第15話『ラブソティーレディー-前編-』

 6月10日、日曜日。

 雨の降らなかった昨日とは違って、今日は1日中雨が降る予報になっている。ただ、気温はあまり高くないのでいいかな。今年の梅雨は雨が降るとジメジメせず、寒くなるタイプなのかも。


「こういう日は家でのんびりするのが一番かな」


 明日提出する宿題も済ませているし、食材も昨日のデート帰りに買ったし、美琴ちゃんや夏実ちゃんは部活で学校に行っているし……Blu-rayとか観て過ごそう。天気がガラッと変わったからか、昨日がとても遠く感じるよ。

 午前9時15分。温かい紅茶を淹れ、さっそくBlu-rayを観ようとしたときだった。

 ――プルルッ。

 スマートフォンの着信音がいつもよりも大きく響いている気がして。さっそく確認してみると、昨日作った綾奈先輩と会長さんと私のグループトークに、


『愛花、百合、今日って時間はあるかな。今日だけでいいからバイトを手伝ってほしくて。バイト代はたっぷりと出るそうです。あとはまかないも』


 綾奈先輩からそんなメッセージが届いたのだ。そういえば昨日、帰りの電車の中で今日はバイトがあるって先輩が言っていたな。喫茶ラブソティーで何かあったのかな。

 昨日の電車の中でアルバイトの話になったけど、まさかこんなにも早くお誘いが来るとは。今後、バイトをするときの参考になるだろうし、バイト代が出るんだったらやってみようかな。それに、綾奈先輩と一緒にいられるのは嬉しいし。


『今日は何も予定はないですし、私は手伝いに行きます』


『大丈夫よ、行くわ』


 私がメッセージを送った直後に会長さんからもメッセージが。綾奈先輩だけじゃなくて会長さんも一緒なら安心かな。


『2人とも、ありがとう。じゃあ、今から来てくれるかな。愛花、百合をつれて従業員専用の入り口から入ってきて』


『分かった、綾奈。百合ちゃん、お店の入り口前で会おうね』


『分かりました。では、また後で』


 そのメッセージを送った瞬間、この1週間は本当に予想もしないことばかり起こるなぁと思った。まさか、綾奈先輩がバイトをしている喫茶店に助っ人として呼ばれることになるなんて。ただ、今日も綾奈先輩と一緒にいられるなんて嬉しいな。

 すぐに仕度をして、いつもよりも速い歩みで喫茶ラブソティーへと向かった。だからなのか、会長さんの姿はまだなかった。

 雨が降っているけれど、日曜日だからなのかお店に沿って若い女性が数人ほど並んでいた。開店する時間まであと30分くらいあるのに。それだけ、このお店のことが好きだということかな。


「百合ちゃん、おはよう」


 振り返るとそこにはスカートにパーカー姿の会長さんが。バイトに行くからラフな格好なのかもしれないけど、それでも綺麗で可愛らしいのは変わらない。


「おはようございます、会長さん」

「おはよう。じゃあ、さっそく行こうか。スタッフ用の入り口はこっちだから」


 私は会長さんの後をついて行く形で、お店の裏の方にあるスタッフ用の入り口から中へと入った。


「おはよう、愛花、百合。早かったね」


 すると、中にはこの前と同じように、ここの制服姿の綾奈先輩がいた。私達が来たことで安心しているようだ。


「急だから驚いたわよ。何があったの?」

「ホール担当の子が体調不良で休んで、キッチン担当の方がお子さんの看病をするためにパートを休むって連絡が入ってね」

「今年の梅雨は雨が降ると寒くなるみたいだもんね。それで体調を崩したのかも」

「そうだね。シフトのない人に連絡したら、模試とか部活の大会とかでどうしても入れない人ばかりで。昼過ぎからシフトに入る人達も、午前中は外せない予定があって。それで、短期でもここでバイトの経験がある愛花と、料理を結構する百合はどうだろうって店長と副店長に私から提案したんだ。許可も受けたから2人に連絡したんだよ」

「なるほどね。頼まれたからには頑張りましょう、百合ちゃん」

「はい!」


 この前、お家に綾奈先輩を連れてきたとき、料理が好きだと話した。綾奈先輩はそんな私に期待した上で連絡してくれたんだ。それに少しで応えられるように、そしてお店の役に立てるように頑張らないと。


「あら、愛花ちゃん、久しぶりね」


 奥から赤茶色の髪の女性が姿を現した。スカートであること以外は綾奈先輩と同じ服装か。見た目が若々しくて可愛らしいけれど、とても落ち着いた雰囲気の人だ。あと、セミロングの髪からいい香りがしてくる。


「お久しぶりです、マスターさん。今日はよろしくお願いします」

「うん、よろしくね。急なことでごめんなさいね。バイト代はたっぷりと出すからね。それで、こちらの黒髪の可愛らしい女の子が白瀬百合ちゃん?」

「そうです、マスター。百合、こちらの女性が喫茶ラブソティーの店長の紅瀬葉子こうせようこさん」

「初めまして、花宮女子1年の白瀬百合といいます。今日はよろしくお願いします」

「紅瀬葉子といいます。ホールもキッチンもどちらもやっています。よろしくね、白瀬さん」


 店長さんだったんだ。ということは、この方は綾奈先輩の体質を知っているのか。落ち着いた大人の女性って感じなので心強そう。バイトは初めてだけれど、優しそうな店長さんで安心した。


「おっ、愛花。ひさしぶりだな」


 今度はとても背の高い赤髪の女性が私達のところにやってきた。綾奈先輩と全く同じ制服を着ている。凜々しくかっこいい人だ。ショートヘアの髪型がよく似合っていると思う。


「おひさしぶりです。清恵さん」

「ひさしぶり。一段と可愛くなったね。それで、こちらの黒髪の女の子が綾奈の言っていた料理のできる女の子かな?」

「そうです。百合、こちらの女性が副店長の赤木清恵あかぎきよえさん」

「そうなんですね。初めまして、花宮女子1年の白瀬百合といいます。今日はよろしくお願いします」

「副店長の赤木清恵だ。主にホールを担当している。よろしく、白瀬さん」


 副店長さんはそう言うと私に微笑みかける。綾奈先輩よりもかっこいいからか、ちょっとキュンってなった。副店長ってことは、この方も綾奈先輩のサキュバス体質を知っているわけだ。


「白瀬さん。料理ができるって綾奈から聞いているけど、どのくらいの実力かを知っておきたい。そこで、うちの人気メニューの1つであるオムライスを作ってほしいんだ。ケチャップでハートマークを描いて。オムライスのレシピはこれだよ」


 そう言って、副店長さんはエプロンのポケットから取り出した紙を渡してくる。その紙を見てみると、オムライスのレシピが印刷されていた。見てみると、一般的なオムライスと材料や作り方はあまり変わらないかな。


「美味しいオムライスを作ってくれるって期待しているよ。……お腹も減ったし」

「いきなりごめんね、白瀬さん。清恵ちゃん、こう見えてかなりの大食いで。白瀬さんが来たら、オムライスを作ってもらうんだって楽しみにしていたから」

「そ、そうなんですね」


 副店長さん、見た目も喋り方もクールだけど、本当は気さくで面白い人なのかも。


「そういえば、私が短期バイトを始めるときには、料理の腕を知るために清恵さんにナポリタンを作りましたよね」

「あれはとても美味しかったぞ、愛花。まあ、あたしにとっては葉子の作った料理が一番だと思っているけど」

「清恵ちゃん……」


 店長さんと副店長さん、見つめ合っちゃって。さっそく2人の世界ができているな。あと、キッチンスタッフになるには副店長さんに料理を作らないといけないのかな。


「言い忘れていたけれど、マスターと清恵さんはこのお店を始める前から恋人として付き合っていて、一緒に暮らしているんだよ」

「そうなんですか」


 どうりで2人がすぐ側に立っているわけだ。将来は綾奈先輩とああいう関係になれたらいいなと思う。


「あと、気になったんですけど、先輩方はどうして店長さんのことをマスターって呼ぶんですか? 副店長さんのことは名前なのに」

「マスターって呼ぶのが一番落ち着くからかな」

「私は綾奈につられて」


 人それぞれ言いやすい呼び方はあるか。さすがに名前で呼ぶのは気が引けるので「店長さん」「副店長さん」と呼ばせてもらおう。


「では、さっそくオムライスを作りたいと思うのですが……」

「キッチンはこっちだよ、白瀬さん」


 副店長さんにキッチンまで案内される。すると、そこにはオムライスの材料が揃っていた。これを使って、レシピ通りにオムライスを作ってみることに。

 初めての場所で作るから少し緊張するけれど、それでも料理をすることはとても楽しい。お店の作り方が、これまで私の作ってきた方法と似ているので作りやすかった。最後に、忘れずにケチャップでハートを描く。


「お待たせしました。オムライスになります」

「ありがとう。これは美味しそうだ。見た目は合格だね」


 副店長さんはさっそくオムライスを一口食べる。レシピ通りに作ったつもりだけど、緊張するなぁ。

 一口食べただけでは何も反応せず、副店長さんはもう一口食べる。お店に出すレベルじゃないのかな。

 すると、副店長さんは両手で私の手をギュッと掴んで、


「すっごく美味しい。キッチンスタッフとして喜んで採用しよう。白瀬さんさえよければ今日だけじゃなくて今後も……」

「あ、ありがとうございます。まずは今日のお仕事を頑張りたいと思います」

「分かった。今日はキッチンスタッフとしてよろしく頼むね」


 キッチンスタッフとして採用されて良かった。無言で二口目を食べていたのは、オムライスを気に入ってくれたからだったんだ。


「これ美味しいわ。清恵ちゃんが気に入るのも頷ける」

「ですね、マスター。料理好きだとは聞いていたけれどここまで上手だとは」

「これは美味しい。百合ちゃん、寮で暮らしているけど普段から自炊をしているの?」

「はい。なるべく自炊するようにしています。中学生までは母がパートをしているときは、主に私がご飯を作っていました。オムライスは特に妹が好きで……」

「そうなの。好きこそものの上手なれっていうのはこういうことを言うのかもね」


 綾奈先輩も会長さんも店長さんも気に入ってくれて良かった。ただ、バイト中はお客様に満足していただかないと。


「あっ、美味しそうなオムライスね。お母さんも一口食べよっと」


 気付けば、綾奈先輩の横で黒髪の女性がオムライスを一口食べていた。店長さんと同じ格好をしている。あと、今……お母さんって言っていたけれど誰のお母さん? 髪の色からして考えられるとしたら、


「これ美味しいわね、綾奈。誰が作ったの?」

「この黒髪の女の子だよ、お母さん。うちの高校に通っている1年生の白瀬百合ちゃん」

「あら、この子が例の百合ちゃんなのね! 最近、綾奈からよく話を聞いています。初めまして、綾奈の母の神崎美紀かんざきみきといいます。綾奈がお世話になっております。綾奈から聞いているとは思いますが、私もサキュバス体質を持っています。ここではバートとアルバイトのリーダーをしています。ホールをやるときもたまにあるけど、大抵はキッチンの方を担当することが多いかな」

「そうなんですね。初めまして、白瀬百合といいます。その……綾奈先輩には先週くらいからいつもお世話になっています」


 やっぱり、綾奈先輩のお母さんだったのか。高校生の娘がいるのが信じられないくらいに若い。綾奈先輩はかっこよくてクールだから、似たような雰囲気の親御さんなのかと思っていたけれど、意外とほんわかとした雰囲気の人だな。ルーズサイドテールの髪型だからか落ち着いた感じもして。


「最近、綾奈が百合ちゃんの話をたくさんするから、百合ちゃんがどんな感じの子なのか気になっていたの。愛花ちゃん以外の子の話をするのも珍しいし。とっても可愛くて素直そうな女の子じゃない。私のことは美紀さんって呼んでくれていいからね」


 美紀さんは満面の笑みを浮かべて私の頭を優しく撫でてくれる。

 綾奈先輩、ご家族に私のことを話しているんだ。好意的な印象を持ってくれているみたいで良かった。


「じゃあ、全員いるし、もうそろそろ開店の午前10時になるので軽くミーティングね。ホールを清恵ちゃんと綾奈ちゃん、愛花ちゃん。キッチンは百合ちゃんと美紀さん、私でやっていきましょう。特に愛花ちゃんと百合ちゃんは、何かあったらすぐに周りの人に声をかけてね」

「分かりました。ホール頑張ろうね、綾奈」

「うん。生徒会長もやっている愛花ならきっと大丈夫だよ。百合、キッチン頑張ってね。何かあったらマスターやお母さんに遠慮なく言ってね」

「分かりました。頑張ります」

「うん、みなさんよろしくね。それでは、間もなく開店です。よろしくお願いします!」

『よろしくお願いします!』


 制服に着替え、私にとって初めてのアルバイトが始まった。綾奈先輩が側にいないのは寂しいけれど、それでも店内にいるのは心強く思えて。

 レシピを確認し、店長さんや美紀さんの助けを借りながら、注文された料理やスイーツを作っていく。


「6番さんのオムライスとナポリタンができました!」

「OK、百合!」


「12番さんの抹茶ホットケーキできました!」

「分かったわ、百合ちゃん」


「3番さんのチョコレートパフェできました!」

「了解、白瀬さん。……これは美味そうだ。お腹空いたな」


 注文されたものをできるとこうして呼びかけるので、ホール担当の綾奈先輩達とも意外と顔を合わせるのであまり寂しくなかった。

 お客様に食べてもらうと思うと緊張するけれど、次第に楽しい気持ちが膨らんでいって。時間を忘れてしまうほどキッチンで手を動かすのであった。

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