いんだろう。マーケットはあんたの仕事を待ち望んでいるそうですねえ」
「はん。売れるものは何だって売るさ。誰だって売れるものがあればそれを売ればいいのさ。欲しがる奴がいないからって、客の方をこしらえるあんたがたよりは良心的だと思うがね。夏个君。ちょと立ててくれ」
「はい」
「もしね。不具合を訴えられたら、不潔にしていたからとか何とかいって、誤魔化してもらわねばならんよ」
「心得ております。どうぞ。これ以上は無理のようです」
「泌尿器科まで、抱き込んでるのか。たいしたもんだね」
「馬鹿な。あいつらに何がわかる。奴らこそ、売るものが無い、殿様商売じゃないのかい」
「違いないや」
「ははあはははははあはああははははあってゃははあはははあああああああははははははははああはは」
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