白百合に泣く
桜庭かなめ
プロローグ『しらゆり』
『白百合に泣く』
雨がしとしとと降っている。
そんな天気だからなのか、6月になっても涼しく感じて。梅雨の時期もこういう気候なら、6月を好きになることができそうな気がする。
「あれは……」
帰ろうとしているのか、黒い傘を差しバッグを持っている女子生徒が、白百合が植えられている園芸部の花壇の前に立っていた。
スラッとしており、サイドに纏めた黒い髪が美しいからか、彼女の後ろ姿に目を奪われる。
ただ、そんな姿を見ることができるのは長くなかった。私の足音に気付いたのか、彼女は私の方に振り返ったから。
「やっぱり、ここにいれば君に会えると思っていたよ」
そう言った後に見せる静かな笑みはとても可愛らしくて、美しい。私のことを見つめる赤い瞳に吸い込まれそうな感覚になる。
こうして話すのは初めてだけど、彼女のことはちょっと知っている。
「私に何かご用ですか? 2年の
「へえ、私のことを知っているんだ」
「入学した直後から、クラスで先輩の名前を聞かない日はありませんからね。背が高くて、かっこよくて、美しい先輩だと。スマホで撮った写真を友達から見せてもらったこともあります」
「なるほどね。そういえば、1年生の子からも何度か告白されたな……」
神崎先輩は落ち着いた笑みを浮かべたままそう言った。きっと、今までに数え切れないほど告白されてきたんだろうな。
「それよりも、神崎先輩はどうして私のことを知っているんですか? 先輩のように人気があるわけじゃありませんし」
「ここにいる君を見たからだよ。先週の金曜の放課後だったかな。この白百合に水をあげている君の姿を校舎から見たんだ」
「そうだったんですか」
先週の金曜日は、私の入部している園芸部の活動があり、私は白百合に水をあげた。まさか、その姿を神崎先輩に見られているなんて。
「去年、この花壇に咲いていた白百合の花を見てから好きになってね。美しくて、可愛らしくて。強いけれど、私好みの匂いがして。今年も花が咲くのを楽しみにしていたんだ」
「そうだったんですね。私も神崎先輩と同じような理由で、特に白百合の花は好きです」
部活の先輩から任された白百合の花を楽しみにしてくれている人がいるのはとても嬉しい。
「そんな白百合の花に水をあげている君は凄く楽しそうだった。だから、君と一度、この花のことで話してみたいなって思っていたんだよ。この花壇は園芸部のものだって分かっていたから、君は園芸部の生徒だろうとは思ってた。あとは今、君が私のことを先輩って呼ぶから1年生ってことくらいかな。ただ、それ以外のことは分からない。君、名前は何ていうの?」
「
「白瀬百合ちゃんか。君らしい可愛くて素敵な名前だね。名前が似ているからか、白百合の花を見る度に君の顔を思い浮かびそうだよ」
神崎先輩は爽やかな笑みを浮かべる。私も白百合の花を見る度に先輩の顔を思い浮かびそう。
「ふふっ、そうですか。名前が似ているので、白百合の花には愛着が湧いて。部活の先輩にもそういう理由で白百合の花を任されたんです」
「そうだったんだね」
そう言うと、神崎先輩は傘をその場に置き私の目の前まで近づいてきた。
こうして近くで見ると神崎先輩って本当に綺麗な人だなぁ。彼女の頬を伝う雨粒が煌めいている感じがして。ドキドキしてくる。
「失礼するね」
「えっ?」
すると、神崎先輩は傘を持つ私の手をそっと握り、顔を近づけてきた。
私は思わず目を瞑る。神崎先輩は何をするつもりなんだろう。髪のあたりに吐息がかかっているように思えるけれど。
「……いい匂いがする」
そんなことを言われたのでゆっくりと目を開けると、目の前には優しい笑みを浮かべながら私のことを見つめる神崎先輩がいて。先輩は私の頭を撫でてくる。
「白百合の花よりも、君の匂いの方が好きかな」
その瞬間、身も心も神崎綾奈先輩にしっかりと掴まれたような気がした。温かい気持ちに包まれてきて。あと、神崎先輩もいい匂いがするよ。
「頬が赤いけれど、大丈夫?」
「……えっ? あっ、大丈夫です。ただ、急に匂いを嗅がれたのでビックリしちゃって」
「そうだったんだ。驚かせちゃってごめんね」
「いえいえ」
驚いたけれど、先輩に匂いを嗅がれたことは嫌じゃなかったし。むしろ、嬉しいとも思えるくらいで。
「百合と話ができて良かった。私はそろそろ帰ろうかな。百合、部活頑張ってね」
「は、はい! ありがとうございます」
「うん、またね」
神崎先輩は自分の傘を手にとって、私の元からゆっくりと離れていく。
またね、とは言ってくれたけど、彼女の後ろ姿が小さくなっていくほどに、寂しい気持ちは大きくなってゆく。先輩の姿が見えなくなるまで、私はただ立ち尽くしていた。
「先輩のことが好きになったんだ、私……」
この雨の音にかき消されそうなくらいの声で想いを口にすると、気持ちが軽くなって体が熱くなっていく。
高校生になってからの初めての夏。
私は「恋をする」ということを知るのであった。
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