ファスピア男爵領
ガタン、ガタンと馬車が進むたびに、体ごと揺れる。
あの誕生日から一週間、シオンはファスピア男爵領に向かっていた。
ウォーカーは宣言通り、ファスピア男爵領とゲステ男爵領の二つの土地をくれたのだ。
そして今、二年間お世話になる館がある、ファスピア男爵領の方へ向かっている。
「シオン様、もう少しでファスピア男爵領ですよ」
そう言ったのは、ウォーカーがシオンのために用意した家庭教師のティールだ。
高身長で、ルックスも割と良い方(だと思う)で、銀髪・銀眼でありながら若々しく見える。
しかも上位宦官の父親を持つティールは博識で、レーボル家に顔を出してはウォーカーと国政について意見交換をしている。
そんな彼は家庭教師にうってつけということになったのだ。
ティールは馬車での道中でも、領地を治めることのノウハウについて、色々と教えてくれた。
そもそも領地を治めるには、アルキュール帝国の統治体制について知っておかなければならない。
よって、そのことについては、特に詳しく教えてくれた。
アルキュール帝国の最高統治者は皇帝で親政を行っている、というのは前述通りだ。
だが皇帝一人で全てを把握できるはずもないので、国全体のこと(予算、外交、対外関係等)は帝都にいる宦官が補佐という名目で、事実上取り仕切っている。
その宦官達の頂点に位置するのが宰相で、次に副宰相。
三番目にあるのが、ティールの父が就いている財務卿という役職だ。
また法務卿といい、国全体の規則を作ったり規則を犯す者を処罰する、最高責任者もいる。
しかし、帝都にいる宦官だけでは治めきれるはずもないので、地方は皇帝の名の下、貴族に支配権が与えられている。
まず領土は街と領地に分けられ、街は市爵が、領地は男爵が治めることになる。(よって、領地名は○○男爵領・○○市と呼ばれる)
さらに、その街と領土を包括的に治めるのが伯爵以上の三階級だ。
伯爵は、2,3個程度の領土を所持しているが、侯爵はそれよりも遥かに多い数の領土を支配している。
ウォーカーに至っては22領土持っているから、言葉通り、桁違いだ。
さらに侯爵以上には私兵軍の創設が認められているというのも違いの一つだろう。
まさに貴族の中の貴族だ。
ちなみに公爵は、皇族と親戚関係にある家柄の者を指すが、多くは侯爵と同等の身分である。(そもそも侯爵でないと身分が釣り合わない)
そんな貴族達に支配されるのが平民で、その下には奴隷もいるそうだ。
奴隷の用途は様々だが、多くは市民の世話係で、意外にも貴族とは縁のないものらしい。
と、そんな講義を受けている間に、目的の館へ到着した。
空はすでにかなり暗くなっている。
そんな中、入り口に待ち構えていたのは、ファスピア男爵その人だ。
「シオン様、はるばるお越し頂き誠にありがとうございます」
そう言うと、ペコペコと頻りに頭を下げる。
成人男性にしてはかなり小柄だが、丸々と太ったお腹のせいか、妙に貴族感はある。
「大したものではないですが、夕食の準備も出来ておりますので、とりあえずお上がり下さい」
額の汗を布で拭いながら、そう言うと、館に向かって歩き始めた。
シオンとティールはファスピアの後に付いていき、館の中に入った。
食堂に案内されると、事前の説明通り、いくつもの料理が並んでいた。
が、貴族の食事に関しては、少し庶民的なような・・・。
「ファスピア男爵、あまり豪勢ではないように見受けられますが・・・」
楽しい食事のなか発したその言葉に、少し俯いたまま男爵は答えた。
「実はこのファスピア領は山に面しているということで、傾斜が厳しく、作物を育てにくいのです。ただ雪解け水が豊富なので、品質の良い作物を作って売って何とか凌いできました。しかし最近はその品質も落ちていまして・・・。主食である麦などは他領地からの輸入に頼っているのが現状です」
ウォーカーの邸宅に居た時は微塵も感じなかったが、地域によってはかなり困窮している所もあるのだ。
シオンは、ナイフとフォークを置いて、その料理を見つめた。
この領地の民は、今もどこかで飢えに耐えているかもしれない。
そんな彼らを助けるためには・・・
「明日から僕を領内に連れて行ってください」
思わず、その言葉が口から飛び出していた。
「いや、しかし、危険な所もございますし・・・」
男爵が口ごもる。
と、隣に座っていたティールが口を開いた。
「私もまずはその目で確かめた方がいいと思います。その上で考えねば、民のための領地経営など出来るはずもありません。それに私も剣の腕には覚えがありますし」
「僕も幼いころより剣術を習っていますので心配はご無用です」
「分かりました。ではそのように手配させましょう」
男爵も観念したのか、納得してくれた。
翌日、シオンはティールと男爵、それに数名の衛士を引き連れて、館の周囲に点在する村々を訪ねまわった。
前世でも、原材料を育てている農家を一軒ずつ回っては、今年の麦の質はどうかとか、量はどうだとか、あれこれ話をしながら、夜遅くまで飲み明かし、終電に遅れては泣く泣く朝いちばんの電車に乗ったものだ。
その時のコミュニケーション能力のおかげか、領地の長である男爵が側にいるにも関わらず、農民たちは現状をありありと語ってくれた。
「ここ数年は、特に不作でね・・・。なのに同じ量だけ徴収されるから酷いったらありゃしねえよ」
「こんな枯れた土地で生きてはいけないよ。今まで領主様が放置していたのがいけないんだわ」
いや、結構領主の悪口言ってるけど、後で処罰されたりとかしないのかなー?
と、半ば不安に思ったり思わなかったり・・・
そうこうしている内にお昼を知らせる教会の鐘が鳴り響いた。
昼ご飯を食べようと館に戻る道中、
「暑いですね・・・」
そうティールがつぶやいた。
確かに、館を出た時よりも何倍も暑く感じる。
単にお昼だからという理由でないのは、男爵の汗の量を見れば一目瞭然だ。
男爵は汗を拭きながら、
「何故かここ最近は暑さが激しくなりまして・・・」
と言った。
そういえば前世でも、ビルの隙間から漏れる直射日光が当たると暑かったんだよな・・・。
そこまで考えると同時に、何かが閃いた。
「そうだ、直射日光ですよ」
「チョクシャニッコウ・・・?」
ティールが訝しげな顔でこちらを見る。
どうやらこの世界では直射日光というものが認知されていないようだ。
そもそも植物が健康に育つにはいくつか条件がある。
水を上げること、良い土地で育てること。
そして、太陽にどれくらい当てるかだ。
この世界では、前者2つの要素は知られているのだろうが、太陽の光の影響までは考えていなかったらしい。
だから不作の原因も、土地が痩せ細ったせいだと農民たちは勘違いしたのだ。
しかも、この辺りは山の斜面であったために、他の地域よりも温度変化を強く受けていたはずだ。
後はこの栽培場所に適した作物さえあれば・・・
シオン一行は、昼ごはんを食べ終わるとすぐに屋敷の本棚を漁り始めた。
この世界にある作物を一つずつ調べるためだ。
また、衛士に命じて村々へ行かせ、植物に関する本がないか、何か知っていることはないかも調べさせた。
1週間後、ついに・・・
「これです!これを見てください」
シオンはティーム達にある作物を見せた。
丸々としたフォルムに、鮮やかなオレンジ色の果実。
それは蜜柑だった。
だが、蜜柑の種がなければ育てることは出来ない。
「蜜柑の種が一体どこにあるのか・・・」
シオンがそう呟いとき、一人の衛士が手を挙げた。
「あの・・・ その作物なら祖父が育てています。案内しましょうか?」
一行は館を出て、その衛士の案内の下、蜜柑農家の家へと向かった。
蜜柑農家までの道のりは、衛士の調査が行き届いていないのも理解できる程遠かったので、シオン一行もかなり疲れ果てていた。
と、そんな中、
「もうそろそろです」
との衛士の言葉通り、少し先には、オレンジ色の実を付けた木が、何本も立ち並んでいた。
近くまで寄ると、その蜜柑が大切に育てられているというのが一目で分かる。
それらは夕陽の暖かい光に染まっていて、とてもきれいだった。
突然の訪問であったが、蜜柑農家のおじいさんは、とても親切に対応してくれた。(こちらが貴族であるという訳でもなく)
「貴族様自らこのような僻地に来ていただけるなんてありがたいことです。孫もこんな立派な方の下で働いているなんて・・・」
「おじいちゃん、今はそんなことどうでもいいから・・・」
そんなやり取りを見ていると、前世が懐かしく感じる。
衛士からの説明が一通り終わったところで、
「そういうことなら、とりあえず蜜柑を食べてみてください」
というと、おじいさんは袋の中から、人数分の蜜柑を取り出した。
だが、食べたことのない食べ物という事もあってか、誰も口に入れようとはしない。
そんな中、シオンは蜜柑を丁寧にきれいに剥くと、そのまま噛り付いた。
蜜柑の汁が少し服に飛び散った。
が、そんなことが気にならない程、とても美味しい。
気付けば一つ丸ごと(かなり大きめのサイズではあったが)食べ終わっていた。
その様子を見た他の者達も一斉に噛り付く。
「美味しい・・・ こんな食べ物初めてだ」
ティールも驚きを隠せないようだ。
その隣では、
「こんなに美味しい物があったとは!」
と驚きつつも、むしゃむしゃと男爵が蜜柑をほおばっていた。
結局、夜も遅かったので一晩泊まることとなり、その間におじいさんとの話し合いをして、蜜柑の種を買い取って、それを各農家に配って様子を見ることが決まった。
ティールも男爵も、話し合いの間ずっと蜜柑を食べており、そうとう気に入ったようだった。
翌朝の屋敷への帰り際、ふと山々を見ると、緑色の木々が生い茂っていた。
それは前世見た、あの光景とどこか通じるような気がして、少し懐かしく、少し寂しく、シオンの胸の中に刻まれていった。
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