第5話 溺れる人魚

「あれマンタですよマンタ。大きいです!」


(どう見ても普通の女の子だよな)


水槽やパンフレットを見たり忙しそうな彼女。




「おじさんもちゃんと見てください。もうすぐ

 イルカのショーが始まるそうですよ」


「はいはい。あと俺まだ29なんだけど」


「えっ!それにしては疲れ切ってませんか?」

俺の手を掴みながら歩いていた少女が驚く。


「色々あるんだよ、大人には」


「大人になりたく無くなる発言ですね」

サングラス越しに薄めで俺を睨む。


「悪かったな。大人の手本じゃなくて」


「拗ねないでくださいよ。私はおじさん良い人だと

 思いますよ」


「はいはい」


「本当ですよ、嘘じゃないですよ」


「わかってるって」

俺たちは水族館の中やイルカショーを見て回る。





「良いなぁ、自由に泳げて」


水槽で自由に泳ぐ魚を見ながらポツリと彼女が言った。


「えっ?」


「昔は自由でした。好きな時に歌って、お父さんもお母さんも

 上手だって喜んでくれてました」

寂しそうに水槽を見ている。


「知ってますか、ソラって歌手?」


「!?」


「その人の歌が好きだったんです。私の憧れです。

 5年くらい前に病気で死んじゃったんですけど、綺麗な歌を

 歌う綺麗な人だったんです」


「そうか」


「一時期マネージャーとの恋愛スキャンダルもあったらしいですけど

 ソラさんは「僕は自分の事で恥じる事なんて何もない」って」


「・・・」


「歌ってる時は本当に凄くて、でも、とても子供っぽい感じでした」

その時を思い出したのか、嬉しそうに言う。


「一度だけ、会った事あるんですよ私。その時にファンですって

 言ったら「僕の?じゃあ僕も君のファン1号になる」って

 笑っていました」


「自由に歌って踊って、周りなんか関係ない。とても楽しそうでした」


「同じだったはずなのに・・・私は歌えなくなりました」


「周りにどんどん人が増えていって、頑張んなきゃって。

 そうしていたら、苦しくなりました」

水槽に手を置く彼女。



「助けて欲しいのに言えなくて、溺れちゃいました」

彼女の頬を涙が伝う。


「歌が好きだったはずなのに」


「・・・」


「私を助けてください」

彼女は唇を噛み締め、泣き続けた。


俺は何も言えなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る