第22話『自称・元親友』

 6月14日、木曜日。

 今日は登校するときは曇っていたけれど、お昼前から雨が降り始めた。

 ただ、玉城先輩と付き合い始めた夏実ちゃんのおかげか、教室の中は明るい空気で包まれていた。昨日、下校した後は玉城先輩と一緒にデートをしたらしい。いつまでも仲良く過ごしてほしいものだ。

 いつも以上に平和な時が流れ、今日も無事に放課後となった。

 木曜日なので部活はなく、綾奈先輩はバイトがあると昼休みにメッセージが来たので、喫茶ラブソティーへと向かうことに。


「いらっしゃいませ。定期的に来てくれて嬉しいよ、百合」

「コーヒーや紅茶も美味しいですし、雰囲気もいいですから。それに、先輩がバイトをしているのもちょっとあるかな……」

「それは嬉しい言葉だね。今日もゆっくりしていってね」

「はい」


 この前もらったバイト代はまだまだ残っているけど、今日はホットコーヒーだけを注文した。そのコーヒーを飲みながら、明日提出する英語の課題を終わらせた。量も少なかったので、全て終わった後に飲んだコーヒーはまだ温かかった。


「今日も先輩目当てのお客さんが多いな……」


 花宮女子の生徒を含め、綾奈先輩が歩くと視線を追う女性が多い。こうなるのもサキュバス体質の影響なんだろうな。あんなに人気の先輩と自分の家で2人きりになったり、デートしたりしたのが夢なんじゃないかと今でも思うことがある。そして、今週末にお泊まりする予定であることも。

 課題も終わって、コーヒーも飲み終わったから今日は帰ろうかな。


「お会計お願いします、綾奈先輩」

「うん。一生懸命やっていたけれど、課題?」

「はい。明日提出する英語の課題を。思ったよりも早く終わりました」

「そうだったんだ。日曜日のバイト中もそうだったけど、集中して取り組んでいる百合の姿はいいなって思う」

「そ、そうですか? 何だか照れちゃいますね。あの、これからもたまに課題をやるために来てもいいですか?」

「もちろんだよ」


 これからもできるだけ、綾奈先輩がバイトをしているときに来よう。

 会計を済ませて、お店の外に出ると、学校を後にしたときよりも雨が強くなっていた。課題も終わったし、遅い時間でもないので駅の方に行こうかと思ったけど、今日は真っ直ぐ寮に帰ろうかな。

 お店から歩き出して2、3分経ったときだった。


「すみません。あなたとお話ししたいことがあるの」


 知らない女の人の声が聞こえたので振り返って見ると、そこには花宮女子高校とは違う学校の制服を着た女性が経っていた。可愛らしい顔立ちで、おさげの髪型をした茶髪が美しい。


「あの、あなたは?」

「都立花宮高校2年の鷲尾奈々実わしおななみっていうの。初めまして。ええと、あなたは……制服から花宮女子高等学校の生徒であることと、お店で百合って呼ばれているところを見たことがあるから、下の名前は分かっているんだけれど」

「はい。初めまして、私立花宮女子高等学校1年の白瀬百合といいます」


 都立花宮高校か。前に、若菜部長や莉緒先輩からその学校について話を聞いたことがある。花宮女子とは駅の反対側にある共学の公立校で、莉緒先輩の友達の何人かがその高校に通っているとのこと。


「花宮高校の生徒さんがどうして私に? 花宮高校に知り合いはいませんし、あなたの名前も今、初めて聞きました」

「……そっか。さすがにあの子達もあたしのことを話してはないよね……」

「あの子達?」

「……神崎綾奈と有栖川愛花」


 先輩方の名前を聞いた瞬間、嫌な予感がした。この人はいったい何を考えているんだろうと身構えてしまう。

 ただ、まずは鷲尾さんのことを知らないと。


「名前を知っているようですが、鷲尾さんは先輩方とどういう関係ですか?」


 私がそう訊くと、鷲尾さんは私から視線を逸らしながら切なげな笑みを浮かべて、


「元親友っていうのが一番正しいかな」


 私しか聞こえないような小さな声でそう言った。元親友ということは、これまでに何かあって先輩方とは親友じゃなくなったんだ。

 あと、先輩方から親友って言葉を聞いたような気がする。過去のことを話したのは――。


「もしかして、小学生のときに綾奈先輩や会長さんのことをいじめた……」

「……そうだよ。あたしが中心になって綾奈と愛花のことをいじめたの。いや、謝ることも何もしていないから、そういう意味では過去形にしたらダメかもね」

「……その話は先輩方から聞いています」

 

 嫌な予感が当たってしまった。この人が綾奈先輩や会長さんの心に大きな傷を付けた中心になった人だなんて。気持ちがザワザワしてくる。きっと、彼女に向ける視線は鋭くなっているだろう。


「そっか。例のことを2人から話されるなんて。白瀬さんはとても気に入られているんだ。あのことがあってから、小学校を卒業するまで2人は他の児童や先生ともほとんど関わらなかったそうだし」

「本人達もそう言っていました。ただ、今は学校とかで2人が一緒にいるときはとても楽しそうです。特に会長さんは生徒会の方達とも仲良くやっているそうです」

「……そっか」


 すると、鷲尾さんの笑みは寂しげなものに変わる。数年前のことであるとはいえ、綾奈先輩や会長さんのことをいじめたのにどうしてそんな表情ができるのか。理解に苦しむ。


「どうして、鷲尾さんは今になって、しかも2人の後輩である私に話しかけてきたんですか? さっきの話からして、喫茶ラブソティーでの様子を見て、綾奈先輩と私がある程度親しい関係であると見抜いたからだと思いますが」

「その通りだよ、白瀬さん。綾奈があのお店でバイトをしているのはもっと前から分かってた。彼女に気付かれないように以前とは違う髪型にしたり、度の入っていないメガネをかけたり変装して、定期的に行っているの」

「そこまでしてあのお店に行く理由は何ですか? あのお店のメニューが好きだからですか? それとも、綾奈先輩絡みですか?」


 いじめている人がバイトをしているお店に通っているなんて。再び先輩方をいじめようとしているのだろうか。鷲尾さんの返答次第では怒ってしまうかも。

 すると、鷲尾さんは頬をほんのりと赤くする。


「……あのお店のコーヒーや紅茶、スイーツも好き。でも、一番の目的は……大好きな綾奈のことを見ていたいからなの」

「えっ?」


 あまりにも予想外な答えだったので、思わずそんな声が出てしまった。何を言っているのだろうかと耳を疑ってしまう。


「綾奈先輩のことが好き……なんですか?」


 確認のためにそう問いかけると、鷲尾さんはゆっくりと頷いた。


「……うん。小学5年生で一緒のクラスになってから、友情以外の特別な気持ちを抱いていることは分かってた。ただ、秋頃になってクラスメイトの多くの女子が、綾奈に惹かれたり、ベッタリとくっついたりするようになった。先生までも」


 綾奈先輩が話していた通りか。その頃にサキュバス体質の影響が出始めたんだろう。


「綾奈は素敵な女の子だったし、人気もあったの。もちろん、あまり好きじゃないや興味がない女の子もいたけどね。ただ、そういった子までもが突然、綾奈のことが好きだって言い始めたからおかしいと思って。色々な人に話を聞いたら、彼女には特殊な体質があると分かったの。そうしたら、綾奈に抱く気持ちって実は彼女に操られていたんじゃないかって思うようになって。それで、綾奈のことを『魔女』と揶揄していじめるようになったの。異変が起きてから、綾奈のことを気持ち悪いって思っていた女子もいたし。何人かの男子も一緒に」

「そうですか。そして、綾奈先輩のことを必死に守ろうとした会長さんのことを『魔女の使い』と揶揄していじめるようになったと」

「……ええ」


 私の目を見ずに鷲尾さんはそう言った。

 綾奈先輩や会長さんから話を聞いたときでさえ複雑な気持ちになったのに、いじめの中心人物から直接言われるとムカムカしてくる。


「あなたが中心となったいじめのせいで、綾奈先輩や会長さんがどれだけ傷付いたか分かっているんですか」


 綾奈先輩や会長さんと出会ってから10日ほどの私が、鷲尾さんにそんなことを言う資格はないのかもしれない。でも、言わずにはいられなかった。

 少しの間、無言の時間が続き、


「……当時は分かっていなかった。だから、あんなことをしたんだと思う。ただ、角や羽やしっぽの生えた綾奈から怒鳴られた瞬間、当時の綾奈は我慢の限界だったんだって分かった。何てことをしたんだって思ったし、怒鳴ったときの綾奈がとても恐かったから、それを機に綾奈や愛花と関わることはなくなったの」


 実際に見てはいないけど、綾奈先輩のサキュバスとしての姿は相当な衝撃を与えたようだ。そのときの先輩は当然かなり怒っていただろうし。


「そうですか、分かりました。先輩が怒った一件から全く関わりがなくなったと先輩方からも聞いています。いじめられなくなり、謝罪もなかったと。そんな状態が数年以上も続いたのに、今になって、本人達ではなく私に声をかけてくることに理解しかねます」

「……高校生になった今なら、綾奈と愛花に謝ることができそうだって思ったから。親友っていうそれまでの関係に戻りたいから。でも、1人じゃ勇気が出なくて。白瀬さんにその手助けをしてほしくて。あれ以降、2人のことを忘れたことはないし、いじめてから時間が経って、綾奈へ抱いた想いは本当の好意だったんだって分かったから。できれば、その想いも伝えたいの」


 鷲尾さんは真剣な表情で私のことを見つめながらそう言ってきた。

 とりあえず、いじめた当時のような憎悪感を綾奈先輩や会長さんには抱いてはいなさそうだ。それでも、鷲尾さんの言葉を素直に受け入れることはできるわけがなくて。


「……協力しません」

「えっ……」

「綾奈先輩と会長さんに謝りたい気持ちがあるのは分かりました。でも、それは誰のためですか? 私には先輩方のためではなく、鷲尾さん自身のために謝りたいと考えているようにしか思えません。もしそうなら、謝罪はしない方がいいと思います。先輩方も高校生活を謳歌するために、先輩達なりに頑張っているようですから。私はそんな先輩方を応援したい。なので、鷲尾さんには協力できません。あと、今後もそのことで私に話しかけるのは止めてください。では、失礼します」


 鷲尾さんに軽く頭を下げて、寮に向かって早足で歩き始める。

 まったく、鷲尾さんは自分勝手な人だ。私のことを利用しようとしてくるなんて。本当に嫌な気分だ。

 ただ、これで良かったのだろうかと疑問もある。私が鷲尾さんに協力しないと言ったことで、綾奈先輩に会長さんに迷惑を掛けてしまうかもしれない。そんなことを考えながら寮へと帰っていくのであった。

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