エッセン市騒乱 その1
「まったく、面倒事に巻き込みやがって・・・」
シュヴァルツと紹介された男の第一声はそれだった。
「すみません、すぐに退きますので・・・」
シオンは頭を下げて、そう言ったが、
「別に気にすることはねぇよ。この街の職人はみんなあの衛兵どもが嫌いだから、あいつらの嫌がる事なら率先してやる」
と、気遣ってくれた。
「そうだぜ、坊ちゃん。こいつは口は悪いが、腕はいいし、案外優しいんだ」
と、にやける宝石屋に、
「余計なお世話だ」
と男は返して、
「それで、あんたらは何者なんだ?」
と質問した。
「紹介が後になってすみません。僕はシオン・レーボルと言います」
とシオンが言うのを待って、
「私は、ルート・エッセンと申します。以後お見知りおきを」
と、貴族令嬢らしい、社交場でするような挨拶をルートがすると、
「坊ちゃん、レーボルって、あの公爵家のレーボルですかい?」
と、宝石屋はお決まりのように驚いた。
そこからシオンは、これまでの経緯を簡単に説明した。
そして、ある程度理解してもらったところで、
「お二人はどのような関係なんですか?」
と、ふと頭に浮かんでいた疑問を投げかけた。
宝石屋は各地の市場を回ったり、鉱山の産地を訪れたりして、より良質な宝石を入手して、需要のある大都市で売るのが一般的だ。
ここエッセン市は大きな市場がある訳でないし、鉱山から良い宝石が獲れるという報告もなかった。
「坊ちゃん、ハンブルで会った時に見せた黒曜石を覚えていやすか?」
「もちろんです」
と、シオンは答えた、
ちなみに話し合いの中で、宝石屋には「坊ちゃん」と呼んでもらうことになった。
今さら変えられてもムズムズするし、そもそもただの平社員出身の東助にとっては、こんな風に親しみやすく呼んでもらう方が助かるのだ。
「実はあれはこの近くの鉱山から取れたんですぜ」
「この近くというと、ヴァルト山脈ですか?」
ヴァルト山脈というのは、ファスピア男爵領やゲステ男爵領も面している、大山脈の名称で、帝国内有数の鉱山の産地だった。
西北から東南向けに伸びる山々は標高も高く、良質の鉱石が獲れるということで、古くから周囲の国家が利権を巡って争っていた。
そして帝国編入後はウォーカー統治権が移譲されていたのだが、獲りすぎが影響してか、ここ数年は品質も産出量も落ちている。
ましてや、あれほど良質な物が獲れるなど、どの資料に目を通しても見当たらなかったはずだ。
「実はこのシュヴァルツが新しく作った掘削機がありまして、それで固い岩盤を削って取れたのが、あの良質な黒曜石なんです」
「それは、凄い・・・」
思わずそう言って、シュヴァルツを見た。
彼は、
「まだ改良の余地はあるし、他の職人の協力もあれば、もっと良いのが作れるんだが、今開発したって、どうせ大商人の連中に利権は取られちまう。新しく何かをするなんて時間の無駄なんだよ」
と、吐き捨てるように言った。
「シュヴァルツさん、その設計図を見せてもらえませんか?」
「それはいいが・・・ お前に設計図なんて分かるのか?」
実は前世では、酒の製造過程や原料の収穫を調査する過程で、何度も機械の設計図をみては、工夫できないかと現地の人と話していた。
掘削機も一、二回程度だが、設計図を見たことがある。
シュヴァルツは羊皮紙に書かれていた、精巧な設計図を見せてくれた。
シオンは久しぶりに昔の仕事の勘を思い出したように、シュヴァルツと、そしてたまに宝石屋と意見を交えながら、掘削機について議論した。
「いい匂い・・・」
ふと、焼けたお肉のジューシーな匂いが漂ってきた。
シオンたちのお腹も、グーッと盛大な音楽を奏でている。
そんな中、ふと時計を見ると、もう晩御飯を食べるくらいの時間を指していた。
「まったく、可愛い女子を無視して何時間も夢中になるなんてね」
少し口をとがらせながら、少女はそう言った。
手に持っている木で出来たトレイには、美味しそうなハンバーガーっぽいものが、四人分ちゃんと用意されていた。
「いやー 美味しい!」
一口ほおばると、三人それぞれが口々に言った。
一人、ルートだけは、
「ちょっと塩コショウが足りなかったかしら・・・」
などと、ぶつぶつと呟いている。
それでも、そこら辺のファストフードより(もちろん、この世界にそんなものはないが)美味しい。
とにかくジューシーな肉ももちろん良いのだが、シャキッとした野菜と、それに合う甘辛ソースも絶品だ。
「このソース、一体どうしたんだ?」
と、シュヴァルツが聞いた。
シュヴァルツからすれば、家にあるはずの調味料だけで、こんな美味いソースが作れるはずがないと思ったのだろう。
「これは、ゼンフとホーニッヒをベースに混ぜ合わせたものよ」
ゼンフとは前の世界でいう、「からし」のことだ。
この世界でも辛みと酸味を加えるのによく使われる調味料で、全ての家庭に常備されていると言っても過言ではない。
おでんに合わせると美味しいんだよなー・・・。
「で、そのホーニッヒって何?」
ホーニッヒはシオンの記憶をいくら思い起こしても分からなかった。
「レーボル家の坊ちゃんだったら知らないかもしれないが、ホーニッヒってのはここら辺で取れる甘くて黄色い液体っぽい調味料だ」
そう言いながら席を立つと、シュヴァルツは茶色い壺を持ってきた。
「この辺の人間はみんな持ってるんだが・・・。ゼンフと合わせるなんて考えたこともなかったな」
そう言いながら、シオンに壺を渡した。
中には確かに、黄色いジェル状の液体が入っている。
舐めてみると・・・ 甘い!
というか、これって蜂蜜じゃん!
東助は心の中で一人ツッコミをした。
「これって、ハチから取れる奴ですよね。ブーンって飛び回る、針を持ってる虫」
「その通りです。これも広くは流通してないけど、立派なエッセン市の特産物なの」
まさかこの世界に蜂蜜があったなんて・・・。
毎日、朝は、麦パンにバターだったから、蜂蜜が欲しかったんだよなー。
などと、関係ないことを考えながら、残っていたハンバーガーを平らげた。
「それで、この後はどうするんですかい?」
一息ついたところで、宝石屋が質問した。
シオンは今、追われている身であり、何とかしなければならない。
「方法は二つ。一つは、何とかしてエッセン市外に脱出して応援を呼ぶことです。しかし向こうも対策しているでしょうし、厳しいでしょう」
「では、もう一つの方はなんですか、シオン様?」
「それは、エッセン市内に残り、この都市にいる者達だけで、エッセン市を乗っ取っている奴らを倒すことです」
「でもティールさんとも別れたし、私達にはどうする事も出来ないんじゃ」
ルートの指摘は的を射ていた。
方法がそれしかないと分かっていても、今のシオンにはどうする事も出来ない。
「・・・一つだけ、伝手がある。もしどうしても何とかしたいのであれば、付いてきてくれ。上手く行くかは保証できない」
そう言うと、シュヴァルツは外出する準備をし始めた。
「分かったわ。行きましょう」
と、ルートが言った。
「でも、君は家にいた方が安全じゃ・・・」
「確かに、外に出るのは危険かもしれない・・・。でも、それでも、何もしないまま結果を待つだけなんて嫌だわ!」
結局、留守は宝石屋のおじさんに任せることにして、シュヴァルツとルートとシオンは暗い夜道を、見回りの衛兵に見つからないように歩いて行った。
着いたのは、一際大きい工房だった。
中からは人の声と共に、薄く光が漏れている。
「ここは、元々俺が下働きしていた工房でな。といっても、職人同士のいざこざに巻き込まれて廃業しちまってな。今は親父さんの一人息子が住んでるんだが・・・」
そう言って、シュヴァルツは扉を開けた。
「久しぶりだな、ゾーン」
そこに居たのは、がらの悪そうな少年達(といってもシオンよりはずっと年上だが)だった。
「後ろにいるのは誰だ?」
「衛兵どもが探している貴族の坊ちゃんだよ」
シュヴァルツがそう言い終わらないうちに、数人のごろつきに囲まれた。
「まさか獲物を持ってきてくれるとはな・・・。金が欲しいのか?」
ゾーンという少年は、笑いながらそう言った。
「ソーン。お前は、今やっていることが本当に正しいと思っているのか?」
「当たり前だ! 強い奴につく方が勝つ。俺の親父が、弱い奴に味方したせいで仕事が出来なくなったように、雑魚をかばうと負けるんだよ」
「親父さんが辞めたのは、確かに弱い奴を庇ったからだ」
シュヴァルツは一呼吸置いた。
「でもな、親父さんはそのことを後悔してたか?一回でも、強い奴につけばいいなんて言っていたか?」
「うるさい!私兵団の奴らに抗ったって、俺らみたいな半端な奴らは殺されるのがオチだ。俺たちの味方なんてどこにもいないんだ!」
その場は一瞬の静寂に包まれた。
ただゾーンの荒い呼吸だけが、工房全体に聞こえている。
「ゾーンさん。確かに、私兵団に協力すればこの街で好き勝手出来るかもしれない。
でも、そのことで苦しんでいる人がいるんです。彼らのような人間がこの街を治める事で、本当に貴方達は報われているんですか?」
ゾーンはすぐには答えなかった。
そして、小さい声で、
「じゃあ、どうすれば報われるんだ・・・。学力も技術もお金も、何もない俺たちを見捨てない奴がどこにいるんだよ・・・」
と言った。
周りのゾーンの仲間たちも、俯いている。
「僕が見捨てません。必ず、貴方たちが報われるようにします。だからどうか力を貸してください!」
シオンは、頭を下げた。
それを見て、
「私からもお願いします。父は、きっと貴方達を見捨てたりしません。ですから!」
と、ルートも頭を下げた。
「貴族が、平民の、しかもこんな出来の悪い奴に簡単に頭を下げちゃダメだろ。でもそこまで言うんなら、協力してやる。一緒にぶっ倒そう!」
そうして、シオンはゾーン達、街のごろつき集団と協力することになった。
目標は、市所の制圧と、エッセン市爵の救出。
朝、工房から出るその集団の目には、覚悟の気持ちが宿っていた。
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