第7話 憑き物落とし

 神隠しにあうはずだった亀ちゃんが無事であったことは、神事としては明るい材料ではあるのだが、その亀ちゃんに神様が憑りついているところまでは計算には入っていなかった。

 集会所には亀ちゃん、強司、葵衣が連れて来られ、亀ちゃんと一緒に神様もいる。ついでに頭屋御輿も持って帰ってある。風が強くなっているようで、窓枠がガタガタを音を立てていた。雨も本格的に降り始め窓を叩きつけている。

「うむむ……」

 神主をはじめ、氏子一同は緊張感に欠ける亀ちゃんを見て、うなるしかなかった。そして、その亀ちゃんの横に異形の姿をした神がいることにも触れずにいられなかった。

「本当に常世の国からいらした神様でしょうか? 毎年お呼びしている神様に間違いないでしょうか?」

「間違いない」

 さっきからこの問答を堂々巡りさせているのだった。異形の神はどこか素っ気ない。

「我こそは常世の国より来たる神なるぞ。頭屋の娘を連れ去っていくが構わぬな?」

 太古よりの存在たる異形の神はお決まりの文句とともに、亀ちゃんを連れ去ろうとするが、それが出来ないのだった。連れていこうとしても力が入らないのか、どうにもならないでいる。さっきから何度も同じことを繰り返している。これでは亀ちゃんの方が異形の神を支配しているかのようだ。

「それで、つまるところ。今年の吉凶はいかほどになるのでしょうか?」

 神主は恐る恐るたずねる。氏子たちも身を乗り出す。彼らにとってはここが一番肝心な部分であった。今年の田畑が豊作かどうか、川が氾濫しないかどうか、そこだけが気がかりなのだ。

「知るか。貴様ら人間などの都合はどうでもいい。わしはこの娘を連れて帰る。それだけだ。そうすれば自ずと吉となろう」

 異形の神はイライラとした様子で答える。しきりに窓の外を見たり、落ち着かない様子で、まるで時間を気にしているかのようだ。もうすっかり夜になっている。

「あのう、頭屋はこの通り準備いたしました。必要であれば連れて帰って構いません。というより、帰っていただかないと神事が終われません。我々としては一人の犠牲で、大勢が助かるのであれば、それで十分です。今年は客人を頭屋としましたが、不満はございますか? 無ければ来年以降も村からではなく、外部の人間を生贄にいたします。去年の神隠しの件もあり、もう村の娘たちは誰も頭屋になろうとはしません。ですから、何も知らない外部の人間の方が頭屋にしやすいです。現に今年の彼女は何も知らないままこうして頭屋にすることが出来ました」

 神主は亀ちゃんを気にしながら言いにくそうに、思わず本音をぶちまけた。夜も更けてきたし、雨風も強い、いい加減神事は終わらせてしまいたいのが本音だった。花火大会は中止という知らせも終えてある。

「もうこんなことはやめませんか」

 さっきから黙っていた葵衣が叫んだ。メガネの奥の瞳がきらりと光り、毅然とした表情に変わった。

「去年、私の妹結衣が頭屋になった時、結衣は神隠しにあいました。確かにその年は水害はありませんでしたし、豊作でいい一年でした。でも本当にそれでいいんですか? 結衣が犠牲になってまでこの村を守るべきだったのでしょうか? 確かに私は、今年亀澤さんを頭屋候補として、祭りのイベントに招きました。でもまさか本当に頭屋に選ばれるとは思わなかったんです。その時思いました。大勢が助かるなら、少数の人が犠牲になっても本当にそれでいいのかと。神主さんが同じ立場だったら喜んで頭屋になりますか? 村の娘たちはもう誰も頭屋になろうとしません。それが本音です。誰だって犠牲になりたくないんです。誰一人として犠牲にしてはいけないんです」

 葵衣は思いのたけをぶちまけた。恐らくずっと抑えてため込んでいた気持ちが今まさに爆発したのだ。まるで生徒会長の演説のようだった。早口で聞き取りにくかった点を除けば。

「どうして、神様の言うなりなんですか? 水害なら堤防など、治水工事するなりして防ぐことだってできるはずですし、田畑の実りに関してはこれはもう技術的なことだと思います。全て神頼みというのはおかしいと思います」

 強司は疑問に思っていたことを言ってみた。

 亀ちゃんはというと、それぞれの意見を聞くたびに「なるほど」とうなずくばかりで自分の意見を持ち合わせていなかった。

「いや、我々も何もしなかったわけではない。五十年以上前に、頭屋を差し出すという習わしをやめ、頭屋御輿神事そのものを廃止したのだよ」

「そう、川上にあの忌々しいものが出来て以来、わしらは頭屋を得られなかった」

 神は苦々しそうに吐き捨てた。手に入れたくても手に入らないもどかしさがこもっている。

「川上? 何があるんです?」

「ダムだよ。あれが出来て以来、水害は無くなった。そして家屋や田畑が浸水することもなくなった。だから頭屋の必要は無くなったのだ。五年前までは」

 五年前と言えば、川が氾濫して葵衣の住んでいた地区を飲み込んだ災害である。今は更地となり、祭りのイベント会場となっている。

「だが、ここ近年の異常気象のせいで、ダムですら水害を防ぐことは出来なくなってしまったのだ。だから我々は神事を復活させたのだ」

「ふははは。だからこうしてわしはやってきて、頭屋の娘を連れて行くのだ。ではそろそろ行くかの」

 と亀ちゃんの手を取ろうとするが、どうしてもできないのだった。

 悔しさに醜くゆがむ異形の神のイライラが爆発した。人の形をしていたものは、ますます凶悪になり替わり、醜悪に変化した。そして亀ちゃんの後ろから覆いかぶさるようにして、亀ちゃんの腕をわしづかみにつかんだ。

 その時、亀ちゃんの目は自分の右手首をつかむ、しわだらけの浅黒い気味の悪い腕をとらえていた。そしてとっさに右ひじを思い切り後ろに引いて打ち付けると、ひるんだ腕をつかみ取り、ひねり上げるようにして前に引っ張り、背中に乗せて押し出した。すると何かが軽々と前方へと投げ出された。関節をきめながらの一本背負いだった。

 畳の上に背中から打ち付けられたのは、見るからにひ弱そうな老人であった。そこにはもはや神の威厳は無く、プライドをはがされた敗者の姿しかなかった。その場にいた全員が、憑き物が落ちた、と悟った。

 それと同時に頭屋御輿からも打ち付けるような大きな音が鳴り響いた。見れば若い娘が桶の中に入っている。

「結衣? 結衣じゃないの。帰ってこれたの?」

 葵衣が御輿に駆け寄る。

「ん? あ、お姉ちゃん。久しぶりー。元気にしてた? あいたたお尻ぶつけちゃった」

「それはこっちのセリフよ。結衣こそ今までどこにいたのよ」

「私は常世にいたよ。いやー、楽しかったなー。神様たちの接待をしていたんだけど、毎日お祭り騒ぎでね、ただ話し相手になってお酌をしていればいいの。楽なもんよ。気候は良いし、食べ物はおいしいし、イケメンの神様に囲まれてしあわせーって思ってたけど、一年契約だからって帰らされちゃった。もっといたかったのになー」

 真面目を絵にかいたような姉の葵衣とは似ても似つかない、派手で浮ついた印象の結衣はあっけらかんと言った。

「あ、おじいちゃんじゃない。今年の頭屋まだ連れてきてなかったの? 他の神様が遅いって怒ってたわよ」

 結衣は情けなく横たわる神を目ざとく見つけるや、厳しい口調で言い放つ。

「おじいちゃん?」

 一同は思わず聞き返す。

「このおじいちゃんはみんなの使いっ走りでね。頭屋を連れてくるのがお仕事なの。楽なもんよ。でもねこのおじいちゃんすごくエッチなの。すぐ私の胸やお尻を触ってくるよ。ね、おじいちゃん」

「ごほん。えー、この娘は事実と異なることを申しておる。わしは威厳ある神なるぞ」

「またまたそうやってすぐにいばりたがる」

 その時、集会所の中に警報のような音がいくつも鳴り響いた。皆携帯電話を取り出すと、画面にくぎ付けになる。台風接近を知らせる大雨暴風の緊急速報メールだった。

「台風!」

 その場にいた氏子たちが口々に叫ぶとうろたえ始めた。

「ふははは。神の力は偉大なり。豪雨は川に力を与え暴れまくるぞ」

 神は急に力が戻り始めたのか、醜い姿に膨れ上がりだした。

「なにがふはははよ。頭屋が常世の神様に台風を弱めてもらうようにお願いしに行けばいいだけじゃない」

 結衣が口をとがらせながら一喝する。

「しかし、今年の頭屋はちょっと特殊で連れていくことが出来ないのだよ」

 神は言い訳がましく亀ちゃんを横目で見る。

「ごめんなさい。私ちょっと特別な体なもので」

 なぜか謝ってしまう亀ちゃんだった。

「いいわよ。私もう一年頭屋をしてあげる」

「え、そんなことできるの」

 結衣の平然とした提案に一同は目を丸くした。

「さあ、わからないけど、神様にお願いすればOK出るんじゃないかな。ほら自治会長さんとかだって、毎年同じ人がやったりするじゃない、あれと同じよ。誰かがやらなければいけないけど、誰もやりたがらない役回りっていうのかな」

「そんなものかな」

 理屈は合っているような気もするが何か釈然としない強司。

「まあとにかく私はイケメンの神様に会いに行ってきます。じゃあお姉ちゃん後はよろしくね。ほらおじいちゃんなにぼけっとしてるの、行くわよ」

 異形の神だったみすぼらしい老人は、悔しそうに歯ぎしりしながら、結衣の手を取った。すると地鳴りとともに御輿が揺れ、馬から落ちて転げ落ちると、二人はその場から消えていた。

「葵衣さん。あんまり妹さんと似てないですね」

 呆然としながら強司は葵衣を見た。

「ハイそうなんです。いつも私を使いっ走りにしていまして……」

「ああ、だから神様の扱いもうまいのか……」

 その場にいた全員が納得してしまった。

 しばらくすると集会所の外の雨と風が少し弱まったようだった。

「私、常世の国にちょっと行ってみたかったかも」

 亀ちゃんは今さらなことを言いだした。

「何言ってるんだ。嫌がってたくせに」

 強司は亀ちゃんを叱り飛ばす。

「別に嫌がってないですよ。常世のおいしい料理に興味があるんです。神様の食べ物ってどんなものかなーって思うと、一度は食べてみたいじゃないですか。死ぬまでに一度は」

「昼にあれだけごちそうになってもまだ食べたいとは。本当に色気より食い気だな、亀ちゃんは」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コンプレックス・ネクロマンサー 「神の迎え方」 真風玉葉(まかぜたまは) @nekopoku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ