第23話『君は強い子』

 あれから、鷲尾さんが私の後をついてくるようなことはなかった。それでも寮に戻って自分の家に入ったときに、ようやく少しだけ安心感を抱くことができた。

 部屋着へと着替えて、温かい紅茶を淹れて気持ちを落ち着かせることに。紅茶を一口飲むと、その温かさが全身へと伝わっていき、緊張していた筋肉がほぐれていくのが分かる。はあっ……と息を長く吐いた。


「鷲尾さんに会ったこと、綾奈先輩や会長さんに話した方がいいよね……」


 2人に謝りたいと言った鷲尾さんのことを突き放したし、そのことで2人に何か起きてしまうかもしれない。


『さっき、喫茶ラブソティーの近くで鷲尾奈々実さんという方に会いました。小学生のときのいじめのことで2人に謝りたいから協力してほしいと言われましたが、断りました』


 綾奈先輩と会長さん、私の3人のグループトークにそんなメッセージを送った。とりあえず、この2つのことを伝えておけばいいかな。

 ――プルルッ。

 スマートフォンを確認すると、会長さんから1件のメッセージが送信されていた。


『そうなのね、分かった。まさか、彼女が百合ちゃんに近づいてくるなんて。そのときは奈々実ちゃんだけだった? 何かされなかった?』


 いじめの中心となった鷲尾さんが私に近づいたからか、その文言には普段の会長さんとは違う焦りのようなものが感じられた。


『鷲尾さん1人でした。彼女とは話しただけです。特に何か変なことはされませんでした』


 むしろ、私の方がたまに強い口調で鷲尾さんに言ったくらいだし。今後は話しかけないでほしいと言ったけれど、鷲尾さんのことだからそう簡単には諦めない気がする。

 ――プルルッ。

 すると、今度は綾奈先輩から新しいメッセージが送信されていた。


『奈々実が百合に会ったか。ところで、愛花。私はバイトが6時に終わるけど、愛花の方はいつぐらいに生徒会の仕事が終わりそう?』


 綾奈先輩、会長さんに時間のことを訊くなんて。どうしたんだろう?


『私も6時には終わるけど』


『分かった。じゃあ、終わったら奈々実と何を話したのかを訊きに、一緒に百合の家に行こう。直接話が聞きたい。百合、それでもいいかな?』


『もちろんいいですよ。お待ちしています』


 こうしてメッセージでやり取りするよりも、直接会って話した方がいいよね。鷲尾さんのことについてだから、きっと綾奈先輩はいち早く知りたいのだろう。

 先輩達が来るから、掃除しておこうかな。6時までまだ時間があるし。

 部屋を中心に掃除をしていくとあっという間に時間が過ぎていく。雨が降っていることもあってか、気付けば空がかなり暗くなっていた。

 ――ピンポーン。

 寮のインターホンが鳴ったのでモニターを見てみると、綾奈先輩と会長さんの姿が映っていた。先輩方が無事にここまで来られたと分かって安心する。


「百合、来たよ」

「はい。開けますね」


 先輩方が入ってから少しの間、モニターを見続けていたけど、鷲尾さんが後から追ってくることはなかった。

 それからすぐに玄関のインターホンが鳴ったので扉を開けると、そこには制服姿の綾奈先輩と会長さんがいた。


「いらっしゃい、綾奈先輩、会長さん」

「突然でごめんね、百合」

「いえいえ、そんなことはないですよ。さあ、2人とも入ってください」

「うん。お邪魔します」

「お邪魔します。へえ、ここが百合ちゃんのお家か……」


 そういえば、会長さんが私の家に来るのは初めてなんだっけ。会長さんは私の部屋の中を見渡している。心なしか、先輩方が来たことで家の中の空気が綺麗になった気が。


「何だか百合ちゃんっぽい匂いがする」

「えっ? 匂ってますか?」

「変な意味じゃないよ。ただ、知っている人の匂いがして落ち着くなぁ……って」

「そうですか。適当にくつろいでください。紅茶を淹れますので」


 温かくて濃い紅茶を淹れて、部屋の中を紅茶の香りでいっぱいにしてしまおう。

 3人分の紅茶を淹れ、先輩方にお出しする。


「濃いめなのね。私は好きだけれど」

「バイト疲れにはいいね。……さっそく本題に入るけれど、喫茶ラブソティーから出た後に鷲尾奈々実と会ったそうだね」

「はい。お店を出て2、3分歩いたところで。どうやら、鷲尾さんは喫茶ラブソティーで綾奈先輩がバイトをしていることや、最近になって私が先輩と話すような関係になったことを知っていたようです」

「なるほど。それで、愛花や私のことを話すために百合のことを追いかけてきたと」

「ええ」


 綾奈先輩は会長さん以外の人と深く付き合わない性格の人だ。彼女のことを見てきた鷲尾さんならそれは分かっているはず。そんな中、私と楽しそうに話している先輩のことを見て、私なら協力者になってくれると思ったのだろう。


「綾奈や私に謝るのに協力してほしいってことは、奈々実ちゃんは小学校の頃のいじめを百合ちゃんに話したのね?」

「ええ。鷲尾さんはクラスメイトの変化におかしいと思ったそうで、色々な人に綾奈先輩のことを訊いたらしいです。そうしたら、綾奈先輩に特異な体質があることを知ったそうで。それで、鷲尾さんはその件がある前から、綾奈先輩に友情の他に特別な想いを抱いていて。そういう想いを抱いたのは、綾奈先輩の体質のせいだと考え、そのことに怒りを覚えて2人へのいじめを始めたと言っていました」

「私に気持ちを操られたと考えたのか、奈々実は。特別な感情っていうのは、おそらく好意だろうね」

「私も同じことを思った。奈々実、綾奈にスキンシップするときもあったし、そのときはとても楽しそうだったから」

「親友だけあっていじめがあるまでは、鷲尾さんと仲が良かったんですね」


 綾奈先輩にスキンシップをしていたなんて羨ましいと思ってしまった。まあ、太ももフェチな綾奈先輩から太ももをたっぷりと触られたけれど。


「奈々実とはいじめのあった5年生で初めて同じクラスになったんだけどね。私達とすぐに気が合って3人で遊ぶことも多かったな」

「そうだったわね。そんな奈々実ちゃんが中心になっていじめたからこそ、よりショックだった。……奈々実ちゃんから話されたのはそれだけ?」

「いいえ。綾奈先輩がサキュバスの姿になって怒鳴ったことについても。鷲尾さんは当時の綾奈先輩の姿を見て恐ろしさを抱いたようです。そして、自分のしたことがようやく分かり始めたらしくて。それ以降は関わらないようにしたと」

「……なるほどね」


 そうか……と、綾奈先輩は複雑そうな表情を浮かべて大きく息を吐いた。会長さんもため息はつかないものの笑顔は消えていた。


「当然、奈々実の言葉は信じ切れないけど、私がサキュバスの姿を見せてから関わりが一切なくなったのは事実だ。当時の私の様子を見て思うところはあったんだろう。それで、愛花や私のいじめについて、高校2年の今になって謝りたいと思って、私と関わりのある百合に協力を求めてきたわけか」

「はい。今なら謝ることができそうだって。あとは、鷲尾さんの抱いている想いを先輩に伝えたいからと。でも、そのことを話す鷲尾さんを見ていたら、自分のために謝りたいようにしか思えなくて。ですから、協力できないと断りました。そのことで、先輩方に迷惑がかかってしまうかもしれません。……ごめんなさい」


 自分が断ったことをきっかけに、綾奈先輩や会長さんが嫌な目に遭うかもしれないと思うと心苦しい。サキュバスの姿を見せてなくなったいじめが、私のせいで再び起きてしまうかもしれない。

 気付けば、頬に何かが伝っているのが分かった。


「百合が謝る必要なんてないんだよ。百合は自分の思ったことを奈々実に対してしっかりと伝えたんだ。それは偉いこと。百合は強い子だ」

「綾奈の言う通りよ。奈々実ちゃんに協力しない決断をしたことに罪悪感を抱かなくていいの。むしろ、こっちがごめんなさいって言わないといけないくらい。小学生の頃にあったことについて巻き込んじゃって。……ごめんなさい」


 そう言うと、会長さんは私のことをそっと抱きしめてくる。

 会長さんの優しい温もりと甘い匂いのおかげで、少しずつ気持ちが落ち着いていく。思わず会長さんの胸の中に頭を埋めた。


「私からも……ごめんね、百合。一昨日、愛花だけじゃなくて百合も守るって言ったのに。ただ、奈々実に自分の想いをはっきりと言った百合は立派だよ。あのときに百合がいたら、違う未来もあったかもしれないって思えるくらいだ」

「綾奈の言う通り。百合ちゃんは強い子ね。奈々実ちゃんに言った百合ちゃんの決断を聞いて、私はほっとして嬉しく思ったくらい。ありがとう」


 私はゆっくりと会長さんの胸から頭を離す。

 すると、先輩方は優しげな笑みを浮かべて私のことを見てくれていた。そのことにとても安心する。


「……少しでも、先輩方の力になれたなら嬉しいです」

「少しどころか百合ちゃんがいてむしろ心強いくらいよね、綾奈」

「うん、こういう後輩ができて良かったなって思うよ。そう思ったら、私も百合のことを抱きしめたくなってきた。愛花、いいでしょ?」

「……ええ、いいわよ」

「ありがとう」


 すると、綾奈先輩は私のことを優しく抱き寄せ、頭を優しく撫でてくれる。

 綾奈先輩の温もりや匂いも心地いいけど、サキュバス体質の影響なのかと凄くドキドキしてくるよ! 心臓もバクバクしているし、これが綾奈先輩にも伝わっていると思うと恥ずかしいな。


「やっぱり、百合の抱き心地って結構いいね」

「そう言ってくれるとちょっと嬉しいです。……ひゃあっ!」

「可愛い声出しちゃって。太ももの触り心地は相変わらずいいね」


 ううっ、会長さんもいるのに変な声出しちゃって。より恥ずかしくなって、今度は綾奈先輩の胸の中に顔を埋めることに。


「んっ。まさか私のも触ってくるなんて」

「愛花の太もももいいよね。いやぁ、2人の太ももを一度に触ることができて幸せだなぁ」

「もう、綾奈ったら。まさか、太ももを堪能するためにも百合ちゃんの家に行こうって言ったんじゃないの?」

「……それもちょっとあったかな」

「ちょっと? 奈々実ちゃんの話を聞くことと同じくらいに重要だったんじゃない?」

「……2人の太ももは私好みだからね」


 そこは否定しないんだ、綾奈先輩。相当な太ももフェチの先輩らしいけれど。

 先輩方がどんな表情をしているのか見たいけど、もうちょっとだけ綾奈先輩の温もりや匂いを味わっていよう。こんな機会はあまりないだろうし、少しでも長く好きな人に包まれていたいから。

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