第16話 愛の言ノ葉
「おえええぇぇぇ‼」
店内に、獣の
店にいた全員がギョッとなり、声がしたカウンターの方角を見る。カウンターの裏側で酔っ払いのおっさんがゲロピーでもしているのかと思ったのだ。しかし、その直後にカウンターから姿を現したのは、ピチピチでラブリーな女給さん――
「お待たせしましたぁ~♪ 当店の食後のサービス、『銀座いなりの
望子は、媚び媚びの愛らしい声でそう言い、小さなお尻をフリフリさせながら和樹のテーブルに歩み寄る。そして、シュークリームが載った皿をコトンと置いた。
「シュークリームの中に
「あの……。僕、辻占菓子なんて頼んでへんのやけど……」
「当店の食後のサービスでーす♪」
「で、でも、まだサンドウィッチが来ていな……」
「当店の食前のサービスでーす♪」
「…………」
怪しさプンプンである。和樹だけでなく、加奈子や東吾、スーニャたちカフェーいなりの面々、市郎たち他の客も呆然と望子の奇行を見つめている。
(ちなみに、私の口元から何か液体が垂れていますが、決して吐瀉物ではありません! おえーってしすぎて、よだれが出ただけです! プリティーな女神様は嘔吐なんてしません!)
誰に言いわけしているんだ、この駄女神は。
(さらに解説しますと、今年の二月にシュークリームを食べた子供たちが中毒症状になる事件が多発して、老舗の菓子店たちが警視庁に一斉検査されたんですよねぇ~。その時のゲリピーになっちゃうシュークリームを完全再現してみました! このシュークリームを食べた人間は、三十分以内に半分死ぬ‼)
だから誰に解説を……って、客に毒を盛るな‼
「とーにーかーく! さっさとシュークリーム(毒入り)を食べて、おみくじを見てください! とてもとてもタメになる言葉が書いてあるはずですから! たぶん!」
和樹が優柔不断な性格ゆえに戸惑っていると、望子はシュークリームを強引に和樹の口にねじこんだ。
「おら、食え! 食って下痢になりやがれ、糞男! おみくじは飲みこむなよ!」
「むぐ⁉ むぐむぐぅ~‼ むぐぐぅーーーっ‼」
和樹みたいな何事も自分で決められないタイプの男は、望子のような横暴で強引で人の話を聞かないタイプの女性のほうがコントロールしやすいのかも知れない。和樹は無理やりシュークリーム(毒入り)を食べさせられ、おみくじをペッと吐き出した。もちろん、おみくじはべっとべとである。
「げほっ、げほっ……。な、なんて乱暴な女給さんなんや」
「ほらほら、おみくじを読んでください。なんて書いてありますか?」
「ええと……。『明日の月日は ないものを』? これはいったいどういう意味なんやろか……?」
「それが、神があなたにくださった、ありがたぁ~い言葉です。歓喜にむせび泣きながら、その言葉の意味をよーく噛みしめてください♡」
「いえ、だから、どういう意味ですか?」
「知りません!
恵美子に「私が神様だということは、みんなには秘密です!」と言っているくせに、うっかり神だと名乗ってしまう駄女神。しかし、さっきからめちゃくちゃなことばかり言っているため、望子の神様発言に注目する人間は誰もいなかった。
「こ、この子が何を言っているのか何ひとつ分からない……。だ、誰か助けて……」
和樹は救いを求めるような目で店内を見回したが、
「『明日の月日は ないものを』って、もうすぐ死ぬっていう意味じゃろ? つまり、『元許嫁を裏切ったクズは、とっとと死ね!』ということじゃよ」
カフェーの客の一人であるご老人が適当なことを言うと、和樹は「そ、そんな……。神様まで僕のことを怒っとるのか……」と顔を青ざめさせた。
「待て待て、ちょっと待て。その言葉は、街角でしょっちゅう耳にしているような気がするぞ。有名な流行歌の……ほら、アレ! アレ!」
アレ、アレって何だよ!
歌を聴いても歌詞をあまり覚えられないたちの
「それは、『ゴンドラの唄』の一節です。その恋占いは、私の今の気持ちを代弁してくれたのだと思います」
突然、少女の声が店内に響く。恵美子だった。カウンターの裏側でずっと隠れていたのに、いつの間にかみんなの前に姿を現していたのである。
望子が「こういう時こそ、神様にお任せですよ!」と鼻息荒く豪語していたので、いちおう神様なんだし頼ってみようと思ったのだが、自分が出した辻占の言葉の意味を知らないなどと無責任なことを言っているようでは任せられないと考え、意を決して和樹の前に姿を見せたのだった。
みんなが驚いて恵美子に注目すると、彼女は楚々とした仕草で近くにあったピアノの前に座り、『ゴンドラの唄』を奏で始めた。
哀愁に満ちたメロディーが店内に流れ、恵美子は美しい歌声で刹那の恋に命を燃やす乙女の唄を歌い出す。
いのち短し 恋せよ
朱き唇
あつき
明日の月日の ないものを
「……これは、九年前、ロシアの小説家ツルゲーネフの戯曲『その前夜』を芸術座が舞台化した際、劇中劇として作曲された歌です。物語のヒロイン・エレーナに扮した
歌詞の一番をさっと歌い終えると、恵美子はゆっくり立ち上がり、歌の由来を説明した。
もちろん、田舎からやって来た恵美子に言われなくても、『ゴンドラの唄』の由来はこの場にいる人間のほとんどが知っている。なぜすぐに思い出せなかったのだろうと、ちょっと悔しがっている人がいたぐらいだ。
しかし、誰も「じ、実は自分も気づいていました!」などと名乗り出る者はいなかった。恵美子の歌声があまりにも素晴らしかったからだ。こんな感動的な歌声を耳にして、そんな空気の読めない発言をする人間なんてこの場にはいるはずが……。
「あ……ああ~! なるへそ、『ゴンドラの唄』でしたか! 知ってました、知ってました! そうそう、それです! もちろん、神である私は気づいていましたよ⁉ ただ、近藤和樹さんを試そうと思っただけでぇ~」
……約一名、いた。空気を読む気がゼロの女神が……。
「絶対に気づいていませんでしたよね……? そんなことより、さっきから神、神と連呼しているけれど、いいのですか?」
「はっ! し、しまった!」
恵美子に小声で指摘されると、望子は慌てて口を両手で塞いだ。
「ど、どうしましょう、恵美子さん。わ、私の正体が……」
「安心してください。望子さんが奇行に奇行を重ねているため、誰も望子さんの話をまともに聞こうとしていませんので」
恵美子は望子にそう耳打ちすると、まだ心配そうにしている望子を放っておいて、和樹の前に立った。
「え、恵美子さん……」
和樹と恵美子は数秒見つめ合う。しかし、和樹はすぐに視線を反らしてしまった。さっきまでの自分の優柔不断な発言を聞かれていたのかと思うと、恥ずかしくて身の置き場もないのだろう。
恵美子は、和樹をじっと見つめ続けている。縁談を破談にされた身で恥ずかしくて顔を合わせることなんでできないと数分前まで思っていたが、覚悟を決めて飛び出してみたら肝が据わったようである。
「……和樹さん。この女給さん本人は変人奇人ですが、彼女の辻占は本物です。彼女はこのお店の近くにある
「そ、そんなに本格的な占いやったんか、これ……」
恵美子の言葉に和樹は少し感心した。
辻占とは、本来、夕暮れ時に道の四辻に立って通行人の話し声を聞き、耳にした言葉から吉凶を占うものである。
本当は望子が「おえええぇぇぇ!」と口から吐き出したおみくじなのだが、「ちゃんと神様にお祈りして占った結果なのです」と恵美子がもっともらしい説明をしたおかげで、和樹もようやく納得できた。
「なるほどねぇ~。そんな本格的な占い方をしているのなら、もしかしたら当たるかも」
加奈子は占いが好きらしく、興味津々である。その横で東吾が「いやいや、そもそもうちの店は辻占なんてやっていないのに、なに勝手なことをやっているんだよ……」とブツブツ言っているが、他のみんなは恋占いの解釈がどうなるのかが知りたくて、誰もそんなことは気にしていない。呑気なお店とお客たちである。
(悟りを開いたわ、私。もう望子さんに何かを期待したらあかん。私自身でこの「愛の言ノ葉」に秘められた私の想いを和樹さんに告げるしかない)
そう決意した恵美子は、この恋占いにこめられた意味を語り出すのであった。
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