第12話 優柔不断なお客様

「な、なるほど……食後におみくじ付きの菓子を出すのですか。そういえば、そういうサービスをやっているカフェーなら銀座にもいくつかありましたね」


「む、むむむ。他のお店も辻占つじうら菓子を出しているのなら、ちょっとインパクトに欠けそうですね。煎餅せんべいや昆布などではなく、もっとお洒落なお菓子にしたほうがいいかも知れません」


 望子と恵美子は、なおもああだこうだと話し合っていた。すっかり、厨房の掃除のことを失念している。


 開店までまだ時間があるカフェーいなりに一人の男性客がやって来たのは、ちょうどそんな時だった。


「あの……すみません。まだ開店前やった……ですか」


 二十代前半ぐらいのその男性客は、遠慮ぎみに店のドアを開け、きょろきょろと店内を見回しながらそう聞いてきた。男性客と目が合った東吾とうごは、


(表に準備中と書いた看板がかかっているじゃないか……)


 と思いつつも、「…………はい」と答えた。顔は相変わらず怒っているように見えておっかないが、無理に営業スマイルをしようとすると引きつった顔になって客が余計に恐がってしまうため、「あんたは無理して笑わなくてもいいよ」と加奈子かなこから言われているのであった。


「そ、そうなんや。ええと、また後で来ます」


「お客様。あと少しで開店準備が終わりますので、どうぞテーブルに座ってお待ちくださいませ」


 そう言って客を引き止めたのは、加奈子だった。ほぼ開店準備は済んでいるのだし、みすみす客を逃すこともない。加奈子がスーニャに目配せすると、スーニャはコクリとうなずき、男性客を綺麗に拭いたばかりのテーブルに案内した。そして、他の女給がサービスの水とメニュー表を渡した。見事な連携である。


 カフェーいなりは、しっかり者の女給が多い。

 臆病な女の子は、面接にやって来ても、顔がおっかない東吾におびえて「こんな鬼瓦おにがわらみたいな顔の厨夫コックがいる店で働くのは嫌!」と言って逃げ去ってしまうのだ。そのせいで、東吾の強面こわおもてを見てもちびりそうにならない肝の据わった娘たちが自然と集まっていた。そんな似た者同士のしっかりした娘たちが意気投合して働いているおかげで、女給たちの連携力は他のカフェー店に比べても優れているのであった。


「オ客様。ゴ注文、ユックリ考エテ……」


 スーニャが片言の日本語でそう言うと、異国の美少女に緊張しているらしいその若者は「ええと……。な、何にしようかな」と上ずった声で独り言を言い、メニュー表に目を落とした。


 しかし、うーんうーんと唸って、なかなか決められそうにない。そうとう優柔不断な性格のようである。開店までまだ時間があるのだから放っておこうと思ったスーニャがテーブルから離れようとすると、


「ああ! 待って、待って! メニュー表にあるこの料理はどんなの?」


 と言って引き止めた。


 スーニャが片言の日本語で説明すると、「じ、じゃあ、これは? 隣に書いてあるこの料理は? あっ、この料理は名古屋の西洋料理店で食べたことがある。でも、銀座のお店で美味しいとは限らんしなぁ……。どうしよう、どうしよう。どれを頼もう?」とさらに迷いだした。しかも、スーニャが逃げないようにしっかりとエプロンの裾をつまんでいる。


 スーニャは心の中で舌打ちした。男性客はメニュー表とにらめっこをしているので気づいていないが、スーニャはどんどん不機嫌そうな顔になっている。銀髪の美少女は、こういうなよなよっとした男が面倒くさくて大嫌いなのである。


「……Неニエ  в моё́мマヨム вку́сеフクーセ.(こいつは私の趣味じゃない)」


「え? いま何か言った?」


「ンー? 何モ言ッテナイデスヨ? ゴ注文、ユックリ考エテ」


 男性客が顔を上げた時には、スーニャはいつもの天使みたいな笑顔に戻っていた。




            *   *   *




「おい、お前たち。いつまで掃除をやっているんだ?」


 ようやく帳簿をつけ終えた東吾が厨房に入って来た。恵美子と望子は声をそろえて「忘れてたっ‼」と叫ぶ。


「忘れてたって……。掃除をせずに厨房で何をやっていたんだよ」


「あ、アハハハハ! アハハハハ!」


 望子は笑って誤魔化そうとしたが、東吾はじとりとした目で二人を睨んでいる。


「お前ら、もしかして……」


「ど、ドキッ! 別に何もやっていませんよ⁉ 美味しくなるおまじないとか、私の信者を増やす相談とか、そんなことは何も……あいた⁉」


 聞かれてもいないことをべらべらと喋り出した望子は、恵美子に足を踏まれ、悲鳴を上げる。前から思っていたが、この駄女神はそうとう頭が悪いようだ。

 東吾は望子の奇行は(いつものことなので)あまり気にせず、「もしかして……」と続けた。


「俺の銀座一美味い料理を盗み食いしていたな⁉ まさか、開店前に作っておいたカレーを全部食べたんじゃないだろうな!」


「うぬぼれるんじゃねーですよ! あなたのゲロまずい料理を美味しくしてあげているのは、この私……いったーーーい⁉」


 また、恵美子に踏まれた。望子はキャンキャン泣きながらのたうち回る。


(神様だということは内緒なのでしょう? もうちょっと言動には注意してください)


(しょ……しょーでした。ちゅみまちぇん……)


 恵美子と望子がひそひそ話をしている横で、東吾は鍋の中身をチェックして「盗み食いはしていないようだな……」と呟いている。


「何をやっていたのかは知らないが、そろそろ開店時間だ。ちゃっちゃと掃除をしてくれ。俺は料理の準備をしているから、なるべくほこりを立てないようにな」


「は、はい。分かりました」


 恵美子は、望子がまた余計なことを言わないように彼女の口を塞ぎながら、そう返事をした。


 仕事をサボっていたことをもっと叱られると思ったのだが、東吾は怒鳴ったりしてこない。外見は憤怒ふんぬの形相をした鬼みたいだが、意外と気は長いほうなのかも知れない。




            *   *  *




 一方、優柔不断な男性客は、開店時間の十一時になり、他の客たちが数人来店し、彼らがコーヒーと軽食を食べ始める頃まで延々と悩み続けていた。優柔不断にもほどがある。スーニャは、心の中で三百回ぐらい舌打ちした。


「なに食べよう。サンドウィッチにしようかな。それとも、カレーライス……いや、ここはあえてビフテキという選択肢も……」


「サンドウィッチ。サンドウィッチデイイヨ、モウ。サンドウィッチガ、当店ノオススメ」


「そ、そうか。じゃあ、それにしよう。……あと、デザートはどうしようかな。甘い物を食べると虫歯ができるし、どうしよう、どうしよう、どうしよ……」


「サンドウィッチヲ食ベナガラ、考エタラ?」


「う、うん。そうやな。そうしようかな」


 この若者、誰かに決めてもらわないと何もできないらしい。スーニャは、「Неニエ  в моё́мマヨム вку́сеフクーセ.(こいつは私の趣味じゃない)」ともう一度呟くのであった。

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