第6話 異形の神

 夕日は沈み、宵闇よいやみが包み始めるころ、強司と葵衣が奥宮に現れた。

 亀ちゃんはまだその場に倒れたままだった。強司が駆け寄り、抱き起すと声をかける。頬は泥で汚れており、強司はハンカチを取り出し拭い取ってやる。すると亀ちゃんが目を開いた。ほっと息を吐き出す強司。

「あれ、私どうしたんですか? 二人ともどうしてここに?」

 気が付いた亀ちゃんだったが、状況を理解できていない様子だった。しかし、

「我こそは、常世の神なるぞ。今年の頭屋はどの娘だ」

 いきなり聞いたこともない地を這うような低いしゃがれ声が亀ちゃんから発せられた。強司と葵衣は驚いて、亀ちゃんから身を引いて身構えたが、亀ちゃんは何ごともなかったかのような顔をしている。

「亀ちゃんまさか……」

 強司は亀ちゃんを指さした。亀ちゃんは訳が分からず前後左右を振り返るが何も見えない。

 しかし強司と葵衣は、亀ちゃんの横にただならぬ影を見ていた。人ではない。人外のそれは、四肢こそ人と同じ形をしていたが、人とは似ても似つかない異形の姿だった。ただ、顔と思しき器官には無数のしわが寄り、白いひげが無造作に伸びている姿はおきなのようであった。

「あ、あの、もしかして常世の神様ですか。どうかお怒りをお鎮め下さい。亀澤さんを連れていかないでください」

 葵衣は急に泣きそうな声で異形の神に懇願した。

「ふむ。無駄じゃ。わしは今年も大変機嫌が悪い。常世の神々の命により、この娘を連れていくことにする……」

 と、異形の神は亀ちゃんの手を取ろうとするが、亀ちゃんはびくともしなかった。それ以前に亀ちゃんにはその姿すら見えていない。

「おかしい、おかしいぞ。わしの力をもってしても、この娘を動かすことが出来ぬ。それどころかなんだこの居心地の良さは。まるでわしの方が連れていかれるような……」

「あの、もしかして私に何か憑りついてます?」

 亀ちゃんは無自覚にたずねる。強司がこたえる。

「今亀ちゃんには、身の毛もよだつような化け物が憑りついているぞ。亀ちゃんを連れていこうとしているが、それが出来なくて困っている様子だ」

「べ、別にわしは困っておらんぞ。ちょっと手加減しているだけだ。こんな小娘くらい赤子の手をひねるようなもんだ」

「はあ、そうなんですか。私も困ります。そんな怖い化け物が憑りついてるなんて。みんなが見たら注目されちゃうじゃないですか。困ります」

 亀ちゃんは横を振り返りながら、姿の見えない異形の神に不満を訴えた。

「亀澤さん、何ともないんですか? 本当に大丈夫なんですか?」

 葵衣が不安そうにたずねる。

「はい、別に何ともありません。ただ、御輿に揺られて気分が悪いです。それで気が遠くなって……。あ、思い出した。私御輿に乗ってここまで来たんですね。それでそこの岩が揺れて……」

「わしが降臨したのがそこの磐座だ。そして頭屋の娘を連れ去っていくつもりが、どういうわけかこの娘に憑りついてしまったのだ。えいくそ、離れたくても離れられないわい」

 異形の神はいまいましそうに吐き捨てたが、亀ちゃんからは逃れられないらしい。

「実はさきほど部長さんにも話したんですが、亀澤さんにもこの神事の本当の意味を説明します。実はこの頭屋は、人身御供ひとみごくうなんです。要するに亀澤さんは生贄いけにえにされたんです。神様に」

 生贄と聞いても、亀ちゃんはピンとこなかった。異形の神は野太い笑い声をあげた。

「そうだ。わしはその生贄を捕まえにやってくる神なのだ。毎年、この時期にこの土地にやってきて、田畑に恩恵をもたらしているが、常世の神々の意向によっては生贄が必要な時もある」

「おととし私が生贄になった時は無事でした。何事もなく、田畑も豊作でした。ですが去年は……」

 一瞬葵衣は言葉を詰まらせた。再び笑い声をあげる異形の神。

「去年は生贄をいただいたぞ」

「去年は私の妹結衣が生贄で、この奥宮から姿を消しました。神隠しにあったんです。聞いた話だと地鳴りがして、磐座がこの世と思えぬほど動き出したとか。亀澤さんのおっしゃる通りです」

「心配はいらぬ。お前の妹はちゃんと常世の国で頭屋として務めを果たしているぞ。一年交代だからもうじき務めも終わるころだ」

「で、今年は……」

 葵衣は恐る恐る問いかける。

「今年もつれていくつもりだ。さあ、わしと一緒に常世へ行くぞ」

 と亀ちゃんの手を取る異形の神だったが、亀ちゃんはびくともしない。

「本当は、外部の人から頭屋を選ぶことには反対だったんです。去年結衣が神隠しにあって以来、村からは頭屋のなりてがいなくなってしまって。それで仕方なく事情を知らない外部の人から選ぼうという話になったんです。神主さんが言うには、頭屋は一年交代だから、次の頭屋を選べば、前の頭屋が帰ってくるらしいんです。昔の文献にそう書いてあったそうです。神事の次第も文献を参考に行われています。それを信じた私は当初妹と引き換えに亀澤さんを頭屋候補に入れてましたが、間違いだとやっと気づいたんです。馬鹿なことをしてしまって申し訳ありませんでした」

「馬鹿なことではない。頭屋は毎年用意しなくてはならないのだ」

 異形の神はふんぞり返っている。

「逃げましょう」

 真剣な顔つきで葵衣が言った。

「神主に見つかるとめんどうです。私S市内に有名な霊媒師を知っています。どんな憑き物も落とせるんだそうです」

 異形の神を憑き物落としするつもりらしい葵衣だが、強司がそれを制した。

「いや、亀ちゃんも相当な霊媒体質だけどな。自覚が全くないけど」

「大丈夫ですよ。私全然へっちゃらですよ」

 自覚のない張本人は平然としている。

「わしはこの娘を連れていかないとイカンのだ。ええいどうしてもつれて行けぬわ」

 めいめい好き勝手に話し出すのをなだめながら、葵衣は強司と亀ちゃんの手を取って奥宮からの道を下り始めた。

「ところで葵衣さん。車はどこに停めているんです」

 下り道、強司がふとたずねる。

「どこって……あ、神社の駐車場だ。見つかっちゃう……どうしよう。あの、静かにこっそりと行きましょう。そーっとですよ、そーっと」

 本宮にある集会場からは煌々こうこうと明かりが漏れている。駐車場にも数台の車が停まっており、まだ氏子たちは集まっているようだ。境内にも何人か姿が見える。

 葵衣たちは暗がりに紛れ、車へと近づく。そしてリモコンキーで車のカギを開錠したとたん、ロックが解除された電子音が高らかに鳴り響いた。丁寧に橙色のハザードランプまで鮮やかに点滅する。

「いっけない……」

 思わず叫ぶ葵衣のもとに、境内にいた氏子が集まってきて、あえなく見つかってしまうのだった。

「すみません。私いつもこうで……」

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