第5話 奥宮
神輿に担がれると思いのほか高く、亀ちゃんは思わず桶のふちを力いっぱい握りしめた。
「うわっ、ちょっといきなり持ち上げないでください。もっとゆっくりお願いします」
桶にすっぽりとおさまった亀ちゃんは、普段見られない目線で辺りを見回す。長身の男衆を上から見下ろすのは貴重な体験だった。
神社を出発した頭屋御輿は、現在いる
境内には、白い法被姿の氏子が大勢集まり、それを取り囲むように村人たちが詰めかけていた。さらにその奥では見物客やアマチュアカメラマンたちが神事を取り囲んでいるのが見える。一般の人が見学できるのはここまでで、奥宮までは行くことが出来ない。
イベント会場の視線に比べたら微々たるものだが、それでも注目の対象になるのは今の亀ちゃんには苦しいものだった。早く御輿が出発しないものかとやきもきするのだった。
ふと亀ちゃんは詰めかけた村人の中に、亀ちゃんに向かって手を合わせて何ごとかお祈りをしているような人を見つけた。大抵は老人だったが一人二人ではない。相当熱心な様子で、ひたすらじっと祈り続けている。
村人の中には若い女性もちらほら見かける。頭屋のなりてがいないとは、葵衣の言葉だったが、彼女たちは頭屋になりたがらないのだろうか。亀ちゃんは疑問に思った。
葵衣のように、地元の祭りに熱心な人が自ら進んで頭屋になりたがるのは何となくうなずけるのであるが、他の娘たちはそこまで興味がないのか。
自分みたいなよそ者が、神聖な神事の大事な役目を負っても大丈夫なのか。そこが不思議だったのだ。
頭屋になるには何日も前から
強司は遠くの方から亀ちゃんを晴れ晴れしく見守っていたが、その横にいる葵衣の表情が浮かない物だった。何か言いたそうな顔をしている。
神主の
御輿が出発すると、葵衣が慌てて駆け寄ろうとしたが、人垣に阻まれて前に進むことが出来なかった。
奥宮への道は大変険しいものだった。裏山への山道だから険しいのは当然だが、何しろ道が悪い。普段通る人もいないようで、草はぼうぼうに生え、石はごろごろ転がり、山の斜面からしみ出た湧き水で道はぬかるんでいる。道幅も狭く御輿がやっと通れる程度であった。
悪路を威勢よく突き進む御輿の掛け声は、山中に木霊し、どこか空元気なものを感じさせた。薄暗い山道を進むにつれて、亀ちゃんは徐々に不安に駆られてきた。一体どこに連れていかれようとしているのか。今になって頭屋を引き受けたことを後悔するのだった。
山道を進んでいくと古めかしい朽ちかけた鳥居が現れた。鳥居をくぐると不意に周囲が明るくなる。木々が切り開かれ、小さな境内になっていた。奥宮である。
奥宮とは言っても、小さな祠があるだけのひっそりとした場所だった。巨大な
奥宮に到着するなり担ぎ手の威勢のいい声はピタリと止み、辺りは静寂に包まれた。時折山鳥のさえずりが聞こえてくる。
あらかじめ用意されていた馬に御輿は置かれ、ようやく亀ちゃんは揺れから解放された。が、完全に亀ちゃんは御輿の揺れに酔ってしまい、頭がグラグラ回っていた。
再び神主が磐座に向かって祝詞を上げ始めた。気分の悪い亀ちゃんには何を言っているのか分からなかったが、常世の神様に対してお願いをしているような内容のようだった。
すると氏子の数名がどよめきの声を上げ始めた。その声は次々に周囲に広がり、奥宮全体がざわつき始めた。
何事かと、亀ちゃんが桶から顔を出して周囲を見回すと、氏子たちが山の向こう側を指さしていた。その指先には、今にも山の
その夕日が何かの影で欠けていた。いびつに欠けた夕日はゆっくりとした動きで山へと消えていこうとするが、何かの影は全く動かないままだった。空全体に厚い雲がかかっていたが、雲の影ではなかった。
突如奥宮に地鳴りが響き渡った。巨大な磐座がいとも簡単にガタガタと暴れるかのように揺れ動いた。
氏子の一人が悲鳴をあげながら逃げていった。それをきっかけに他の氏子たちもその場を離れ、誰もいなくなってしまった。残ったのは神主だけだった。
「去年と全く同じだ。頭屋は任せたぞ」
とひと言だけ告げると足早に奥宮をあとにした。
地鳴りは一層激しくなり、磐座の揺れに呼応するように御輿もガタガタと揺れ出した。そのとたん馬から御輿が外れて、勢いよく落っこちてしまった。投げ出される亀ちゃんは、そのまま意識を失ってしまった。
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