第2話 つよいのはママだけじゃない
ブラックドッグの口が大きく開く。
赤い口腔内にうごめく舌に白い牙、粘ついてのびる唾液の筋までが見てとれた。
少年はその口を塞ぐように、必死で剣を叩きつける。
「フィル、平気か!?」
声と共に、戦いながら移動してくる人影。それを横目に、少年は力をこめて剣を振りぬいた。
「だいじょぶ……です!」
顔面を叩き割られながらもあがく、自分よりも大きな獣の身体。何とかそれを横へと受け流し、少年はよろめきながらも立ち続ける。
魔物たちとの戦力は拮抗している。
だけど、一人で魔王へと向かっていった
「僕にだって、できることがある……!」
少年はぬるつく剣の柄を服の裾でぬぐうと、再び魔物へと向かう。
「りりちゃん、まだー?」
甲高い子供の声が後ろから響いた。
「まってまって」
さらに幼い舌ったらずな声が続く。
「すいとー、あかないの……。にーに、あけてー?」
「しょーがないなー」
なんだ、今の声……。少年は新たな魔物に剣を叩きつけながら後ろを見やり、自分の正気を疑った。
「ほら、あいた」
「ありあとー、じゃ、やるねー」
幼児が二人、地面にしゃがんで何かしている。
「おまえら! ……なんでこんな、とこにっ!?」
少年の手から剣がすっぽ抜けそうになる。慌てて剣を持つ手に力を入れ直し、背後に向かって叫んだ。
少年の声が聞こえているのかいないのか、二人は全くこちらに意識を向けない。
「おみずさん、ちから、かしてねー?」
女の子が、手に持った筒から無造作に中身を地面へと注いだ。
こぽこぽこぽ……。
魔物との戦闘の中、不自然な水の流れる音。
それは意外な程にあたりに響く。
そして、そのまま地面へと吸い込まれるかと思った直前に、水はふわっと重力を無視して空へと広がった。
そう、彼の目の前にも水の膜は広がっていた。
腕を振りかぶり、その鋭い爪で切り裂こうと向かってきていた魔物との間に。
魔物の、長く太く、身体に比べてバランスが悪いほどにたくましい腕は、水の膜に阻まれて彼の元にはたどりつかなかった。
魔物の爪は水でできたと思われるその膜を切ることができなかったのだ。
「なんだ……これ……」
指でつつくも、柔らかくも弾力のある水の膜は向こう側へは通してくれない。
「おっけーなの」
「よぉっっっし!!」
気合の入った子供の叫び声とともに、視界の端で茶色い枯れ葉が舞い上がるのが見えた。
男の子の方が、小さな鞄に手を突っ込んで、中から枯れ葉を撒き散らしているのだ。
「ほうら、とんでけー!!」
子供の声と共に、枯れ葉は水の膜をするりと通り抜けると、勢いを増して魔物の群れへと向かっていく。
「もえちゃえー!!」
今度はその言葉に応えるように、枯れ葉には火が付き燃え上がった。そして、そのまま魔物たちへと襲い掛かる。
呆然と見つめる少年の目の前で、炎にあおられた枯れ葉が魔物と共に舞い踊っていた。
「いっけー、どんぐりばくだーん!!」
茶色い木の実が、少年の目の前を横切った。
そして、燃える炎の中に飛び込み、次の瞬間、はじけとぶ。
「あー! どんぐりはあぶないから、火に入れちゃだめなんだって、ママが言ってたよー?」
「だって、あいつらはやっつければいいんだよ? あぶなくたって、へーきだよ!」
「あ、そっかぁ」
後ろで交わされる、子供たちののどかな会話が、すでに意味のある言葉に聞こえない。彼の理解できる許容範囲を超えていた。
「ガキの頃、焚き火にさぁ、固い木の実とか、入れると怒られたよな?」
「あぁ、あったあった……」
「でも、たまにこっそり入れるんだよな」
「で、はじけてバレて怒られる」
「そこまでがセットだよな」
聞き覚えのある声にそちらを向くと、すっかり剣を下ろした馴染みの二人が地面に座り込んで少年に片手を挙げた。
「よっ、お互い、何とか生き延びたな」
「セスさん……、テリーさん……、それに皆さんも……」
少年はよろよろと彼らに近づくと、がっくりと膝をついた。
「なに、くつろいでるんですか……!」
「そうは言っても……、なあ?」
「もう、必要ないよなー」
二人の言葉に、周囲一体で笑い声が巻き起こった。
「そんな、皆さん、あんな、あんな子供たちに任せていいんですか!?」
「なんかさ、たまにあるんだってよ」
「伝説? っていうか、言い伝え?」
「んー、オレたちみたいな、傭兵の間でなんとなーく、昔から言われてたことなんだけどな」
足を投げ出して地面に座っている男が、ボサボサ頭をかきあげながらうなる。
「勇者の陣営が不利になるとな、どこからともなく助けが現れるんだと」
「……子供が?」
少年の眼差しは、疑いを隠してもいない。
「いやあ、それはオレも予想外だった!! まあ、魔王や勇者ってのも、言い伝えに近かったしな!」
大笑いを始めた男の言葉に、少年は正面の漆黒の城を見上げる。
「ああ、そうだ、勇者!!」
「うん、まあ、これはオレの勘だけど。……大丈夫じゃね?」
彼らの後ろでは、炎の爆ぜる音と子供たちの楽しげな笑い声が響いていた。
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