隠された闇

窓の外には黄金色の麦畑がまだ広がっていた。

そんな景色から視線を前に戻すと、そこには少し・・・ いや、かなり不機嫌そうな顔をしているメガネ男が座っていた。

一方で、シオンの右腕をがっしりと掴みながら肩にもたれかかっている少女は、たいそうご機嫌だ。


遡ること数日前、舞踏会の後の領地経営に関する協議は荒れに荒れていた。

ファスピア男爵領と同じく現場を視察したいシオン側と、それだけは阻止しようとするビット側の言い争いは熾烈を極めたのだ。

一週間以上の議論の末、ビットの同行の許可を条件に、何とか話が纏まった。

ところが、出発直前になって、ルートが付いていくと言い始め、それを無理やり押し通したことで、ビットは機嫌を悪くしてしまった。


「この辺りは領内でも有数の麦の産地です。何か知りたい事があれば、ここで聞くのが適当でしょう」

ムスッとはしながらも、一応は丁寧に解説をしてくれる。

そこで、シオン一行は馬車を止め、この村の村長に話を聞くことにした。


「村長、何か不満などはありますか?」

シオンの質問に、

「いえいえ、いつもゲステ男爵様には良くしてもらって」

と、満面の笑みで答える。

税金や治安のことを聞いても、同じような返事ばかりで、話にならない。

本当に不満が無いのならいいが、ここまでご丁寧に持ち上げていると、かえって怪しく思える。


「そういえば来るとき、まだ麦が生い茂っていましたが収穫はまだなのですか?」

ふと思った疑問を口にだしたのだが、急に村長の顔色が暗くなった。

そんな村長を尻目に、

「シオン様、この辺りは非常に多くの麦が獲れる地域でして、倉庫に入りきらなかったんですよ」

とビットが答える。

「では、あれらの麦は一体何に使われるんですか?」

「使うも何も、刈って焼却炉に入れて燃やすだけですよ。あんなに大量の麦が獲れたら、価値が下がって経済が破綻しますからね」


その言葉に、シオンは少なからず驚いた、

隣のファスピア男爵領では、麦がないことで死ぬ人もいるのに、ここでは麦が燃やされている。

これもまた、領地間での発展の格差が生じさせた弊害なのだろう。

だが、ウォーカーがこんな問題を放置するとは思えないが・・・。


「一体、焼却炉とやらはどんなものなのですか?この目で見たいのですが」

「分かりました、ご案内しましょう」

と、ビットから承諾を得、シオン一行はそこに行くことになった。


焼却炉と呼ばれたものは、細長い形のレンガ造りの建物だった。

その上部にある煙突からは確かに白煙が出ている。

そしてそこには、何人かせかせかと働いている者が見える。

「ここで全部燃やしているわけですね・・・ ところであの者達は?」

一生懸命に麦を運ぶ男達を指さして聞くと、

「ああ、あれは男爵が雇っている者ですよ。この焼却炉を動かすには人員もお金もたくさんいるんです」

と、淡々と答える。


その時、ティールが近寄ってきて、耳元で、

「少し、村の者に話を聞いたのですが、どうやらこの辺りでは燃料税がかけられているようです」

と囁いた。

「ビットさん、燃料税というのを特例で徴収していると聴きましたが、どのような物なのですか?」

「先ほども申し上げたとおり、これを動かすにはお金がいりますから、それを領民に負担させるために作ったんです。別に特別税の徴収は我々にも認められている権利ですから構わないでしょう」

「・・・一体、どれほどの額を徴収しているんですか?」


「20kg燃やすのに、1万リルですよ」

1リルは約1円。

20kgの米を1万円出して燃やしてもらっているのと同じという訳だ。

もし燃やさなかったとしても、麦を買い取る商人もおらず(むろん、麦が値崩れするため)、畑で腐るだけとなる。

そうなれば来年以降は土壌が悪くなり、良質の麦は取れないだろう。

商人からすれば他の農家から買い取ればいいので、その農家から仕入れることはなくなり、廃業に追い込まれてしまう。

そこまで計算しているとしたら、余程悪知恵が働く男だ。


ゲステ男爵領の商業上の問題点、そして農業上の問題点は見えた。

残るは、最も重要な問題・・・。

つまり、エッセン市の正室派による不当な占領をどうするかだ。

もちろん、ウォーカーに進言すれば、何かしらの好転はあるだろう。

だが、もしウォーカーがそれらすべてを知った上で、シオンに領地経営を委任したのだとしたら・・・。

ウォーカーへの進言はすなわち、自らの能力の無さを認めることになる。


シオンは心の中で覚悟を決めた。

必ず、エッセン市での不正を暴き、民を守れる貴族になる第一歩を踏み出すと。

「あ、見えてきましたよ、シオン様」

ルートはシオンの腕を引っ張りながら窓の外を指さした。

今まで訪れたどこの街よりも、頑丈でしっかりとした佇まいの城壁は、荒くもどこか繊細で、エッセン市の職人達そのものを表現しているように思えた。


城壁の中は、活気があふれているとは言い難く、あちこちに衛兵が配置され、奇妙な緊張感が漂っていた。

すると、大通りの向こう側から、新たな衛兵の一団がやってきた。

「シオン様、よくおいでくださいました。私はエッセン市所属、私兵団団長のイェーガーと申します。ここからは我々が警護を引き継ぎますので」

そういうと、イェーガーの率いてきた衛兵が一瞬で馬車の周りを取り囲んだ。


「彼らに警護を任せても大丈夫だろう。お前たちはシオン様が街を出るまで、ゆっくりと休め」

と、ビットが言ったので、ファスピア男爵領から警護をしてきた数名を除き、多くの兵士が離れることとなった。

「それでは市所にて歓迎の準備をしておりますのでご案内します」

イェーガーがそう言うと、それに続くように馬車も動き始めた。

と同時に、ティールを始め、シオンを信頼する兵士達は顔を引き締めた。

どんな状況にも対応できるように。


男爵領の施政の中心が「館」であるのに対し、市爵領では市の中央にある支所が施政の中心となっている。

本来であれば多くの行政事務が行われるため、多くの役人がいるはずなのだが・・。

人の往来は少なく、会話もほとんど無い。

ただ衛兵達の灰色の鎧や武器がカチャカチャと金属音を奏でるだけである。


しばらくして、一際大きく豪勢な扉の前に到達した。

「ここが執務室です」

そう言うと、イェーガーは兵士に、扉を開けるよう手で促した。

ガタンという重厚な音の後、シオン一行の目の前には少し広めの部屋と、そこで立ったまま拝礼する数名の役人が入ってきた。


「お初にお目にかかります、エッセン市副市長のレーマンと申します」

そこまで言うと、シオンの隣にいたルートをチラッと見て、

「ご病気である市長に代わりまして、私が応対させて頂きます」

と言った。

「・・・ルートから、エッセン市の状況は聞きました。彼女の父親である市長はあなたに幽閉されていると聞きましたが?」


一瞬、レーマンの顔が険しくなった。

が、すぐに笑みを浮かべ、

「一体、何のことでしょうか。その少女が勘違いをしているのでしょう」

と言う。

童顔なせいか、かなり若く見える高身長の青年の笑みは、どこか怪しげな雰囲気を醸し出している。


「では、今すぐ市長に会わせてください。どんな病気だろうが、関係ありません。もし拒否するのであれば、父上に介入して貰うことになりますが」

シオンは力強く、そしてその場にいる全員に聞こえるよう、はっきりと言った。

「すべて知ってしまったようですね。残念です。こんなに若いのに死んでしまうことになるなんて」


レーマンがそう言った直後、イェーガー始め、私兵団の衛兵たちが剣を抜き、切りかかってきた。

イェーガーはティールが、その他の衛兵も味方である兵士達が防いでくれている。

「シオン様、早くお逃げください。これは最早、レーボル家、延いては帝国に対する反逆です。この事を一刻も早くお知らせを」


ティールの声に勇気づけられ、サッと周囲を見渡すと、レーマン達は奥の部屋に逃げ込もうとしている。

一方、ビットの姿は見えない・・・。

「ここは任せた、ティール」

シオンは短くそう言うと、ルートの手を左手で握り、右手で衛兵の剣を弾き飛ばしながら、支所の外へと駆けて行った。


外に出ても衛兵達は数名で追ってきた。

通りにいる人々は、その様子を不思議そうに眺めている。

エッセン市を出るならば、門を潜らなくてはならないが、すでにイェーガーの命令で封鎖されているだろう。

かといって、彼らに利のある土地での逃走は、時間が経つにつれて不利になる。


一体、どうすれば・・・。

「クソ!」

と、不意に貴族らしからぬ言葉が口から洩れる。

その時、

「おい、坊ちゃん、こっちに来な!」

という声が聞こえた。

次の瞬間、シオンとルートはその声のした店に飛び込んだ。


窓から少し外を覗くと、先ほどまでシオンを追いかけていた衛兵が、右へ左へと周囲を見回している。

それを見て、ひとまず逃げ切ったことを悟り、

「ふー」

と、大きく一息ついた。


「何か物騒なことに巻き込まれてるな、坊ちゃん」

改めて声のする方を向き直ると、そこには、ハンブルで見た宝石屋のおじさんと、黒髪に澄んだ黒目をした、若い男が一人いた。

「こいつの名前は、シュヴァルツ。エッセン市一の職人だ」

おじさんは、黒い男を指さしながらそう言った。

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