第4話 作品ナンバー18
女性の話し声が聞こえてきます。私は体を動かそうとしましたが駄目でした。一体どういう状況でどういう格好でいるのかすら分からないのです。顎が胸に突き刺さるほど折り曲げられていて、後頭部には相当な重量を持つ硬くて大きな物が載っているらしい事だけは分かりました。そんなどうでも良いことが、耐えがたい苦痛と共にわかるなんて、交換条件としてもあんまりです。だって有用でも何でも無い情報を得るために苦痛を与えられるなんて理不尽ではありませんか。私の首はどうして折れてしまわなかったのでしょう。
目を開く事が可能なのかどうか、私は試してみました。瞼は正常に動きました。しかし見えた物といったらまばゆいばかりの白い光だけです。一体何が起こっているのか分かりません。女性の声は複数聞こえ、そのうち、私の体を冷たくてしなやかな何かが這いずりまわり始めたのです。芋虫が暗がりを探して彷徨するかのような感触。そして時折コンパスを付きたてられたかのような点的痛みを感じます。私は全身の筋肉がびくびくと連動してのたうつのを感じました。しかし、それは皮膚からはずいぶんと遠いところで行われているように思われるのです。
蹂躙されるうち、私は自分が丸裸だという事を認めないわけにはいかなくなりました。そして、先ほどから聞こえる女性達の声とこの皮膚を撫で回す物体とが同じ物なのかもしれないと思い始めました。しかし、その情景を自分をも含めた客観的風景として想起する事だけは、何とか食い止めようと思いました。だって、この私の姿勢、そしてあまりにも多くの女性達、その好奇の触手…
仕方の無いことです。そんな風な自分を想像し、想像ではなく現実なのだと認めたくない私とは別に、器官は器官として真っ当な働きを遂行してしまう。くまなくまさぐられ、摩擦され、刺激された私の体の変化を、私は遠くの方で感じながら、自分の脳へ向かう血の奔流に眩暈を覚えました。くすくすという哂い声。憫笑でしょうか。 私はすっかり意気消沈したのですが器官はますます尊大にそっくりかえっていくばかりです。
「皆様。こちらがかの釜名見煙氏による作品ナンバー18でございます。
ご存知の通り、氏は作品に具体的なタイトルをおつけにはなりません。それには言葉による規定を避け、純粋形態としての作品を皆様にご堪能いただきたいとのご配慮である事は、皆様には充分にご承知おきの事と存じます。
ここで愚言を弄すのも恐縮ではありますが、私は氏と長年の交友がありその意味では作品鑑賞において皆様のお知りにならないオリジナリティーのヒント、のような断片を数多く保持している事は、僭越ながら事実なのでありまして、黙してかたらぬ氏の芸術がなるべく真っ直ぐに伝わるよう一言解説めいたことを言わせていただきたいのであります。
一目見てお分かりのように、これはアルファベットのHとMとの組み合わせになっているのです。それでいて、この受像機の台が人型を模してもいるという事から、原罪、という概念が導き出されるというのは、言わずもがなの事でしたでしょうか。この白一色で統一された不可思議なオブジェの、次は受像機をご覧下さい。
もう既にお気づきになられた方もいらっしゃるでしょう。そう。この受像機が映し出す画像は、皆様の作品に対した時の反応をインタラクティブに反映していたのです。仕掛けは秘密です。そう一本のコードがMの真中あたりから垂れ下がっておりますね。あれはコンセントではないのです。お嬢さん。ちょっと引っ張って御覧なさい。いいんです。氏のこの作品は、見て、触って、嗅いで、舐めて、聞いて、しゃぶって、転がして、突っ込んで、掻き回してみていただきたいのです。そして、皆様の博識、皆様の深い洞察、啓示、直感、演繹的推論などを駆使してみていただきたいのです。お嬢さん。それは保温パッドのコードです。氏の作品はその奥だったんですが、もう結構。
さあ。いささか長くなりました。このナンバー18は、難解とされる氏の作品群の中でも最も難解だとの評を受けていますが、何も氏は謎解きの材料をこしらえたわけじゃなりのですからね。存分に対峙して下さい。
キオラ画廊80周年記念式典を、このような形で開催できた事は、この骸骨煎藻最大の喜びであります。どうぞ、充分にご堪能下さい。そして豊かな交流の時を持てますように。ご清聴有難うございました」
場内に割れんばかりの拍手が起こった。数百人の乾杯。数百のコップだろうか。そして数百×2個の瞳が、私を取り囲んでいるのだ。この素裸で重荷を背負わせれ枷をはめられた私を弄んでいるのだ。
「あら。何か映ってよ」
女性の声です。私は目を開いていられませんでした。全身の筋肉が硬直していました。おそらく瞳孔は開きっぱなしになっているのでしょう。だから瞼を開いてもどうせ何も見えないのです。
「『暗かった。しかし硬く開きっぱなしでは何も見えなかった』ですって」
「不思議ね。謎をかけてくるようだわ」
謎? 私には最初から全てが謎でした。一体いつから私はこのような具合になってしまったのでしょうか。その兆候はなんだってのでしょうか。これまで辣腕とは言えないまでも、地道にミス無く仕事をこなし、誰の恨みも買わずに生きてきたつもりでした。それが、気がついたらこのありさまです。
『謎です。光陰は拘引なのです。現在その時ただいまだけが確かなようで実は確かかどうかを決めているのは思い出しているときの腹具合一つなのでしょう』
「何か、難しい話になってきたみたいよ」
「もっと楽しい事を考えさせて上げましょう」
下腹部に冷たくしなやかな感触がぶりかえしてきました。注視する四つの目とそれを取り囲む無数の目を、私は想像してしまいました。うめき声が出そうになります。しかし口が聞けると知られたら他にどんな辱めを受けるかしれないと思いましたから、ひたすらた耐えるしかないのです。
「ほら。段段大きくなって屹立していくでしょう」
「何だか熱いようね。やはり圧搾空気かなにかかしら」
『言語は行動を規定する』
「嫌だわ。まだこんな難しい事を言って…」
「フフッ。もう少し」
「あらほんとう。細かく震えているようだわ」
「なんと繊細な表現だ。まさに神業に近い」
私は忍耐の限界を突破し、果てしない空虚を感じました。一人が悲鳴を上げて後ろへ飛びのき、数名が巻き添えを-浴びた-ようです。
「まさに擬似再生ですな」
「だがそれでは、あまりにも分かりやすい」
「いやいや。この一見分かりやすいというのが曲者でしてね」
「でも本当に、本物の器官そっくりだったわね。煙様ったら」
「でも私、何となく分かるような気がいたしました」
「アラ、実は私も…」
私を果てさせた女性二人はすっかり萎びた物をなおも弄びながら、私を理解しようと必死になっています。
いいえ。私ではないのでしょう。作品ナンバー18の事、それを通した釜名見煙とかいう芸術家の事を必死で思っているのでしょう。
『ありのままをみよこうあるべきとしてみるなありのままは思いのほかありのままではなく見える』
「何だかお説教されてしまいましたわね」
「先生にご挨拶申し上げたいわ。今日はこちらには見えないのかしら」
「もしかしたら、この作品先生の型を…」
「マッ、嫌な人。でもそれは、検討してみる価値はあるのかもしれないわ」
二人組みは、そんな事を囁き合いながら、どこかへ去ったようです。
私はもともと、過大なプライドなんてもちあわせてはいないと思っていました。常に従順に、謙虚にすごしてきたつもりですし、不平不満なんて感じたこともありません。しかし、今、私は途方にくれながら、かすかに、そう、それは金属製の冷たさに感覚を失いつつある足の小指の先にむかって突進する血液の一滴にも似た微細な怒りを、感じつつあったのです。
寒さは感じません。体中に点在する痛点や触点などと同じく、憤点のようなものがあって、そこが熱にうずまきはじめています。こんなことは始めてです。始めてですが今のところ私には成すすべがないのでした。
「煙!」とどこかで声がします。「煙先生」とか、「煙氏」とかいう賞賛と、わずかな侮蔑を帯びた声とが入り混じって聞こえてきます。
『煙』
私はこの語に見覚えがありました。それは、机上の筆跡です。黄間締君の謎の怨嗟の呪いです。
今や私は一通りの好奇の念にさらされ、いやというほど擦りたてられた挙句、今は飽きられでもしたかのように放置されていました。大方ビンゴゲームでも始まるのでしょう。さあ考えてみよう。しかし、何から?
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