第14話 最低ね!

 恵美子えみこは、まだ東吾とうごの包丁さばきに口出ししている


「もぉ~! 東吾さん、包丁の持ち方はそうではありません! 人にぶっ刺すわけではないのですから、プルプルと手を震わせていたら危険です! 持ち方が悪い! 姿勢が悪い! 目つきが悪い!」


「目つきは関係ないだろ⁉ もういいから、お前たちは接客に行け!」


 望子もちこの「料理が美味しくなるおまじない」のおかげで、東吾がどんなに下手くそな調理をしても料理は美味しくなる。しかし、東吾の料理の腕が上がったわけではないので、調理をしているその姿はかなり危なっかしい素人そのものだった。


「恵美子さん、恵美子さーん。そんなことをやっている場合じゃないみたいですよぉ~? お店に三重県から来たお客さんがいて、恵美子さんのことをどうやら知っているようです」


 望子が恵美子のエプロンをくいくいっと引っ張り、そう言った。望子は、さっきからお店が騒がしいなぁ~と思って店内の様子を厨房からのぞいていたのだ。(そんなことをやっている暇があったら働けばいいのに……)


「ええ⁉ 家族の誰かが私を連れ戻しに来たのでしょうか!」


「ああ。あのなよなよっとした優柔不断な奴か。お前、あんな頼りなさそうな兄貴がいたのか」


「私には妹しか……なよなよ? 優柔不断? あっ、もしかして……」


 心当たりがあるのだろう、恵美子は弾かれたように厨房を飛び出した。そして、腰をかがめてカウンターの内側に隠れ、三重県から来たという人物を探した。


「ああ! やっぱり! あの人は、近藤こんどう和樹かずきさんです!」


 恵美子は口をパクパクさせ、驚愕、動転、大パニック。小声で悲鳴を上げるという器用なことをした。


「近藤和樹? 誰です?」


 同じようにカウンターに隠れた望子がたずねると、恵美子はよほど動揺しているのか声をプルプル震わせて答えた。


「……わ、私の元許嫁です。私は、あの人と結婚するために女学校を退学したのです」


「あんたが言っていた、土壇場で婚約破棄した野郎のことか。なるほどなぁ。さっき見ていたが、注文もなかなか決められない納得の優柔不断っぷりだったぜ」


 野次馬根性でついて来た東吾も、その長身を窮屈そうに折り曲げてカウンター越しに近藤和樹を睨んでいた。昼の忙しい時間帯なのに料理をしなくていいのか、厨夫コック長。


 噂のクズ男……こほん、恵美子の元許嫁は、加奈子かなこ市郎いちろうに色々と尋問(?)されているようだ。恵美子、望子、東吾はカウンターに隠れたままその会話を盗み聞きした。




            *   *   *




「あんたが、恵美子ちゃんの元許嫁か。この優柔不断さ、煮え切らない態度、意志薄弱そうな言動。なーるほど、丙午ひのえうま生まれの娘は不吉だとぬかす親戚の言いなりになって、あんな可愛いらしい子を裏切っただけのことはあるねぇ~」


 市郎は近藤和樹をねめつけながら、思いきり毒づいていた。一人の美しい少女が丙午生まれを悲観して自殺を考えていたのである。そこまで追い込んだ男たちの一人を目の前にして、嫌味の一言や二言は言いたくなるのは当然だろう。


 そう、忘れられがちだが恵美子は可哀想な女の子なのである。本人が色々とアレなせいで本当に忘れられがちだが……。


「婚約を破棄しておいて、今さら未練がましく元許嫁を追いかけて来たのかい?」


 市郎がそう問うと、和樹は「ええと……その……」としどろもどろになった。市郎に睨まれ、また、スーニャら女給たちや馴染みの女給から昨日のいきさつを聞いた客たちにも冷たい眼差しで見下されて、完全におびえてしまっているようだ。


真庭まにわさん、とりあえず彼の話を聞こうじゃありませんか。この人にも言いたいことがあるでしょうし」


 ちょっと気の毒に思った加奈子が、場の空気を和らげるためにそう言った。加奈子の言葉で少し冷静になった市郎は「ああ……そうだな」とうなずく。


「お客さん。あなたのお名前は?」


「こ、近藤和樹です」


「近藤さん。ゆっくりでいいから、話してみてくださいな。なぜ東京に来たのか。そして、婚約破棄した元許嫁と会ってどうしたいのかを」


「は、はい……」


 和樹は加奈子にうながされ、店内の女給や客たちの冷ややかな視線に内心震え上がりつつ、語りだした。


「ぼ……僕は、丙午生まれなんて別に気にしていないんです。あんなのただの迷信やって知っていますから。恵美子さんは可愛らしくてとてもお淑やかな子やし、勉強の成績は名古屋の名門女学校で常に主席、和食も洋食も料理人顔負けで、高名な音楽家が涙を流して絶賛するほどのピアノの腕前……。全てが完璧なお嬢さんで、ぜひともお嫁さんに来てもらいたいと思っていました」


(ええ⁉ あの子、そんなにも子だったんだ……!)


 加奈子、市郎、店の女給たちはほぼ同時に心の中でそう叫んでいた。本人にしてみたら失礼な話だが、とてもそうは見えなかったのである。何というか、その……残念な美少女だなぁ~というのがみんなの印象だったのだ。


 望子と東吾も(信じられない……)と言いたげな顔で恵美子を見つめ、恵美子は「何ですか? 私の顔に何かついていますか?」と首を傾げた。


「両親も、そういった迷信はあまり気にしない性格やから、恵美子さんのことを歓迎しとったんです。……そやけど、たくさんいる親戚のおじさんやおばさんたちがうるさくて、うるさくて……。毎日、毎日、丙午生まれの娘を嫁にもらったら不幸になると喚かれて、ほとほと疲れてしもて……」


「ソレデ、恵美子ヲ捨テタ? ……Xу́жеフージェ не́кудaニェークダ(最低ね)!」


「優しすぎる男はたいてい優柔不断なんだよ、スーニャちゃん。どの人間にもいい顔をしようとするからな。その結果、一番大切なものを手放してしまうんだ」


 市郎は肩をすくめ、そう言った。何か思い当たることがあるかのような台詞である。新聞記者の彼は政治家や貴族たちの醜聞スキャンダルを色々と取材し、女を泣かせる優しい男を何人も見てきたのだろう。


「真庭さんの言う通りだわ。優柔不断な男って、いざという時に女を守ってくれないのよねぇ~」


「そうそう! 自分では何も決められない男なんて、最低よ」


「私もそういう男に裏切られて、もう一人で生きていこうって決めたのよ。本当、優柔不断な男って最悪。この世界から死滅してくれないかしら」


 勝ち気な性格がそろっているカフェーいなりの女給たちが、市郎の発言に触発されて、優柔不断な男の悪口雑言を口々に吐き始めた。女は男の悪口になると謎の連携力を発揮することがある。その様子を見ていた東吾は少し恐くなり、


(こいつら、俺がいないところで俺の悪口を言い合っていないだろうな……)


 と、心の中で呟いた。もちろん言われている。


「ぼ、僕もすごく後悔しとったんです。恵美子さんが家出したと聞いて、『ああ……僕のせいなんやな』と罪悪感を抱きました。……だから、意を決し、笑美家のご家族に恵美子さんを連れ戻して来ますと約束して、東京までやって来たんです。あの子が東京に憧れとることは前々から知っとったし、きっと東京のどこかにおるやろうと予想がつきましたから」


「それで、東京に来たのかい。そういうことだったら、あの子はここで女給をやっているし、早く会って安心させてやりな。もう裏切らない、親戚たちに反対されても僕が守るから結婚しよう、ってな」


 市郎がそう言うと、和樹はもじもじしながら顔をうつむかせた。


「そうしたいのはやまやまなんやけど……。ここまで来て、本当にあの頑固なおじさんやおばさんたちを説得できるやろかと心配になってきまして……。ああ、でもでも、恵美子さんのご両親に彼女を連れ戻すって約束してしもたしなぁ……。あんな約束せんとけばよか……いや、でもでも、恵美子さんはお嫁さんに欲しいし……。どうしよう、どうしよう」


 和樹は頭を抱え、独り言をブツブツと言い出した。優柔不断ここに極まれり、である。


「つまり、あんたは、一度は決心して元婚約者と復縁するために追いかけて来たのはいいが、いざ東京に着いたら怖気づいてしまって、元婚約者を探しもせずにカフェーで油を売っていたというわけか? はぁ~……優柔不断もここまでくると呆れて何も言えねぇな」


 市郎がそう吐き捨て、女給や話を聞いていた他の客たちもうんうんと頷くのであった。


 カウンターに隠れている恵美子は、醜態をさらしまくっている元許嫁を無言で見つめている。


(この男、さすがにちょっとひどいですねぇ……。さて、こんな奴と恵美子さんを「縁結び」させちゃっていいものやら?)


 望子は恵美子のことを心配し、彼女の表情をうかがおうとした。だが、はらりと乱れた長い黒髪が邪魔で恵美子がどんな顔をしているのかは分からないのであった。

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