第7話 ウケモチノカミ

 馬頭の男は、口から泡をぶくぶく出して気絶している。どうやら生きているようだ。物語の序盤でヒロインが殺人(殺馬?)事件を起こさなくて、本当によかった。


「あなた、大丈夫ですかブヒ~ン。今、ものすごい音がしましたけれどブヒ~ン」


 二階から足音が聞こえ、一人の女が階段を降りて来た。


 口調から読者も察したとは思うが、その女も馬頭である。


「もう一人いたのですか! 地獄の鬼めぇーっ!」


「え? き、きゃぁぁぁ! 助けてブヒ~ン!」


「ストップ! ストーップ! ストップ・ザ・殿中でんちゅうでござるぅ~‼」


 恵美子えみこが馬女に飛びかかろうとした直前、望子もちこが必死に恵美子にしがみつき、わけのわからない言葉を発しながら止めた。松の廊下刃傷事件で浅野あさの内匠頭たくみのかみを死に物狂いで止めた梶川かじかわ与惣兵衛よそべえと同じ気分だったのである。


「この者たちは地獄の鬼ではありませんよぉ~! 私……宇気母智神ウケモチノカミにかつて仕えていた聖なる馬たちなのですぅ~! 立派な神の御使いなのですよぉ~! だ・か・ら、ストップ・ザ・殿中でござるぅ~!」


 望子は自分が作った造語(?)が気に入ったのか、もう一度同じ言葉を叫んだ。


「はぁはぁ……ぜぇぜぇ……。う、ウケモチノカミ? その食物の女神の名前なら聞いたことがあります。私の故郷の三重県にもウケモチノカミをまつった神社がいくつかありますから」


 ようやく冷静になった恵美子は乱れた呼吸を整えながら、そう言った。たくさんの農地を持つ大地主の娘なので、食物神ウケモチノカミを祀った神社に家族そろってお参りして豊作を祈ったことがあるからだ。


「でも、食物神のウケモチノカミがなぜ銀座の路地で縁結びの神として祀られているのですか?」


「そのことを説明しだすととても長くなるので、まずはその振り上げた拳をおろしてくださいよぉ~。落ち着いてお話しましょうよぉ~」


 望子は弱々しい声で哀願するように言った。デンジャラスな恵美子に若干ビビっているようだ。どこまでもへなちょこな神様である。


「……わ、分かりました。取り乱してしまって、申し訳ありません。私、こう見えて臆病な性格なもので」


(どこがですか⁉)


(どこがなのブヒ~ン‼)


 望子と馬女は心の中で思いきりツッコミを入れるのであった……。




            *   *   *




「い、いててて……。死ぬかと思ったぜブヒヒーン」


「あなた、大丈夫ですかブヒ~ン」


 馬夫婦が微妙に豚っぽいような気もする語尾で会話している。その様子を恵美子はお茶をすすりながら不気味そうに見つめていた。


 ちなみに、今は馬頭ではない。ちょっと……いや、かなりの面長ではあるが人間の顔になっている。望子の話によると、長年神に仕えてきた霊力の強い動物は人間の姿に変身することができるらしい。この馬夫婦――明智あけちひこ美馬みまは、食物神ウケモチノカミ(望子)に仕えていた神使で、数年前に引退し、人間の夫婦のふりをして弁当屋を始めたそうだ。


「人間に化けているのは疲れるから、店を閉めた後は顔だけは馬の頭に戻っていたブヒヒーン。これからは急な来客に備えて、寝る直前まで変身は解かないブヒヒーン」


「そういう事情があったのですか……。ごめんなさい。私、てっきり地獄にいるという恐ろしい鬼かと思ってしまって……」


「いや、恐ろしいのはお嬢さ……」


「は?(威圧)」


「な、何でもないブヒヒーン」


 彦馬はすっかり恵美子に怯えてしまっている。彦馬がカタカタと震えながら黙りこむと、恵美子は「ひとつ、疑問があるのですが」と望子に言った。


「祠の前に狐の石像がありましたよね。お稲荷いなりさんと言えば、やっぱり狐でしょう? あの狐さんは神使ではないのですか?」


「…………あいつは……その、何というか……私の監視役みたいな……」


「ほへ? 監視役?」


「そ、そんなどーでもいい話は、後日教えてあげます! もっと他に私に聞きたいことがあるのでしょう⁉」


 望子はムキになってそうまくしたてた。理由はよく分からないが、あの狐の石像はあまり話題にしてほしくないらしい。


「まっ、別にどうでもいいですけれど。では、一番肝心なことを聞きますね。望子さん……いいえ、ウケモチノカミ様はなぜあんな場所で縁結びの神をやっているのですか? 本職は食物神なのに」


「神様の祠があるところをあんな場所って言うの禁止ぃー‼」


 望子は涙目で抗議したが、すぐに気を取り直してコホンと咳払いをすると、「……全ては、一人の戦国武将が滅亡したことから始まったのです」と語り出した。




            *   *   *




 豊代磐とよいわ神社は、江戸時代の初期ごろからお稲荷様として銀座で祀られていた。建立したのは、安田やすだなにがしという侍である。この安田某は明智光秀の元家臣で、主家の再興を願って神社を建てたのだ。


 祭神として安田某に祀られたウケモチノカミ(望子)は、首を傾げた。


(私、食物の女神でしたよね? なんで武家の再興をしなきゃいけないの? そーいうのは専門外なんですけれどぉ~……)


 そんな愚痴を言っても、お稲荷様は武家にも人気なのだ。頼られたら、神としてはがんばるしかないだろう。


 でも、どうやって明智家を再興させよう。というか、光秀さんが戦死してだいぶ経っているから無理っぽいような……。


 などと悩んでいる内に、いつの間にか地元の人々から「縁結びの神」「火伏の神」として信仰されるようになっていた。ウケモチノカミは再び首を傾げた。


(あれ? 明智家の再興はもういいのですか……? あっ、神社を建ててくれた安田某さん、もう死んじゃったのか……。

 仕方ありません。この地の人間のみなさんが「縁結びの神」として信仰してくれているおかげで、人と人のえにしを結びつける力を多少ですが手に入れましたし、縁結び活動をがんばりましょう)


 ウケモチノカミは、たまにお参りに来る若い娘たちの縁結びの願いを叶えつつ、江戸時代の天下泰平を楽しんだ。


 しかし、そんな静かな日々も江戸幕府の崩壊とともに終わりを告げたのである。明治新政府の偉い人たちは「銀座に西欧風の煉瓦れんが街を作ろう!」と言い出したのだ。ウケモチノカミは三度みたび首を傾げた。


(ほわぁ~。何だか、私の神社の周りに見たこともない建物が続々できていきますねぇ~。うわ、めちゃくちゃ日当たりが悪くなってきましたよ? このままでは、私の神社の存在感が薄れていって、参拝客が激減してしまうのではないでしょうか……)


 危惧きぐしていた通り、豊代磐神社は西洋風建物に四方を囲まれて埋もれていき、路地の奥にこっそりと建っている神社を訪れる人はだんだん減っていくのであった。


 神様の力の源は、人間たちの信仰心だ。近代化して文明を崇拝するようになった人々は神を忘れつつある。それは都市部において特に顕著で、神たちの力は緩やかに衰えていく一方だった。


 ウケモチノカミを食物神として祀ってくれている神社はまだ各地の田舎にあるため、食物を生み出す力は辛うじて失ってはいないが……。「縁結びの神」としての力はほとんど無くなってしまっていたのである。


 困りました、どうしましょう。ウケモチノカミが頭を悩ましていると、とんでもないことが起きた。関東大震災である。


 銀座はほぼ全域が燃え、煉瓦の建物もことごとく倒壊した。もちろん、豊代磐神社も焼失してしまった。今回ばかりは、ウケモチノカミも呑気に首を傾げている場合ではなかった。


(う、う、う……。なんて酷いことになったのでしょう。地元の人たちがいちおう私の存在を覚えてくれていて、祠を新しく建ててくれたけれど……)


 ぼろかった。強風が吹いたら簡単に倒壊しそうなほど、ぼろかった……!


「神様。今は銀座の街を復興させるので手いっぱいで……。申し訳ありませんが、しばらくこの祠で我慢してください。銀座の街に昔みたいな活気が戻り、我々に余裕ができたら、また新しい祠を建てますから」


 町内会のおっさんが、ぼろい祠の前でそう言っていた。しかし、ただでさえ縁結びの神としてのご利益が衰えているのに、こんなぼろい神社に誰が参拝してくれるというのだろうか? 銀座の人々から完全に忘れられてしまうのでは……?


「ダメです! ダメです! そんなの、神としてのプライドが許しませーん! このままこんなぼろい祠でくすぶっているぐらいなら、いっそのこと人間になりすまして働きましょう! お金を稼ぎつつ、恋に悩む男や女を見つけて両者がくっつくお手伝いをするのです! そうすれば、神社再建の費用が手に入るし、縁結びの神としての実績を積んで力を取り戻すことができるはずですし!」


 というわけで、ウケモチノカミは明智望子という少女になりすまして、三か月ほど前から、神社の近くにあるカフェーいなりで働き始めたのであった。







※作中の豊代磐神社は、銀座七丁目の路地裏に実在する「豊岩稲荷とよいわいなり神社」をモデルにしています。豊岩稲荷神社は恋愛のパワースポットとして知られ、明智家の旧臣が建立したと言われています。

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