新しい領地経営
エッセン市における騒乱の後処理が終わった後、シオンはまだ市内に留まっていた。
後処理をする中で思いついた事がいくつかあったからだ。
そのうちの一つを実行に移すため、シオンはゾーン達エッセン市のゴロツキを集めていた。
「今日はみんな集まってくれてありがとう」
「能書きはいい。要件ってのは何だ?」
ゾーンが集まった青年達を代表して質問した。
「皆さんのこれからの処遇についてです。貴方達は職人達の弟子や跡取りでしたが、エッセン市が反逆者に占領されていた時、その一翼を担い、街中で様々な事件を起こしています。市民の間からは処罰を求める声も上がっています」
「責められるのも仕方がねえ。あんたが決めたならどんな罰でも受けるつもりだ」
どうやらゾーン達は仲間内で将来のことを相談していたらしい。
ゾーンの言葉は、その場にいた全員の覚悟の証でもあった。
「確かに過去の罪は消えません。しかし、僕はやり直す機会があっても良いと思っています」
その言葉に、ごろつき達が一瞬ざわめく。
「僕からの提案は一つ、僕直属のスパイになって欲しいんです」
「スパイ・・・?間者ってことか?」
「そうです。大前提としてエッセン市に皆さんを残すことは出来ません。かといって闇雲に追い出しては路頭に迷ってしまう。ならば雇ってしまおうと思ったんです」
「ちょっと話をさせてくれ」
シオンは頷くと、ゾーン達が出す結論を待つことにした。
少しして、結論が出たのかゾーンがシオンに向かって話しかけてきた。
「結論は出た。申し訳ないが納得してくれたのが半分、反対したのが半分だ」
その言葉にシオンは驚いた。
スパイはこの世界でも危険な任務として成り立っている。
半分もこの提案を承諾してくれたのは本当に予想外だったのだ。
「こっちの我儘ってのは分かってる。だけど提案を吞まなかった残りの奴らにも何か仕事を与えてやって欲しい。頼む!」
「安心してください。もとよりそのつもりでしたから」
「それはどういう…?」
「実は新しい製品開発を行う部署を作ろうと思っていたんです。ただ現役の職人を引き抜いては今までの仕事に支障が出てしまう。そこで何人か若くて発想力のある職人が欲しかったんですよね」
シオンはそう言ってほほ笑んだ。
ゾーンは、ありがとう、と何度も呟いてシオンに頭を下げた。
かくして街のゴロツキ達の問題は解決を見たのである。
一方ティールは、シオンが気になっていたもう一つの問題を解決するため、ルークと共にエッセン市の郊外にあるある村に来ていた。
「ルーク様、ここが仰っていた、養蜂の村ですか?」
「はい、その通りです。ここ周辺では蜂の栽培が行われていて、ホーニッヒっていう調味料が取れるんですよ。この村はその中でも最も品質の高いものを作ってます」
「しかし、ホーニッヒの生産状況を調べて欲しいとは言われましたが、一体何に使うんでしょうか。確かに珍しさはありますが…」
「ティール様、シオン様のことですから何か考えがあってのことだと思います」
その少女の言葉が謎の説得力を帯びていたことに、ティールは少なからず驚いた。
彼女自身というよりは、彼女がシオンのことを深く信じているからこそ、説得力が増したのだろう。
出会った人を信じさせる才能があるんじゃないか、とそこまで思案して、ティールは元の目的に意識を戻した。
「いよいよお手並み拝見ってところですかね…」
そう呟きながら、任された仕事を淡々とこなすのであった。
ティールとルークがエッセン市に戻ってきてすぐ、主要メンバーが市所の執務室に集められた。
参加者は、シオン、ティール、ドライグ、エッセン市爵、ルーク、シュヴァルツ、エッセン職人の代表の7名であった。
「皆さん集まっていただきありがとうございます。今回は、僕が任された二つの領土の問題点解決の根幹をなす事業について説明したいと思います」
「二つの領土の問題点とは?」
ここでティールが質問を加える。
もちろん、シオンのこの先の流れを読んでの発言だ。
「まずファスピア男爵領の一番の問題は、食糧不足です。毎年冬を越せずに餓死するものが出ており事態は緊迫しています。またゲステ男爵領の一番の問題点は、食糧過多です。毎年多くの麦が生え残り、それらを焼却する手間がかかったり、より多くの徴税を受けたり、大きな問題に成っているといえるでしょう」
「あの… 話だけ聞くと、ゲステ男爵領の麦をファスピア男爵領に輸送すれば解決するように思うのですが」
ここでルークが申し訳なさそうに意見を述べ、ドライグや職人達もその通りだ、と言わんばかりの顔で頷く。
だが、
「ルーク、そう事は単純には行かないのだよ。仮に輸送を行うのであれば、それにかかるコストは全て侯爵家が持たなくてはならない。侯爵家からすれば支出ばかりで経費が霞む。それに輸送を行うならば両男爵家の合意がいるが、現状権益を確保しているゲステ男爵らが合意するとは思えない。ファスピア男爵領を救う為に侯爵家がそこまで責任を負うのは上流貴族として正しい姿なのかとの疑問は持たれるだろうね」
と、エッセン市爵がわかりやすく解説してくれた。
「市爵の仰る通り、正攻法では侯爵家に莫大な不利益となり、いづれは侯爵家そのものの財政が傾きかねません。ですので、裏技を使うことにしたのです」
「その裏技が今回の事業ですね?」
「その通りです、ティール。そしてその事業とは、ずばり!造酒工場の建設です!」
「・ ・ ・ ・ ・」
その場にいた全員が『何を言っているのか分からない』というような顔でシオンを見つめた。
あのティールですら、不思議なものを見ているかのような目でこちらを眺めてくるのだから、さすがのシオンも戸惑った。
「えっと… ティールも僕のしたいことが分からない…?」
「はい、全く見当もつきません。造酒工場ということは酒を造るということですよね?それはつまりグレープを使ったワインの生産という事になると思うんですが、急にグレープやらワインやらの話が出てきても」
そう、この世界では酒=ワインであり、貴族が嗜むものであった。
庶民は不純物が混じった酒のようなものを飲んではいるが、前世でビール会社に勤めていた東助からすれば、それは酒ではなくアルコール飲料なのである。
「僕たちが作るのはワインではありません。麦芽酒(ビール)という、麦を使ったお酒です」
「ビール…?」
その場にいたシオン以外の全員が揃ってその単語を口にする。
「いわゆる庶民酒場で流通しているものは、不純物が多く混じったいわば酒もどきですが、ビールは安価で美味しい、大衆向けのお酒としての需要が見込めます。本来焼却するはずの麦をお酒として販売することでゲステ男爵領の問題を解決するのです」
「なるほど。もしビールという酒が本当に作れたのなら、ゲステ男爵領の問題は一気に解消するでしょう。しかしファスピア男爵領の問題点は解決しないのでは…?」
ティールだけがシオンの考えを理解したようで、他のメンバーを他所に質問する。
「簡単なことです。造酒工場をファスピア男爵領内に作ればいいんです。つまりゲステ男爵は原料である麦の販売権を、ファスピア男爵はビールの製造権を得、ゲステ男爵には製造に関与する代わりに余った麦をファスピア男爵領に回してもらうのです。もちろんビールを販売するにあたっては双方の男爵が収入を得られるようにします」
「ビールという新商品の利権を山分けすることで一気に二領の問題点を解決するという訳ですか…。ですがやはり問題が残っています。それは、ゲステ男爵が麦を融通する分損していることです。確かに利権は美味しい話ですが、条件が不公平では納得しないと思いますが」
「それを解決する為に僕達はファスピア男爵領で何日も調査をしたんですよ?」
そのシオンの言葉に、ようやくティールが話の全体像を掴んだ。
「ミカンを優先的に安く融通することで、取引全体の損益をゼロにする。その過程で二領土の問題はほぼ解決できるという訳ですね!」
「その通りです!ミカンの栽培にビールの製造と賭けの部分は多いですがこれしか無いと思っています。皆さんどうでしょうか?」
その言葉に、ティールと遅れて気づいたエッセン市爵以外は、状況を理解できずに戸惑っているようだった。
だが、ティールのより詳細な解説を聞いて理解したのか、ティールが話終える頃には全員が、「それしかない!」と意気込むようになっていた。
「ところで何でこんな話に俺を呼んだんだ?」
シュヴァルツはそもそもの疑問を問いかけた。
「ビール作りに必要な道具をエッセン市の職人に作って貰いたいと思っています。僕の説明だけでは難しいと思ったので、シュヴァルツさんや職人の皆さんにも意見を貰おうと」
「なるほど。貴族の坊ちゃんでまだガキだというのに、あの掘削機といい、新しい酒の製造といい、本当に可笑しなガキだな」
そう悪態は付きながらも、シュヴァルツはとても嬉しそうだった。
「あの、私も一つ質問いいですか?」
今度はルークが手を挙げた。
「私とティールさんで視察に行った、ホーニッヒは何に使うんですか?」
「あれもお酒に使えるんですよ?蜂蜜酒(ミード)というお酒になるんです。作るのも簡単なので、もう一つの特産品として売ろうかと」
ここまで来るともう誰もシオンの言葉を疑わず、ミードも含めて、どのようにして作っていくか詳細な話に話題は進んでいった。
まず、ビールの製造に必要な機械の大ざっばな仕組みを説明し、何とかシュヴァルツに理解してもらった。
もちろん試行錯誤を繰り返して動作を確認する必要はあるが、仕組みさえ分かれば作るのが職人というものだろう。
(シュヴァルツもめちゃくちゃやる気出てたし・・・)
職人二人が席を外した後、話題はビール生産の全体的な仕組みの話になっていった。
「シオン様の考えでは造酒及び販売はファスピア男爵が担うということでよろしいですか?」
そのティールの言葉に、シオンは首を振った。
「いえ、ファスピア男爵に出して貰うのはあくまでも造酒工場の土地だけです。造酒機械や人員、造酒技術はもちろん、流通・販売も商会に任せようと思います」
「商会ですか…。しかし、これ程のものを扱うとなると大商会に任せるしかないですが、そうなれば利権は商会のものになってしまうのではないですか?」
当然、この事はシオンも考えていた。
そんなシオンが出した結論は・・・
「そこで既存の商会には任せず、我々の商会を新しく作ることにしました」
「我々の商会を作る、ですか? それは確かに一番安全な手法ではありますが。我々には商会としてのノウハウもないですし、商会を立ち上げるのにも資金が…」
「お金のことなら心配しないでください。これでも僕は侯爵家の御曹司ですから。それにレーボル侯爵家が後ろ盾である商会となれば領内から優秀で信頼出来る人材も集まると思います。また侯爵家が胴元となれば、ビールに関する利権を商会が握っていても男爵達が手を出す事は出来ないでしょう」
「そこまで考えているとは、シオン様の慧眼恐れ入りました」
どうやらティールにも納得して貰えたようだ。
と、今度はエッセン市爵が手を挙げて質問した。
「シオン様。確かに良い案ではありますが、本来商会とは独立した存在です。あまり貴族との関わりを誇示するのはよろしくないかと」
「大丈夫です。その点も考慮していますので」
そこでシオンは一呼吸おくと、
「商会のメンバー集めは、エッセン市の新しい役人集めのついでとして行うということにします。たまたま有能な人材を侯爵家で把握していて、たまたま僕が知るだけですから、露骨な関係に見えることはないと思います。また、資金についてはあくまでも僕個人の資産による投資と、侯爵家からの借り入れという形にします。後者は返済義務が生じますので、癒着している等という批判は免れるかと」
と、考えていた全ての案を話した。
これでエッセン市爵も納得し、話し合いも大詰めとなってきた。
と、話し合いが盛り上がる中、不意にルークが呟いた。
「新しい商会の名前って何になるんだろう?」
「資料や報告書を作るためにも早めに決めておいた方がいいかもしれませんね」
と、ティールもルークの意見に賛成した。
「そうですね… 何か案はありますか?」
と、シオンは執務室の一同を見回すが、
「こういうのは発案者であるシオン様がお決めになるのがよろしいかと」
とのティールの言葉に、他のみんなも頷いた。
(商会の名前と言っても考えたことないしなあ。インパクトのあって、こっちの世界にも馴染めそうで、新しい挑戦に相応しい名前…)
「・・・バルバトス商会なんてどうでしょう?」
「良い名前だと思います!」
ルークの言葉に、
「インパクトもあるし覚えやすいんじゃないでしょうか?」
と、ティールも、
「何か強そうだな、俺も良いと思うぞ」
と、ドライグも、
「シオン様に相応しい凛とした名前かと」
と、エッセンも賛成し、ここにバルバトス商会が設立されることとなった。
このバルバトス商会が、帝国を、そして世界を代表する大商会に成長するとは、この時は誰も想像していなかった。
アルキュール帝国紀 nogino @nogino
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