第4話 めでたい席

 集会所は小さな神社の境内の一角にあった。畳張りの集会所には一段上がった舞台があり、神楽の奉納を行う場所でもあるようだった。そこに朝見た頭屋御輿が置かれている。

 昼間だというのに、法被はっぴ姿の氏子たちはすでにお酒が入っているようで、かなりにぎやかな昼食の場となっていた。奥の上座には年老いた神主がすまし顔で座っている。

 葵衣に案内されて強司と亀ちゃんが集会所に現れると、氏子たちから拍手と歓声があがる。しきりに「めでたいめでたい」を連呼し嬉しそうだった。

 なにがめでたいのか分からないまま、強司と亀ちゃんが座らされた席には、豪華な料理が大量に準備されていた。尾頭付きの大きな鯛が盛りつけられているほか、お寿司、てんぷら、うなぎまである。ついでにお神酒みきも用意されていた。

「こんなにぜいたくなものをいただいて大丈夫なんですか?」

 強司は目を丸くしながら、神主や氏子たちを見渡した。彼らは、おこわの入った幕の内弁当といういたって簡素なものだったからだ。

「私こんなにたくさん食べきれるかな?」

 先ほどまでのためらいはどこへ行ったのか、亀ちゃんはすでに食べる気満々だった。

「遠慮することは無い。今年の頭屋が決まったのだから、こんなにめでたいことはない。さあどんどん食べなさい」

 神主は食事をすすめるが、その言葉を聞いてお寿司に手を伸ばしかけていた亀ちゃんの手がとまった。

「はい?」

「今なんて言いました?」

 亀ちゃんと強司は同時に聞き返した。

「今年の頭屋が決まったのだよ。そこの娘さん、なんと言ったかな……」

「亀澤ゆか里さんです」

 葵衣が横から口を出した。

「亀澤さんには、今年の頭屋を務めてもらうからそのつもりで。だからその前にたっぷりとぜいたくをしてもらって構わないぞ」

「いえ、あの。私OKした覚えないんですけど」

 亀ちゃんは恐れ多くなってしり込みする。

「歌のステージを観覧させてもらったが、あの度胸の据わった演出には我々も驚かされたのだ。氏子ともども満場一致で、亀澤さんを今年の頭屋に選出させていただいた次第だ」

 神主の言葉に、その場の氏子一同は大きくうなずきながらこたえる。

 それに対して、あんぐりと大口を開ける亀ちゃん。演出であんなに大恥をかけるわけがないと思ったが、どう返していいのか分からないでいた。

「いえ、あれは演出でも何でもないんですけど。とんだハプニングでして。ただ亀ちゃんを頭屋に選んでいただけてとても光栄です。頭屋はこのお祭りの花形みたいな感じになるのでしょうか」

 強司は思わずにやけた顔を亀ちゃんに向ける。亀ちゃんは眉間にしわを寄せて渋い顔をしている。

「今日行われているのは、本来は神迎え神事でな。毎年稲が成長するこの時期に神様をお迎えして、秋に向けて豊作祈願をしておるのだよ。そのお迎えするのに頭屋は絶対に欠かせないのだ」

「頭屋御輿に乗るという、行事ですか?」

「その通り。頭屋を乗せて神様の元へと向かうのが、この村の習わしでな。大昔は氏子のみで行われていた小さな祭りだったのだが、ここ最近は観光客を呼び込むイベントを中心に行うように様変わりしているのだ」

「小さな村ですから、お祭りを観光の呼び物にして活性化させたいのです」

 葵衣が補足的に付け加える。

「イベントはイベントで盛り上がってもらえばいい。ただ、神迎え神事は大事な行事だからこちらも同時進行で行う。ここ数十年神事は簡略化されていたが、おととしから正式なやり方に戻したのだ。文献を参考にしながら。神様は常世の国からやってくる。それを我々がお迎えする」

「常世とは、別名あの世のこととか、神の世界とも言われるところですね」

 あごに手をやり強司がこたえると、神主はうなずく。

「常世からお呼びした神様の機嫌が良い時は問題ない。そのまま里に下りていただいて、豊作の神となっていただく。おととしは機嫌がよく、豊作で実り豊かな年だった」

「私が頭屋だった年です。とても平和な年でした」

 葵衣が照れた様子で説明する。

「だが去年は違ったな。神様の機嫌が悪かった」

 神主の言葉に氏子一同はこうべを垂れた。重々しい空気が流れる。

「イベント会場の脇を流れる川は、別名暴れ川と呼ばれているんです」

 早口で葵衣が解説する。

「普段は穏やかな川なんですが、大雨などで度々氾濫するんです。大昔は家や田んぼが水に浸かって大変だったらしいんですが、ここ数十年は大丈夫だったんです。大丈夫だったんですが、五年前に突然大水害があって、川沿いの住宅街や田んぼが全て浸水してしまって今は更地になっています。それが祭りのイベント会場の広場なんです。その後も毎年のように氾濫しているんです」

 強司は無駄に広大なイベント会場を思い浮かべた。かつてそこにあったであろう、集落や田畑を想像してみる。低い平野だから、ひとたび水害が起これば、辺り一面水浸しになるということなのであろう。

「実は私の家もあそこの地域にあったのですが、家が使い物にならなくなったので、取り壊して近くの高台に引っ越しました。集落の人みんな散り散りになってしまって、仮設住宅での生活や、村を出ていった人もいます」

 伏し目がちに葵衣が悲しそうな顔をする。

「神の怒りはそのまま川の怒りにつながる。だから川の神ともいえるかもしれない。この地域特有の行事だが、川下のS市にも影響のあることだから、かなり大事な行事でもある」

 神主の重い言葉に、亀ちゃんは五年前のことを思い出してみた。まだ小学生だったのだが、記憶の片隅に近くの川が氾濫して犠牲者が出たというニュースを聞いたような覚えがあるし、ここ最近やたらと川があふれるという話をよく聞く。以前は無かったように思われた。

「それで頭屋になったら何をすればいいんです?」

 だんだんと疑念が出てきた強司が重い口調で質問した。

「神をもてなすのだ。怒りを鎮め、笑顔で迎える。それだけだ。昔は頭屋をオシャクメとも呼んでいたらしいが、オシャクメを御輿で担いで、神域まで運ぶ役目を負う。神様の機嫌が直れば万事うまくいったこととなる。だからオシャクメは大事な役割だ」

 神主の言葉に、氏子たちがじっと亀ちゃんを見つめる。そのまなざしには期待感と重責を負った者の光が宿っていた。オシャクメと呼ばれる頭屋も大変なのだが、氏子たちも大変なのだ。神の怒りに触れるかどうかを、年若い娘に託さなければならないのだから。

 こんな神事を一体いつから続けているのかは知る由もないが、未だに連綿と続く歴史に強司は感銘を受けてしまっていた。奇祭と呼ばれる神事は全国各地にあるが、その内のひとつに数えられるかもしれない。

「分かりました。頭屋を引き受けます」

 強司はきっぱりと言った。と同時に亀ちゃんが「えー」と声をあげる。

「亀ちゃんを説得しますから、大丈夫です。な、亀ちゃん」

「な、ってなんですか。あの、神主さん。頭屋になるとみんなに注目されますか? 私さっきのステージで大恥をかいたので、今日はもうあまり目立ちたくないんですが」

「心配いらない。頭屋御輿は村の氏子だけで行われる神事だから、一般にはあまり公開されていないのだ。その代り、御輿だけが事前に披露されている。祭りの広場に飾ってあるのを見たかね?」

 亀ちゃんはそういえば、と朝広場に飾ってあった御輿に見とれていたことを思い出した。

「それで引き受けてくれるかね?」

 神主は念を押すように亀ちゃんを見つめてくる。他の氏子たちも同様に見つめてくる。どうにも断れそうもない空気だった。

「や、やります」

 亀ちゃんの声は消え入りそうだったが、その後に鳴ったお腹の方が大きな音だった。どっと一同から笑い声が上がる。

「まあ、まずはごちそうを食べなさい。それから頭屋になってもらうから。なんならお神酒もあるから遠慮せずに飲みなさい」

「いえ、未成年ですから。て言うか、すすめないでくださいよ」

 亀ちゃんはお酒は断ったものの、いつの間にか氏子たちにお酌をさせられる羽目になってしまっていた。オシャクメとは、お酌をする女、のことだろうとは強司の言葉だった。

「時に亀澤さんはアイドルだそうだが、ボディガードなんてのいるのかい?」

 酔った氏子から突然質問があがる。

「おかしなファンから付きまとわれたりなんかしないかい?」

「いえ、ボディガードなんて言うのはいませんけど」

「そこのガタイのいい兄ちゃんが代わりに守ってくれるのかい」

「ん?」

 亀ちゃんは思わず強司を振り返った。強司は亀ちゃんの食べ残したお寿司を口に放り込んでいた。

「アイドル研究部の部長ですから、今日みたいなイベントの時は付き人みたいなことはします。ただ、さすがにプライベートの時間までは目が届きませんので」

「ですから、私最近護身術を習っているんです。近所の公民館で女性向けの講習会があって、先週も行ったばかりなんですよ」

 亀ちゃんは立ち上がると、強司の前に来て説明を始める。

「前回習ったのは、後ろから抱き着かれたときの対処法です」

 亀ちゃんは強司をおんぶするような格好にすると、強司の右手を握る。

「相手の手をひねりながら頭を抜いて関節をきめると、そのまま投げることが出来るんです」

 と言いながら強司の腕をひねり上げて、強司をその場に押し倒した。

「いたたた。亀ちゃん手加減してくれよ」

 小柄な亀ちゃんが、大男の強司をねじ伏せる姿に、再びどっと一同から笑い声が上がる。

「二人とも仲がいいのう」

 はやし立てる言葉に、ぽかんと口を開ける亀ちゃんだった。

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